代償
霊域の森の番人・凍夜は、ある雨の日に行き倒れの少女・香音を助けた。
そんな凍夜は、香音に生涯一度の恋をした。
凍夜は、責務を果たすべきか、恋を選ぶか葛藤する。
彼は、結局どうするのか、なにを選ぶのか。
余命、幾ばくもない薄幸な少女・香音と霊域の番人である彼との切ない交流記。
薄暮れの森の中に、火が走る。
火、といっても、決して火事のように大きなものではない。
鬼火だ。
今宵は上弦月‐―‐‐現世と黄泉の境がなくなる晩。
上弦月の晩には、年に一度の祭りがある、異形たちの祭りが。
この鬼火は、その為の知らせなのだ。
霊域の番人である、凍夜の元にも知らせが届いた。
「ったく、そんな気分じゃねぇのになぁ」
霊域の森の最奥にある、古木の根本に伏せていた凍夜は、ゆっくりと重い腰を上げた。
月明かりが木々の狭間を抜けて、照らされて仄白い地面に、ストライプを映している。
月を見あげてから、そっと歩き始めた凍夜の姿がするすると変化していき、映された影がの伸びあがる。
一瞬間のうちに狼ではなく、銀の髪の青年に変わった凍夜が、そこにいた。
ゆるく吹いた夜風に、背中まである銀髪が鮮やかに閃く。
「あの魔女なら……どうにかしてくれるかも、知れないな」
思い詰めたように呟く凍夜。
凍夜はあの日の別れ際、きれいに笑った香音が、忘れられずに悩んでいたのだ。
自分は、霊域の守護をする者‐―‐―人と関わり、あまつさえ恋をしてしまうなど、以ての外だ。
分かっているのに、分かっているのに思考が利かない。
果たすべき責務か‐―‐‐恋か。
どうすればいい?
‐―‐分からない。
本当に、どうすればいいのだろう。
行って、教えてもらえるのなら、そうしよう。
止められない想いを、どうすべきか。
魔女なら、それが分かるかも知れない。
案内の鬼火が、肩に揺れている。
それは、まるで『おいで』と優しく、妖しく誘うように。
――‐‐―行こう、魔女の元へ。
森の中心には湖がある。
鬼火は、消えることなく、真っ直ぐに水面に吸い寄せられると、凍夜を巻き込んで消えた。
湖に入ったならば、当然のことで息が苦しくなるだろう。
しかし、この湖だけは例外だった。
ここに、水は存在しない。その代わりにあるのが、外界では湖であり、また、通路の役割も併せ持つ、魔女の空間へと繋がる唯一の道なのである。
門である湖をくぐった先で、鬼火はふわりと揺らいでから、中庭に佇む女性の手のひらに留まった。
光の粉を散らして飛んでゆく鬼火に、凍夜は静かに付いていく。
「ようこそ、凍夜……待っていたわ」
女性が、くるりと振り向いて、薄く笑う。
柳腰で、足元まで漆黒の髪を流した彼女こそ、この空間の主人である魔女・ライカ=グロリアだ。
「……教えてくれないか、ライカ」
「代償として、それなりの『なにか』をもらえるなら」
なにを、とも問わず、ライカは俯きがちに呟いた凍夜に言った。
「ならば、これを」
凍夜は、掌に握りこんだ物を、ライカの手のひらにのせた。
手のひらに乗ったそれは、さりさりと銀の光をこぼす。
「あなたの、牙のようね……使いである人狼の牙で霊力の源、たしかに受け取ったわ」
「こんなモンでよければ、いくらでも。それより頼むライカ、教えてくれ! 俺は禁忌を犯しているんだろうか?」
「……恋をしたのね、凍夜。そう、相手は……この娘なの」
ライカは、しばらく黙ってから、そっと呟く。
ライカの左腕にある水晶の釧が赤く輝き始め、まるで陽炎のようにその姿を映し出す。
ベッドに横たわる香音は、ひどく辛そうで、荒い呼吸を繰り返しては、譫言のように凍夜の名を呼んでいた。
「香音、苦しいのか、しっかりしろ!」
「ムダよ、届かないわ」
必死に、映し出された幻に話しかける凍夜に、ライカは窘めるように言う。
「この子は、もう幾ばくも余命が残っていない。残念だけど、この流れは変えられない……変えてはならない」
「いやだ! そこを、どうにかしてくれっ……掟破りなのは分かっている、愚かな俺の命に免じて、頼まれて欲しい!」
凍夜は、血が滲むほど、きつく拳を握りしめて魔女・ライカの足元に跪いた。
「って、いつもなら言うわね。いいでしょう、代償も受け取ってしまったし……叶えましょう」
「ホントか!」
「リスクがある、それでも、いいのね?」
パッと顔色を変えた凍夜に、ライカは鋭く人差し指を突きつけて、宣告した。
「リスク?」
「あなたの正体が、この子……相手に知れたとき。その恋は終わる、それが条件よ」
「なっ!? そんなっ……い、いや、頼む、やってくれ」
目を剥いて、身を乗り出す凍夜。しかし、射抜くような、それでいて見透かされるようなライカの瞳に気圧され、静かに再び頭を垂れた。
「その願い、たしかに承ったわ……凍夜、あなたはそろそろお戻りなさいな。もうじきに夜明けよ」
「そうか……ならば戻ろう、頼んだぞ、ライカ」
「ええ」
凍夜は、門を潜った。
魔法陣が輝いて、一瞬間のうちに、光の渦が凍夜を包んでしまった。
柊邸の最奥‐―‐―香音の部屋。
殺風景な間取りの、海の見える窓際のベッドに、香音は一人横たわっていた。
部屋の白い壁に、月光に照らされた海の色が移って揺れる。
ふと、眠る香音の傍に、ふわりと金色の蝶が舞い降りた。
‐―と、蝶の形がするすると解け始める。
闇の中に、光の粉を散らしながら、艶やかな黒髪が揺らめいた。
ライカだ。
ライカは、くるりと踵をきって舞う。その度に、銀の光がサラサラとさんざめく。
「これで……あなたは自由になるわ。それが幸か不幸かは、あなたが決めるのね」
眠り続ける香音から、黒い煙が上がる。
それは、くるくると毛糸でも丸めるかのように、ライカの手の中に収まった。
黒い煙は‐―‐―香音の中にあった、邪気…病魔なのである。
「形ある者は、いつか必ず、崩れるが定め……長らえた今を、大事に生きなさい」
そう告げて、ライカはいつの間にかに、跡形もなく消えていた。
枕元に残された、凍夜の牙のネックレスが、どこか寂しげに輝いていた。
ご無沙汰しておりました、こんにちは、維月十夜です。
『Bear of love』も第4部となりました。
書いていて、はっと気づいたことは……同じなんです!
私の名前と、彼、『凍夜』の名前の響きがっ。
のぁ〜っ、何て失態をっ(T_T)
書いていて感じた違和感って、これだッ丹だぁ……くすん。
ここまで読んでくださった読者さま方には、感謝感謝です。
これからも、精進して参りますので、是非謁見の程を。
長文失礼致します、それでは。