加夜奈留美命神社
「垂目の魂よ。我の名を呼んでくれたか」
サトルの頭の中に、男の声が響いた。
その瞬間、周囲は濃霧に覆われたように、真っ白になった。サトルの視界は奪われた。
サトルは頭の中まで、真っ白になった。
とっさにサトルは、自分の袖をつかんでいたキミの手を握った。離れないように、ギュッと強く。
冷たくなったキミの手も、サトルの手を握り返してきた。
キミの存在を感じた事で、サトルは少し落ち着きを取り戻した。
サトルはすぐに隣のキミを見た。不安そうに顔を歪めているキミの顔が見えた。キミもまっすぐにサトルを見つめている。
しかし3人のおばちゃんの姿はない。キミと2人きりだった。
2人だけで世界に取り残されたような不安を感じた。サトルは思わず、キミを抱きしめていた。その存在を確信するように。キミもすぐにサトルの背中に腕をまわした。
サトルは背後に気配を感じた。
「玄武、朱雀、そして白虎がそろった」
後ろから声が聞こえた。
サトルはキミとの抱擁を、ゆっくりと解いた。キミの肩を抱いて、声の方に振り返った。
そこには2人のヒトと、動物の姿があった。
真ん中にがっしりとした背の高い男性。飛鳥時代の服を着て、立派な髭を生やしている。瞳には力を感じる。
右隣には小柄な女性。
そして男性の左には大きな、白い虎がいた。
「俺は、蘇我大郎鞍作。大郎と呼んでくれ」
大郎と名乗った男は、にこっとほほ笑んだ。
おそらく、30歳前後だろう。しかしその笑顔は人懐こく、あどけない。サトルの緊張がほどけた。
「あっ。俺はサトル……、大谷智です」
サトルは自分の紹介が済むと、キミを見た。キミはまだ顔を強張らせていた。声も出ない様子。
「あっ。こちらは妃美さんです」
サトルはキミにちらっと視線を向けて、男に紹介した。
「さ、サトルくん……」
「サトル。キミは怯えているぞ。
お前は、なんとも思わないのか」
「いえ。俺だって驚いています。
でも、びっくりしすぎて、感覚麻痺したような感じですよね。
それに、あなた、大郎さんは悪い人じゃないって思ったので」
「なかなかの大物だ」
大郎は豪快に笑った。
「それにしても、こうして飛鳥を守る白虎と、玄武、朱雀が集うのは、久しぶりだ。ずいぶんと長い間、白虎は孤独だった」
大郎は白虎の背中を、優しくなでた。
サトルは大郎の隣の女性に、目を奪われた。
これほどに美しい人を見たことはなかった。
女性はサトルと目が合うと、にこっとほほ笑んだ。
(綺麗、ってか、神秘的? こんな人、初めて見た。いや。人じゃないんだろうな)
女性からは真っ白な光が発せられている。体がダイヤモンドのように煌めいていた。
サトルは女性から目が離せなくなってしまった。
「サトル。お前、加夜が見えるのか」
サトルの視線が自分の右にあることに気が付いた。
「あ、はい。あ、加夜さんって、いうんですね」
サトルはぺこっと頭をさげた。
大郎はゆっくりとキミを見た。
「キミよ。お前にはこの加夜が見えるか。俺の隣にいる女が見えるか」
キミはサトルの腕にしがみついた。おびえたように顔を激しく左右に振った。大郎ににらまれた様に感じていた。
「怖がらなくても、大丈夫ですって」
そう言って、サトルはしがみついているキミの手に、自分の手を重ねた。
キミに腕を組まれ、赤面しながら戸惑っていたサトルとは別人だった。
「キミさん。あそこの女の人、見えないんですか」
キミは震えながらうなずいた。
「でも、大郎さんと白虎は見えますよね」
キミはこくこくと、2回うなずいた。サトルはキミの肩をポンポンと叩いた。
「あのですね、実は大郎さんの隣に、女の人がいるんです。
すっごいきれいな人なんですけど、真っ白で透明っぽくて、とっても神秘的なんです。神々しいって、言葉が当てはまるかな。
たぶん、人間じゃないんだと思います。
でもどうして俺には見えて、キミさんには見えないんだろう」
サトルは大郎に答えを求めるため、視線を向けた。
「大郎さん。
俺、大郎さんに聞きたい事が、たくさんあります。
たぶん、大郎さんは知っていると思います。
その前に、一緒にいたおばさん達はどこに行ったんですか?」
「大丈夫だ。彼女たちは、向こうの世界にいる。心配しなくても良い」
サトルは軽くホッと息を吐いた。
「無事ならよかった」
「じゃ、聞いてもいいですか?
ここ、どこですか? 俺たち、どうやってここにきたんでしょう。なんかワープしたみたいな感じなんですけど。
それと明日香村に来たら、カービィが大きくなったのはなぜですか。
白虎はここにいるけど、青龍はどこかにいるんでしょうか。
どうして、どうして俺達には四神が付いているんでしょうか」
徐々に興奮してきたサトルを、大郎は穏やかに見つめた。
「サトル。今、玄武を、かあびい、と呼んだか?」
「あっ……。はい」
サトルは顔を赤くした。
「何も、恥ずかしがることではないだろう。
これは、きらら、という。俺が名付けた」
大郎は白虎の背中を撫でた。
「垂目も玄武に名を付けていた」
「垂目って、やっぱり、人の名前だったんですか。
なんか名前っぽくないので、何なんだろうとは思っていたのですが」
「そうだ。お前は垂目の名を知っているのか」
「いえ。知っているって訳ではないですけど。
亀石で、俺、幻みたいなものを見たんです。
朱雀の炎で、火傷した人がいて。ああ、あれ、大郎さんですよね。白虎が隣にいました。
その人が、『垂目! 来るな!」って叫んだんです。それで」
大郎は前のめりになりながら、サトルの事を凝視した。見開かれた目からは、相当驚いていることがうかがえた。
隣の白虎と声をひそめて話をした。
「そうか。サトルは過去を見ることができるのか。
神も見る事ができるし、俺と同じだ」
大郎はつぶやき、サトルに目を向けた。
「大郎さんはきららと話ができるんですか?」
「うむ。今はできる。
しかし、昔はきららの声は聞こえなかった。今のサトルと同じだった」
「俺、カービィと話しはできないけど、でも、カービィは俺の言う事、わかっているって思っていました。
大郎さん、羨ましいです」
サトルは羨望の眼差しを大郎に向けた。
「サトル。お前は垂目によく似ている。その丸くて、大きな瞳。
中臣垂目。
俺が人として生きていた頃、彼が玄武の主であった。
そういえばキミ。お前の目は雄君に似ている。朱雀の主であった男だ」
大郎は懐かしそうに微笑んだ。
「……。 人として、って。
大郎さんは、人ではないんですか」
「そうだな。もう、人ではないだろう。
俺は、飛鳥の世からここにいるのだから」
大郎は加夜に話しかけた。そして加夜は手をゆっくりと広げた。
その瞬間に、一面を覆っていた霧が消えた。
視界が戻ったことでキミはまた驚き、サトルにしっかりとしがみついた。
真正面には小さくて古びた境内があった。
サトルはゆっくりと周囲に目を向けた。
真後ろには石造りの小さめの鳥居。そして神社を囲む、鮮やかな木々の緑。
(鈴の音?)
サトルは耳をすませた。
「飛鳥川の流れだ」
サトルの気持ちを察したように、大郎が答えた。
大郎はサトルに近寄ってきた。そしてキミにも、優しい視線を向けた。
キミはサトルにしがみついていた手を離した。
「中に入ろう」
そう言って大郎は石の階段を昇り、境内をくぐった。ゆっくりとサトルもあとに続いた。
すぐに本殿があった。きっちりと柵はしてあるが、大郎と加夜はするっとすり抜けた。戸惑って立ち止まっているサトルとキミを大郎は手招きした。
「行ってみましょう」
サトルはキミの肩を抱いたまま、歩き始めた。すると自分の意思とは関係なく足は動き、太郎と同じように柵を通り抜けた。
小さな本殿の前で大郎は腰を下ろした。サトルとキミは大郎の真正面に正座した。不思議なことに、足は痛くなかった。ふと気がつけば、寒くもない。全てが心地よかった。
大郎は腰を据えて話し始めた。
「俺の知っている事は全て教えよう。
まず、ここは、“加夜奈留美命神社”だ。飛鳥川の辺りにある。
加夜が鎮座する聖なる地。
加夜は飛鳥を守る神。
加夜は特別な力のある者にしか見えない。それでキミには見えないのだ。
サトル。お前はその神が見え、過去を見る事もできる。特別な力があるのだ」
「俺に、ですか?」
「そうだ」
大郎は大きくうなずいてみせた。
「2人がここに来たのは、サトルの力が関係しているのであろう。
サトルが俺の名を呼んでくれた。それでこの場に引き寄せられたのだ」
「名前を呼んだっていうか。
大郎さんの名前を教えてもらって、それを言っただけなんですけど」
「それでも、力のあるお前が、我が名を口にしたのだ。それだけで十分であろう。
我らは言霊によって、導かれ、こうして会うことができたのだ」
「俺が、名前を呼んだだけで、そんな事が……」
「言葉の持つ力は強いのだ」
大郎は1つ間を置き、話を続けた。
「そして、青龍。
青龍は今、天香久山で眠っている。
青龍はもう、現れる事がないかもしれぬ。
四神は飛鳥を守る神獣。飛鳥を守るために、この地に降りて来るのだ。
そして、受け継がれた血縁に、主としてふさわしい者が産まれた時に、飛鳥にやって来る」
「飛鳥を守るために……」
サトルは大郎の言葉を繰り返した。そして視線を固定して、考え込んだ。
「……。
四神は飛鳥を守る事が目的。
ということは、四神は飛鳥にいなければ守るものがない。存在意義がないって事かも」
サトルはぶつぶつとつぶやいた。
そして急にキミに向き直り、真正面から見つめた。
「キミさん。
もしかして、四神は飛鳥を離れていると、小さいのかもしれないです。
飛鳥にいてこそ、その意義があるのだから、飛鳥を離れている間は、小さかったのかもしれないですよね」
「うん。でも、私、なにがなんだかわからない。
この鳥が大きくても、小さくても、どうでもいい……」
キミはとうとう泣き出した。
サトルはキミの肩を抱く手に、力が入った。
「大郎さん。キミさんが限界みたいで。
元の世界に戻りたいんですけど」
「サトルは四神の事を知りたいのであろう」
「はい。
カービィの事を知りたくて、俺は明日香村に来たんです」
大郎はサトルの強い意志を感じた。
「サトル。お前には過去を見る力がある。
俺が生きていた、飛鳥の世に行けば、四神とは何か、四神はどのように生きてきたかを知る事ができるであろう」
「過去?」
「そうだ。過去に行くが良い。お前にとっては長い時間を過ごすことになろうが、ここで待つキミには、ほんの一瞬でしかない。
しかし、それによる代償もあることを覚悟しなければならない」
「代償ですか」
大郎はうなずいた。
「四神の力を使えば、主の魂の力が消耗する。それにより、自身の体に影響が現れる」
「それでも、俺は、四神の事、知りたいです。キミさんに影響がないのであれば、俺、やってみます」
大郎はサトルのまっすぐな視線に、昔の自分を重ねた。
「願えばいいのだ。かあびぃの目を見て」
サトルにそう言うと、大郎は悲しそうに微笑んだ。
「俺は、また、厩戸様との約束を破ってしまう……」
「カービィ」
サトルは玄武を見つめた。
「カービィには、そんな力もあるのか。
……。 カービィの事がわかるなら、俺、その過去を見てきたい。
大郎さんの生きていた、飛鳥の時代。
カービィ。俺に過去を見せてくれ」
サトルは玄武の目を見つめながら言った。
すると、玄武の目が黒い光を発した。そしてサトルの目も、真黒に光った。