彼女は笑った。
人は皆、日常の中で不安を抱えて生きている。
テレビに映る犯罪、近所で起こる事件。
それらはいつだって「自分には関係のないもの」と思いたい。
けれど、気づかないうちにその影は足元に忍び寄っている。
雨が降っている道の真ん中で
傘も刺さず不敵そのものと言えるその笑の中にはどこか光をも感じさせた。
ーー『続いてはこちらのニュースです』
そうして始まった毎朝のニュース、突然画面に映ったのはモザイクで始まり赤と黒が混ざりあい、キラキラと光っていた。
『先日〇〇公園にて何者かが遺体を放棄したと見られます。現在、事件は捜査中で犯人は未だ特定されていません。ーー』
心拍数が上がるのがわかった。
その公園が私の家の近く、そして生温い鉄の匂いを薄ら感じる。
”外に出たくないな“
ーーピンポーン
突然玄関の方から2人ぐらいの足音が聞こえた。
「はい」
そこにいたのは男性警察の2人、疑いの目をしたまま笑う彼らは非常に不気味で心臓がぎゅっと冷たくなった。
ーー「すみません。急に押しかけてしまって、こう言う者です。 先日の事件でお聞きしたい事がございまして、」そう言って1人が私と話している間にもう1人が私の部屋をのぞいていた。
「あの、私これから仕事なんですが、事件のことなら寝ていたのでわかりませんよ。私の仕事が終わる時間が19:00帰ってくるのは20:00ごろなので、あの公園はよく通りますが、その時間は何もなかったです。 もう大丈夫ですか?」
そう言って警察を押し除けた。
「はい。大丈夫です。ご協力ありがとうございました。」そういって職務を全うし満足げな顔をし去っていった。
警察が帰ったあと。
私はコーヒーを淹れた。
香ばしい匂いが立ちのぼるのに、どこか落ち着かない。
カップを持つ手が、わずかに震えていた。
会社では、いつも通りコピー機が紙を吐き出し、上司が小言を並べ、同僚が笑っていた。
それでもニュースのアナウンサーの声が頭から離れない。
――遺体を放棄したと見られます。
――犯人は未だ特定されていません。
ランチの時間、同僚が笑いながら言った。
「〇〇公園って近いんでしょ? 怖くない?」
私は苦笑して首を振る。
「大丈夫ですよ、私鈍感なんで」
本当は、何かに気づきそうになるたび、無理やり笑いで打ち消しているだけだった。
帰宅したとき、玄関の前に人影が立っていた。
黒いコートの男。手には小さな録音機。
「失礼ですが、〇〇新聞の者です」
一礼のあと、男は突然問いかけてきた。
「公園の事件、よく通られると聞きました。あの日の夜、どこにいらっしゃいました?」
心臓が跳ねた。
けれど私は努めて笑った。
「仕事です。疲れてすぐ寝ましたから、何も知りません」
男は一瞬、私の目を覗き込んだ。
その瞳の奥には、妙な確信めいた光が宿っていた。
「……なるほど」
そう呟いて背を向ける。
だが去り際に、振り返って小さく笑った。
「あなた、あの匂いに気づいてましたよね?」
「え?」
私は男の空いた手に目をやった。
黒い手袋越しに漂う匂い――あの時と同じだ。
もう一度、男の目を見た。
男は口元に笑みを浮かべ、「それじゃあまた、来ますね」と言い残して去っていった。
ドアを閉めた後も震えは止まらず、心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響いていた。
黒い手袋の匂いが鼻に残っていた。
私は何度も手を洗ったが、落ちない気がした。
翌日、帰宅するとまたあの男がいた。
「しつこいですね」
私が吐き捨てると、男は笑った。
「仕事ですから。それに……あなたには、まだ聞いていないことがある」
その言葉が胸に刺さった。
私はただの住人だ。それなのに、なぜ彼はこんなにも私に執着するのか。
疑われている。私は無関係なのに。
「……もう来ないでください」
震える声でそう言ったが、男は録音機をポケットにしまい、
「では、また」とだけ答えて立ち去った。
冷たい雨粒が窓を叩き始めていた。
胸の奥で心臓の鼓動が止まらない。
何かが迫っている――そう感じた。
翌日
雨が止む気配はなかった。
街灯の下、傘もささずに立っている男がいた。
「……またあなたですか」
私が声をかけると、男は静かにうなずいた。
「これで最後です。答えてください」
雨粒が間を切り裂くように落ちる。
男の手には録音機。赤いランプが瞬いていた。
「あなたは現場にいた。そうでしょう?」
私は首を振った。
「違います。私は何も知らない」
「嘘だ。あなたの近所の証言もある。あの匂いに気づいたのは、あなただけだ」
胸の奥がざわめいた。
私の声は雨音にかき消されそうだった。
「……もうやめてください」
男が一歩踏み出した瞬間、世界は赤と黒に染まった。
雨がすべてを洗い流していく。
男は笑った。
――やっぱりそうじゃないか。
私は無言で刃を引き抜いた。
その感触に、胸の奥から込み上げるものがあった。
雨と血が混じり合い、アスファルトの上できらめいていた。
男の体が崩れ落ちると、手袋が外れかけ、濡れた地面に落ちた。
拾い上げた瞬間、私は息を呑んだ。
それは、私があの夜に使って、ゴミに紛れ込ませた手袋だった。
「……返してくれたのね」
口元が勝手に笑みに歪む。
捨てたはずの罪は、とうに誰かの手に渡っていた。
私は刃を拭い、膝をついた。
臓器をひとつずつ取り出すたび、雨が血を洗い流し、宝石のように輝かせる。
それを整然と並べ、濁りを消す。
空洞となった胸腔は、まるで額縁だった。
そこに男の頭部を収めると、作品は完成した。
赤と黒、そして雨の銀色。
夜の街灯が照らし出すそれは、私だけのモザイク画だった。
ーー「こんなに美しい作品が見れないなんて、みんな可哀想。」
背後で足音と拍手が聞こえた。
振り返ると、二人の警官が立っていた。
「……やはり、あなたは特別だ」
「完璧です。美しい」
彼らの瞳は熱に濡れていた。
逮捕するどころか、観客のように讃えている。
私は雨に打たれながら心を込めて
ーー「ありがとう」と
彼女は笑った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
あなたは彼女の光を読み取れましたか?
雨は止まない。
今日もどこかで、同じような笑みが浮かんでいるのかもしれない。
ニュースに流れる「未解決事件」の文字は、決して真実を語らない。
そして明日もまた、誰かの鼓動が静かに奪われるだろう。