第58話 あんたを信じていいのかよ?
「なあ、おっさん……じゃなかった、リュファト様」
神々の喜劇めいたやり取りを横目で見ながら、俺はおっさんに話しかけた。
「なんだね、メリッ君?」
獅子鷲に続いて、人間の顔と獅子の胴体、蠍のしっぽを持つ人面獣と戦ってたおっさんが、右手で剣を、左手で円盾を操りながら、目だけをこっちに向ける。
「あんたは……なんで俺たちの前に現れたんだ? 牛頭人に殺されかけてた俺たちに、慈悲の手を差し伸べようと思ったとか……そんなんじゃねえだろ?」
神々ってのは、そうほいほいと人助けをするような、お優しい存在じゃねえだろう。もっと気まぐれで、よく言えば自由奔放、悪く言えば身勝手な連中のはず。現に俺の親父は、神々が気の向くままに定めた運命のせいで、冥界に逝っちまった。
それなのに……この神様は、どうして俺たちを助けてくれたんだ?
「――」
神は、すぐにゃ答えちゃくれなかった。
向こうじゃ、デュラムが獅子山羊と激突してる。そのまた向こうで獅子女と対決してるのはサーラだ。二人の周囲にゃ戦車を駆って魔物たちを蹴散らす姫さんや、杯片手に戦うゴドロム、ザバダ、ヒューリオス、ウォーロといった神々の姿もある。
「……いかにも、君の考えておる通りだ」
人面獣がしっぽから放った毒針を円盾で防ぎつつ、神々の王が口を開いた。
「確かに私は、正義の味方でもなければ善の体現者でもない。むしろ若い頃はいっぱしの暴君でな。かつて、このフェルナース大陸に覇を唱えた帝国を一つ、丸ごと旱魃で滅ぼそうとしたことがあるくらいだ」
そう言う太陽神の顔からは、喜怒哀楽すべての表情が抜け落ちてた。まるで冬の空を渡る、温かみを欠いた太陽みてえだ。
表情だけじゃなくて、口調まで変わってる。今のおっさんの声にゃ抑揚ってもんがなくて、感情がまったくこもってねえ。羊皮紙に書かれた文章を読み上げてるようで、聞いてるこっちの背筋が寒くなるくらい淡々としてる。
その冷淡な口調で、リュファトはさらにこんなことを言う。
「昨日君たちの前に現れたのも、初めはただの退屈しのぎ、暇潰しのつもりだった。天空の都――ソランスカイアからシルヴァルトの森に降りてきたところで、たまたま牛頭人に追われる君たちに目が留まってな。いささか興味が湧いたので、近づいてみたのだ。場合によっては、君たちの前に敵として立ちはだかり、剣を交えるのも一興かと思っておった」
「お、おっさん……」
思わず剣を取り落としかけた。棍棒か槌矛で、頭をガツンとぶん殴られた気分だ。この人が、顎鬚なでつつ、そんなことを考えてたなんて……。
「――だが、安心してくれたまえ。今は違うのだよ、メリッ君」
それを聞いて、はっとした。おっさんの表情や口振りに、いつもの温かみが戻ってたからだ。
「今の私は、君たちの戦いを最後まで見届けたいだけだ。セフィーヌのように邪魔をする気もなければ、危害を加えるつもりもない」
「そりゃまた、どういう心変わりだよ?」
俺が問いを投げると、おっさんは照れたように頭の後ろをなでた。
「どうやら、この二日間を共に過ごしたことで、君たちに情が移ったようだ。それに、君たち三人を見ておるうちに、いろいろ思うところもあったのでな……」
人面獣の顔面を剣で真っ二つに打ち割りつつ、おっさんは語る。
「特に昨夜見た、あの見事な戦いぶり――君と妖精君、お嬢さんが力を合わせて三頭犬と戦う様には、感じ入るものがあった」
「え……? あのときはおっさん、リアルナさんの相手をするので手一杯だったじゃねえか。俺たちの戦い、見てる暇なんざあったのかよ?」
「私とて、一応は神々の頂点に立つ王だ。あのようなときでも、それくらいのことをする余裕はあったよ」
と、おっさん。
「先程、外でウルフェイナ王女の一行と戦ったときも、また然りだ。仲間同士助け合う君たちの姿を見たときには、改めて思ったよ。地上の種族も、なかなかどうして捨てたものではないとな」
一言一言、噛み締めるように、神々の王はつぶやく。うつむいたその顔は、今にも雲隠れしようとしてる太陽みてえに翳って見えた。
「おっさん……」
「どう言えばよいのか、上手い言葉が見つからんが……君たちを見ておると、感じるのだよ。我らの虚ろな胸を強く打ち、冷めた血を熱く滾らせる――そんな何かをな」
地上の住人たちにとっちゃ当然のこと、些細なことに感動する感傷家だと呆れてくれて構わねえ――そんなことを言って、神は自嘲気味に笑った。それから真顔に戻って、こう続ける。
「だからメリッ君、今だけで構わん、私を信じてはくれまいか。神とは時に残酷な運命の支配者となるものだが、いつでもどこでもそうであるわけではない。我らとて、君たち地上の種族が懸命に生き、必死に戦う姿を見ておれば、情にほだされることもある。そのようなときは、我らも君たちを助けることにやぶさかではないのだ。だからこの一時、この場限りで構わん。私を信ずるに値する者と認めてくれたまえ。この通り――頼む」
顔を割られてくず折れる人面獣を背に、おっさんは深々と一礼した。
神が、人間に頭を下げたんだ。
その様からは、天上の玉座にふんぞり返る権力者の傲慢さも、俺たち地上の種族を将棋の駒みたいに動かす絶対者の冷酷さも感じられねえ。ただ俺たちに信じてほしいって一途な気持ち、ひたむきな想いが表れてて、何かこう、心にぐっとくるもんがあった。
だから、俺は――ちょっと迷った後で、うなずいた。
「……ああ、わかったぜ」
俺も人間――泥からつくられただけに、どろどろした複雑な感情を持つ種族――だからな。正直、この人にゃ言いてえこと、聞きてえことがたくさんある。「神々の王がこんなところで冒険三昧してていいのかよ? 他にやるべきことがあるんじゃねえのか?」とか「あんたの奥さん性悪女、けど三男坊いい奴!」とか、それに何より――。
三年前のあの日、親父が死ぬよう運命を定めたのはどうしてなんだ、とかさ。
けど、このおっさんは漢だ。俺たちを何度も助けてくれたし、腹の底で思ってたことを包み隠さず話してくれた。そのうえ「私を信じてくれ」って、俺に頭まで下げたんだ。少なくとも、誠意の人にゃ違いねえ。
だったら……過去のことはひとまず脇に置いて、今は信じてやらなきゃ、無礼じゃねえか。
そのとき、おっさんの背後で人面獣が立ち上がり、ぐわっと口を開けた。上顎は天空を衝き上げ、下顎は大地を掘り下げる――吟遊詩人がそう表現しそうな、でっかい口。そして、その中にずらりと生えそろった牙、牙、牙! 三列に並んだ牙が、王の命を狙う暗殺者の短剣さながら、ぎらりと光る。
あの化け物……顔面割られて、まだ生きてるのかよ。
「おっさん、伏せろ!」
こうなりゃ一か八か! 俺は右手を思いっきり後ろへ引いて、剣を力一杯ぶん投げた。剣はとっさに身を屈めたおっさんの頭上を通り過ぎ――見事、人面獣の眉間にぐさり! 人面獣身の怪物は、今度こそ膝を折って絶命した。
「……すまんな。地上の種族に助けられたのは、あの忌々しい大悪魔との決戦以来だ」
礼の言葉を口にするおっさんに、俺はサーラを真似て、ぱちっと目配せしてみせた。「気にするな」ってさ。
へへっ。これでちょっとは恩返しができた……かもな。




