第3話 悪役屋さんは悪役をつらぬき通す
その日の午後、王都の第1階層の大通りで、1つの事件は起きた。
「お前ら動くんじゃねぇ!」
子供独特の甲高い叫び声が、繁華街に響き渡る。
道を歩いていた大勢の人が動きを止め、声のした方を見た。
くすんだ茶色の髪に、破けてツギハギだらけの薄汚れた服を着た少年が、一目で富裕層の令嬢と分かる金髪の少女の首筋にナイフを突きつけ、道の中央に立っていた。
***
マリーの首にナイフを当てたまま、俺はギフトを全開に発動させて周囲の様子を探っていた。
よし、人が集まってきた。早く警察を呼んで来い。
んで、連絡を受けたマリーの親が来れば上出来だ。せっかくマリーの顔を見せてやってんだから、さっさと来い。
道を歩いている奴らはようやく俺が本気で暴れていると理解したらしい。
動揺が広がった。警察を呼べ、という声もする。
人ごみの中に、マリーを泣かせた黒服が見えた。誰も動き出さない中、黒服の一人が人ごみをかき分けて前に出てきた。
「君、その子を離すんだ! こんなことをいして、タダで済むと思っているのか?」
「うるせぇッ‼ 説得してる暇がありゃあ、こいつの親を呼んで来い!」
マリーの首筋に玩具のナイフを突きつけて、俺は叫んだ。マリーは俺の腕の中で、震えている。
そりゃそうだ。あの黒服が目の前にいるんだからな。
「安心しろ。マリーの父親が来るまで、絶対に離さねーから。そのまま震えていろ」
マリーに演技は期待していない。
それに、黒服を怖がって本当に怯えているから、演技する必要もない。大通りで数分か黒服と睨み合えば、警察らしき人間が何人か駆け寄ってくるのが見えた。
よし、まず第1段階クリア。
警察のいる前でマリーを連れ去ろうとはしないだろう。それに、奴らは俺とマリーが友達だってことを知らない。
この事実を知られる前に、次の手を打つ。
「こいつの親に伝えるんだな。娘の命が惜しければ、金貨1000万枚用意しろ!」
その金額に、観客がどよめいた。
マリーは綺麗な女の子だ。その子が薄汚れた子供に人質に取られているなんて話題性は十分にあるはず。印象づけは終わったから、後はむやみに人目に付かないようにしないと。
「クソ、怯えてんじゃねーよ。これでもかぶってろ!」
「キャッ! な、何するの!?」
フードをマリーの頭にかぶせ、顔を人目から隠す。
ゆっくりと後ろに下がりながら、タイミングを図って、俺は細い路地にマリーを連れて駆け込んだ。クソ、マリーの父親はまだ来ねーのか!
4日前に娘が行方不明になったんなら、裏で探してると思うんだけどな!
入り組んだ路地を何度も曲がって逃げる。何度目かの角を曲がったところで、俺は視界に違和感を感じた。
わからないが、危機感が体を突き動かす。俺はマリーを抱きかかえて横に跳んだ。
銃声が響き、炎が俺の真横を通り過ぎる。
おいおいおい、洒落になんねーぞ。
街中で魔法具使うとかどんな馬鹿なんだよ。それとも、そんなにマリーを逃したくないのか?
「安心しろ。マリー。必ず守ってやる」
体の下で震えているマリーを抱きかかえるように立たせ、小さな手を引いて走り出す。
大丈夫だ。俺は悪役。
絶対にモブに屈するもんか!
背後から俺達を追いかけてきた警察官の声が聞こえる。魔法具が使われたのは音で分かったらしい。応援を呼ぶ声が俺の耳に届いた。
俺はマリーの手を引いて走る。
「マリー。まだ走れるな?」
「が、頑張る」
「その意気だ。このまま街を抜けて、街はずれの廃屋に立てこもるぞ。マリーの両親が来れば、それでマリーは安全だ」
息の粗くなってきたマリーが必死に足を動かす。途中から、俺はマリーを引きずるような形で走っていた。魔法具の攻撃は時々飛んで来てるけど、当たる気配はない。
問題は、マリーだ。
この逃走劇は、12歳の女の子にはきついらしい。とうとう、マリーの足が止まった。俺は文句はいわない。一番悔しそうな顔してんのがマリーだからな。
マリーが足を「動け」と言わんばかりに叩いている。
仕方ねーな。俺はマリーを抱え上げた。
緊張と疲れで吐きそうだ。歯を食いしばって足を前にだす。あと少しで目的地のはずだ。
「首に手を回せ。怪盗はお姫様を抱えて盗み出すもんだ」
お姫様に走らせる怪盗は怪盗じゃない。
街の中心から外れていくにつれ、古い建物が多くなった。人通りも少ない。おかげで、背後の喧騒で追いかけてくる大人たちの大体の場所が分かる。
街中知り尽くした子供に大人が勝てると思うなよ。
そして、とうとう俺は王都第1層の端の端、街から空の方へすこし飛び出した廃屋にたどり着いた。屋根に穴は開いて、窓は破れている。
室内は埃だらけだ。
「後は、マリーの親が来るまで籠城するぞ。食料は昨日の夜に運んでおいたからな。捕まんなけりゃ2日は持つぜ。水も少し多めに用意したから、身体拭くくらいは何とかなる。だから、マリーも頑張れ」
言いながら、侵入できないようにバリケードを作っていく。
一方を空に面し、街から少し離れたこの家は、中から見張りをするのに絶好の建物だ。黒服だろうが警察だろうが、俺に気づかれずに来れると思うなよ。
俺はマリーに背を向けたまま、壁に近づく。壁に背中を預けて窓枠から少し顔を出した。
おーおー集まって来やがった。警察が20人以上いるな。その奥に、暇な一般人がいて、その中に、いらない黒服がいる。
まだ、マリーの両親らしい人は来ていない。
その時、背中の激しい痛みに俺は顔を顰めた。クソッ、やっぱ一発くらい当たってたか。
マリーが俺の様子の変化に、変な顔を浮かべていた。今怪我がばれるのはマズい。
「安心しろ。ここまでは計画通りだ」
「う、うん。この後、どうするの?」
この後……この後か。
マリーにこの廃屋に来るところまでは説明しているが、ここから先を俺はマリーに話していないし、話すつもりもなかった。
確実に、本当に確実にマリーを両親の所へ届けないといけない。
数分間黙り込んでマリーの追及を逃れる話題を探していた俺は、場違いな高級車が猛スピードで走ってきたのに目を止める。
来た。やっと来やがった。
騒ぎを起こしてから1時間近くが経つ。ようやくお目当ての人が現れた。
つーか、マリーの家金持ちすぎんだろ。あの車、いくらするんだよ。
高級車からはマリーと同じ金髪の、クソ、男の俺からみてもダンディなおっさんだ。警察の奴と話をしているみたいだけど、すぐにこっちに目を向けた。
「……お父様だ」
「オトウサマ?」
一瞬、同じ国の言葉とは思えなかった。難しい言葉をマリーは知ってる。
「アレがマリーの親父でいいんだな?」
笑顔でマリーは頷く。希望で瞳はキラキラしていた。
マリーの親父は警察官から離れてこっちに歩いてくる。廃屋から少し離れたところで、両手を広げた。娘が人質に取られてるのに度胸あるな。
「君に危害は加えない。約束の金貨1000万枚も今日中に手を付くそう。だから、娘を解放してもらえないだろうか?」
交渉か……望むところだ。
「解放したら俺を捉える気だろ? このガキと金貨1000枚と交換だ」
「本当に娘は返してくれるのか?」
「金貨1000万枚持ってきたらな!」
「いいだろう」
清々しい即答だった。
「ただし……その提案を受ける前に、娘の無事だけでも確認させてくれないか? 私も君を信用していない」
「……いいだろう」
俺は窓枠から離れ、マリーに向き直る。
「マリー。今から怖がるふりをしてくれ。絶対に俺の顔を見たりするな」
「う、うん」
「そんなに固くならんでもいい。後は俺が上手くやる。この2日間。お前と一緒にいられて楽しかった」
マリーは何か言おうとしていたけど、俺は別れの挨拶をするつもりはなかった。悪役がお姫様と別れの挨拶とか、アホ過ぎる。
俺はマリーの首筋にナイフを突きつけて、廃屋のドアを開ける。
「お父様!」
悲痛な叫び声をあげて、マリーが親父に手を伸ばした。
「ナイスな演技だ。なんだっけ? 主演ジョユウ賞が狙えるぜ」
「しゅ、主演? 主演は怪盗さんじゃないの?」
うっかり口に出したせいで、マリーが小声で俺に質問した。
「勘違いするなよ。この舞台の主役はマリーで、俺は単にマリーの人生を輝かせる悪役だ。これはマリーが主演の人生だぞ」
小声で言葉を返して、俺はナイフを首筋に当てたまま、じりじりとマリーの父親に近づいていく。
人ごみの中に見える黒服が動く気配はない。
「ほら、愛しの娘と感動のご対面だ。これで充分だろ? お前がヘマしない限り、コイツが傷つくことはねーよ。コイツの命はお前次第だってこと忘れんな!」
と、その時だ。予定通り、廃屋が崩れた。
それはもうあっけなく、このタイミングで崩れるのと突っ込みたくなるタイミングで崩れた。
マリーの親父もマリーも驚いている。何より驚いた顔を浮かべているのは俺だ。これで逃げる場所がなくなったんだからな。
逃げ場所のない悪役が逃げる方向は一つ。都市の端だ。焦った表情を浮かべ、俺はマリーを連れて外縁部の方へ後ずさる。
「やめろ、その先は崖だ。空に落ちるぞ!」
「うるさい! 近づくんじゃねぇ!」
マリーは黙っている。恐怖で言葉もしゃべれないようにみえるかな?
よし、ここらでいいだろう。
俺はナイフを握る手から力を抜いた。マリーが怪訝な顔して俺を見上げる。
「じゃあな、最後に怖い思いさせて悪かった。達者に暮らせよ。あ、そうそう。俺、これでも几帳面なんだぜ。色々準備してるから、まぁ、心配すんな」
「な、何を?」
「場所は空中都市の端、人質を抱えた悪役の末路なんて、これに決まってんじゃん。そうだ、マリーはいいとこの家の子なんだから、ちゃんと新聞読んだり勉強しろよ。社会ジョーセーは知らないと大変だぞ」
まだ俺の言ったことが分かっていないマリーを余所に、俺は注意深く地面の様子を探っていく。ギフトがあるとはいえ、失敗するわけにはいかない。
じりじりと王都第1層の外縁に近づいていく。
残り5歩の距離になったところで、
「あッ!」
マリーが石につまずいた。
子供の俺に急にバランスを崩したマリーを支えることは出来ず、俺はマリーを見捨てて逃げるように走る。事態が急転したことに、後方の人ゴミの中から悲鳴が上がった。
警官と父親がマリーを保護しようと一斉に駆け出す。
そうだ、それでいい。
これでマリーは大丈夫だ。
俺は切羽詰まった表情を作りながら、外縁部で立ち止まった。そこから1歩でも進めば、宙に投げだされ大地へと墜ちる。
俺はマリーを見た。
警察に保護され、彼女の父親がマリーを抱きしめている。マリーも父親を抱きしめて、そして俺を見た。
さぁ、仕上げだ。あくまでも意地汚く、
「チクショーッ! お前ら金持ちなんて皆勝手にすりゃいいんだッ!」
俺の目が、風を捉える。突風にバランスを崩したように、俺は倒れた。足が外縁部から外に出た。地面で小さくバウンドした体は転倒の勢いを殺しきれず、俺の身体が王都の外に投げ出される。
警官が走り出した。
俺が落ちようとしているのを見たマリーが必死の形相で父親の手から逃れようと暴れていた。俺に手を伸ばし叫ぶマリーを、父親が何と抑えている。
そうだ、もう娘を離すなよ父親さん。
マリーの目尻に涙が浮かぶ。
あーあ、やっぱ俺悪役だわ。女の子泣かせるとか、悪役にしかできないしな。
本当なら数秒もないはずの時間は、やけにゆっくりだ。ギフトが最大限働いているのか、駆け寄る人の数、俺の落下速度、風の流れが手に取るようにわかる。
その場にいる全ての視線が俺に集まっていた。
最後に少し笑って、俺は彼らの視界から消える。
下は白い雲海で、大地は見えなかった。
***
その日、王都の第1層で子供が起こした誘拐事件は、子供が王都から落下するという結末で幕を閉じた。人質にされた女の子に怪我はなく、警察の対応も問題にされなかった。
犯人の子供の死体を探すために、いつになく大規模な捜索隊が繰り出されたものの、死体が発見されることはなかった。