act7 「ささやかな反抗」
ウルシード士官学校 第二AAVSシュミレータルーム 1030時
sideout
訓練生用の変換装備でぐったりとしている一団がそこにいた。
そう、今日は対G試験その他に合格したAAVS操縦者の卵達がはじめてシュミレータに挑戦したのである。
日本の蒼佐波家を本家とするブルーリバー家次期当主、アクセリナもまた、グロッキー状態だった。お家芸の水系治癒魔法を使う余裕もないくらいに。
「アクセリナあ、治癒して治癒ぅ」
シャルドネが顔を真っ青にしてそうぼやく。ヴォレットがそれに続くと、回りから早速「お願いしますぅ」の大合唱が始まった。
アクセリナは腹立たしく思いつつ、自分の弱さにすっかり辟易してしまった。蒼佐波に名を連ねるブルーリバー家次期当主のこの私が、シュミレータでここまで虚仮にされるなんて。
吐き気を堪えつつ、ブレスレット形態の非人格型デヴァイスにどうにか魔力を通す。
水系治癒魔法《アクア・リフレッシュスピリット・フィールド》、発動。
この魔法は先日の《ピンポイント・サイレント》同様、フィールド系に分類される魔法だ。ちなみに彼女の《アクア・リフレッシュスピリット・フィールド》のレベルはB。仕様制限はほぼ問題ない。
魔法を発動すると、だんだん気分が楽になっていく。
このフィールド系魔法は人間の人体を直接治すものではないのだ。スピリット、と言うように人間の精神または神経に作用するのである。
「……う゛~、楽になったあ」
アクセリナが吐き気を感じなくなってきた頃、彼女がわざわざ魔法を使わないといけない状況を作り出した張本人が背伸びしつつ漏らした。ちなみに礼はないらしい。
その事に軽くへこみ、ため息をついていると、不意に背後の扉が開いた。
「ベネディクト、御苦労様」
背後で苦笑いをする気配がした。
蒼佐波スウェーデン分家ブルーリバーの長男で、アクセリナの双子の弟にあたるベネディクト・ブルーリバーが扉を閉めながら「一応気配消したんだけどな」とぼやく。
「全然消せてないわ」
「え…、そうかい?」
たじろぐベネディクトを尻目に、またため息をつく。
まったく、この弟は。いつまでもそんなことしてるから私が次期当主になっちゃったんじゃない。実力は私より上の癖に。
ひとりぷくぅ、とふて腐れていると、いつの間にか背後にいたベネディクトの気配が消えていた。
あれ、と背後を横目で見ても、ベネディクトの姿がなかった。
なんだ、これだけか、つまらないな、と思いながら、シャルドネ達が巻き起こす喧騒を遠巻きに眺めた。
楽しんでるなあ、とまたため息をついていると再び扉が開いた。
「…っ!?」
直後、驚くほどに冷たい感触が首筋に走った。
目を見開いて、背後を見ようと振り返ると――。
「……!?」
また、さっきと同じ感覚が、おでこに走った。
涙目になって見上げると、ベネディクトがドリンクを持って立っていた。余裕を含んだ笑みで。
「……、何よ、“蒼佐波和也”」
「蒼佐波の屋敷でなければ僕はベネディクトだよ、“巫”」
ひそひそと、そう二人は囁き会う。
ひそひそとしなければ言えない名前をここで持ち出すという禁忌を犯した二人は、敵に向けるような眼光をそれぞれ向ける。
「蒼佐波は、僕がもらう。そして純色族を配下において見せるよ」
「…出来るかしら、貴方に。次期当主候補にも上がっていないのに」
すると、ベネディクトが真っ黒な笑みを浮かべた。
「単純にして解明な答えが時には転がっているものだよ、巫」
そのやり取りをエストレアは黙って聞いていた。
場所はシュミレータ管制室。扉の向こうではCP将校訓練生のベネディクトらブルーリバー姉妹の姿があるのが《ペリ・スコープ》越しに見えた。
どうやら、喧嘩らしい。
「……」
彼女の顔にはいつもの可愛らしい姿はない。ただ、無表情がそこに存在するだけ。
姉は知らないだろうが、エストレアは知っている事があった。次期当主として。
「……ふ」
彼女は静かに笑った。猛毒な笑みで。
おそらくあの双子の喧嘩のお陰で――。
思考が、停止する。
そこにいたのはいつもの可愛らしいエストレアだった。
ウルシード士官学校食堂 1920時
sideステラ
「いやあ、キツかったなぁ」
「確かに」
シャルドネのぼやきに、控えめな笑みを浮かべてエルウィッシュさんが続いた。珍しいことにあのポーカーフェイスなキルシュまで頷いている。
私もそれに頷きながら、フォークを手に取った。
「キルシュまで頷くとは…予想外だなぁ」
「どういう意味だ、シャルドネ? 私とて人間だ。疲れるさ」
明らかな不機嫌を表したキルシュは、つんと顔を背けると乱暴にフォークを操り、マカロニを口に放り込む。フォークの穂先が軽く曲がったのは気にしない。
「あははは…、マジで受けちゃった」
「キルシュは真面目だもん」
苦笑するシャルドネを見つつ、レタスを頬張る。ちなみにドレッシングは今流行りの“食べるラー油”だ。
「だよねぇ。…お、エストレアちゃんのやつ美味しそう、何てゆうの?」
シャルドネは落胆したと思ったら、今度は我が妹の食べ物に興味が移ったらしい。
エストレアは少々緊張しつつも、喋り始める。
「これは日本の焼きそばです。私はソースですが、塩味もあるそうです」 ほうほう、と頷きながらシャルドネがエストレアの皿から焼きそばの具(豚の細切れだと思われる)をフォークでつついて食べていた。脂身も関係なくバリバリ食べる。シャルドネ、無駄に筋肉を作る気なのだろうか。
「にしても、流石は二期生でした、ハルフォーフさん」
会話に乗れなくなっていたエルウィッシュさんに、キルシュが無表情ポーカーフェイスでそう誉める。
「え、そうでしたか?」
食べる手を止めて、キルシュを見るエルウィッシュさん。うわ、キレイだ…。
「はい。幻覚系にはあのような攻撃方法があったとは驚きです」
あのシュミレータの後、ぶっ倒れたAAVS操縦者に腹をたてた教官は、ごつい顔をさらにごつごつにして追加訓練、つまり模擬戦をさせたのである。
成績は私たちA-207Bが一位、二位がヴォレットたちA-207Cだ。
お陰でヴォレットとは一悶着あったばかりだ。さらにそのヴォレットを倒したのが二期生のエルウィッシュさんだったのが余計に問題だったのは言うまでもない。
「あれは、アイデアとしては前からありましたよ。私の家系は幻覚系魔法でして、前からあのような攻撃方法が主流であるとその本家の方が言ってました」
「へぇ……」
「黒崎家の家系ですか」
シャルドネはともかく、キルシュが目を丸くしていた。
当然だろう。魔法の祖たる“純色族”の中で幻覚系魔法を唯一継承“していた”家は私たち一般兵士の間でも有名だ。
「それはないんじゃないの? 黒崎家って御家断絶している筈だし」
そうなのだ。黒崎家は本来ならもう“消えている”筈なのだ。だが、未だに純色族に名前を轟かせている。その謎は純色族に纏わる七不思議のひとつに数えられているらしい。
「えっと、皆さんのいう通り、黒崎系の家なんですが、私は分家です」
「えっと…じゃあ黒川とかその辺りかな」
「人の家系を探るのはマナー違反ですよ」
七不思議のひとつに数えられている黒崎家の関係者に出会って興奮して捲し立てようとするシャルドネをキルシュはぴしゃりと遮る。
再び不機嫌を表したキルシュの前に座る私は、正直ビクビクものだった。
「ちぇ…。つまんないの」
しかしシャルドネはまったくそうは思っていないらしかった。
ぱくりとエストレアとトレードした(あるいは摂取)焼きそばを口に放り込み、不満そうに唸ってみせるシャルドネを尻目に、好物のソース焼きそばを奪われ涙目になっている妹を見やった。
先も言った通り、エストレアは私たちのCP将校、つまりサポートだ。今回はエストレアの指揮もあり勝てた。私的にエストレアのサポートとエルウィッシュさんは私たちの双璧だと思う。
そう思いながら、私は食べるラー油がついたレタスを口に入れるのだった。
ソビエト連邦?? 同時刻
sideout
樺太を防衛するソビエト連邦軍を双眼鏡に収め、まじまじと眺める銀の少女はソビエトから盗んだ新型機の掌の上で欠伸を噛み殺した。
――つまらない。こんなものか。
実に退屈だった。
「ほんとに、ここにいるの?」
双眼鏡を目から離さず、少女が呟く。
すると、変換装備に仕込まれているレシーバーが自動作動した。
『ええ。粗方間違いないはず。目標はここに配属された。少なくとも、2ヶ月前までは』
彼女たちは数日前まで、ソ連はともかく、国連でも“ツインズ・ダガー”と呼ばれるエース操縦者だった。単座でエレメントを組んでも、希少な複座に乗ってもその戦闘力は世界でも指折り。乗る機体がソビエト製ならなおさら彼女たちは強かった。こと近接戦に関しては。
それ故異動が多かった。
ところが、何故か数日前まで、つまり逃げだす前まで、2ヶ月以上彼女たちはフィアトラーカ中将の元に留め置かれていた。
その事を二人は疑問視しつつ、ふたつの計画の――正確に言えば“クチラトーニァ”製造計画――主戦力、つまり開発操縦者として活動していたのだが、ある日自分たちに纏わるある話を知ったのだ。
その真実を消し去るため、銀の少女は紫の少女と共にソ連を後にした。これも国のためだ。
『――の為よ、だからもう少し、我慢してちょうだいね』
「うん。党の為『党なんて…関係ないよ』…え?」
銀の少女は困惑した。紫の少女が思わずお茶を濁していることも、耳に入らないくらいに。
――党は、関係、ない……?
背中がぞくりとするような寒気を少女は感じる。
――うそだ、そんな訳ない。私たちは、いつだって党の為に戦っているのに。
無意識に身体が震えた。言葉ににならない嗚咽が漏れる。
――党は、関係、ない……うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだうそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ、うそだ――。
『ううん、党の為に私たちは――』
もはや、少女はただの子供だった。
優しく語りかけてくる通信機越しの紫の少女の声も、耳に入らない。
だから、基地から飛んでくる魔弾にも気づかなかった。
紫の少女は見た。
銀の少女から吹き出る鮮血を。
ウルシード士官学校1208時
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ヴイジャジンスカは裏の部下、英雄カリウスと共にいつもの研究室にいた。
旧世代のカリカリとうるさいコンピュータや非効率な内部機関コンプレッサなどがあるアナログな部屋の中で、カリウスは申し訳なさ一杯の心中を隠そうとせず、いつもの通信用ノートブックを起動しにかかる。
うるさいだろうなあ、外の人たち寝れるんだろうか、と同情せずにはいられない騒音の中で、さらにうるさい博士にカリウスは恨みのこもった目を向けた。
嬉々と騒ぎまくっているヴイジャジンスカはそんな彼のことなど露知らず、持ってきた段ボールを開けている。
「おおー、これが「博士、近所迷惑です」……うーい」
エアロックの扉がしまる音がカリウスの耳に入る。
「エルーシャちゃん?」
「博士、フィカーツィア・コズロフスキー中佐から伝言です。夜なので静かにしてください、とのこと。それから、私もコズロフスキー中佐に同意します」
無表情にそう言いのけるのはヴイジャジンスカの腹心の部下、エルーシャだった。
普段感情を表に出さない彼女の怒り顔を見るに、おそらく彼女の部屋がこのすぐそばで、常にこのレトロな騒音とヴイジャジンスカの感情がよくわかる熱狂に悩まされていたのだろう。御愁傷様だな、とカリウスはノートブックの起動の遅さにイライラしつつ思う。
そして副官というなの秘書であるコズロフスキー中佐は多分、ここからすぐそこのヴイジャジンスカ執務室に隣接する控え室で仕事をしていたのだろう。つまり、エルーシャと同じクチだ。
「うー、エルーシャちゃん、いつになく怖いなあもうっ」
「……とにかく、近所迷惑なんです。それに、彼が可哀想ですよ」
そう言って悪戯っぽい瞳でカリウスを見るエルーシャ。
感情を表に出すことがない彼女だが、今日は怖いくらいに上機嫌らしかった。
真夜中にいったい何があったんだろう、と心の中のデフォルメカリウスが首をかしげる。
たまたま同じことを思ったらしいヴイジャジンスカが「あれ、でも意外に上機嫌?」などと目を光らせてエルーシャに問うた。
「秘密です。博士に知られればあとが大変ですので」
なにやら余程嬉しい出来事があった――もしかしたら、あるの方かもしれないが――ようだ。
くるりと踵を返していくエルーシャを見て、カリウスは何か嫌な予感を感じる。あとで絶対何かをねだってくるだろうな、とその予感を感じて思った。
と、そこでいつもの安っぽいストリングスが流れ出した。
ようやくか、と椅子を回してホームポジションに指を置くカリウス。
まずはいつもの情報屋からきたメールを専用のアプリで呼び出す。
ヴイジャジンスカが分布不相応な胸を揺らして肩越しに画面を覗く気配を感じつつ、パスロックを解除。
電子署名や幾重にも張り巡らせているセキュリティを乗り越え、ようやく展開完了。その間、4分。
そして、目を疑った。
「樺太? なんであんな偏狭が?」
そう言ったのはカリウスかヴイジャジンスカ、定かではない。
「……。これって」
「ええ。ここの“ラストーチカ”を堕とした、“グラチカールタイプ”ね」
荒い画像に映る鋭い二眼。通常型よりシャープな装甲。
間違いなく、この前の残骸から苦労して回収したセカンドメモリーにあった、“グラチカール”だった。
ウルシード士官学校 とある寮のシェアルーム0530時
sideステラ
「シャルドネぇ、早く起きてってば」
「んーあと1時間だけぇぇ……」
「ダメだよ。キルシュの雷、じゃなくて暴風が飛んでくるよぉ」
シャルドネは軍人を志す女子にしては珍しい低血圧。つまり、朝がとにかく弱い。
起床ラッパ30分前だが、私たちシェアルームを使用する者たちの朝御飯は自炊だ。食堂を使うものもいるが、ごくまれである。
シェアルームは特性上、女子に割り当てられることが多く、普通の二人部屋や四人部屋は男子に割り振られる。
その女子向けシェアルームにはキッチン――それも、かなりの設備である――がある為に自然と朝が自炊になる。
故に、朝の食堂は男子の聖地なのである。
「ほら、当番でしょ」
私は朝からそんな嫌な聖地に行きたくないので、本日の調理当番であるシャルドネを起こそうと躍起になっているのだ。
しかし無情にもシャルドネはごろごろと寝返りを打つばかり。
普段は温厚な私も流石に業が煮えてきた。
「……ブライドスター、殺っちゃおうか」
と、青筋をたてて魔力パスを解放しようとする私だが。
《いけませんよ。せめていつもの殺傷力のない魔法にしてください。ただし弾はこちらでひとつに限定しますが》
私の相棒、“ブライドスター”は冷静だった。
魔力パスを通している故、私の思っていることは“彼”にも伝わった筈だが、どうやら彼は私と同じ思いではないらしい。
魔力パスから通った魔力は彼に仕込まれている“緊急霧散“によって、具現化する前に霧散した。
魔力素が煙のように霧散すると、それに反応を示してシャルドネはうっすら目を開ける。
ようやくか。というか緊急時じゃないと起きないのかな。
《起きてください、ミスシャルドネ》
ブライドスターの声に唸りながら身を起こすシャルドネ。
身を起こしてから、ぼへぇぇとする彼女に私はため息をついた。朝からまったく、たいしたトラブルメーカーだよ。
「はぁ、朝からまったく……。おはよう、シャルドネ? 今日は当番だよ?」
私の言葉を聞いた途端、シャルドネの寝惚けた半眼が大きく見開かれた。
なんだろう、亡霊を見たとでも言いたそうな顔をするのは。
なんでだろう、冷や汗びつしりになってる。
「……」
「……?」
「……えー」
「………?」
そして、この沈黙。
その、地味にイタイ、
「……ゴメンなさいッ! すっかり忘れてましたッ! スミマセンッ!」
………、神様、なんでこんなひどいことするんですか。
結局、嫌な聖地に出向く羽目になったのは良いことなのか、悪いことなのか。
男子たちで一杯な食堂を縫って歩きながらつくづくそう思ってしまった。
その原因は、つい数分前に遡る。
「あ」
食堂についた途端、ぽっと擬音が付きそうな速さでキルシュが赤面した。
その珍百景を見て、思わずルームメイトであるシャルドネとエルウィッシュ――ヴォレットはあの後、部屋の交換申請書を出してエストレアと同室となった――と顔を見合わせた。
それでなんとなくキルシュの目線を追ったところ、彼がいたのである。
そう、元131訓練中隊所属の、あの男だ。
納得して、早速私たちは行動に移った。
つまり、彼――スヴェン=エリク・アンドレアス・メランデルを食事に誘ったのである。
「よし、席空いた」
シャルドネがトレイを持ってさっさと男子の山へと飛び込んでいく。
その後を遠慮がちにエルウィッシュが続く。
その光景に怯み、急いで“む、負けていられないよ。うん、いこう”などと気合いを入れ直す。
そうして気合いを入れてから、男子の山に入る。イタイ視線の濃度が増すが、ここは我慢。
そそくさと私たちは席につくと、早速質問を開始した。
「で、付き合ってるの?」
シャルドネがいきなり直球で本命を言う。
すると、やはりというか、並んで座るキルシュとスヴェンは赤い顔をさらに赤くなってしまった。
素直なのはいいけど、順序とかちゃんと考えようよ。聞ける話も聞けなくなるじゃん。
そう思ってシャルドネを睨むと、アイシングで“ゴメン”などとおどけて見せたので軽く足を踏んで強制的に反省させる。
「えと……」
いきなり訪れた沈黙に耐えかねたようにスヴェンさんが口を開くが、やっぱり要領を得ない言葉ばかりだった。
私としてもまた、沈黙に耐えかねてそわそわしている。
私はそんな感じの悪い沈黙から、どうやって抜け出そうかと必死に話題を探すが、そんな都合の言い話は頭のデータベースにない。
だが、沈黙は続かなかった。
私の苦労は徒労に終わった。
「おはようございます」
エストレアだ。
おお、流石は私の妹だね。グッドタイミング。
密かに私がガッツポーズをとっているのがバレていないらしく、エストレアは男子の視線をスルーして腰を下ろした。ガッツポーズがバレたら説教というな名の模擬戦が始まるに違いない。
「あれ、ヴォレットは?」
と、そこでシャルドネが当然とも言える疑問を口にした。
先も話した通り、エストレアとヴォレットは同じシェアルームである。つまり、自炊しているのだから、わざわざ食堂に来る必要がないはずである――まあ、今回のように食材を申請し忘れたりしたなら話は別だが――。しかも、エストレアだけ、というのもおかしい。部屋が一緒なのだから普通は一緒に食事をとるはずだ。
「なんか、居づらくて……。ヴォレットさん、怖いです、ほんと」
どうやら、ヴォレットが原因らしかった。
確かに前の模擬戦で二期生に負けて怒っていたが、これは完璧に八つ当たりだろう。
だってエストレアは私たちに的確なアドバイスや指示をしただけなのだ。まあ、今思えば的確すぎる指示だった気がしなくもないが。
「ありゃー、相当ご機嫌斜めみたいだねぇ、お洒落番長様は」
「みたいだね。ヴォレットって一度本気で怒ったら長いからなあ……」
シャルドネの無責任な言葉に同意しつつ、ほとぼりか覚めるまでは放置しか手がないな、と言外に込める。
「……食べ終わったら、殴りにいきます」
と、そこでキルシュが赤面モードから復帰して、悪魔の笑みで爆弾を落とした。キルシュが敬語になった時点で爆弾が出てきたも同然なので、正確にいうと爆弾に火が着いた、になるのか。
「……うー、キルシュがそう言うと冗談に聞こえないからやめてほしか「冗談ではありません」……、へ?」
目をバチクリと瞬きさせる。スヴェンさんが青ざめているが……、御愁傷様だね。
「えと、でもさ。今ここで問題を起こすのはどうかと……」
「そ、そうだよ、キルシュ? せっかくここまできたのに」
エストレアがひきつった笑みを浮かべてキルシュを宥めようと声をあげる。勿論続いた同意の声は私。
しかし、短い付き合いとはいえ、今まで一緒にいた仲間だ。私は、彼女がこの程度で矛を収めてくれるとは思わなかった。
「問題はありません。風系魔法は隠密戦闘に長けています」
そういう問題かよ。
……とは、誰もツッコまなかった。ツッコんでも流されるの、誰の目から見ても明らかだったらしい。
再び訪れる沈黙。
気まずいったらありゃしない。誰かしゃべって。誰の口からも声は出ていないが、そう訴えているのは明らかだった。無論私も。
しかし誰もがそう思うせいでこの気まずい沈黙が続いている。皆さん、話題作りに協力してよ。
「……確かにそうかもしれないけど、幻覚系魔法や精神干渉系魔法ほどじゃないわ」
と、いきなり無言を貫いていたエルウィッシュさんが口を開いた。どうもこの人は食事中は食べるのに夢中で喋らないらしい。
「……ッ!」
「あと、誤った使い方はをすると得なんてしないんじゃないかしら」
そう言って、紅茶を啜るエルウィッシュ。
先のやり取りの事と、その可憐さに皆、呆気に取られた。だって、いつもの暖かな印象の彼女とはかなり違って見えるから。今の姿はまるで、触れたら切れる果物ナイフのようなものだ。
「そ、そうなんだけど……、なんか、怖いですよ、エルウィッシュ?」
「そうですか? 私には解りません」
エストレアが大量の汗を掻いている。おそらく、冷や汗。
「……エストレア、本当に不憫な立場だ」
涙目なエストレアの惨状を見て、思わず素直な感想を漏らしてしまった。ギリリ、という視線が突き刺さってからその失言に気づき、最近やたら多いような気がするため息をひとつ。
「……ごめん。つい口を滑らせた」
「別に。確かに今の私は不憫だし」
涙目で項垂れながら、エストレア。
あとで機嫌どうやってとろうか、と思いながらフォークをつつく。献立は、スクランブルエッグ、サラダ、オニオンスープ。スープの匂いが食欲をそそる。
「……おほん。なんかいろいろ険悪すぎるんですがぁ」
と、そこでシャルドネが持ち前の空気読まないスキルを発動。わざわざ大袈裟なジト目を作ってこの険悪ムードを止めようとようやく動いてくれた。
ナイス、シャルドネ。珍しく役に立ったね。
「えっと……僕もそう思います」
さらに助け船を出したのは新参のスヴェンさん。新参なだけあり、非常に居心地が悪そうだ。
「だね。とにかく、この話は終わりね」
「……、私はそれで構わないわ」
私が話の終わりを持ちかけると、すっかり皿の上を空にしたエルウィッシュが賛成の声をあげる。何故か楽しそうな笑いを含ませているのは……気にしない。
「私もそれでいいです。その……、すごく居づらいですし」
部屋にいても、食堂にいても居づらいかあ……本当に今日のエストレアは不憫である。
「じゃあ……キルシュは?」
シャルドネがそう言って怒り顔で黙り込んでいるキルシュに目を向ける。彼女は、顔をさっきとは別の意味で赤面して、乱暴にフォークを扱っていた。昨日より穂先がひどいことになっている。あとで料理長に謝りにいこう。
「……、ええ、構いません」
明らかに納得していないようだ。
こういう時に頑固になるキルシュを見て、一緒に食事をとっている面子はため息をついた。やっぱり最近ため息が多いのは間違いじゃないらしい。
「……貴方とはわかりあえないわね」
「何故でしょう」
視線が交錯する。
まるで、火花が散っているかのようだった。
その光景は、男子たちの視線をたくさん奪う程殺気だっている。
「魔法は、ただの選択肢のひとつに過ぎない。それに過信するほど自惚れた人は嫌いよ」
「貴方……ッ!」
「それともうひとつ。いくら背負っているものが重くても、人生は……って、これは貴方が気づくべき事ね」
それだけ言って、エルウィッシュは気分を変えるように咳払いをした。
すると、先の殺気はどこへやら、いつもの柔和な笑みを浮かべて、ウィンクをひとつ。
「皆さん、ご免なさい、ちょっと熱くなっちゃったわ」
「う、ううん。そんなことないよ」
シャルドネがぶんぶん、と両手を振る。
素顔(?)を垣間見たせいか、珍しく引いている。
「ならよかった。ご飯を不味くしちゃった御詫びに、今度美味しいものでも奢るわ」
そう言って、エルウィッシュは悪戯な笑みを浮かべるのだった。