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行きはゆるやかなのぼりだったから、帰りはゆるやかなくだりだった。
杖の先についたマスコットが、むき出しのおでこをぺしぺしと叩いている。
もはやどちらがどちらを支えているのかわからない。ほぼ同じ背丈になった杖に、先ほどまでとは別の意味で歩きにくそうだった。
手を貸そうとしたら拒まれた。ばあちゃんなりのプライドなのか、女心はおれにはわからない。
おれは、ばあちゃんの少し後を歩いていた。
お日さまはまだ空にあった。
雲と、ばあちゃんの白い頭を赤く染めている。
なぜ帰りの道のりは、行きの道のりよりも短く感じられるんだろう。
実際にかかった時間は同じくらいだと思うのだが、あっという間に、並木道の出口あたりまで戻ってきた。
ちょうどそのとき、ひときわ強い風が吹いた。
ざあっと大きな音をたてた風は、道路の隅に降り積もっていた花びらの山を乱して、宙へと舞い上げた。花吹雪だ。
おれはきつく目をつぶった。
途端、くしゃみが出た。
ずずずと鼻をすする。
一年を通して何かしらの花粉に反応するおれが、今日一日マスクなしで平気でいられたことが奇跡なのかもしれない。
誰かに話したい。今日一日の報告をしたい。たくさん出会った不思議について。
少し興奮しながら顔を上げると、少し前を歩いていたはずの後ろ姿が消えていた。
「…… ばあちゃん?」
唖然とした。まさか、タンポポの綿毛が風に飛ばされるんじゃあるまいし。
幸い、ここから駅までは一本道だったが、小さな子どもの足であの一瞬にたどりつけるような距離ではない。
おれはそう思って、近くの、ばあちゃんが立ち寄れそうな小道などを覗いてみた。
探せど探せど見つからなくて、だんだん範囲を広げ、駅に行き、結局は桜の大木の下まで戻った。
とっぷりと日は暮れて、夜になっても、ばあちゃんはどこにも見つからなかった。
ばあちゃんがいなくなった。
と、慌てて家に電話をかけたら、そうなのよ、と母ちゃんの憤慨した声が聞こえてきた。
またいなくなったのよ、と。
「聞いてよ、おばあちゃんたら電車に乗ったのよ。まあ、すぐ切符持ってないのを乗務員さんに見つけてもらえたからよかったけど」
「…… 今、ばあちゃん、どこにいるって?」
「はあ? だから、ここにいるわよ」
ここ、って?
電話越しに説明されてもいまいちぴんと来なかった。
とりあえず早くうちに帰ってくるようにと言われたので、そのとおりにすることにした。
自分の目で確かめないと、わからない。
さびれた駅の、たった一つしかない改札には、朝の、若い駅員がまだいた。
人員不足なんだろうか。おれは余計なことを考えたことは悟られぬように、声をかけてみた。
「あの、小さい子どもが一人、ここを通りませんでしたか? もしくはおばあさんが」
「おばあさん? と、小さい子どもさん?」
「おれと朝、一緒にいたんですけど」
若い駅員はおれの言葉を不思議そうな面持ちで聞いてから、一つの答えを返した。
「でも今朝はきみ、一人だったよね?」
明日は学校さぼるなよ、と苦笑いされながら、切符を切られた。
家に帰るころにはあたりは真っ暗闇に包まれていて、遅くなったことを母に少し叱られた。
どうやら学校をさぼったことは気づかれていないようだ。学校から連絡がいかなかったんだろうか。不思議だ。
そして、母が電話で言ったとおりだった。
ばあちゃんは、部屋にいた。
おれが帰ってすぐ着替えもせずに、ばあちゃんの部屋に入っていくのを、驚いたように見ていた母の目が印象的だった。
窓を開け、縁側に腰かけていた。
その小さな背中を見た途端、ほっとした。
よかった。おれの知っているばあちゃんだ。
月が明るい夜だった。
窓から風が迷いこんでくる。けれど、まだ夜風は肌寒い。
ベッドの上に半てんが置いてあるのを見つけて、肩にかけてやった。
ばあちゃんは振り向いておれの顔を見て、微笑んだ。
銀歯が見える。話しかけても、あのつやのあるきれいな声を聞くことはできなかった。
そうなんだ。そういえば、今日みたいなことは、ずいぶんと久しぶりのことだったのだ。
あんなふうにばあちゃんと言い合いをするのは。
ばあちゃんのタンポポの綿毛のような髪は、今はほどかれて肩まで流されている。
手ですくってみると、その隙間からはらりと一枚、白い花びらが落ちたような気がした。
おしまい