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星空の下で

作者: しばえだぬ
掲載日:2025/10/13

近谷涼太は、夏の夜に田舎町の実家の裏庭で星を数えるのが好きだった。東京の会社で働く24歳の彼は締め切りに追われ、上司の曖昧な指示に苛立つ日々を送っていたが、この小さな町の静寂に身を置くと、都会のノイズが遠のき、星々の光が彼の心に空白を作った。その空白は、涼太が自分自身と向き合う唯一の時間だった。

ある蒸し暑い夜、シートを広げて星を眺めていると、隣の家の暗がりから声がした。

「こんな時間に、星でも盗むつもり?」

少し揶揄するような、軽やかな声。振り向くと、隣に越してきたばかりの藤井美咲、22歳のイラストレーターが立っていた。彼女は、肩に掛かる髪を無造作にまとめ、絵の具のついたスニーカーを履いていた。

「盗むってほどじゃない。ただ、見てるだけ。東京じゃ、こんな空は見られない」

涼太は少し身構えながら答えた。美咲はシートに腰を下ろし、膝を抱えて空を見上げた。

「ふーん。星ってさ、誰かに見られて初めて意味を持つのかな。それとも、ただそこにあるだけ?」

彼女の問いは、子供のようで、どこか哲学的だった。

その夜から、涼太が帰省するたびに二人は裏庭で星を見た。美咲は絵本作家になる夢を語り、彼女のスケッチブックには未完成の星空や動物たちが踊っていた。涼太は、クライアントの無理難題や同僚のマウントに疲れた話をこぼした。彼女の笑顔は、まるで星の光が地上に落ちたようだった。だが、涼太は気づいていた。美咲が時折、胸を押さえて息を整える瞬間を。彼女は

「暑いとちょっとバテるんだよね」

と笑って誤魔化した。

ある夜、美咲が言った。

「涼太、流れ星見たら、何を願う?」

涼太は星空を見上げ、言葉を探した。

「…この空白が、ずっとあればいい。考える時間、迷う時間。」

美咲は少し目を細めた。

「空白、か。いいね。でも、私なら、空白を埋める何かを願うかな。物語とか、色とか。」

彼女の指が空をなぞり、まるで星をスケッチするようだった。その瞬間、涼太は彼女の存在が、自分の空白を静かに埋め始めていることに気づいた。

夏が終わり、涼太は東京に戻った。美咲とのLINEは続き、彼女のメッセージは都会の灰色を彩った。だが、ある日、彼女からの返信が途絶えた。不安に駆られた涼太が実家の母親に電話すると、衝撃の事実が待っていた。美咲は心臓の持病が悪化し、入院していた。彼女は幼い頃から心臓に負担を抱え、最近は絵を描く時間も減っていたという。

涼太は仕事を放棄し、田舎町へ戻った。病院の無機質な部屋で、美咲は小さく微笑んだ。

「ごめん、涼太。星、見に行けなくなった。」

彼女の声は弱々しかったが、目は星のように光っていた。涼太は言葉に詰まり、ただ彼女の手を握った。「いいよ。星は、俺が持ってくる。」

その夜、涼太は病院の屋上で小さなプロジェクターを設置した。車椅子の美咲に寄り添い、壁に星空を映し出した。流れ星の映像が揺れると、彼女は笑った。

「涼太、ずるいよ。こんなの、物語の終わりみたい。」

しかし、彼女の笑顔には、どこか諦めのような影があった。涼太は勇気を振り絞り言う

「美咲、俺の願い、聞いてくれ。俺はこの空白を、お前と一緒に埋めたい。どんなに短くても、どんなに遠くても。」

美咲の目は潤んだ。

「涼太…私、空白を残したままでも、いいかな。私の物語、全部は描けないかもしれないから。」

美咲の容態は一進一退だった。涼太は東京の仕事を辞め、田舎町で小さなデザイン事務所のアルバイトを始めた。美咲の病室には、彼女のスケッチブックが積まれ、未完成の絵本のページが風に揺れた。彼女は時折、力の限りペンを握り、星や動物をスケッチした。

「涼太、これ、子供たちに届けて。私の空白、誰かに見てもらいたい。」

ある夏の夜、美咲は静かに息を引き取った。涼太は彼女のスケッチブックを抱え、裏庭で星を見上げた。流れ星が一筋、夜空を裂いた。

「美咲、俺の願い、変わらないよ。空白を、ずっと一緒に埋める。」

涼太は彼女の絵本を完成させ、出版した。それは小さな町の子供たちに希望を届け、星空のように広がった。


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― 新着の感想 ―
美咲さんが書ききれなかった絵本を最後に主人公が書ききったところは少し切なかったけれどとても感動しました!
2025/10/13 17:31 汐見なつえさん推し
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