そろった四神
厩戸は砦にいる朱雀を見つけた。
続いて守屋の姿を確認した。守屋は砦の窓から、馬子の軍を眺めていた。背伸びをしていたが、舌打ちをした。よく見えない様子。
窓から隣の朴ノ木に手を伸ばした。
高齢の守屋。体は機敏に動かない。今にも落ちそうになりながら、砦から木に飛び移った。
「危ない!」
声をあげたのは、大郎だった。
下から見ていた厩戸も、声をあげる所だったが、すんでの所でとどまった。
守屋は危なっかしい動きながら、さらに木を登った。そして太い幹が二股に分かれた、木の股に腰掛けた。
下にいる厩戸には気が付かない様子であった。
突然、守屋が緊張した様に周囲を見渡した。
厩戸ではない。大郎の気配を感じたのだ。
しかし、見えたのは厩戸の姿。もう一つの気配も気になったが、目の前の現実の敵に意識は向けられた。
「厩戸! ここまで来ていたのか!」
守屋は叫ぶと同時に、朱雀の目を見た。
「守屋様! 待ってください。私はあなたと、戦いたくない」
厩戸の言葉は、守屋には響かなかった。
既に守屋の目は赤く光っていた。
赤く光った朱雀からは、炎が飛び出してきた。
厩戸は両手を顔の前に掲げ、炎をよけた。
火は周りの草や木に燃え移った。辺りはあっという間に、炎に包まれた。
朱雀の炎の攻撃は、すぐに止まった。
守屋はぐったりと、木に寄りかかっていた。
厩戸は木に登ろうと、幹に手をかけた。
「来るな!」
守屋は叫び、再び、朱雀の目を見た。
厩戸は朴ノ木に触れ、青龍と目を合わせた。厩戸の目が青く光った。
青龍は木に向かって吠えた。
青龍の力、植物。
守屋が寄りかかっていた木の枝が、不自然に伸び始めた。
枝は意志があるように動き、守屋の腕や体、そして頭に絡みついた。
守屋は羽交い絞めにされ、全く身動きが取れなくなった。守屋の頭は朱雀と反対に向くように固定され、朱雀と目を合わせる事が出来なくなった。
守屋の瞳は、元の色に戻った。
「誰か、誰か来てくれ。厩戸だ。厩戸がここにいる!」
守屋は声を振り絞った。
しかし、そこに現れたのは、赤檮だった。
赤檮は燃え盛る炎に、一瞬足を止めた。しかし、その炎の真ん中に立っている厩戸を見つけ、駆け寄って来た。
厩戸は上を向いたまま、放心状態だった。
「勝海ぃ!」
木の上で、守屋が叫んだ。赤檮は上を向いた。
「物部守屋!」
赤檮はその名を呼んだ。
敵の大将である。
赤檮はとっさに背中に背負った弓矢を抜いた、そして、木の上で動かない守屋に向かって、矢を放った。
弓に長けている赤檮。彼の矢は確実に守屋を捕らえ、矢は胸に命中した。
「あっ!」
大郎は叫ぶと同時に、目を逸らせてしまった。
一瞬の出来事だった。
守屋は声をあげる事もできなかった。
厩戸は青龍から目を離した。
守屋を捕らえていた木の枝は、元の枝に戻った。守屋は力なくその場に崩れ落ち、木の股に引っかかった。
厩戸はその場に力なく膝をついた。
青龍は体をくねらせ、慌ただしい動きを取るようになった。
「厩戸様」
赤檮が厩戸に駆け寄った。
厩戸は青白い顔をして、息を切らせていた。
「赤檮……。守屋様を。なぜ……」
苦しそうな息をしながら、赤檮に尋ねた。
「守屋は敵です。隙あらば、と、馬子様から命令されていました」
「そうか……」
厩戸は目を伏せた。
厩戸はゆっくりと立ちあがり、ふらつきながら木に登ろうとした。
「木に登るのは危険です。」
赤檮は厩戸の手をつかんだ。
「いや。大丈夫だ」
「しかし。守屋に襲われたら」
「いや。守屋様はもう……」
落ち着くなく動く青龍を見て、厩戸は悲しそうに言った。
「お前が射った矢だ。守屋様はもう助かるまい。
いいか。これは命令だ。お前はここで待っていろ。私の命令があるまで、何があっても動くな」
厩戸の声は、有無を言わせなかった。赤檮は「はい」とだけ言い、その場に片膝をついた。
厩戸は青龍の瞳を見た。
「私を、上に」
そう言って、青龍の背中に乗った。青龍は慌ただしい動きをしながら、厩戸を乗せ、木の上まで飛んで行った。
大郎も白虎に乗り、厩戸を追いかけた。
守屋の右胸に矢が刺さっていた。大量の血が流れている。守屋はゼイゼイと苦しそうに呼吸をしていた。
厩戸は木の上に降り立った。そして太い幹にもたれ、守屋の前にかがんだ。
大郎は宙に浮かび、二人の上から成り行きを見守った。
「と、とどめを刺せ。殺すなら、早く、殺せ」
守屋は投げやりに言った。
「同じ四神を従える者を、どうして殺すことができましょう。
四神は人を殺めるものはないと。飛鳥と大王を守るためにこの地に遣わされたと。そう、私に教えて下さったのは、守屋様、あなたです」
厩戸の目から、涙がこぼれ落ちた。
守屋の顔は、悲しそうにゆがんだ。
「守屋様。青龍が天に向かって哭いています。あなたなら、これが何を意味するかお分かりですよね」
「ああ、そうだな。我は、もうすぐ、死ぬだろう……」
厩戸は眉根をよせて、目を閉じた。次に目を開いた時には、何か決心したように、強い意志を瞳に灯していた。
「守屋様。時間がありません。単刀直入にお聞きします。
物部に伝わる、かの禁術」
「何ぃ!」
虫の息の守屋から、大きな声が発せられた。ゴホゴホと咳き込み、血を吐いた。
「まさか、おぬし、それを、手に入れようと……。
あれは、門外不出。なぜ、それを……」
「確かに。しかし、なぜ、それを穴穂部様がご存知なのでしょう」
「ま、まさか、その様な、こと。ありえない」
守屋は目を閉じた。
「本当です。私は穴穂部様から直接聞いたのです。
そのために、物部と手を組んだと。そこまで言っておられたのです」
「まさか……。そんな」
その時、砦の中から、勝海と玄武が出てきた。
(四神がそろった! みんな、ここにいる)
大郎は空から四神がそろった瞬間を目の当たりにした。圧巻だった。
深紅に揺らめく朱雀。
青藍の輝きを放つ青龍。
4つの漆黒の瞳で万物を見据える玄武。
純白の毛で光の全てを反射させる白虎。
大郎にしか見えなかったが、四神が全てそろった光景は、神々しかった。
戦場にいる事も忘れ、大郎は四神に心を奪われた。
勝海は目の前で燃え盛る炎に、ひどく慌てた。
「火が! ああ、砦に燃え移ったら大変だ。
玄武よ、早く火を消すのだ」
勝海は木の上の二人にも、下で待っている赤檮にも気が付かなかった。火事にすっかり気を取られた。
勝海が玄武の瞳を見つめた。そばを流れる川の支流が波打つ。
すると、玄武から水が大量に噴出してきた。それまで燃え盛っていた、炎はあっという間に消えた。
勝海は木にもたれかかり、咳き込んだ。何度か深呼吸を繰り返し、息を整えた。
「か、勝海……」
守屋が必死に絞り出した声は、勝海に届いた。勝海はきょろきょろと周囲を見渡した。
「こ、ここじゃ」
勝海はようやく上から声が聞こえてくることに気がついた。上を見上げ、木の上にいる朱雀と青龍に気が付いた。
「な、なぜ、厩戸様が!」
勝海は二人の姿を確認できなかった。二人のいる所は高いうえ、葉や枝に隠れている。青龍と朱雀が見えなければ、二人がいるとはわからない。
「なぜ、そのような所に」
「か、勝海……、助けて、く」
とぎれとぎれの守屋の声。いつもの覇気が全くない。何か異変があったと気が付いた勝海は、力の入らない手で、木を登り始めた。
「勝海様、危ない。やめて下さい」
勝海は厩戸の言葉は無視した。
厩戸は木の枝を握りながら下を覗き込んだ。勝海は体力を消耗していた。
木の中ほどまで登って来た時、枝の股に足をかけ、一呼吸おいた。
そして上を見た。心配そうにのぞき込んでいる厩戸と目が合った。
「う、厩戸様。まさか、あなたが、あなたが穴穂部様を殺したのですか?」
勝海の声は、守屋にも聞こえた。守屋は厩戸を睨みつけた。
(赤檮。やってくれたのか)
厩戸は勝海の問いには、答えなかった。自分が命令したのだ。直接、手を下してはいないが、殺したも同じだと思った。
守屋と勝海はその沈黙を肯定と受け取った。守屋は拳を握っただけで、罵声を浴びせることもできなかった。
勝海は涙を流しながら、木登りを再開させた。
「あなたは、そ、その青龍の力を使ったのですか。その力で、穴穂部様を殺したのですか」
「違う! 私は力は使っていない。青龍は何もしていない」
「そ、そうですか。
四神は、そのような事に使ってはいけない。私は、そう思う。
で、でも。私はやってしまった。玄武に人殺しをさせてしまった。
私は、そのような事、したくはなかった」
勝海の大きな目から、涙がこぼれ落ちた。嗚咽が漏れた。
「勝海様、私もそう思います。四神の力は飛鳥のためにあるものと」
「う、厩戸様。そっ。
あぁっ、うわあぁぁ」
勝海は枝をつかみ損ねた。
どすっ!
勝海が地面に叩きつけられた音が、重く響いた。
クルルゥゥゥ!
朱雀の甲高い哭き声。
グオオォォ!
青龍の地から響いてくる咆哮。
2匹の悲しい声が大郎の心に刺さった。
次の瞬間、玄武から黒い光が発せられた。光は飛鳥の方角に向かって伸びた。そして玄武は黒い光の上を、音もなく静かに進んだ。
厩戸と大郎は玄武を見送った。
その途中。いつも亀に絡みついていた蛇がほどけた。二匹は離れたまま、飛鳥に戻って行った。
(! なぜ、2匹が離れたのだ? このような 玄武の姿、見たことがない」
厩戸は戸惑いながら2匹の玄武を見送った。
「勝海、逝って、しまったか」
守屋はうなだれた。
悲しみと苦しさで、守屋の顔がゆがんだ。
厩戸は我に戻り、守屋の正面にかがんだ。守屋は皮肉な笑みを浮かべた。
「厩戸皇子。
残念だったな。あれはお前のものにはならない」
守屋が突然、大郎に目を向けた。
「そこに、誰か、おるのか」
守屋の視線は大郎を捉えていた
大郎は後ろにのけ反り、白虎から落ちそうになった。
『あわてるな。はっきりと見えている訳ではない。
気配を感じているだけの様だ』
「う、うん」
大郎は汗ばんだ手で、白虎の背中の毛をぎゅっと握った。守屋はふふっと笑い、厩戸に視線を戻した。
厩戸は不思議そうに、守屋の視線を追った。しかし、厩戸には何も感じられなかった。
「あれは、神に返した。神の元に封印した。
神と、相対する事ができる、我にしか、できぬ、事。
! ごふっ」
守屋は大量の血を吐き出した。みるみる、顔が青ざめていく。
「ざ、ざま、みろ」
憎しみを込めた言葉を、最後に厩戸に投げつけ意識を失った。
守屋の呼吸が徐々に弱まっていく。厩戸は守屋の頬にそっと手を当てた。
「それで、いい。
私はそれを望んでいました。あれは、人の世にあってはならぬもの。
やはり、守屋様も同じ事をお考えだったのですね。
守屋様。やはり、あなたは私の師です」
厩戸の目から、ハラハラと涙がこぼれ落ちた。
しかし厩戸の言葉と涙は、守屋には届かなかった。
グオオォォ!
青龍は身体をくねらせ、天に向かって吠えた。
そしてすぐに、朱雀から赤い光が発せられた。朱雀は光に沿って、飛び去っていった。飛鳥の方へ。
『朱雀は守屋の怨みを、玄武は勝海の後悔を抱えて飛鳥に戻った。
二神とも、辛い気持ちのまま、眠りについてしまった』
白虎がつぶやいた。同じ四神にしか、わからぬ思いだった。
大郎は白虎から降り、真正面に歩いた。そして、白虎の瞳を見つめた。
白虎の瞳は白く光り、大郎は白い光に包まれた。