第65話 魔法使いの最期
「メ、メラルカ様……!」
頼みの綱だった主が、あっさり自分を見捨てて退場したことに衝撃を受けたんだろう。真っ赤だった魔法使いの顔が、まるで吸血鬼に血を吸われでもしたかのように白くなる。俺が剣を片手に近づくと、奴はよろめきながら後ずさった。
「お、おおお、お待ちください殿下! 落ち着いて、冷静に話し合おうではありませんか!」
往生際悪く、右手を開いて「ちょっと待った」の合図をするカリコー・ルカリコン。
「私がなぜ貴方の父君を殺めたのか、ご存じですかな? どうしてフェイナ様を裏切ったのか、おわかりですかな? 神々が、そうなるよう運命を定めたからです! 私は運命に従っただけ。そう――そうです。私は何も悪くない! 悪いのは神々なのですよ!」
「てめえ……」
「そう、神々です、神々! すべての元凶は神々なのです! 神々こそが諸悪の根源! 悪いのは私ではなく、運命を定めた神々――!」
俺はぎゅっと拳を握り締め、
「神々だの運命だの、他人に責任転嫁してんじゃねえよ!」
デュラムとサーラに宣言した通り、魔法使いのほっぺたをぶん殴った! 三年前のあの日、親父が俺に鉄拳をくらわせたように。
もちろん、手加減なんざ一切なしだ。
「うげえッ!」
「親父を殺したのも、姫さんを裏切ったのも! てめえの心ン中に、薄汚い悪意があったからだろうが!」
そうだ。それを棚に上げて、自分がしたことを他人のせいにするなんざ、卑怯じゃねえか。
「今のは親父の分! これは姫さんの分!」
続けてもう一発、気合を入れてぶん殴る。
「おご、おぉ……!」
「そんでもって、こいつは俺の分だぜ!」
とどめとばかりにもう一発。この一撃で、過去と決着をつけてやる。フランメラルドの息子フランメリック、怒りの鉄拳制裁だ!
「ほ――ほげえぇえぇッ!」
魔法使いは、奇声を上げて吹っ飛んだ。奴の足で大股十歩くらいの距離を一息に飛び、背中から床に激突して二、三度弾む。そのままごろんごろんと転がって、ようやく動かなくなった。
「……っ!」
そこまでだった。魔法使いに背を向け、一歩、二歩と踏み出したところで、俺は床にへたり込んじまった。
この大広間に入ってから、戦いに次ぐ戦いでくたくただ。大地の女神トゥポラは、どうして人間をもっと頑丈につくってくれなかったんだろう。粘土を材料にしたなら、もっと粘り強い種族にしてくれてもよかったのに。そんなことを、つい考えちまう。
「大丈夫か、メリック」
デュラムとサーラがこっちへ来た。その後ろには、おっさんをはじめとする神々の姿もある。
「ああ、なんとかな」
俺は短く答え、立ち上がろうとして――カチャリ。背後で、小さな物音がするのを聞いた。
「アハ、アハハハハ! 殿下、とどめを刺さないとは、ぬかりましたな」
くるりと回した視線の先にあったのは、魔法使いの真っ赤に腫れ上がった顔。
「……! てめえ……!」
あの野郎、気絶させたつもりだったんだがな。しぶとい奴だぜ。
カリコー・ルカリコンの右手にゃ、さっき吹っ飛ばしたはずの〈焼魔の杖〉が、しっかりと握られてる。物音は、奴が神授の武器を拾い上げる音だったようだ。
「さあ殿下。私と共に、父君の許へと参りましょう」
魔法使いは、顔をゆがめて笑い、杖を持ち上げた。その先端が、まっすぐ俺に向けられる。
だが、そのとき――〈焼魔の杖〉に対する恐れとは別の恐怖が、俺の胸中に湧き上がった。
カリコー・ルカリコンの背後で、それまでずっと閉じられてた竜の目が――開いたんだ。
幾重にも皺が刻まれた、分厚い半球状の瞼が持ち上がり、琥珀の目玉がぐるりと回る。
双頭犬や人面鳥を丸呑みにできそうな大口が、両顎の間に粘つくよだれの糸を引いて、ゆっくりと開いた。
折りたたまれてた翼が、羽化した蝶の羽みてえに、皺を伸ばしながら広がっていく……。
そこで俺は、やっと気づいた。カリコー・ルカリコンが、魔法陣の中に突っ立ってることに。
多分あいつは、竜の背中に上ったときにゃ、なんらかの方法を使って、魔法陣に引っかからねえようにしてたんだろう。奴も魔法使いなんだから、そういう手段の一つや二つ、知っててもおかしくねえ。
だが、今は理性がどこかへ吹っ飛んじまってるせいか、その方法を使わず魔法陣の中に踏み込んじまった。それで眠りの魔法とやらが解けて、竜が目覚めたんだ。
けど、そのことに気づいてるのは、竜と向き合ってる俺たちだけだ。魔法使いは、竜に背中を向けてるせいで、まだ気づいちゃいねえ。
「おい……後ろを見ろよ、カリコー・ルカリコン」
一応、親切心から言ってやったんだが、奴は信じなかったみてえだ。
「アハハハ! 無駄ですよ、私の気をそらそうとしても」
「いや、そうじゃなくて……」
「この期に及んで見苦しい! さあおとなしく、私の手にかかって冥界へ……」
頭上から降ってきた、地響きみてえなうなり声が、魔法使いを黙らせた。
「――は?」
ゆっくりと首を回し、いかにも恐る恐るって感じで、後ろを見やるカリコー・ルカリコン。奴が見たのは――今や完全に目を覚ました、竜の強面。
「う、うぅわあああああああああ!」
あいつはこっちに背中を向けてたから俺にゃ見えなかったが、魔法使いの顔はこれ以上ねえってくらい、恐怖にゆがんだことだろう。
竜は耳まで避けた大口を開け、頭をぐっと後ろへ引いて――ばね仕掛けのように、一気に前へ! 死者を分け隔てなく迎え入れる冥界の門さながら、大きく開いた竜の口が、魔法使いに迫る。
あの間合いだ。逃れる術なんざあるはずもねえ。〈焼魔の杖〉と〈操魔の指輪〉――二つの神授の武器もろとも、魔法使いは竜の顎に捕らえられた。
「あ、あ――あああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
耳に蜜蝋の栓をしたくなるような大絶叫。
鼻をつままずにゃいられねえ、床に滴り落ちる血の匂い。
目で見たことを詳しく語る勇気は、俺にはねえ……。
俺の親父を殺し、フォレストラ王国の王女様を裏切った小悪党、魔法使いカリコー・ルカリコンの最期だった。
「まさか、こんな結末になっちまうなんてな……」
正直な話、まったくの予想外だった。奴をぶん殴った後は、親父の墓前と姫さんの前でわびを入れさせようと思ってた。そのうえで、きちんと法にのっとった裁きを受けさせたかったんだが、こうなっちゃ、それもかなわねえ。
「見て、竜が……!」
どうやら、気を抜くにゃまだ早いみてえだ。竜が、魔法使いを屠っただけじゃ飽き足りねえとばかりに、猛然と暴れ出した。あたり構わず炎を吐き散らし、尻尾を振るって暴れ回る。今まで魔法で眠らされてた恨みを、晴らそうとするかのように。
「……小賢しきかな、死すべき定めの人間の子ら」
突然、竜が口を利いた。ずいぶん古めかしい感じはするが、紛れもねえ人間の言葉だ。人の言語を解するってことは、竜の中でも相当上位の存在に違いねえ。
人語自在の竜は、最初の一言に続けて、こんな恨み節を歌い出した。
「魔物の王、竜の将たるこの我を、宝を餌に誘き寄せ、大地の下に繋ぐとは。
暗く湿った地の底に、千年囚われしこの恨み、よもや晴らさでおくべきか。
そこなにっくき人間の子ら、並びに痴愚なる神どもよ。
うぬら、我が灼熱の息吹にて焼き焦がし、骨の髄までむさぼらん。
我を目覚めさせたが運の尽き。嫌とは言わせぬ、覚悟せよ……!」
「むう、いかんな」
吠え猛る竜を見て、おっさんがうなる。
「あの竜君を打ち倒すのは、我らの力をもってしても容易ではない。ここはひとまず逃げて、外へ出た方がよさそうだ」
「そ、そう言われてもな……」
情けねえが、こっちは疲労の極みで歩くのもやっと。走るなんざ、とてもじゃねえが無理だ。
俺だけじゃねえ。デュラムの奴も「妖精は疲れとは無縁だ」なんてうそぶいてるが、実際はどうだか。気位の高い奴だから、無理をしてるんじゃねえかな。サーラは――こいつが一番ひどい。さっきまで、いつもと変わらねえような顔して魔物たちと戦ってたが、今はデュラムが肩を貸してやってる。本当はすごい魔法を使って疲れてるのに、それを隠して戦い続けてたんだろう。
ったく……無茶しやがって。
「異国人っ!」
二輪戦車の上から、姫さんが声をかけてきた。
「動けない者がいるなら、乗せてやるっ! ここから脱出するぞっ!」
「姫さん……!」
「早くしろっ! 置いていくぞっ!」
姫さんの切迫した声が、大広間に響き渡る。それをかき消すように、竜が咆哮した。
……どうやら、迷ってる暇はなさそうだな。




