表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛鳥の守護神   作者: 葉月みこと
第四章
21/41

激動する時代

 厩戸(うまやど)が亡くなって、4年が過ぎた。


 推古34年。


 大郎(たろう)は16歳となった。

成人し髪も結った。飛鳥の男にしては背が高く、体格もがっしりとしている。顔つきも男らしくなってきた。

 しかし、笑顔はまだあどけない少年のままだった。


 この頃、蘇我(そが)の権力はますます大きくなっていた。朝廷の中で馬子(うまこ)に逆らえる者はいなかった。

 しかし、その馬子も76歳。飛鳥での長寿を極めていた。


 梅雨の長雨が続いていた。生温い空気が、じっとりと 体にまとわりつく。

 大郎は縁側に座り、止み間なく降る雨を見ていた。


「うっとうしい気候だ。きららの毛も、濡れているんじゃないか」

大郎は白虎の背中を撫でた。

「じい様も、体調を崩す事が多くなってきたしなぁ。

 もう、お年なんだから少しは休めばいいのに。年寄りだっていう、自覚はあるんだろうか。

 痛っ!」

大郎は頭に衝撃を感じた。振り返ると、毛人(えみし)が拳を作って立っていた。

「お前がもっと、仕事をすればいいのだ。そうすれば父上はもっと休める」

「ええっ? こんなに仕事をしているではないですか。人使いが荒いなぁ」

大郎は頭をさすりながら言った。


そこへ、バタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。

「毛人様、大変です!大臣様が」

隣の馬子の屋敷からの知らせだった。


 馬子が倒れた。


 大郎と毛人は大急ぎで、嶋の邸宅に駆けつけた。

 しかし、すでに馬子は息絶えていた。舎人らに運ばれ、布団に横たわっていた。

「じい様! じい様!

 嘘だろう。じい様。こんな、こんなに突然……」

大郎は横たわる馬子に駆け寄り、体を揺すった。

 それでも微動だにしない馬子。大郎の目から、大粒の涙がこぼれ落ちてきた。

 泥だらけになって帰って怒鳴られた事。帰りが遅くなった時に心配かけた事。次から次へと思い出は蘇る。人目もはばからず嗚咽をもらして泣き続けた。


 馬子付きの舎人(とねり)が毛人に経緯を話した。

「つい、さっきです。

 どすんと大きな音がしたので、音のした所に駆けつけたのです。そうしましたら、大臣様がお部屋で倒れておられたのです」

「他には、誰にも知らせていないだろうな」

「はい。毛人様の所だけでございます」

舎人は汗を拭きながら説明した。

「わかった。いいか。この事は、まだ知られない様にするのだ。家で倒れたのが、幸いだ」


 毛人は自宅に戻り、朝参の準備を始めた。

「父上、これから朝参されるのですか」

「そうだ。いつもと同じように過ごさなくてはならない。父上は少し具合が悪いだけだ。

 いいな。亡くなったことは、まだ誰にも知られてはならない」

「なぜ。そんな策を講じなくてはならないのですか。じい様が亡くなったばかりなのに……」

「大郎。お前も16であろう。人の死に、泣いてばかりはいられないのだ。

 前から言ってあるだろう」

大郎は唇をかみしめながら涙を拭った。


「私がすんなりと次の大臣になるためには、もう少し、手回しが必要だ。準備がいるのだ。

 次の大王の選出にも影響がある。これから大変だ。

 父上とて、蘇我の繁栄を願っておられた。自分の死を我らが悲しむばかりでいる事を望んではおられぬはずだ。

 ほら。お前も早く、支度をしろ」

蘇我の家は慌ただしく動いた。


 大郎は部屋に帰り、出勤の準備を始めた。

「きらら。俺は子供なのか。だけど、じい様が亡くなったんだ。悲しくても当たり前だよな」

大郎は白虎に顔をうずめ、しばらくの間、声を殺して泣いた。


 馬子の死から、3日。飛鳥は大臣蘇我毛人を迎えた。

 激動の時代の幕開けだった。


 梅雨の長雨が続いた。馬子の死から止むことのない雨。すでに、1週間がたとうとしていた。

 今日の降り方は、一層激しかった。

 大郎は毛人に頼まれた文書を持って、部屋を訪ねた。 

 しかし毛人には先客があった。部屋の中から話し声が聞こえる。

(後にしようか)

そう思って、ひきかえそうとした矢先「山背(やましろ)」という言葉が、中から聞こえた。大郎は思わず部屋の前で立ち止まってしまった。


 毛人の部屋の中にいたのは、山背の母、刀自古(とじこ)だった。毛人の同母妹である。

「…… いませんでしたが、山背は大王になりたいと、そう望んでいます」

(山背が、大王に?)

大郎はその場から動けなくなってしまった。

「私はあれがそう望むのであれば、叶えてあげたいと思っています。

 お父様にはこの事、伝えてあったのです。考えておくと、前向きなお返事をいただいています」

「ああ、以前に父上から聞いていた」

毛人の不機嫌そうな声。毛人は、長く続く雨のせいか、持病の頭痛が治らず、イライラしていた。

「それならば。今度はお兄様のお力で、ぜひ」

「いや、父上も山背はまだ若いと、それに……」

毛人は言葉を濁した。


 大郎は白虎の目を見ぬ様、顔だけをじっと見つめた。そして心の中で白虎に話しかけていた。

(刀自古の叔母上も、じい様が亡くなったばかりなのに、次の大王とか、そういう事を考えるんだ)

大郎は廊下に座り込み、目を伏せた。

 刀自古の必死な懇願が続く。

「今すぐではありません。推古(すいこ)様はまだお元気ですし」

「年の話だけではない。確かに厩戸様は功績を残されているが、山背には実績もない。

 それにだ、はっきり言おう。彼は性格にも問題がある。短気であるし、自分の話を押し通す。

 大王の適性と考えると、それはどうかと思うのだ」

「大丈夫です。

 あと数年もあれば、山背もそれ相応の年になりますし、心根も鍛錬されるでしょう。

 用明(ようめい)の大王の血筋でもありますし、蘇我の血もひいております。何の問題もないでしょう」

(叔母上、必死なんだ)

大郎は目を伏せたまま、白虎の背中を撫でた。


「大王を決めるのは、そう簡単なものではないのだ。

 それに、候補は山背だけでない」

「田村の皇子様ですか」

「そうだな。彼は敏達(びたつ)の大王の孫であるし、年も30歳前後のはずだ。大王に推挙しても、何の問題もない。

田村様には、蘇我から法提郎女(ほていのいらつめ)が嫁いでおるしな」

「嫌です! 私、法提だけは嫌です」

「相変わらずだな。

 母は違えど、法提郎女は、我らの妹ではないか」

「あんな女。妹でも、何でもありません。

 私達の母上が、物部の出だというだけで、母にきつく当たり、私達を馬鹿にしていました。田村様が大王になれば、あの女が大きな顔をするのは、目に見えています」

「好き嫌いで政治が行えるわけがなかろう!」

毛人の怒号。


 その後、すぐに部屋から刀自古が飛び出して来た。涙があふれていた。

 大郎はバツの悪さで、思わず目を逸らせた。刀自古は逃げるように走って行った。


「まったく。女は気楽なもんだ」

後ろに毛人が立っていた。顔をしかめ、こめかみをさすっている。

「じい様が亡くなって、間もないのに。叔母上も大王とか、そういう事、考えるのですね」

「お前はまだ、そんな事を言っているのか。もう、いい加減にしないか」

毛人は必要以上に大きなため息をついてみせた。

「はい。すみません」

そう言って、大郎は頼まれていた書状を毛人に手渡した。


 大郎はそのままその場を去ろうしたが、思い直して毛人に尋ねた。

「父上。ひとつお尋ねしてもいいですか。

 父上は、次の大王には田村様をお考えなのですか」

「そうだな。彼は大人しい性格で、私のいう事も聞いてくれる。大王として問題はないだろうが。

 問題は妃だ。彼の正室は宝皇女(たからのひめみこ)様だ。彼女はご気性がお強いばかりでなく、敏達様の家系でもある。蘇我から嫁いでいる、法提郎女より位は上だ。

 法提にはすでに、古人(ふるひと)皇子がいるが、宝皇女様も先日、中大兄(なかのおおえ)様をご出産されたばかりだ。

 田村様が大王になった場合、次の大王が中大兄様になる可能性が高いだろう」

毛人は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「山背はどうなんですか。

 山背は昔から大王になりたいって言っていました。きっと立派な大王になると思います。

 それに、俺、山背が好きだし。大王になってほしいって思っています」

「大王は好き嫌いで選ぶものではない」

「はい。すみません」


 大郎は頭を下げて、今度こそその場を去ろうとした。

「待て」

毛人が大郎の腕をつかんで引き止めた。

「そうだ。中大兄様に蘇我の娘を嫁がせればいいのだ。

 ちょうど良い機会だ。大郎、早くお前も結婚しろ。そしてお前の娘を中大兄様に嫁がせればいいのだ。そうすれば、田村様の即位になんの問題もない」

大郎の頭に、カッと血がのぼった。

「俺は、そんな結婚などしない!」

大郎は毛人の手を振り払って走り去った。

「まだ、まだ、子供で困る」

毛人は頭を抱えながら、また大きなため息をついた。


 大郎は感情が爆発したまま、庭に飛び出した。

 激しい雨が降っていた。あっという間に、びしょ濡れになった。

 しばらくの間、大郎は顔を空に向け、雨に当たった。怒りに燃え盛っていた気持ちも、徐々に冷えてきた。

「父上の考えも間違っていない。そうやって、どの豪族も自身の家を守ってきたのだ。

 それはいけない事ではない。

 わかっているが。

 加夜。俺は、いつも一緒に、ずっとそばにいたいんだ」

大郎は加夜の顔を思い浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ