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飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第五章
28/41

岡本宮の火災

 大郎は時間ができると、飛鳥の歴代の宮を見て回っていた。

 飛鳥の守りを固めるためにはどうすればよいか。宮の建物の造りを学んでいた。


 この日、大郎は磐余(いわれ)の地を訪れた。

 厩戸(うまやど)の父親である用明(ようめい)の大王がこの地で政をしたのは、わずか2年であった。その当時の面影はなく、すっかりさびれていた。

 

 梅雨の季節であるが、今年は雨が少ない。ここ数年飛鳥は雨不足に悩まされていた。小さな池などは、すっかり干上がっていた。

 今日も暑さが厳しい。夏の様な陽射しが大郎に照りつける。

 大郎は暑さをしのぐため、宮の近くの林に入った。林に入るとすぐに、小さな沼を見つけた。水量が少なくなっている。中心に水が少し残っているだけである。もとは水があったと思われる沼底には、ひび割れができていた。

 周りに生えている木々も、枯れてしまいそうだった。

 大郎はゆっくりと沼に近づいた。


 大郎の頬に水滴が当たった。

「おお、恵みの雨か」

大郎は空を見上げた。しかし空には雲ひとつない。

「おかしいな」

大郎は手のひらを上に向け、雨を受け取ろうとした。しかし、雨粒は一粒も落ちてはこなかった。

 

 大郎は怪訝そうに周囲を見渡した。

 すると木の陰から、玄武の頭が見えてきた。

「垂目!」

姿は見えないが、垂目はそこにいる。大郎は垂目の元に駆け出した。


 沼のほとりには、ぐったりと下を向いて座っている垂目がいた。

「垂目!」

大郎は大きな声で呼びかけた。垂目はビクッと動いて、顔を上げた。

「きらら!」

やはり、大きな白虎が先に見えたらしい。


 大郎は垂目の隣に腰をおろした。

 垂目は冷や汗をかき、息を切らせている。

「垂目。さっきの雨は、ゲンの力だな」

「す、すみません……」

垂目は一呼吸おいた。

「すみません。ゲンの力を、人に、見られてはいけないと言われていたのに。

 今も、見つかったのが大郎様だったからよかったものの、不注意でした」

「ここで、なぜ水を降らせたのだ?」

垂目は干からびた沼に目を向けた。視線の先には亀が1匹、のそのそと歩いていた。

「亀が干からびそうだったんです。それが、かわいそうで。

 ゲンも亀ですし」

垂目は玄武に視線を戻した。大郎の顔がほころんだ。

「そうだな。水を与えられて、あの亀も嬉しいだろう。

 しかし、それでお前が苦しくなっていたら、なんにもならない」

そう言って、大郎は垂目の頭をポンポンと優しくたたいた。


 その後、大丈夫という垂目を、大郎は中臣の家まで送った。

 家が近づくと、垂目は急に立ち止まった。

「大郎様。ここまで送っていただき、ありがとうございました。

 あの、兄に見つかると面倒ですので、この辺で」

垂目はぺこっと頭をさげた。

「そうだな。

 では、また、近いうちに会おう」

大郎がそう言って去ろうとした。

「あ、あの」

大郎は垂目に呼び止められた。大郎は「なんだ?」と言って、垂目の目の高さまで腰をかがめた。

「あの、私、結婚が決まりまして……」

「け、結婚?」

「はいっ。わ、私も16歳になりましたし」

「おお、そうか。お前も、もう、16か……。 俺の中ではいつまでも、子供の気でいた。いや、申し訳ない」

「とんでもありません。

 あの、それで、私は磐余のずっと先に家を建てる事になりまして。今日は、その視察の帰りだったのです」

「なんと、遠くに行ってしまうのだな」

「はい。兄の勧めなのです。大郎様とも、きららとも、なかなか会えなくなります」


 大郎は視線を下に向け、考え込んだ。

「……。 垂目。

 以前、話した事があっだろう。丁未の戦の事を」

「はい。玄武と朱雀、青龍が関わったという」

「そうだ。その時、河内では四神は小さくなっていた」

「そうです。今日、ゲンは小さくなったのです。

 でも、いつのまにか元の大きさになっていたので、気のせいかと思ったのですが。そういえば大郎様に聞いた事がありました」

「やはりな。

 四神は小さくなるだけではない。厩戸様も、守屋(もりや)様も、玄武を連れていた勝海(かつみ)様も、皆、力を使う時にも体力を消耗しておられた」

「大郎様は、戦を見て来たようなことをおっしゃるのですね」

大郎はしまったとばかりに、息を飲み、そして白虎を見た。


『全く。いくつになっても、どこか抜けている』

白虎はため息をついた。


「いや。厩戸様から聞いたのだ」

「そうですか。

 私は厩戸様を知りません。大郎が羨ましいです。今も厩戸様は伝説の方ですから」

「そうだな。厩戸様から色々教えていただけた俺は、運がよかった。

 しかし、前も言ったが、厩戸様はお前が産まれる時、俺と一緒に耳成山に出向いてくださったのだ。そして、玄武の主の誕生を、喜んでおられた」

「そうなのですね。うれしいです」

垂目は微笑んだ。


「だから、垂目。異国の地では、ゲンの力を使わない方が良い。

 もともと四神は飛鳥を守るために降臨しているのだ。それを忘れるな」

「はい」

垂目が大きくうなずいた。大郎もうなずき、垂目の頭に手をかけようとした。

「いや。もう、子供ではなかったな」

大郎は頭をなでようとした手を一度見つめ、それから垂目の肩をポンポンと叩いた。


 大郎と垂目が別れて数日後。夜更けの事だった。

 岡本宮で火災が発生した。


 宮が燃えている。蘇我の邸宅にも知らせが来た。大郎と毛人は馬で駆け付けた。

 大郎達が宮に着いた時には、すでに炎は建物を覆いつくしていた。もう、手の施しようはなかった。

 雨は1月以上降っていない。建物も周りの木も草も、全て乾燥しきっていた。火の回りは速かった。瞬時に燃え広がったのだった。


 大郎と毛人は唖然として炎を見ていた。

「どうにも、ならんな」

毛人は小さな声でつぶやいた。


 その時、突然に大雨が降ってきた。

「おおお」

周囲から歓声が聞こえて来た。

「もっと降れぇ。火を消してくれ」

などと叫ぶ声も聞こえてくる。

「いや。これくらいの雨では、火を消す助けにもならんだろう」

毛人は顔を左右に振った。

「中に、人はいないのか? 大王は?」

毛人は外にいた役人達に聞いて回った。

 宮であるこの建物には、大王はじめ、皇后や数人の皇子、皇女が住んでいるのだ。

「はい。皆さま、外に逃げだせております」

「どこに、おられる? 案内しろ。

 大郎。私は大王の所に行ってくる」

そう言って、毛人はその場を後にした。


 大郎は消火活動を指揮した。

 しかし、川までは距離があり、暗闇の中、水を運ぶことはままならない。

 火の勢いが衰える事はなかった。


 大郎は雨が降ってくる空を見上げた。

「月が、星が見えるぞ。

 この大雨で、雲がないわけがない」

大郎は白虎を見た。

「まさか、玄武か?」

大郎が思い当たった途端、雨はピタッとやんだ。


 大郎は周囲を見渡した。

 岡本宮のすぐ後ろに飛鳥丘がある。小高い丘で、木がポツンポツンと生えているだけだ。

 その丘の中ほどに、ポツンとした小さな光が見えた。松明の炎の様だった。

 白虎は飛鳥丘をじっと見つめている。

 大郎も気を集中させた。

「四神だ。四神の気配を感じる」


 大郎は一度、宮に目を向けた。火の勢いは弱まってきていた。火事はすべてを燃やし尽くし、炎の元となるものすらなくなってきたのだろう。

 もうすぐ鎮火すると大郎は思った。パッと踵を返して、一目散に飛鳥丘をめざした。


 夜の飛鳥丘には、人が3人。そして四神が2匹。

 中臣垂目と玄武。物部雄君と朱雀。そして中臣鎌足がいた。

 鎌足は松明を持ち、周囲を照らしていた。

 その足元に垂目が座り込んでいた。ゼイゼイという垂目の呼吸音が聞こえてくる。

 雄君は立ってはいたが、大きく肩が上下している。手の甲で汗をしきりにぬぐっている。


 大郎は思わず立ち止まり、その光景を見つめた。

(垂目も、雄君も四神の力を使ったのか)

大郎は白虎の目を見た。白虎はうなずいた。

(そうか。雄君が岡本宮を朱雀の炎で燃やし、垂目がそれを消そうとしたのか。

 では、鎌足は。鎌足は他に何を見た。

 しかし、なぜ、なぜこの3人が、ここに?)


「…… を、抱いているのだ。この恨みの気持ちを、消し去りたい。そのためには、その根源を滅ぼすしかない」

雄君の声だった。

「それが大王様なのですか?」

鎌足が尋ねる。

「ははは。あんな大王。大王ではないだろう。

 温泉ばかり行っていて、なんの役にも立たないではないか。奴が焼かれようが、水浸しになろうが、俺には関係ない」

雄君の馬鹿にしたような笑い。

「では、あなたが宮を焼いたのではないのですね」

「俺が? 疑うのなら、俺を調べるがいい。俺は火起こしの道具など持っていない。

 それに、宮が燃えた時、俺はここにいたのだ。それはそこにいる、目のでかいお前の弟が証明してくれる」

そう言って、雄君は垂目を指さした。

(やはり、雄君様が宮に火を付けたのだ)

大郎は確信した。


「それは、申し訳ありません」

鎌足は口の端で笑いながら、皮肉を込めて謝った。

 鎌足も雄君の説明を、受け入れてはいないのだ。

「……。では、誰を恨んでいるのですか」

「お前に聞かせる筋合いはない」

「いえ。私は、きっと雄君様のお役に立てます」

「ふんっ」

雄君は鼻を鳴らしただけだった。しばらく、しんと静まりかえった。

 雄君は大きなため息をついた。そして、

「上宮家」

と、短く言った。

「!」

垂目はぴくっと反応し、ゆっくりと起き上がった。

「おそらくな。俺とて、それが根源なのか、はっきりはしないのだが」

「丁未の戦で、物部本家を滅ぼされた恨みですか?」

「そんな、簡単なものではない。しかし力のないお前にはわからない事だ。

 この小僧と、そこに隠れている蘇我ならまだしも。お前には決して理解できぬ。

 お前に話した俺が愚かだった」

鎌足と垂目は、雄君が指さした先を見た。

「きらら」

垂目が思わず口にしてしまった。

 大郎は全く見えないのだが、白虎だけは見えている。

(きらら? なんの事だ)

垂目の口走った言葉を、鎌足は敏感に聞き取っていた、


『まぁ、隠れていたわけではないのだがな』

白虎は大郎の代わりに言い訳をしたが、誰にも聞こえはしなかった。


 大郎はゆっくりと進み出た。

 鎌足はニヤッと笑みを浮かべた。

「なぜ、このような所に」

「それは、お互い様であろう」

二人は視線を逸らさなかった。


 雄君は音もなく、歩き始めた。

「待ってください」

大郎の引き留めた言葉に、雄君は反応すらしなかった。

それに続いて、鎌足が雄君に向かって叫んだ。

「私は、あなたの味方だ。

 そして、きっとあなたの役に立てる。覚えておいて下さい!」

雄君は振り返って鎌足を一瞥した。しかし、何も言わなかった。すぐに顔を戻し、再び歩き出した。

 そして朱雀の光で、まっすぐに帰って行った。


 大郎は振り返り、垂目と目を合わせた。

 垂目の瞳は何かに怯えているように見えた。

 逆に鎌足は勝ち誇った様な顔をしている。

(まさか、垂目……)

垂目が激しく咳き込んだ。ヒューヒューと気管支で音がする。垂目の肩は大きく上下した。


 鎌足はその姿を横目で見た。そして大郎に向き直った。

「蘇我大郎様。垂目の具合が悪そうですので、私たちはこの辺で帰ります。そうそう、いつも垂目がお世話になっているようで。ご迷惑をかけて申し訳ありません」

そう言うと垂目をつついた。


「いや。迷惑などと、とんでもない。

 垂目。俺は馬で来ている。具合が悪いなら送るが。

 そうだ。そのまま、我が家で休んだらどうだ」

「いえ。そんなご迷惑はかけられません。

 第一、岡本宮が焼けたのです。大臣のご長男がこの場を離れるわけにはいかないでしょう。

 我々は、邪魔にならないよう、失礼します」

鎌足はそう言って、乱暴に垂目の腕を引っ張った。垂目には逆らう力も残っていない様だった。鎌足に引きずられるようにして歩いて行った。

 すれ違いざまに垂目はちらっと大郎を見た。その目に精気は全く見られなかった。

 灯りを持った鎌足がいなくなると、全くの暗闇に包まれた。垂目の苦しそうな咳の音が、徐々に遠くなっていった。


「きらら。俺は垂目を助けられなかった。あんなに、助けを求めていたというのに」

大郎は無力感と罪悪感にさいなまれた。

 力なくその場に立っていた。

 そしてヨロヨロと歩き、岡本宮を見下ろした。火はほぼ鎮火していた。


 後日、垂目は飛鳥を去った。結婚が早まり、家が完成する前にもう移住したという。

 鎌足の策略と思われた。

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