飛鳥駅
飛鳥駅は小さな駅だった。電車を降りるとすぐに改札がある。
サトルはゆっくりと改札を抜けた。
仁王立ちで駅の前に立った。
すぐに目に入ったのは大きなオブジェ。巨大な石が3個、積み重ねられている。須弥山石を模している。
大きな須弥山は小さなバスターミナルの真ん中に立っていた。
ターミナルの左手には、小さなバス停。かやぶきの屋根が付いている。
(明日香村っぽさを演出しているのかな)
サトルの表情がやっと和んだ。
奈良県明日香村。
奈良県の中央に位置する、小さな村。
日本国家の始まりの地と言われている。
今から1400年前、天皇はこの地に宮を築いた。飛鳥時代と呼ばれる6世紀から7世紀にかけての約100年間。明日香村は政治の中心だった。
この村には古代の謎がいくつも存在する。
いつ、だれが、何のために作ったのかわからない、数々の石造物。
だれが埋葬されているのかも判らない古墳。
どんな建物が建っていたのか、想像するしかできない遺跡。
そして、近年になってからの、新たな発見もある。
その一つが“壁画古墳”
壁画古墳とは、石室(古墳の中に作られた、遺体を埋葬する建物)の内側に、絵が描かれている古墳の事。“高松塚古墳” “キトラ古墳”がそれである。
これらは昭和の時代に、1400年前の姿そのままに発見された。
壁には、色鮮やかな“飛鳥美人” “四神” “天文図”などが描かれていた。それらは今もなお、人々を魅了する。
明日香村を訪れる人は、古代の謎と神秘を求めている。
サトルは一緒に電車から降りてきた人たちを見ていた。
駅をバックに写真撮影をする人。スマートフォンを見ながら話す夫婦らしき2人組。
(なんか、楽しそうだな。
ここにいる人たちって、みんな歴史とか好きなんだろうなぁ)
サトルは若干の場違い感を感じていた。
肌を刺す風が吹き付けてくる。サトルは身震いをすると、セーターの上に羽織ったダウンコートの襟元をおさえた。
「そうだ。荷物」
小さな声でつぶやきながら、駅に戻った。コインロッカーにキャリーバッグを入れ、再びターミナルに戻ってきた。
駅前には誰もいなくなっていた。さっきまでここにいた人たちは、それぞれの目的地に出発した様だった。
サトルは明日香村の空気を思い切り吸い込み、深く吐き出した。
(これが明日香村の空気か。とうとう、ここまで来てしまった)
もう一度、ゆっくりと左側を向いた。
(ここでなら、カービィのこと、何かわかるはず)
サトルの視線の先には、亀と蛇がいた。
首を伸ばした大きな亀に、蛇が巻き付いている。サトルの上半身と同じくらいの大きな生物。
この二匹はサトルが物心ついた時にはすでに、サトルの左隣に浮いていた。
サトルにカービィと呼ばれた謎の生物は、声を発することもなく、ただ静かに宙に浮かんでいる。餌を食べることも、排泄をすることもない。
サトルが移動すれば、ずっとついてくる。どこに行くにも一緒だった。
しかし、サトル以外の人には全く見えない。
サトルはこの生物を“玄武”と考えていた。
玄武とは四神のひとつ。
四神とは古代より天の四方を司る神。神獣とも言われる。
東の青龍。西の白虎。南の朱雀。そして北の玄武。
四神は高松塚古墳とキトラ古墳の壁画に描かれている。
昭和50年代に発見され、その封印が解かれた。
その時。それまで1400年の長きにわたって、密閉されていた空間に、現代の空気が流れ込んだ。その瞬間から壁画の破損が始まった。
美しく描かれていた絵に、カビが繁殖し、壁画の劣化が進んだのだ。
それを止めるために、飛鳥時代の壁画に、現代人の手が加えられることになった。壁画の修復と保護。そうしなければ、古代の遺産は消えてしまうのだ。
壁画の修復は進み、去年の秋から、キトラ古墳の壁画の一般公開が始まった。
第1回の公開では、比較的損傷の少なかった白虎と青龍、天文図が展示された。
第2回の公開が、この1月から2月に行われる。今回は玄武だ。
サトルはキトラ古墳の壁画の一般公開を、偶然にネットニュースで知った。
(玄武か。どう見たってカービィは玄武だよな。もしかしたら、この玄武と何か繋がりがあるかもしれない。
公開される壁画って、飛鳥時代に描かれたわけだし。その時代の空気に触れると、何かが起きるかもしれない。
明日香村に行けば、もしかしてカービィの事、何かわかるかもしれない)
そう思い至ったら、いてもたってもいられなくなった。
(1月から2月か。2月になれば試験も終わるし。奈良に行く時間も取れるはず)
すぐにネットで一般公開の申し込みをした。そして当選した時には
(これは明日香村に行けっていう、神のお告げ、いや、四神のお告げだ。玄武に会いに行くのは運命だったんだ)
とまで思った。
飛鳥駅の前で、サトルはもう一度大きく息を吸い込んだ。そのまま上を向き、空を見上げた。真っ青な空は鏡のように光を反射させている。眩しいほどのスカイブルーに思わず目を閉じた。
『たり……。 たり、め。たりめか……』
突然、サトルの頭の中に声が響いてきた。低い、男の声。サトルはキョロキョロと周囲を見渡した。近くには誰もいない。
(た、たりめ? 何の事だ? ってか、どこから聞こえてきたんだ。この声)
一瞬目をとじた。そして再び目を開けた時。明日香村の景色が一変していた。
「どこだ。ここ!」
サトルの足は、一歩後ずさった。
今まであった建物は一切消えていた。石のオブジェもバス停も、道路や信号、電信柱も何もない。勢いよく振り返った。飛鳥駅もなくなっていた。
コンクリートは土と草に変わっている。背の高い草が乱雑に生い茂り、風に揺れている。
草むらを割いて、透明に煌めく川がチョロチョロと流れている。サラサラとせせらぎが聞こえてきた。
踏み固められただけの小道が、くねりながら伸びている。
遠くには小高い丘。
(俺、一体、どこにいるんだ? どうなっているんだ!)
サトルの体は硬直し、指一本、瞼すら動かす事ができなかった。呼吸筋も麻痺したように思えた。
どれ位の時間が経ったのか。
突然、サトルは背中に熱を感じた。と同時に、体の呪縛が解けた。全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。膝をついたのは、コンクリートの上だった。
サトルは片膝をついたまま、180度見渡した。
(あ、飛鳥駅。駅前の景色だ……。 幻でも見ていたのか?)
須弥山石は何事もなかったかのように、悠然とそびえていた。
ホッとすると同時に、背中の熱が気になった。
(本物の火じゃない。そういう熱とは違う。なんだ?)
サトルは振り返る事をためらった。
(でも、怖いわけじゃない。なんか、違和感がある……。 人がいる? なんか、見られている気がする。それに人以外の、視線……)
サトルは自分の感情に戸惑った。
しかしいつまでも、ここでしゃがみ込んでいるわけにはいかなかった。
サトルはゆっくりと立ち上がり、熱源と思われる後ろを振り返った。
勢いよく振り向くと、そこには大きな鳥がいた。そしてその鳥は燃え盛っていた。
サトルは燃え盛る炎の塊に、思わず目を細めた。しかし、それほど燃えているにも関わらず、その炎は熱くもなければ、眩しくもなかったのだ。
その鳥はサトルの上半身ほどもあり、その大きさは規格外だった。
そして、その隣に立つ女性。呆然とした様子で立っている。
すらっとしていて、女性にしては背が高い。おそらく小柄なサトルよりも高いだろう。ウェーブのかかったロングヘアーで、金髪に近い色をしている。
マスカラのたっぷりとついたまつ毛と、ちょっとつり上がった細い目。
サトルはその瞳に見覚えがあった。
2人はお互いを見つめたまま、微動だにしなかった。
先に声をかけたのは、女性の方だった。
「それ、玄武よね」
「はいっ。そう、たぶん」
サトルは返事をしてから気がついた。
「えっ。ってことは、このカー、じゃない。この亀と蛇が見えるんですね」
「そっか。そうよね。じゃ、君にも見えるのよね。この鳥」
「す、朱雀ですよね」
「たぶん、ね」
女性は戸惑いながらも微笑んだ。
2人の間に、再び沈黙の時が流れた。直立不動のまま、動けなくなっていた。
その時、ターミナルに1台の車が停まった。そして1人降りると、また車は発車して行った。
「えっと……」
2人の声がシンクロした。サトルはその時から、すっかりテンパってしまった。
「お、俺っ。あなたに……、 じゃない。そうだ。あの、俺、大谷智といいます。それで、あの……」
サトルはしどろもどろに話しかけた。
「私。真田妃美」
キミは落ち着いて返事を返した。
「あ、ありがとうございます。それで、真田さん」
「キミでいいわ。苗字で呼ばれるの、好きじゃないから」
「あっ。はいっ。じゃ、キミさんっ。
あの、俺たち、昔、会ったことありますよね」
「えっ?」
キミは首を傾げた。視線をサトルから外し、短い瞬きを繰り返しながら考え込んだ。
「うーん。思い出せないなぁ。
玄武を連れている人に会えば、忘れるわけはないんだけど」
「そうですか……」
そう言ってサトルは、がっかりした表情になった。しかしその後、すぐに何かに思い当たったように息を飲み込むと、一気に顔が火照った。キミにも一目でわかるほどに赤面している。
「? どうしたの?」
キミはサトルの顔を不思議そうにのぞき込んだ。
「い、いや。あのっ。なんか、ナンパしとるんかい、って感じの話しかけ方だったかも。って思ったら、なんか、急に恥ずかしくなってしまって」
「やだ。そんな事、思わないわよ」
キミはクスクスと笑った。サトルは額に汗がにじんできた。指で汗を拭うと、気持ちを落ち着けようと、大きく深呼吸をした。
「俺、昔から時々、夢をみるんです。大きな赤くて燃えている鳥。そう、キミさんの隣にいる朱雀と同じです。
それと、その鳥の隣にいる女の子。小学生くらいの女の子で、その子は、キミさんに似ています」
「そう……。 子供の頃の話なのね」
キミは遠くを見るような目つきで言った。その後すぐに、唇をキュッとかみしめた。
「やっぱ、思い出せないわ。
ごめんね。私、子供の頃の事、あんまり覚えていない人なのよね」
「いえ。とんでもない」
サトルは激しく首を左右に振った。
「あのっ。俺、キミさんと話がしたいんですけど。これからどこに行くんですか?」
サトルは赤い顔をしたまま、大きな声でキミに問いかけた。
「いや、あの。初めて会った人に、何言ってんだ、俺。
いきなり、失礼ですよね。すみません」
「ううん。
私も話したいと思うし。だって、この鳥が見える人に初めて会ったんだもの。私も聞きたい事、色々あるし」
キミはサトルの目をのぞき込んだ。
キミの目は切れ長で、笑うとさらに細くなる。サトルはその瞳で見つめられ、急に動悸がしてきた。
「私、今日はこれから、キトラ古墳に行くの。
壁画の一般公開」
「俺も、俺もなんです」
サトルは間髪入れずに答えた。
「俺、11時45分の予約なんです」
「えっ? 私も。私も11時45分なの」
二人は目を合わせた。
「偶然にしては、すごいわね」
キミはまた、目を細め、微笑んだ。
(魔性の瞳……)
サトルの動悸はますます激しくなった。
「サトルくんって、高校生? 中学生じゃないわよね」
「ええっ!」
キミの質問に、サトルは突拍子もない声をあげた。
「いや、あの、俺。大学生です。もう、ハタチです」
「やだ。ごめんなさい。
だって、サトルくんって、かわいい目をしているじゃない。くりんとした。
なんか幼く、っじゃなくって。えっと、若く見られるでしょ」
「まぁ、確かに、俺、童顔だし、背も低いし、いっつも年下にみられるけど。でも、中学生って、それはないですよ」
「だから、ごめんって」
キミは笑いながら謝った。
「じゃ、私は? 私はいくつだと思う?」
「あっ。いや、女性に年齢の事、言っちゃいけないですよね」
「あら。紳士的な事、言うのね。
私、気にしないから、言ってみて。お世辞とか抜きで、思ったままね」
サトルはカリカリと頭を掻きながら、ちらっとキミの顔を見た。
「じゃ、ぶっちゃけ、アラサーっていうんですか。
でも、30にはなっていないと思うんですけど」
「そうね。いつもそれ位にみられるのよね。
でも、正解は21。私もびっくりだけど、サトルくんと1こしか違わない」
そう言って、パチッと左目をウインクさせた。
サトルの火照った顔は、一気に冷めた。
「気にしなくていいのよ。いつもの事だから。
で、どうする? キトラ古墳に行く? まだ、早いかもしれないけど」
キミは本当に気にしていない。しかしサトルはまだ、動揺している。返事ができない。
「もう。気にしないでって言ったでしょ。ねぇ。どうする?」
「は、はい」
やっと声が出た。
「そ、そうですね。バスが来るまで、まだ、時間がありますよね」
「バスで行くの?」
「あっ、はい。そのつもりでしたけど。
飛鳥駅からキトラ古墳行きのバスが出るって、ホームページにありましたよ。確か、11時頃だったと思います」
やっと冷静に話ができるようになった。
「キミさんは違うんですか?」
「私、レンタサイクルにしようと思っていたのよ。
天気も良いし、サトルくんも自転車にしない?」
サトルは「えっ」と、小さな声をあげ、困惑した顔をした。
「こんな寒い日にですか」
「自転車こげば、暖かくなるわよ」
「でも、明日香村って、坂が多いって話ですよ。自転車だと、大変かも」
「電動アシストの自転車もあるって話よ」
「いや、その……」
キミは小気味よく話を切り返してくる。サトルは言葉を詰まらせた。
サトルは一度、玄武に目を向けた。そして、意を決した様に、キミに向き直った。
「あの、ぶっちゃけ、俺、体力が全然ないんです。
情けない話ですけど。
運動って苦手だし。特に大学入ってからは、マジで何にもしていないんですよ。
アシスト付いていても、俺、坂道、登れないと思います」
最後にはすっかり開き直っていた。
「ああ。なんか、わかる」
キミはクスクス笑って、何回かうなずいた
「だって、サトルくん、ガリガリなんじゃない? 筋肉、なさそうよね。
じゃ、サトルくんの言う通り、バスにしよっか」
「すみません」
「謝る事なんて、ないわよ」
キミはサトルの肩を、バシッとたたいた。
バスの時間まで、30分以上はあった。
キミの提案で、“猿石”を見に行く事にした。駅のすぐ近くにあるという。
ターミナルを過ぎて、左に曲がった。そして、線路沿いの道をまっすぐに歩いた。
小さな川が道に沿って流れている。都会では見られない、清らかな水。
途中、サトルはふいにキミの隣に浮かんでいる朱雀に気を取られた。
「朱雀って、熱くないんですか」
キミはサトルの顔を見て、数回瞬きをした。
「やだ。こんなの、幻みたいなものじゃない。熱くもなんともないわよ。
それに、今はこんなに大きくなっているけど、いつもはもっと小さいのよ。私の顔と同じ位」
「ですよね!
俺のカービィも、そうなんです」
「かーびぃ?」
キミに繰り返され、サトルの顔がまた真っ赤になった。
「いや、あの。
その……。玄武の名前です」
サトルは下を向いてしまった。
「その、俺、まだ小さい時に名前つけたから、アニメのキャラみたいな名前になっちゃって。
“かめ”と“へび”と縮めて、かび。それがカービィになったんだと思います。
アニメのキャラクターにもいましたよね。そんな感じのキャラ。
それで、いつも、そう呼んでいるから、ついつい出てしまった」
サトルは手で顔を扇いだ。
「……。 私、名前つけるなんて、考えられない」
「えっ。どうして」
キミはサトルの問いには答えなかった。
「で、その……、カービィは、」
「キミさん。玄武って言ってください。なんか、すっげー、恥ずい」
「じゃ、サトル君の玄武も、いつも小さいのね」
キミはくすくす笑った。
「あ、はい。ちょうど、両手のひらに乗る感じですね」
サトルは手のひらを上に向けてみせた。
「今朝、東京を出る時は、いつものカー、あっ、玄武」
「カービィでいいわよ」
サトルは恥ずかしそうに笑うと、開き直ったようにキミをまっすぐに見つめた。
「はい。
じゃ、そのカービィなんですけど、今朝は普通サイズだったんですよ。
京都駅でも変わりなくって。
近鉄線に乗り換えて、俺、爆睡していたから、いつ大きくなったのかわからないけど、大和八木駅に着いた時には、巨大化していて。すっげー驚いたんです。
飛鳥駅で、またでかくなったと思います」
「この鳥もそう。
私は飛行機で来たのよ。伊丹空港からバスと電車を乗り継いで奈良県に入ったのだけど。そうね。奈良に入った頃から、大きくなり始めたと思う。徐々に大きくなって。
確かに飛鳥駅に着いたら、マックスの大きさになったわね。
それこそ、やけどするかと思っちゃった」
「奈良に、いや、明日香村と何か関係があるんでしょうか」
そう言うとサトルは、玄武を見て考え込んだ。
「いや、待て。そうだ。
そういえば、子供の時、あの時はカービィは大きかった!」
サトルは興奮した声で言った。
「あ、俺、今、思い出したんですけど。
いや、その前に。俺、明日香村で育ったんですよ。5歳まで。その時は、子供の俺と同じくらいのサイズだったんです。たぶん、今の、これくらいの大きさだったと思います」
「えっ?」
キミが突然立ち止まった。サトルも足を止めて振り返った。
キミの細い目が大きく見開かれている。
「……。 私も、」
キミが言葉を詰まらせた。
「私もなの。私も明日香村で生まれたの」
二人は路上で立ち止まったまま、見つめあった。
後ろから走って来る車の音に気が付き、慌てて端に避けた。車が通りすぎると、二人はゆっくりと歩き始めた。
「あっ。じゃあ、本当に、私たち、会ったことがあったのかも。
私、小学生まで明日香村にいたんだもの」
「そうですか」
サトルは小さくうなずいた。
「ここまで来ると、もう偶然っていうレベルじゃないですよね。
必然。
今日、俺たちは、会うべくして出会ったんです。
いやっ。すみません。なんかキザってか、うざい事言っちゃって」
「ううん。そんなことない。
私もそう思う。きっと四神が引き合わせてくれたんだって」