蝦夷の反乱
舒明9年。
蝦夷が反乱を起こした。
蝦夷とは東方や北方に住んでいる集団である。大和朝廷に支配されることを拒み、独自の自治集団を形成していた。
朝廷に貢物を定期的に収め、友好的な集団もあれば、敵対して戦を仕掛けてくる集団もあった。それぞれの集団の長によって、大和への対応は違っていたのだ。
今回、反旗を掲げたのは、友好的と思われていた集団だった。定期的に貢物を収め、問題を起こしたことがない。朝廷は今回の反乱を意外に思った。
しかし蝦夷の反乱は想定されているもので、朝廷に混乱はなかった。 上毛野形名を征伐軍の将軍に任命し、制圧を指示した。
今回もあっという間に制圧してくるであろうと、朝廷内は楽観視していた。
しかし、入ってきた一報は敗戦濃厚の知らせだった。
知らせを持って来た兵士は手負いの状態だった。戦の激しさを物語っている。
「蝦夷の攻撃は短い時間で、何回も繰り返すものでした。そのうち後退し始めたので、我々は蝦夷を追いかけました。
かと思うと、一気に攻撃を仕掛けられます。今思えば、蝦夷に誘い込まれていたのかもしれません。
蝦夷は東西南北、あらゆる方角に我々を誘い込み、翻弄しました。
結局、難波の国にやって来ていました。しかし、そこはすでに蝦夷の土地となっていました。奴らは難波を知り尽くしていました。地の利を利用され、我々は追い詰められました。
撤退を余儀なくされ、軍は散り散りになりましたが、形名様は河内の物部の空城に逃げ込むことができました。
しかし当方の兵は30人足らず。さらに蝦夷に囲まれております。
このままでは、いつ陥落するかもしれません。
我らの軍が突破されてしまったら、奴ら、一気に飛鳥に攻め込んでくると思われます!」
朝廷は援軍を送る事を決定した。明日、夜明け前に出発する事になった。
大郎は飛鳥に残り、指揮をとる事になった。
しかし、蝦夷が河内の城を破り、飛鳥に攻め込んで来たら。そう思うと、夜になっても休む事ができなかった。
大郎は外へ出て、夜空を見上げた。そして嶋の家から河内の方向を望んだ。
空に赤い光が走った。
「朱雀!」
赤い光は朱雀だった。朱雀は優雅に飛鳥の空を飛んでいた。北西に進路を取っていた。
「雄君様だ。河内に向かっているのか?
何をするつもりだ」
雄君を追いかけなくてはならない。大郎は咄嗟にそう考えた。パッと振り返り、白虎の瞳を見つめた。
「きらら。俺を乗せてくれ。朱雀を追いかけるのだ」
大郎は白虎が白く光ったのを確認した。そして白虎の背中に飛び乗った。
白虎は子供の大郎を乗せているように、軽やかに駆けた。
朱雀はやはり河内に向かっていた。そしてかつての物部の城に降り立った。
本城の前にあった稲城の砦は、すでになくなっていた。
「ほんの短時間。過去にいた時に見ただけだが、懐かしく思えるな」
大郎は空から城の周辺をぐるっと見渡した。
本城の門の正面には、見張りの兵士が立っていた。しかし、疲れた様子で、槍で体を支えている者もいた。
雄君は門の内側に立っていた。
月明かりで、ぼんやりと雄君の姿が見えた。
大郎は雄君に気づかれないように、少し離れた場所に降りた。
覚悟はしていたが、白虎から降りた途端、体が動かないほどの疲労感に襲われた。足を引きずるように歩き、雄君の背後に回った。
雄君も動けなくなっていた。地面を這って移動し、大きな木の根元に座り込んだ。肩で大きく息をするのが見えた。
大郎も腰をおろして、木にもたれかかった。はぁはぁと呼吸が荒い。大きく息を吐き、天を見上げた。
「今日は十三夜月か」
黄色く輝く月を眺めた。
ドドドドッ。
地響きが聞こえてきた。
大郎は飛び起きた。いつしか眠ってしまった様だ。
「敵襲だ!」
見張りが声をあげ、銅鑼を鳴らした。
大郎は混乱に紛れ、門の外に出た。
多量の松明の灯りが迫って来る。蝦夷が馬に乗って攻めてきていた。
城の中から兵士が出て来た。こちらの兵は30人程度。それに対し、蝦夷の軍は、100人以上いるだろう。
「かなうわけがない……」
大郎は白虎の力を使おうと決めた。
その時、雄君が門から出て来た。まっすぐに蝦夷の軍勢を睨んでいる。
その冷たい瞳に、大郎は寒気を感じた。
雄君は蝦夷の軍の前に立ちはだかった。敵がはっきりと確認できる様になると、雄君は朱雀と目を合わせた。
「焼いてしまえ」
雄君は冷たく言い放った。
朱雀は羽をバタバタと動かした。
朱雀から炎が発射された。瞬く間に蝦夷の兵は炎に包まれた。
なんの前触れもなく仕掛けられた、炎の攻撃。蝦夷軍は大混乱に陥った。
馬は火に驚き大暴れをする。馬上にいた兵士は振り落とされた。
朝廷の軍すら驚いていた。突然自軍から火の攻撃が始まったのだ。誰の指示で、誰が仕掛けているのかもわからない。
後退していく敵に歓喜の声をあげるが、皆が戸惑っていた。
突然、炎が止まった。
雄君はその場に倒れていた。体力が尽きた様子。
大郎は雄君に駆け寄った。
「おま、え。なぜ……」
雄君はまともに話すこともできない程、消耗している。うつろな目ながらも、必死に大郎をにらみつけた。
「それは後で。とにかくここから離れましょう。まだ、攻撃されるおそれがあります」
大郎は雄君をかかえ、その場から離れた。
大郎は門の一番端の、朴ノ木の陰に、雄君を連れて来た。
(雄君様はこの木の上で、守屋様が亡くなった事はご存じないだろう)
大郎は木を見上げた。過去の世界で見た、守屋の最期が思い出される。
「俺は、助けてくれとは、言って、いない……。
あぁ、この体が動いたなら、お前に助けられる事も、なかったというのに。
なぜ、動かぬ。情けない」
雄君は自分の足を叩いた。
「雄君様。四神の力を使うと、主の魂の力が失われるのです。それで疲れたり、動けなかったりします。
ですから、四神の力は連続して使えません。それを、ご承知おきください」
「ふん。不便な、話だ」
その時、再び雄たけびが響いた。火を逃れた兵士が、もう一度攻撃を仕掛けてきた様子。
朝廷軍は弓矢で抵抗する。弓矢は進攻を、一時止めただけだった。盾で防御しながら蝦夷は少しずつ軍を進めた。
蝦夷の兵士が、門まで、あと少しに迫った。
「きらら。大地を割るのだ。これ以上の進攻は許してはいけない」
大郎は白虎に瞳を合わせた。白く光った白虎は前足を突っ張り、地面に向かって吠える仕草をした。
ゴゴゴゴゴ。
大地が揺れた。
激しい揺れ。その場に座り込む者もいた。
門と蝦夷軍の間に幅広く、長く、深い地割れができた。人を飲み込むほどの、巨大な亀裂。先頭切っていたものは、足元が突然消え、亀裂の中に落ちていった。
亀裂は徐々に広がり、さらに転落していく。
蝦夷軍は恐怖に陥った。謎の炎と大地の亀裂に襲われたのだ。
蝦夷軍は半数以上の軍隊を失い、大混乱のまま撤退した。
朝廷の軍も、歓喜に酔いしれる余裕はなかった。これ以上、地震が起きないよう、天に祈るだけだった。
城の脇にある、大きな朴ノ木。その根元に、二人の男が横になっていた。疲れ果て、起き上がる気にもならない。
雄君は瞳だけを、大郎に向けた。
「余計な、事を。この地に、傷をつけるとは……」
「申し訳ありません」
二人とも、天を仰いだまま会話をした。大郎は1回大きく深呼吸をして、言葉を続けた。
「しかし、雄君様が、飛鳥を守ってくださいました。それが、うれしいです」
「はっ?」
雄君は馬鹿にしたような声をあげた。
「俺には、そんな事を、するつもりはない。
俺は、我が、祖父、守屋様の眠るこの地を荒らす奴らが、許せないだけだ。
だから、この地に、傷をつけたお前すら、腹立たしい」
雄君は大きくひび割れた大地を見た。
守屋は丁未の戦で亡くなったあと、その遺体はここ河内の地に埋葬された。
しかし、戦で負けた物部は、自分たちの土地であった河内を没収された。そして河内は朝廷の地となった。
「いつか、この地を、物部のものにする。
おじい様が眠るこの地を、取り戻すのだ」
城の中から、歓声が聞こえて来た。蝦夷は撤退した。
夜が明けてきた。間もなく援軍もくるはずだ。朝廷軍の勝利を確信したのだった。
「お前は、ここを守るためだけに、わざわざ来たと」
「いえ。私は、飛鳥に待機する役でした。
しかし、守りたいと、河内に、行きたいと、願ってはいました。
その時、空を飛ぶ朱雀を見て、何も考えず、追いかけてきてしまいました」
「そうか。見られたのか」
「はい。しかし、雄君様はなぜ。なぜここ、河内で戦があると思われたのですか」
「聞いたのだ」
「えっ? どなたから……」
「……」
それきり、雄君は何もしゃべらなかった。
雄君は不意に起き上がった。
そして朱雀の瞳を見つめた。
「雄君様。まだ体が戻らないうちに、朱雀の力を使うのは危険です」
しかし雄君は聞く耳を持たない。
「お前と一緒にいるなど、俺には耐えられない」
そう言って、赤く光った朱雀に乗り、飛鳥に戻って行った。
空は少しずつ明るくなり始めていた。




