その1 悪役屋さんは少女と宣言する
第2話と第3話の間での出来事。
夜。
俺は部屋の中央で胡坐を組んで座っていた。
部屋の隅あるベッドの上ではこの部屋にある物の中では清潔な、それでも十分にみすぼらしい毛布が丸い形を作っている。
マリーの呼吸に合わせ、毛布は微かに上下していた。
良かった。ちゃんと眠ってる。
不安で眠れないんじゃないか心配したけど、いらない心配だったみたいだ。
ランプの灯はとっくに消してある。
窓の外から微かな光が王都最下層の俺の部屋にも差し込んでいる。
暗い部屋の中で、俺が何をしているかといえば、俺は明日の計画を何度も頭の中で繰り返していた。
「クソッ」
部屋の中で小さく毒づく。
俺は自分の腕を睨みつけていた。
震えが止まらない。
俺が今までこなしてきた中で、一番大きな「悪役」としての仕事になる。失敗は許されない。何しろマリーの命が掛かっているからな。
だから、不安だった。
俺は……うまく出来るんだろうか。
どれだけ考えても消えてくれない恐怖を、歯を食いしばって堪える。
頼れる人はいない。
俺が1人で何とかするしかない。
そんな時だ。
微かな音に、俺は耳を澄ます。
「お父様、お母様……」
マリーだ。
ベッドで眠るマリーが、小さく寝言を零していた。
近づいて、ベッドの淵に腰掛ける。
マリーの目尻に浮かんでいる光の粒が何なのか、俺にだってわかる。
マリーの手が何かを探るように動いた。
ベッドの淵に腰かけたまま、俺はマリーの手を握る。
マリーの綺麗な細い指が、俺の手に触れた。
すべすべした、同じ人の手とは思えない心地よい感触だった。
時間の流れが早いような、遅いような、不思議な感覚がした。
マリーの顔が、緩んだ笑みを形作る。
それは魔法だった。こみ上げる不安が、解けていく。
気づけば、マリーの寝言は収まっている。
仰向けに寝返りを打った際に毛布がずれた。
微かな光の中にマリーの姿が浮かび上がる。眠っているマリーは綺麗だった。
俺みたいな悪役が、触れてはいけないと思いたくなるほど、マリーは綺麗だった。
たぶん、お姫様っていうのはマリーみたいな人のことを言うんだと思う。
「お姫様は、幸せにならないといけないんだ」
触れてはいけない。
それなのに、離れようとして、眠っているマリーは離してくれなかった。
しかたなく、ベッドの淵から降りて、背中をベッドに預ける。手だけをベッドの上に乗せたまま、俺は目を閉じた。
そろそろ寝ないといけない。
やるべきことは決まっている。
腕の震えはもうない。
大丈夫だ。
なんたって、俺は最高にかっこいい悪役になるんだからな。
背中越しにマリーの呼吸を、手にマリーの体温を感じながら、俺はゆっくりと意識を手離した。
***
翌朝、計画の実行前に俺はマリーの朝飯を買うために王都第一層の街に来ていた。人通りのまばらで、少し霞がかった街の通りを駆け抜け、目当ての店の前に立つ。
まずは普段通りに、元気よく。
「おい、おっちゃん。肉団子2つ入れてくれよ!」
「何だ坊主。朝から来るなんて珍しいじゃないか」
「今日は大事な日だからな。けーきづけって奴さ!」
「景気づけって今日は何かあったか?」
「細かいことはいいんだよ。俺にとってはって意味だ。ソレよりさっさと朝飯くれ。言っとくけど、二人分だかんな!」
俺はおっちゃんをせかす。
「ん、二人分は珍しいな。誰かほかにいんのか?」
「俺が二人分食べんだよ。今日は重労働になるからな」
俺は睨むようにおっちゃんを見上げた。
こっちはこれからの事で手一杯であんまり余裕がないんだ。こんな所で手を焼かせないでほしいぜ。
おっちゃんは不思議そうに俺の事を見下ろしていたけど、何も言わずに二人分の朝飯を用意してくれた。
おっちゃんの腕からひったくるように朝飯を受け取る。
「また来るぞ」
「おう、元気でな」
俺はおっちゃんに背を向けて走り出す。
背後で、
「何をするかは知らんが、面構えだけは男前だったな」
ポツリとおっちゃんが呟いているのは聞こえなかった。
マリーと最後の食事だと思うと、胸の奥が疼く。
それを無視して、俺はマリーのもとへ走った。
***
王都最下層を支える鉄骨に、二人で並んで腰かける。
朝日でオレンジ色に染まる大地が見下ろせた。丸みを帯びた地平線が赤く染まる。
俺もマリーも何も言わずに黙々と朝飯を食べた。
最後の日と口を呑み込んだマリーが顔を俺に向ける。
「ねぇ、これから計画を実行するんだよね?」
「ああ、するぞ。マリーを親父さんの所へ戻す大作戦だ。よかったなマリー。なんたって俺が実行犯なんだからな、成功間違いなしだ。今日の夕方には自分のベッドの上で寝られるぞ。自分の家で普通の生活が送れるんだ」
明るく元気づけるように俺は告げる。
今日、朝から元気に行動することは最初から決めていた。
それなのに、マリーは辛そうな顔を浮かべる。
「おい、どうしたんだよ。これで家族に会えるんだぞ」
言いたくないのか、マリーは下を向いて黙っている。
その姿に、無性に腹が立った。
「何か言ってくれよ。マリー。もうお別れなんだ。俺達がゆっくり出来るのは今だけなんだ。俺は、俺は今をマリーと楽しく過ごしたいんだ」
ああ、もう何を言ってんだ。
こんな恥ずかしいこと言うなんて絶対俺はどうかしてるぞ。
計画だと明るい俺の会話術で、楽しく最後の食事の予定だったのに。
「だって、だって、もう会えないかもしれないから……」
「……」
悲しんでくれたことを喜ぶ自分がいることに、少し自己嫌悪に陥りそうだ。
諭すように俺は言う。
「それは仕方がないんだ。俺とマリーじゃ住む世界が違う。マリーは、マリーはもっといい場所で暮らしていく人なんだ」
そんなことは、最初から分かっていることじゃないか。
俺だって、理屈は納得している。
「泣くなよ。泣くのは全部終わってからだ。家族の前で泣くんだ。それは悪役の仕事じゃないんだ」
「でも……でも!」
マリーの頬に涙が流れる。
俺は鉄骨の上に立ち上がって、マリーの目を見たまま、見渡す限りの世界を指さした。
「なら、言ってくれ。楽しかったって、俺といて、楽しかったって。俺の師匠が言ってた。言葉には力があるんだ。マリーが言ってくれれば、それで……それで俺には十分だ」
今が一緒にいられる最後の朝になるのは、確定したことだ。
だから、せめて――
「俺は、マリーと一緒にいたことを楽しい思い出にしたいんだ」
俺の言葉に、マリーが大粒の涙を浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。目元を拭い、立ち上がる。
風に吹かれて下に落ちないかとても不安だ。
唇から言葉が零れ落ちる。
「楽しかった
「そうだ、もっと大きな声で」
マリーが体をくの字に折り曲げて、全力で叫んだ。
「楽しかった‼」
小さな子供の声が、人のいない大地に向かって飛んでいく。
「怪盗さんと一緒にいられて、楽しかった‼」
疲れたのか、マリーは息を切らして俺を見た。
何をしてほしいのか、なんとなくわかった。
俺はマリーの隣に立ち、二人して大きく息を吸う。
「「楽しかった‼」」
全世界に宣言するみたいに、俺とマリーは二人して叫んでいた。
鉄骨の上にへたり込み、顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
まったく、こういうのは悪役の仕事じゃないんだけどな。
さぁ、計画を実行しよう。
たとえ、明日一人になるとしても、マリーを家族のもとへ返すんだ。