02
瞬く間に時間が過ぎ、シルフィが寄り添う可愛らしい少年はいつの間にか青年となりメドウラノス山脈の裾野から一帯を平定しシルフォード帝国を建国した。
淡い金の髪に蒼玉を思わせる瞳の美丈夫であり、強大な魔力を持つ若き皇帝の皇妃になろうと、近隣国や周辺の領地からは美しい姫君の絵姿を持ち使者が押し寄せた。
リュート・C・フォン・シルフォード
その若き皇帝はシルフィと出会ってから十年の年月を経て二十四歳となっていた。
「シルフィ、私と結婚して下さい」
「あれか、お姫様たちの絵姿で一室埋もれてとち狂ったか」
皇帝の私室でダラダラと昼寝をしていたシルフィにリュートは何を思ったのか徐に跪くと求婚し出す。
「僕はね、本気だよシルフィ」
「精霊は結婚なんてしないよ。バカだなリュートは」
その言葉にシュンとする青年の頭をシルフィは十年前と変わらずくしゃりと撫でる。触れると柔らかい金の淡い髪は昔と変わらない。何年経とうがシルフィにとってリュートはリュート、可愛らしいままだ。
(そっかぁ、リュートもお嫁さんを貰う年齢なんだね……)
そう考えると何故かつきりと胸の辺りが痛いような気がする。原初の大精霊のシルフィが半端な攻撃などで損なわれる事などあるはず無いのに……この辺が……胸の辺りが痛い?
(……気のせいか)
リュートは皇帝になり自分の事を私と呼ぶけど、シルフィの前では時たま出会った頃の僕に戻る事がある。なんとなく子どもがいたらこんなものなのかとも思うけど、シルフィに子どもなんて出来たりはしない。だってシルフィはこうやって顕現したとしても精霊なのだから。
それから一月後には臣下に押し切られて姫君たちと見合いをさせられるリュートの姿があった。シルフィは面白がってそれを眺めるがリュートの眉間の皺はどんどん深くなる。
「リュート、あんな仏頂面は良くないと思うよ~」
「僕はシルフィをお嫁さんにしたいんだ」
「バカだなぁ、早く可愛いお嫁さんを貰って僕に孫を抱かせなよ」
「なっ、シルフィはいつから僕の母上になったの?!」
「人間なんて僕には子供とか孫とか、まぁそんなもんだよ……僕ってかなり長生きだからね」
「だって僕が一緒にいたいのも結婚したいのもシルフィだけだ」
(う~ん、僕がずっとリュートの傍にいるからダメなんだろうな……少し離れて子どもや孫が出来た頃にまた遊びに来たら良いか)
シルフィはとても居心地の良い魔力を持つリュートの傍は好きだが、精霊だからこそ人間の婚姻に関してどうする事も出来ない。だからリュートが誰かを選んで、そしてそれが上手くいくまで余所でほんの少し遊んでくれば良い。
(……ほんの少しって、百年くらいで良いかな?)
***
シルフィがリュートの元から……シルフォード帝国から消えて少しした頃、大規模な戦が起こる。
「そう、君たちわざわざ僕に知らせてくれたの?……ありがとう」
眷族の風の精霊や妖精たちが、次々と戦渦に包まれた遙か遠くのシルフォード帝国の話を運んでくる。シルフィの名を掲げ、その加護を持ち、シルフィとよく似た魔力を持つリュートを精霊たちは眷族だと思っていたからだろう。
(僕のリュートが負けるとは思えないけど、一応覗いてみるか)
————あの美しい都が燃えていた。
「ねぇ、君は魔力を扱うのが下手になったのかな」
「……シル……フィ?」
「なんだい最初に会った時よりボロボロじゃないか、死ぬ気かい?」
部屋には鉄錆の臭いが充満し、魔力を封じ込める魔法陣が広がっていた。刺されていくつも出来た穴に近い傷から流れ出る赤は止め処なく溢れ、広間の豪奢な絨毯を緋色に染めていた。同時にシルフィの好きなリュートの魔力がどんどん大気へ霧散していく。
「……君がいないとダメなんだ」
出会った頃のようにシルフィに微笑むリュートの顔はあの頃と変わらないのに……たった一つ違うとすればその顔は蒼白だった。
広間に転がる人間を見れば、確かシルフィを邪魔者扱いしていた宰相とかって男やこの国を皇帝を守るべき兵が呻きながらそこらに転がっていて、ああ、こいつらが裏切って敵を手引きしたのかと、風の声を聞きながらシルフィの心は凍てつく。
「最期に……会え……」
「最期?」
リュートが伸ばした腕は空を切りシルフィに届かず僅かな音と共に地に落ちる。
「リュートっ!!!」
何を言っているのだろうか……シルフィにはそれが理解出来なかった。目の前の消えそうな魔力に、段々と自分を写さなくなるその瞳に。
(ああ、君に二度と会えなくなるなんて耐えられるわけがない。どうして僕は君から離れたのか……)
生まれて初めてした後悔。
なんで人間は脆弱でこんなに脆いのだろう。
こうやってシルフィが瞬く間に消えてしまう。
その灯火が消えてしまう前に、この世界の理をすら敵に回しても構わない。例えこの身が消滅しても……
シルフィは自分と同じ原初の精霊の所に駆け込んだ。
「ねぇ、クロノス。僕のお願いを聞いて欲しい」
「……そうだな。シルフィのその髪をくれるなら良いよ」
「なんだ、そんな事で良いのかい?」
シルフィの魔力が満ちた長い足元まである柔らかい春色——若木のような萌葱色の髪。これを失えば精霊程度まで力を失うかもしれない。けれどシルフィは躊躇う事もなく掴んだ髪を己の風の刃で切り落とすとその全てをクロノスに渡した。