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パラノーマルな影

　マキの悪意がバレたことを彼女に知られないように、僕と涼太は２人だけで帰宅した。

　203号室には、秀斗だけがいた。

　彼は、食事係のマキがいないため、コンビニ弁当を食べながら、パソコンの前にいた。

「涼太？！　お前、俺たち放っといて、何やってたんだよ？」

　詳しい理由の言えない涼太は、ユキの夏風邪が酷く、看病しないなら別れると脅された――と付け加えた。

「女はコエーなぁー」

　真実の理由を知らないながらに呟いた秀斗の一言が、僕と涼太には違う意味で突き刺さった。

「賢輔は、後で来るって」

「マキは？」

　涼太がテーブルの横に腰を下ろして、訊ねる。

「いや――今夜は家で寝るって」

　ホッとしたような、少し気掛かりなような、落ち着かない不安が渦巻いている。

　僕はぷりおに餌を与え、涼太はスマホをいじっていた。

　突然――。

「おい！　現れたぞ！」

　上ずった秀斗の声。そして。

『うわあああ、出たあ！』

　何故か、賢輔の悲鳴が続く。

　２台目の廊下を広範囲に捉えた定点カメラが、赤い影と腰を抜かしている賢輔を撮している。

　パソコンにかぶりついた秀斗と対照的に、僕と涼太は廊下に転げ出た。

「賢輔！」

「大丈夫か？！」

　口々に叫ぶ。賢輔は、階段の端まで後退りして逃げていたが、僕らと目が合うと動きを止めた。

　僕らと賢輔の間、202号室の前に、鍵を手にした赤いワンピースの大女が立ち尽くしている。

　更に、２階の廊下の騒がしさに驚いたのか、201号室から前嶋婆さんまで姿を現した。

-*-*-*-

「すみません。本当に、ごめんなさい」

　201号室のちゃぶ台の前に、僕ら４人は固まって座る。

　その正面に、小さい身体を一層小さくして、前嶋婆さんが正座し、隣に赤いワンピースの大女が俯いて座っている。

「これ――私の馬鹿孫なの」

　短く、気まずい沈黙を、前嶋婆さんが破った。

　婆さんに小突かれて、ロングヘアーのカツラを外した『馬鹿孫』は、102号室の横柄な住人・阿倍だった。

「こういう趣味――人様には恥ずかしいから『10年前住んでいた女性の幽霊』ってことにしたかったの」

　婆さんは、顔のシワをクシャクシャにして、もう一度頭を下げた。

　考えてみれば、『202号室が空室』だとか『10年前にモデルが失踪した』とか『見える人には見える』とか――僕は、前嶋婆さんにすっかりミスリードされていたのだ。

「いや……もういいんです。幽霊なのか、人間なのか、気になって――僕らもお騒がせしました」

　代表して、僕が頭を下げる。残りの３人も殊勝な面持ちで、僕に倣った。

「本当に、ごめんなさい。ホラ――あんたも！」

「……オレ、悪くないだろ。コイツらが、勝手に騒いだんじゃないか」

「幸司《こうじ》っ！」

　――えっ？

　違和感が駆け抜けた。が、阿倍はサッとカツラを手に立ち上がると、部屋を出て行ってしまった。

　前嶋婆さんは、その後もひたすら謝ってくれた。

　かえって気の毒になったので、僕らは早々においとますることにした。

「前嶋さん、あの……」

　玄関で、足を止める。涼太達は先に出て、定点カメラを取り外していた。

「はい？」

「もしかして、阿倍さん――幸司さんって、小さい頃、黄色いＴシャツをよく着ていませんでしたか？」

　婆さんは、ハッとした表情になり、懐の御守り袋からボロボロの写真を取り出した。

「もう色褪せてしまったんだけれど――」

　見せられた写真には、短パンＴシャツ姿の少年が笑っている。色彩は分からないが、それは確かに「コージ」の姿だった。

　前歯の生え揃わない、人懐っこい笑顔で、こちらに向かってバイバイをしている。

「この頃は、活発な子だったわ。この子の母親――夏恋《かれん》が亡くなってから、部屋から出られなくなったの」

　前嶋婆さんは、疲れたように一息付いた。

「母親の面影を追うみたいに、あんな格好をするようになって。けれど、少しでも外に出られるならと――許してしまったの」

「……前嶋さん。その写真の男の子――黄色いＴシャツのコージ君に、このハイツの外で会いましたよ」

　婆さんは落ち窪んだ瞳を少し開いて、僕を見上げた。写真を持つ指先が、小さく震えている。

「あなたと、現在の幸司さんを、きっと心配しているんだと思います」

「そう……。ありがとう、雁屋さん」

　前嶋婆さんは、また顔をシワだらけに歪めて――目尻を濡らしながら笑みを刻んだ。

-*-*-*-

　203号室に戻ると、秀斗はパソコンを閉じ、機材を片付けていた。

「マキがいないけど、合宿は終了だな」

　涼太の宣言に、反対する声は上がらない。

　当初の目的が、意外な結末を迎えたことで、友人達のモチベーションは既に萎えていた。

　小さなコージのことは、胸の内にそっと秘めておこうと思う。

　心を閉ざした未来の自分と、優しくも臆病な祖母が暮らす【裏野ハイツ】。

　僕の前に現れて、彼は何を伝えたかったのだろうか――。

【了】

　あのドタバタの合宿から２日後。僕は【裏野ハイツ】から引っ越すことにした。

　異例の短期退去に、不動産屋のタコ顔オヤジは不満をありありと浮かべたが、過去の失踪事件と現在の霊現象を持ち出すと、呆気ないくらいあっさり契約解除の書類を取り出した。

　この交渉術は、前嶋婆さんの入れ知恵だった。

　違約金を支払わなくて良くなった僕は、引っ越しを手伝ってくれたお礼として、マキ以外の合宿仲間に夕食をおごることにした。

　マキとは、合宿後は顔を会わせていない。

　リーダーだった涼太が、ユキのメルアドから彼女に『合宿終了』と『赤いブラウスの女の正体』を伝えたところ、

『なんーだ、つまんない』

　一文が返ってきただけだったそうだ。

　彼女があいに向けた悪意には、僕らは触れないことにした。

　友情の仮面の下でゆっくり育んでてきた巧妙な邪心を、敢えて刺激したくない。

　むしろ、この一件であいと僕の心が近づいたのだから、良しとしておこう――そう結論づけた。

「貧乏学生なもんで、こんな――ファミレスだけど勘弁してくれな」

「気ぃ遣わないでいいよ、雁やん」

　言葉と裏腹に、真っ先に山盛りポテトフライをつまむ、賢輔。

「それにしても、あっという間の引っ越しだったな」

　涼太は、ドリンクバーのアイスコーヒーにミルクを３つも入れてかきまぜている。マーブル模様が一瞬でミルキーベージュの液体に変わる。

「なに、俺達がうるさくて追い出されたの？」

　秀斗は、自嘲気味に薄ら笑いを浮かべ、コーラをズズッとすすった。

「あ、その理由、いいな」

「何だよ、雁やん」

　軽く笑いが起きる。

「いや、ホントのこと言うと――あいん家に戻るんだ」

　小皿のケチャップをポテトフライに付けて、僕も頬張る。

「許してもらえたのか」

　と、秀斗。

　彼は運ばれてきたピザを、かなり正確にカッターで８等分に切る。

「許すも何も、僕を追い出した理由が、そもそも誤解だったからな」

「誤解？」

　早速ピザに手を伸ばした賢輔。

「ああ――」

　チラリ、涼太と視線を交すと、僕はマキの一連の企みを話した。

「――マジかよ」

　すっかり笑みの引いた真顔で呟くと、賢輔はスマホを取り出し、操作し始めた。

「何だよ、どうした？」

　隣の涼太が覗き込む。

「俺、合宿中にマキと２人っきりになった時があるんだけどさ……」

　言いながら、彼はメールアプリを操作している。

「その時、『あいと別れてフリーになったから、雁やんを狙ってる』って打ち明けられてさ」

「ええっ？」

「おいおい」

「俺に協力して欲しいって泣くからさぁ……メルアド交換したんだよ。だけど、今、削除した！」

　ピロリン、と軽快な機械音が鳴って、賢輔はホッとした色を浮かべた。

「……協力って、何だよ」

「あの部屋で、マキと雁やんが２人きりになるように、お膳立てしてくれって」

「――はぁ？　仮に２人きりでも、ブタマキに食指は動かんぞ」

　自信満々に断言した僕を、涼太の眼鏡の奥の瞳が冷静に見据える。

「お子ちゃまだな、雁やん。マキの狙いは『既成事実』だろ。外堀埋めて、お前が後に引けなくするつもりだったんだろう」

「ひゃー、お前、食われなくて良かったなあ」

「ばかやろっ」

　背筋を駆け抜けた悪寒を吹き飛ばすように、ちょっと大袈裟な仕草で賢輔を小突く真似をした。

「……それにしても、女はコエーなぁー」

　しみじみ漏らした秀斗の感嘆に、僕らは沈黙で激しく同意した。

【了】

-*-*-*-

　最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

　『夏のホラー2016』参加、ということで急いで書いた作品です。

　お読みいただくと分かるのですが、タイトルの「カレン」さんは、最後の方にチラッとだけ名前が出ます。

　引っ張って引っ張って……「えっ、これだけ？」と肩透かしを食らった方、ごめんなさい。

　「『裏事情』ってあれだけ？」と期待外れた方、ごもっともです。すみません。

　――白状します。

　『夏ホラー』提出期限に間に合わなくなること必至でしたので……肝心？の「裏事情」ガッサリ割愛しちゃいました。

　そして、怖さのウェイトを【裏野ハイツ】の「事情」から、女友達間の秘めたる情念にサクッと変更しちゃいました。

　とはいえ。

　構想段階で考えていた設定が搾り切れていないので、私的にも消化不良です。

　そこで、『夏ホラー』提出期限は過ぎましたが、この続編を一本、書いてやろうかと思っている次第です。

　よろしければ、お付き合いのほど、よろしくお願いします。

　エルニーニョが終息して、今夏は予想通り猛暑傾向です。

　どうぞ体調に留意なさって、暑さを味方に素敵な夏をお過ごしください。

　拙作が、寝苦しい一夜の冷たい羊になりましたら、幸いです。

拝