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飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第四章
23/41

女帝の最期

 推古36年。 

 飛鳥は田植えの季節を迎えていた。


 それまで健康で病ひとつした事がなかった推古の女帝が病にふせった。

 76歳という長寿。「そろそろか」「やっとか」など、宮中ではささやかれた。


 推古が寝込んだ2日後。

 その日はいつもの通りに夜が明け、いつも通りに太陽は東の空に昇った。今日は天気が良い。仕事がはかどると、農民たちは喜んだ。

 大郎は蘇我の領地に出かけた。田植えの準備と、作付けについて指示を出した。

「大郎様は、まだ嫁様をもらわないのですか」

気さくな大郎に、領民は屈託なく話しかけてくる。

「お前たちまで、父上の様な事を言うな」

皆が一斉に大笑いをする。

「ん?」

大郎はあたりが暗くなった様に思った。ほんのわずかの変化。大郎以外は誰も気がついていない様子。

 空を見上げた。雲一つない紺碧の空が広がっているだけ。太陽を遮るものは何もない。

「気のせいか」

大郎は作業を続けた。


 しかし、徐々に薄暗くなってきた。

「暗くなってきたぞ」

皆の作業をする手が止まった。ザワザワと不安の声があがってきた。

 すると空は転がり落ちるように、一気に薄暗くなってきた。まるで夕暮れ時のようだ。ひんやりとした風が吹いてきた。

 皆、空を見上げた。いつもは眩しくて見る事もできない昼間の太陽の光を見る事ができる。

「太陽の光が弱まっている」

「まさか、このまま太陽が消えるんじゃないか」

「あああ、この世の終わりじゃ」

大混乱となった。無意味に動き回る者、奇妙な声をあげる者、天を拝む者。女や子供は泣き出した。


 大郎も混乱していた。しかし領主の息子であるという自覚が、かろうじて冷静を保たせていた。

「落ち着け。落ち着くのだ。大丈夫だ……。 大丈夫」

大きな声で叫ぶ。しかし大郎の声は皆には届かなかった。

(何がおきているんだ? こんな事は初めてだ) 

対処する術はないか、大郎は必死に考えを巡らせた。

 大郎はすがるように白虎に目を向けた。


『落ち着け。単なる自然現象だ。すぐに元に戻る』


 大郎に白虎の声は聞こえないが、どっしりと落ち着いている白虎の姿を見て大郎は安心した。

 大郎は領民に向き直り、声を張り上げた。

「皆。落ち着け。何事も起こらぬ。すぐに元に戻る」

大郎の大きくて、はっきりとした確信のある言葉は、ようやく領民に届いた。

「でも、大郎様。ますます暗くなっていきます」

「心配するな。暗くなっても、俺達には何の影響もない。

 真っ暗になったら、あとは明るくなるだけだ。静かに待っていろ」

きっぱりと言い切った領主の息子の言葉に、混乱は少し治まった。


 大郎は皆から少し離れた所に移動した。そして白虎の目を見つめ、白い光を得た。

「きらら。どうしてこんな事になってるんだ。

 お前にはわかっているのだろう。俺に教えてくれ」

きららは上を向いた。大郎もそれにつられて天を仰ぐ。

「太陽が見える。これ、きららの目なのか? きららの見ているものが見えているのか」

大郎は興奮した。

「ああ。お天道様が欠けている。三日月のようだ。

 あっ。太陽の前に、なにか大きな球体があるぞ。あれが、太陽を隠しているのだ。

 あれは、月か? そうだ、月が太陽を隠しているんだ」

白虎は大きくうなずいた。


『この地はくるくると回り、月はこの地の周りを回り、地は太陽の周りを回る。

 そして太陽と地と月が重なりあった時に起きる現象だ』


 白虎の声が聞こえない大郎。もちろん日食という言葉も知らない。それでも、今、見えている太陽を見ながら必死に考えた。

「なぜ昼間に月が存在しているのだろう。月と太陽は交互に現れるものはないか。

 今日の月は、隠れるのを忘れたのか。

 うーむ。自然とは不思議なものだ。

 我らの知らない事は、まだまだたくさんあるのだな」

大郎は自然現象として、この奇怪な現象を受け入れた。


「ありがとう。きらら」

大郎は白虎に笑って話しかけた。大郎の目は元の黒い瞳に戻った。大郎は白虎を見つめ、首をなでた。

 世界が暗くなってから、随分時間が経った。空気が冷やされ、肌寒くなってきた。


 白虎の力を利用したため、大郎は体の力が抜け、その場にしりもちをついた。気温の低下が、大郎の体温も奪ったようだ。がくがくと震えがきた。

 白虎に体を密着させ、凍える体に熱を求めた。


 世界には、少しずつ明かりが戻ってきていた。

 離れたところから歓声が聞こえてきた。

「太陽が戻ってきて、みな喜んでいるのだろう」

大郎はホッとして、目を閉じた。一瞬、眠りに落ちた。

 急に大郎の周りがにぎやかになった。領民が大郎を探しに来たのだ。

「大郎様のおっしゃった通りでございました」

「ありがとうございます」

領民は大騒ぎをしていた。

 大郎はびっくりして目を開けた。大勢に囲まれていることに、ようやく気が付いた。

「待て。俺は何もしていないぞ」

しかし大郎は力が入らず、囁くような声しか出ない。

「大郎様が太陽を戻してくれた」

「はっ? 何を言っている。そんな事、俺ができるわけなかろう」

大郎はいつの間にか、超人的な人間になっていた。


 推古は時に薄れかける意識の中、今までの人生を思い出していた。

「私は、このまま、死ぬのでしょうね」

自分の代わりに政治を行っていた厩戸も馬子もなくなって久しい。

「私が大王になったのは、竹田が成長するのを待つためだった。泊瀬部が死んだとき、まだ竹田は幼かったから、そのつなぎと、あの厩戸と馬子に担ぎだされて。

 でも結局、竹田は幼くして死んでしまうし、政は厩戸と蘇我の言うなり。私はお飾りに過ぎなかった。

 ああ、もう、どうでもよくなったわ。何もかも、もう面倒臭い。

 私が死んだ後、誰が大王になるのかしら。でも私には関係ない。毛人には田村を指名しろって言われたけど、そのまま話すのも、面白くない」

推古はゆっくりと目を開け、大切な話があるから皆を呼ぶように命令した。

 次の大王の指名があると、一気にうわさが広まった。

 

 大王の候補であった田村と山背を枕元に呼んだ。二人は緊張した面持ちで推古の脇に座った。

 しかし推古は二人に教訓を与えただけだった。

 そしてそれきり、目を開かず、口も開かなかった。


 大王は死す前に次の大王を指名する。それは崩御する前の大切な役目だった。しかし推古は故意にそれをしなかった。

(次の大王の座を争って、もめればいい)


 日食から2日後。推古は崩御した。


 数日前に太陽が消えかけた事件は、皆の記憶に新しい。

「太陽が消えたからだ。太陽神、天照大神様がお怒りになったのだ。

 飛鳥が呪われる」

あちこちで不吉な噂話が流れた。

 日食と大王の死を考え合わせる民は大勢いた。


 もめにもめた、大王の選出。ようやく田村皇子に決まった。山背はまだ22歳。まだ若いというのが、その理由だった。


 季節は初夏になっていた。

 畝傍山の木々の緑は、新緑を極めていた。大郎は高く澄み切った空を見上げた。蒼く輝いている。


 田村皇子が次の大王と決まったものの、まだ即位の儀式が行われていなかった。

 大臣毛人はもちろん、大郎も多忙を極めていた。休みなく働き続け、身も心も疲れ果てていた。

 ようやく得た休日。大郎は畝傍の山を訪ねた。お気に入りの場所で仰向けに寝転がり、空を見上げていた。

 疲れが一気に取れていく様に感じていた。


「ここで、きららに乗って、空の散歩とか言っていたよな。

 しかし、今、考えると、なんて危険な事をしていたのだろう。どこで人に見られるかもわからないのに。

 そういえば、山背に見られた事があったよな。あれは、焦った」

大郎は思い出し笑いをした。

「山背か……。 もう、随分、話をしていないな。飛鳥に来ても、俺に会いに来ることはなくなったからな。

 あの頃は楽しかった。山背とかけっこしたり、話をしたり」

大郎は目を伏せ、白虎をなでた。

「ああ、もう一度、空の散歩をしたいよ。きらら。

 お前と空を飛んでいると、嫌な事はすべて忘れられた」

白虎は警戒するように、後ずさりした。

「ははは。大丈夫だ。背中に乗せろなんて、もう言わないから」


「……、大郎、様」

とぎれとぎれに大郎を呼ぶ声が聞こえてきた。大郎は周囲を見渡した。

 山道に玄武の蛇の姿が見えてきた。

垂目(たりめ)か」

大郎は玄武に向かって歩き出した。


 中臣垂目。8歳になっていたが、年の割に背は低く、極端にやせている。体も弱く、外に出ることも少なかった。

 垂目は大郎が見えると嬉しそうに駆け寄って来たが、突然咳き込み、その場にかがみ込んでしまった。ゼイゼイと、咳がいつまでも止まらなかった。

 大郎は垂目を抱きあげた。背中を優しくさする。そして、陽の当たる場所に連れて行くと、そっと地面に座らせた。

 垂目はゼイゼイと息を切らせていたが、しばらくすると咳も落ち着いた。

「ご迷惑をおかけしました」

垂目はくりっとした丸い大きな目で大郎を見た。

「よかった。

 しかし、どうした。今日は鎌足は一緒ではないのか」

中臣鎌足は垂目の兄。いつも垂目を監視するようにそばにいる。

「はい。兄上は今日は河内に行っています。ちょうど良いと思いまして、大郎様を探していたのです。そしたら、大郎様は畝傍に参られたとお伺いしまして、やってきました。

 私は、大郎様にお聞きしたい事がたくさんあるのです」

「垂目はいくつになった?」

「8歳です」

「そうか。俺も、厩戸様から話を聞いたは、垂目くらいの年だった。

 しかし、垂目にはいつも鎌足が目を光らせている。垂目と話そうとすると、すぐに引き離すからな。俺は、鎌足に嫌われているらしい」

「いいえ。そうではありません。

 たぶん、兄上は、何か感づいているのだと思います。私と大郎様には何か秘密があると。

 兄上はするどい人ですから。私たちが二人でいると、何か起きるとでも思っているようなのです」

「垂目は賢いなぁ。まだ子供なのに、色々考えている」

大郎は垂目の頭をくしゃくしゃとなでた。


 大郎は垂目の隣にいる蛇をじっと見つめた。

「玄武が降りてきて、もう8年も経つのか。

 あの時、俺は厩戸様と耳成山まで行って、玄武が山からやって来るところを見たんだ。

 玄武が降臨し、主であるお前が無事産まれたことを知って、ほっとしたことを思い出すよ」

「えっ。ありがとうございます。

 私が産まれるのを、気にかけて下さったのですね」

大郎は幼い頃の自分と、垂目を重ね合わせた。


「俺も、垂目と話したいと思っていた」

「ありがとうございます。

 以前、大郎様は四神は力の強い者の元にやって来るとおっしゃいました。

 でも、私は兄上の方がふさわしいのではないかと思うのです。頭もいいですし、お体も強い、力もあります。それに比べて、私は病気ばかりしていますし、体も小さくてなんの役にも立ちません。

 玄武が中臣の家にやって来るのであれば、兄の方がよかったのではないでしょうか」

(俺も、じい様の方が強いから、じい様の方が主にふさわしいと思った時があった)

「四神の主は体が強いとか、頭が良いとかで選ばれるのではない。

 飛鳥の神は魂の強さや清らかさで選ぶのだ。それは人の世でいう強さとは違う。

 垂目。お前は主にふさわしいと、俺は思っている。自信を持て」

大郎は垂目の肩をつかみ、まっすぐに大きな瞳を見つめた。

「はい」

垂目は瞳に力を入れてうなずいた。


(垂目は、今、必死に四神の主になろうとしている。

 厩戸様がお教え下さっている時は、俺もこんな目をしていたんだろうか。

 この小さな玄武の主が、愛おしいと思う。垂目が立派に成長する所を、見守りたいよ)

大郎は穏やかな目で白虎を見つめた。白虎は大郎の思っている事がわかっているようだった。


「白虎はきれいですね。白い毛が、キラキラしています」

「そうだろう。

 だから、俺はきららと名付けたのだ。

 お前もきららと呼んでやってくれ」

「はい。きらら。よろしくね」

垂目は白虎の背中を、恐る恐るなでた。

「でも、きららはきれいで羨ましいです。

 玄武は蛇だから、表情もないですし、はっきり言って、怖いんです」

「そうだな。子供にとっては不気味だよな。

 お前の父上の御食子様が、垂目は癇の強い子で困ると、こぼされていたことを思い出す。

 でも、垂目は玄武が怖くて泣いていたんだろう。

 そうだ。お前も、玄武に名前を付けたらどうだ。名で呼べば、きっとかわいく思える。

 玄武はお前と共に、飛鳥を守る友達なのだから」 

「名前ですか」

垂目はぶつぶつと言いながら、玄武を見たり、天を見たりして考え始めた。必死に悩んでいる垂目の姿を見て、大郎の表情は和らいだ。


「ゲン。ゲンって、どうでしょう」

垂目が大きな目を輝かせて言った。

「おお。玄武のゲンか。かわいい名前だ。

 ゲン。声をかけたら、俺にも返事をしてくれよな」

大郎は玄武に話しかけたが。玄武は全く表情を変えず、目を閉じたままだった。

「ゲン。お前はゲンだよ」

垂目は玄武の正面に移動し、蛇の顔をまっすぐに見つめた。

「あっ。玄武、いえ、ゲンの目が開いた」

垂目の嬉しそうな声。

「待て、玄武の目を見てはいけない」

大郎は慌てて垂目の腕を掴んだ。

 垂目はまだ、玄武の力を使ったことがない。体力がないうえに、病気がちな垂目が、今、四神の力を使うのは危険だ。

 大郎は静止したが、垂目はすでに玄武の瞳にとらわれていた。

 しかし、何も起きなかった。垂目の目は黒い光を発しなかったし、玄武はいつの間にか目を閉じていた。

(なぜ? なぜ光が出なかった。

 ……。もしかして、亀がいないからか。厩戸様もしきりに気にしておられた。亀と蛇が別々だって事を。

 一体、玄武の亀はどこにいるんだろう)


「大郎様? なぜ、だめなのですか」

突然黙りこくった大郎を、垂目は不思議そうに見つめた。

「そうだな。まだお前には話していなかった。

 四神にはそれぞれ持っている力があることは知っているだろう」

「はい。玄武は水です。青龍は植物、朱雀は火、き、きららの白虎は土です」

「正解だ。

 その四神の力を引き出す時には、まず、四神の目を見なくてはならない。そうすると、主と四神の目が、その四神の色に光る。玄武なら黒だ。

 しかし、四神が力を使うと、主の体力が奪われる。

 だから、まだ体力のないお前は使ってはいけない」

「では、体が大きくなって、私が丈夫になればいいのですか」

「そうだな。

 しかし、その力は飛鳥を守るために使うのだ。それ以外に使ってはいけない。そう、自分のために使ってはならないのだぞ」


『お前がそれを人に教えるようになるとは。

 我の背中に乗って遊んでいたお前がなぁ』


 白虎の皮肉っぽい目に、大郎は気が付かぬふりをした。

「それと、そうだ、人前でゲンに話しかけないように気を付けろよ。

 独り言の大きい人と言われて、変人扱いをされるからな」

「大郎様の事ですか」

「はっきり言うでない」

大郎と垂目は一斉に笑った。  

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