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飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第五章
30/41

大郎の政策

 舒明12年。


 唐からの船が帰国してきた。

 その中には遣隋使(けんずいし)として小野妹子(おののいもこ)(みん)と共に大陸に渡り、30年を過ごした高向玄理(たかむくのこくまろ)がいた。

 大郎は旻から、紹介を受けた。

 玄理は50歳を過ぎている。深いしわとこけた頬。実の年齢よりもずっと年老いて見えた。

 玄理は穏やかな人物だった。落ち着いた声と口調で話しかけてくれる。そして大郎の問いかけに、真摯に答えてくれた。

 

 玄理の話に、大郎は衝撃を受けた。特に唐の勢力拡大は想像以上だった。

 西方、北方にまで勢力を伸ばしている。その勢力はますます大きくなっていたのだ。

 さらには唐船(からぶね)。巨大な船で、戦闘能力も強大。ちょっとした嵐では、びくともしないという。大郎には想像もできなかった。


 飛鳥は夏を迎えた。


 今年の夏も日照りが続いた。

 ここ数年の少雨。飛鳥の水不足はさらに深刻な状況に陥っていた。

 この年も、雨が少なかった。梅雨の季節も、まとまった雨は降らなかった。

 夏になり、日照りがつづくようになる。耐えがたい暑さが加わり、作物は全滅の危機に瀕した。

 水を巡って、争いが起こるようになった。川上の田んぼを持つ者が、飛鳥川の流れを変えてしまい、自分たちの田んぼに、より多くの水が流れ込むように手を加えたのだ。ただでさえ水量の少なくなっている川。川下に流れる水が、極端に少なくなってしまった。ひび割れた田んぼが、あちこちで見られるようになった。

 こういった争いは、各地で起きた。当事者だけでは収集がつかない。朝廷が仲裁に当たる事態にまでなってしまった。


 その日の朝議では、水問題が討議された。

 当事者同士の議論ではお互い譲ることはなかった。徐々にけんか腰となり、声が大きくなっていった。


「私にひとつ提案があります」

大郎が大きな声で、言い争いを遮った。

「この飛鳥の田は、全て大王のものにするのです。

 これから耕すものも、今ある田も、全て徴収します」

議場は水を打ったように静まりかえった。

 一人の豪族が、震えながら大きな声をあげた。

「わ、我が田を徴収するだと。何を言っておる。これまで精魂込めてつくった田じゃ。持っていかれては生活していけぬ!」

「どうせ、蘇我は特別なのだろう。冠位もつけず、一番頂上にいる一族。蘇我は自分たちの田をちゃっかり確保するつもりなのであろう」

これらの発言を機に、一気に怒号が飛び交った。

「蘇我も、例外ではありません。

 本来、土地、川、山など飛鳥の地は全て大王のものです。

 ですから田の作付けも、収穫も、水の管理もすべて朝廷で行います。収穫されたものは年貢として納め、そして米は民に平等に分配すればいいのです」


 議場はざわめいた。

 毛人が大郎の腕をつかんだ。

「お前は、何を言っている。蘇我の土地を手放すなど、できるわけがなかろう」

毛人は小声ながら、厳しい声で叱責した。

 蘇我家は、飛鳥で一番の土地を抱えている。それを失ったら、大きな損害になる。

 毛人は大郎の前に立ちはだかった。

「静かに。

 その様に大きな問題は、すぐに結論の出るものではない。

 とにかく、今、早急に決めなくてはならないのは水の問題である。

 それに関しては、今の提案を採用する。

 水は朝廷が管理する。川上も川下も、水が平等に行き渡るようにする。

 水管理については、専属の部署を設ける事とする。それが決まるまでは、蘇我大郎鞍作。お前に水管理を任せる。言い出したのはお前だ。しっかりその役を全うせよ」

大郎は礼節に則り、丁寧に礼をした。

「水の管理は、朝廷が行う事とする」

毛人が結論を出した。蘇我の大臣の言葉に逆らえる者はいない。一同は礼をもって賛同の意を示した。


「次の議題」

進行役が声を張り上げた。

「百済から援軍の要請がかかっております」

再び、議場がざわざわとした声に包まれた。飛鳥は緊迫した外交問題を抱えていた。

 帰国した遣唐使から、諸外国の詳しい情勢が入っていていた。大郎はじめ、主だった豪族の大きな懸念であった。


 進行役は議事を読み上げた。

「新羅は非常に劣勢になっておりました。しかし、新羅は唐との同盟を模索しています。唐と組まれては、百済は太刀打ちできません。

 百済は大和の力を借りて、今のうちに新羅をつぶしておきたいようです」

「百済へ援軍を送るべきです」

真っ先に大きな声をあげたのは、16歳の中大兄皇子だった。

「百済は古き時代から、大和の友でした。仏教も百済よりもたらされたもの。百済なくして大和の繁栄はあり得ませんでした。

 百済が滅びれば、結局次に狙われるのは大和です。

 早く、援軍を送りましょう」


「16の皇子が自身で考えた案とは思えぬな」

毛人が大郎に耳打ちをした。

「おそらく、中臣鎌足でしょう」

大郎は鎌足と中大兄が、南淵請安(みなみぶちしょうあん)の塾に通っている事を知っていた。

 請安は旻と共に隋に渡った遣隋使の一人で、玄理と共に帰国していた。約30年にわたって、大陸に滞在し、隋から唐への変遷を目にしていた。

 鎌足と中大兄は塾で知識と親交を深めていた。そして中大兄は鎌足の意見に感化されているものと思われた。

 百済を再興させたいと願う鎌足。

 彼は朝儀に参列できる身分ではない。中大兄を使って、持論を朝廷に広めようとしているのではないか。

 大郎は一抹の不安を感じた。


「大和が三国の争いに加わる必要はない」

大郎ははっきりとした声で中大兄に反論した。

 中大兄はまだ若い。一目でイライラしているとわかる表情で、大郎に食ってかかった。

「それでは蘇我大郎鞍作様は、どの国と手を結ぶべきとお考えなのですか」

「私はどの国とも組しない、等距離外交をすべきと考えております。

 三国とは同じ距離で、同じ条件で交流し、その背後に迫っている唐の脅威に備えるべきです。

 三国よりも、唐に重点を置いて、物事を進めるべきかと」

「なんと、消極的な。

 我らは積極的に進攻すべきと考える。百済の再建はもちろん、新羅、高句麗とは一戦交える覚悟を持った方が良いのではないか」

再び、場内がざわついた。

 大郎は即座に反論した。

「まずは、飛鳥の守りを強固にすべきです。

 そのために、一つ提案する。

 先ほどの年貢の制度ともつながりますが、飛鳥の民はすべて、朝廷が把握する必要があります。つまり戸籍を作るのです。

 戸籍に名のある者には、田を与えます。そして、作物は皆に平等に与えられるようにするのです。

 そしてもう一つ。徴兵制度です」


「徴兵? 兵士を集めるというのか」

「はい。戸籍に名のある男子は、全て兵としての義務を全うしてもらいます。

 飛鳥を守るためには兵を育てる必要があります。兵士として一定期間訓練を行い、朝廷の命令により、出兵してもらいます」

「その様な事をしたら、田畑はどうするのだ。男手がなければ、作物は作れぬ」

大郎の意見は、突拍子もないことの様に思われた。さっそく反対意見が出された。

「その辺はまだ、議論が必要でしょうが、農繁期は除いて、お互いに助け合うなど、対応する手立てはあります。

 私が言いたいのは、飛鳥の守りを強固にしなければならないという事です。

 兵士だけでなく、防御のための建物も必要です。

 飛鳥には防御する盾がありません。百済の扶余(ふよ)の様な城砦(じょうさい)が必要です。鉄壁な城砦の建設を考えましょう」

「つまりは、蘇我大郎鞍作は、百済の出兵は反対という事ですか」

「もちろんです」

大郎は議場に響き渡る声で答えた。


「わ、私は、蘇我殿の意見に賛成です。

 あの、柵封の時もそうでした。柵封を受け取らずとも、唐からはなんの圧力もありませんでした。

 蘇我殿のおっしゃった通りでした。

 ここは外交にお詳しい、蘇我殿の意見でよろしいかと」

群臣の一人が意見を述べたのをきっかけに、議論は白熱した。


 結局、意見がまとまるとは思えなかった。

 毛人は頭痛がしてきたらしい。しきりにこめかみをさすっていたが、突然、大声をあげた。

「百済には援軍を派遣しない。

 これで今日の朝儀は終了だ」

そして、顔をゆがめながら、退室してしまった。

「百済には援軍を送らないと、決まりました。

 これにて、終了いたします」

進行役は毛人の言葉を繰り返した。


 議場から人がいなくなった。最後に大郎と古人が残った。

 古人と大郎は一緒に朝廷を出た。古人は周囲を気にしながら小声で話した。

「中大兄は百済に肩入れしているのですね。鎌足の影響でしょうか」

「うむ。そうだろうな」

鎌足が百済人で、百済再興を願っている事は大郎と古人しか知らない事だった。

「このまま、ほうっておいていいのでしょうか。

 中大兄が大王になったら、彼はすぐに百済に援軍を送るでしょう」

古人の言葉に大郎は、深いため息をついた。

「それだけは避けなくてはならない。

 飛鳥を戦に巻き込む訳にはいかない」

強い声で言った。

「しかし、中大兄はまだ若い。現時点で大王になるのは無理だ」

「そうですね。

 大郎。わ、私が大王になったら、三国や唐との争いは避けるようにします」

古人は顔を紅潮させた。

「そうだな。古人。期待しているぞ」

大郎は古人の肩をたたいた。


「それにしても、大郎。あなたには驚かされました」

「何がだ」

「先ほどの提案です。

 水の管理や田んぼの管理を朝廷に一括させる事とか、戸籍の事とか。あと、画期的だったのは徴兵制度です。

 あまりに先進的な政策で、私には思いもつかないものでした。

 きっと、あの場にいた者のほとんどが、その利点について、理解できていないでしょう」

「ああ、あれか。俺も、一気にまくしたてすぎた。反省しているところだ。

 あれは唐や西方の国では行われている事だと、旻師に教わったではないか。

 それからずっと考えていたことだ。飛鳥にどうやったら導入できるだろうかと。

 突然思いついたものではないが、まだまだ詰めが甘い」

「そんな事はありません。

 私にも協力させて下さい」

「もちろんだ。頼りにしている。

 飛鳥を守るために、やらなくてはならない事がたくさんあるのだ」

 大郎の瞳は、遥か先を見つめていた。

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