第2話 朝飯だ!
それはそうと、なんだか美味そうな匂いがしてきたぜ。デュラムの後ろにどーんと生えてるでっかい木、その裏から匂ってくる。真っ白な湯気がこっちに流れてくるのも見えるし、薪が威勢よく爆ぜる音も聞こえる。これは……あれだな。朝飯だ!
「なんだ、もう飯の時間か?」
「そうだ。本来なら、朝餉の支度を手伝いもせず寝ている者など、起こさず放っておくところだが……サーラさんの頼みとあっては断れないからな」
「サーラが俺を起こせって? ああ、そういうことかよ」
デュラムの後に続いて大樹の裏に回ると、鍔の広いとんがり帽子をかぶった、いかにも魔法使いって感じの女がいた。こっちに背を向け、焚き火の上につり下げられた小鍋の中身を杖でかき回してる。ふんふん鼻歌なんか歌って、ずいぶんご機嫌そうだ。
「おいおい、杖でまぜるなよ、杖で。お玉とか匙とか使えって」
後ろから声をかけると、
「あら寝ぼすけさん、今起きたところ?」
そいつはこっちに背中を向けたまま、高く澄んだ声でそう言った。小鍋の中身をかき回す、杖の円運動は止まらねえ。どうやら、お玉や匙を使うつもりはねえようだ。
「ああ、デュラムに起こされた。お前に頼まれたって言ってたぜ?」
相手の質問に答えてやると、そいつは杖持つ手を止め、くるりとこっちを向いた。
「ええ、そうよ。だってあなた、放っておいたらなかなか起きないでしょ?」
俺と同い年くらいの女の子だ。デュラムと比べりゃ小柄で子供っぽい感じもするが、その分愛らしくて親しみが持てる。三つ編みにして背中に垂らした金髪、ぱっちりした藍玉の瞳。眉は弓みてえに緩やかな弧を描き、ほっぺたも丸みを帯びて柔らかそう。けど、顎は心持ち尖ってるし、瞳には意志の強さを感じさせる輝きがある。
服装はと言えば――肩や太腿が大胆に露出する、上下一続きの水着みてえな革服。その上に白銀の胸当てをつけ、銀糸で魔法文字を縫い込んだ青黒い外套を羽織ってる。伸びやかな脚の膝から下を包むのは、かかとの高い長革靴だ。それから……。
「ちょっとメリック、何じろじろ見てるのよ? 目つきがいやらしいわよ!」
いっけね! あんまりじろじろ見てたんで、にらまれちまった。
「あー……いや、なんでもねえよ!」
「ふーん、そう? なら、いいけど」
ふう、危ねえ危ねえ。なんとかごまかせたぜ。
「それよりメリック。あなた、さっきデュラム君の名前、忘れてたでしょ。まさか、あたしの名前まで思い出せないなんてことないでしょうね?」
「なんだ、聞いてたのかよ?」
「聞こえてきたのよ! それで、どうなの? あたしの名前、言ってみなさいよ。もし忘れてたら、セフィーヌ様にかけて、ぶん殴るわよ!」
太陽神リュファトの妻である月の女神セフィーヌにかけて、俺を殴ると誓うとんがり帽子の魔女。
「馬鹿言ってんじゃねえ。忘れてねえよ、マイムサーラ」
いくら俺が忘れっぽくても、そうそう仲間の名前を忘れたりするもんか。デュラムのときは、その……ちょ、ちょっとど忘れしただけなんだからな!
……こほん。それより、こいつはマイムサーラ、愛称はサーラだ。俺の冒険仲間その二で、天才魔法使いを自称する魔女っ子。さっぱりしててつき合いやすい、俺たちのまとめ役だ。
「覚えてたみたいね♪」
俺の返事を聞いて、サーラの表情がぱっと明るくなった。青空の下で陽光を浴びて咲き誇る、向日葵みてえな笑顔だ。薔薇とか百合とか、そういう高嶺の花にはねえ親しみやすさを感じる。
まいったな。その格好でそんな顔されちゃ、照れちまう……。
「あ、当たり前だろ!」
照れ隠しに笑って、ぐつぐつ煮え立つ小鍋の中身を拝見する俺。今日の朝飯は……なんと! 肉がたっぷり入ったひき割り烏麦のお粥じゃねえか。好物なんだよな、肉料理。
「それじゃ、いただくとするか」
サーラの傍らにあった荷袋から、匙と小ぶりのお椀三人分を取り出して、湯気の立つ麦粥をよそった。寝坊しちまったんだから、せめてこれくらいは手伝わねえと!
デュラムとサーラの分をお椀に取り分け、最後に自分の分をよそう。それから、小鍋がかかってる焚き火の前に、どっかりと腰を下ろした。
二人がお椀に口をつけるのを見て、俺も匙に手を伸ばし――そこで、ぴたっと手を止めた。
「……あれ?」
今一瞬、誰かの視線を感じなかったか? デュラムでもサーラでもねえ、他の誰かの視線を。
「魔物か……?」
思わず、腰の剣に手がかかる。だが、片膝ついて周囲を見回してみても、魔物はもちろん、人っ子一人いやしねえ。いるのは俺たち三人だけだ。
「何よメリック。きょろきょろしちゃって、どうしたの?」
俺の挙動を不審に思ったんだろうな。サーラが声をかけてきた。
「今、誰かに見られてた気がするんだが」
「え――?」
魔女っ子は自分でもあたりを見回してみてから、
「誰もいないじゃない」
そう言って、俺の隣に座ったデュラムを見やる。だが、妖精の答えも魔女っ子と同じだった。デュラムはしばらく周囲の木立や茂みに目を凝らし、耳を澄ませた後、
「ふん……誰もいないようだが?」
首を左右に振って、そう言った。
「そっか。それじゃ、俺の気のせいか?」
生まれつき、他人の視線にゃ敏感なんだがな。デュラムとサーラが誰もいねえって言うなら、そういうことにしておこう。
おっと! そんなことより飯だ飯、早く食べねえと冷めちまう。麦粥ってのは、熱々のうちは美味いんだが、冷めると不味くなるんだ。サーラがどんなに料理上手でも、こればっかりはどうしようもねえ。
「悪い、忘れてくれ」
俺は気を取り直して匙を持つと、麦粥を勢いよくかき込み出した。
……本当に、気のせいだよな?
◆
……おやおや。私の視線に気づくとは、なかなかの冒険者ですな。
あの端整ながら、まだ幼さが抜けきらない顔立ち……どこかで見た気がするのですが、思い違いでしょうか?
ふむ……まあ、いいでしょう。貴方が何者であれ、私にはどうでもよいことです。
〈樹海宮〉の宝を手にされるのは、我が主。他の誰にも、お渡しするわけにはいかないのです。
残念ですが、あなた方にはこの森で――シルヴァルトの森で死んでいただきましょう。
我がしもべたちを相手に、どこまで戦えますかな?
せいぜい死に物狂いで抗って、私を楽しませてください……。