鎌足の秘密
舒明が大王になり、8年が経った。
舒明は以前から体が弱かった。それに加え、大王の重圧が彼の体を蝕んだ。寝込む事も多くなってきた。
大王の周りでは、次の大王について相談する者たちも出てきた。
真っ先に活動を始めたのは、山背だった。一度、その機会を逃している彼の思いは強かった。
古人もその1人。来るべき時に向けて、準備を始めた。
そして皇后宝皇女。彼女は我が子、中大兄を大王にしたいと考えていた。しかしまだ幼い。中大兄のために、夫の大王には長生きをしてもらわなくてはならない。
宝皇女は夫の体を丈夫にするために、湯治を勧めた。殊の外、温泉が気に入った舒明は、飛鳥を長期に空けることが多くなってしまった。
大王が不在の間、政は大臣の蘇我毛人が執り行った。実際には、その息子大郎が飛鳥を動かしていた。
それまでも強大と思われていた蘇我の権力であったが、さらに強くなっていた。
それは宝皇女にとって誤算だった。あまりにも舒明がないがしろにされてしまう結果となった。
「今日の陽射しは、心地がよい。やっと冬が終わるな」
大郎は白虎に話しかけた。白虎も暖かい春の陽を楽しんでいるように見える。
大郎は腕の傷跡をじっと見つめた。朱雀に焼かれた火傷。肌が露出するようになると、目にする機会が増えてくる。
大郎はこの日、久しぶりに豊璋の元を訪ねた。しかし散歩に出かけ不在だった。
豊璋が百済から大和に人質としてやってきて、すでに5年が過ぎていた。飛鳥にも慣れ、大和の言葉も不自由なく話せるようになっていた。
百済の皇太子を襲うような、不穏な動きもみられない。大郎は嶋の敷地の中であれば、大郎の許可なくても外出する事は認めていた。もちろん屈強な警護人は一緒である。
その日の夕方。大郎が帰宅すると、門の前で古人が立っていた。
大郎の姿を確認すると、古人は血相を変えて駆け寄ってきた。古人の深刻な様子から、大郎はただ事でない何かが起きたと感じた。
「大郎。私は、た、大変な事を聞いてしまいました!」
古人の声は震えていた。顔は紅潮して、肌寒くなったこの時間に汗をかいている。
「どうした? 落ち着いて話せ」
「は、はい。しかし、ここでは、少し……」
「家に入ろう。父は不在だ。俺の部屋は人払いをしておく」
そう言って大郎は古人を屋敷に招いた。
「先ほど。ついさっきの話です」
部屋に入るなり、古人は身を乗り出して語り始めた。
「私は馬子のおじい様のお墓に参りました。そこへ豊璋様と警護の方がいらっしゃったのです。
私は声をおかけしようと思いました。
しかし、そこへ、鎌足が来たのです、私は、思わず木の陰に隠れてしまいました」
「鎌足、だと?」
大郎は声をひそめた。
大郎は鎌足に借りがあった。
物部雄君の従えている朱雀の炎で大やけどを負った際、大郎は鎌足に助けてもらっていた。
大郎は傷が癒えてから、中臣の家に礼に行った。部屋に通され、鎌足と垂目と3人で向かい合った。
その時の鎌足の目はこれまでと違っていた。それまでは敵意に満ちた瞳で、大郎を睨んでばかりいた鎌足であった。しかし、その時は蛇が獲物を狙うかの様に、執拗に大郎を見つめていた。
そして垂目と大郎を交互に見比べる。
(鎌足は何か気が付いたのだ。
彼があの惨状を見て、何も思わないはずがない。そしてそれについて、何も聞いてこなかった事は、かえっておかしい)
大郎は白虎に顔を向けた。すぐに元に向き直ったが、そのちょっとした仕草すら、鎌足は見逃さなかった。
大郎は古人の話に身を乗り出した。
「それで、鎌足は」
「はい。警護に名を名乗り、豊璋様とお話をさせてほしいと願い出ました。
豊璋様は中臣の姓を存じていたらしく、面会に応じられました。
私は出るに出られず、隠れて話を聞く形になってしまいました」
古人はひとつ息を吐いた。
「鎌足は豊璋様に百済の言葉で話しかけました。豊璋様は百済語で話すのは久しぶりだと、喜んでおられました。
鎌足は警護の者が百済語が分からないことを確認しました。
そして私が聞いていることは知らずに、百済語で豊璋様と話を始めました。
鎌足は第一声、自分は百済の人間だ、と言ったのです」
「!」
大郎の衝撃は大きかった。古人が興奮しているのが分かった。
古人は一言一言、思い出すように語った。
「幼い頃、三国の戦乱を避けて、百済から大和にやって来た。父親は百済の役人であったが、皇族の血も入っているのだと。しかし豊璋様とは全く身分が違う。
大和には一族10数人で来たが、飛鳥に辿り着いたのは、自分と母親だけ。母親と二人、耳成山に入り、洞窟で数日過ごした。
そして、数日後。耳成山に来ていた中臣御食子様が崖から落ちて、足を怪我していたと。それを鎌足が見つけ、親子で介抱した。
御食子様が歩けるようになった時、母親が、鎌足を引き取ってもらえないかと頼んだ。こんな山奥で暮らすのは不憫でならないと。
御食子様は母親を側室として、鎌足を自分の子としてくれた。そのために、必死に大和の言葉を覚えた。
しかし母親は間もなく亡くなった。それでも御食子様は鎌足を本当の子の様に育ててくれた。本当の父親以上の方だと」
(以前、垂目が賢い鎌足に、四神が付いていないのは不思議だと言っていたな。
鎌足は中臣の血を引いていない。四神が降りてくるはずもなかったのだ)
「そして鎌足は言いました。
自分は百済の国を再建し、もう一度強い国にしたいと」
「……。 それで、豊璋様は何と?」
「嬉しそうに笑っておられました。
私も百済をもう一度強い国にしたい。高句麗、新羅を倒し、三国を統一するのが自分の夢だ。
しかしまだ私は幼い。できることなど限られているとおっしゃいました。
すると鎌足は、大丈夫です。焦らなくてもよいのです。飛鳥には私がいることを覚えていて下さい。必ず豊璋様のお役にたってみせますと言って、頭をさげました」
(やはり豊璋様は、百済の再建を願っておられるのか。
今、百済は危機に瀕している。唐にまで狙われているのだ。
豊璋様が大和で何らかの行動を起こしたとなると、飛鳥も争いに巻き込まれる可能性がある)
「大郎」
古人の声が震えた。
「どうしましょう。神祇伯である中臣の嫡男が、じつは百済人、韓人であったとは」
「落ち着け。飛鳥に渡来人は大勢いるではないか。鎌足に限った事ではない。
それに、あの人徳者であり情け深い御食子様が、この国で、大和人として鎌足を育てたのだ。百済人であっても、心は大和人なのだ。
百済人であったことは、問題ない」
大郎はそう言ったが、鎌足は何を考えているのかわからない。一抹の不安をぬぐい切れずにいた。
「とにかく、この事は人に知られてはならない。
古人、誰にも言うでない」
「い、言えません。大郎だけです。話したのは」
古人は怯えた目をした。
「私は鎌足が恐ろしい。あの目は、蛇の様です」
古人は身を震わせてみせた。
「あの、大郎。
私は気になる事があるのです。鎌足は最近、中大兄に近寄っているのです。
きっかけは、先日、飛鳥寺で蹴鞠の会が催されたときの事です。
その会には中大兄も出席していました。
会の最中、中大兄が鞠を蹴ると、彼の靴が脱げて、勢いよく飛んでしまったのです。
中大兄はまだ小さいくせに、大人ぶって、大人用の靴を履いていたからでしょう」
古人は、異母弟が好きではない様子。
「すると、突然鎌足が出てきて、その靴を拾ったのです。
鎌足は神職の家の者。皇族の集まる蹴鞠の会には参加できないはずです。
どうも、近くの欅の木の陰に隠れていた様なのです。
靴を拾った鎌足は、中大兄の元に行き、ひざまずいて返していました。
あの時、鎌足は中大兄に熱心に話しかけていました。
その後で鎌足の姿はすぐに見えなくなりましたが、私が思うに、鎌足は中大兄に会うために、あそこにいたのではないでしょうか。
さっきの話と考え合わせると、鎌足は中大兄に働きかけて、百済の再興をしようと考えているのかもしれません」
「うむ」
大郎と古人は顔を見合わせた。
「鎌足と中大兄には十分気を付けないといけないな。
古人、お前も特に鎌足には気を付けろ」
「はい、もちろんです。
でも、私は、鎌足とは関わりたくはない」




