序章
“乙巳の変”
時は飛鳥。蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された事件を言う。これにより、当時栄華をほこっていた蘇我氏宗家は滅亡した。
ここから、大化の改新が始まったと言われている。
日本書紀の記述。
六月八日、中大兄は倉山田麻呂臣に、「三韓の調を貢する日に、上表文を読む役をしてほしい」といい、入鹿を斬ろうという謀をのべた。麻呂臣は承諾した。
十二日、天皇は大極殿にお出ましになった。入鹿は剣を解き、中に入って座についた。
倉山田麻呂臣は御座の前に進んで、上表文を読み上げた。
中大兄は自ら長槍を取って大極殿の脇に隠れた。中臣鎌子(鎌足)らは弓矢を持って護衛した。
倉山田麻呂が上表文を読み終わろうとするが、子麻呂らが出て来ないのが恐ろしく、全身に汗がふき出して、声も乱れ手も震えた。鞍作臣(入鹿)は怪しんで、
「何故、震えているのか」
ととがめた。山田麻呂は言った。
「天皇のおそば近いので恐れ多くて汗が流れた」
中大兄は子麻呂らが入鹿の威勢に恐れたじろいでいるのを見て、「やあ」と自らを鼓舞し声をあげた。子麻呂らを叱咤して大極殿に乗り込んだ。
入鹿は不意を突かれた。中大兄は剣で入鹿の頭から肩にかけて斬りつけた。続いて子麻呂が片足を斬りつけた。
入鹿は転がりながら御座の下にたどり着いた。頭を垂れて天皇に申し上げた。
「皇位に座すべきは天の御子です。私になんの罪がありましょう。どうかお調べください」
天皇はたいそう驚かれ、中大兄に仰せられた。
「これは一体何事があったのか」
中大兄は平伏した。
「鞍作は天皇家をことごとく滅ぼして皇位を傾けようとしました。どうして鞍作をもって天孫に代えられましょうか」
そう申し上げた。
天皇は立って殿中にお入りになった。
この日雨が降って、庭には溢れ流れる水が一杯になった。筵篰で、庭に置かれた鞍作の屍を覆った。