幽霊
「あなたも空を飛びたいの?」
唐突に僕の隣から声が聞こえた。
先ほどまでは誰もいなかったはずなのに隣には一人の少女が座っている。
「あなたで150人目。なんだかゲームに出てくるモンスターの数みたいね」
少女はクスリと笑い少しこちらに目をむける。真っ白なワンピースに麦わら帽子と、どこか良家のお嬢様というような雰囲気を漂わせている。
「今は151匹以上いるだろあのゲーム。ていうか誰だあんた?」
「私? 私は幽霊よ」
明らかな嘘をつかれた。
「それにしてもバカなことするわね。こんなところから飛び降りるなんて」
彼女の見つめる先には断崖絶壁、このあたりで自殺の名所といわれているほどの崖がある。僕はここから飛び降りようと思っていたところをこの少女に呼び止められたのだ。
しかしこの少女も自殺希望者だろうか。いや、もしかすると本当の幽霊なのか? 今から死ぬ僕にしか見えないとか。
「幽霊としてもなぜこんなところにいるんだ?」
といったところで気付く。ここは自殺の名所。つまり彼女は昔ここで命を落とした一人で何か未練を残してここに残っているとか。
「好きなように考えてくれてかまわないわ。ところで、あなたはまだ私の質問に答えてないのだけど?」
質問、というと彼女が始めに僕に話しかけてきたときのものだろうか。空、確かに昔は空を飛びたいと願った時もあった。しかし、今となっては人間が生身で中に浮く事など出来るはずがないとわかっている。
「死ねば魂だけになって空に行ける。そして鳥のように遠く飛んでいける。そう思ってここから飛び降りた人もいたわ。でもね、生きていても死んでいても関係ないの」
少女は真っ青に染まった夏空を見上げた。ずっと微笑んでいた彼女の顔が少し曇ったような気がした。
「気持ちの問題なの。空を飛びたければ飛行機に乗ればいい。早く移動したければ車に乗ればいい。人間は物に頼ることで夢をかなえる事にした。『飛行機に乗らなければ空を飛ぶことができない』そう考えるようになってしまったのよ」
「だから死んでも空を飛べないっていうのか?」
彼女が真面目な口調で話しているためなのか、それとも単に死ぬ前に少しだけ付き合ってやろうと思っただけなのか僕には分らない。しかし少しだけ興味をそそられたのは確かだ。
「そうよ。夢を失った魂は永遠に天には昇れないし生まれ変わることもできないわ。この世にとどまるか、混沌とした闇の中に堕ちていくだけ」
「だからここで死ぬのはやめておけと、君は僕にそう言いたいのかい?」
「そうね、でももう手遅れでしょう。死んでしまっても失う者は何もない。そんな顔をしているわ」
少女は悲しそうな顔でそういう。始めの微笑みはすでに跡形もなく消えてしまった。ああ、さっさと僕が飛び降りていれば彼女をこんな顔にさせなかったのに。少しだけ後悔したが、いまさらどうしようもなく、また、決心が揺らぐこともなかった。
「最後に一つだけ言っておくけど、その崖から飛び降りるのはやめた方がいいわ」
そう言われても他に思いつくところもないし、今から別のところに移動する気も起きない。僕はゆっくりと前方の断崖絶壁に向かって歩き出す。
「忠告はしたから」
呟くような声が後ろから聞こえたが、僕は構わず前進する。
あと三歩で全てが終わる。そう考えると人間の命っていうのはすぐに消えるものなんだな。
あと二歩で崖から落ちる。頭の中にはだれの顔も思い浮かばない。あれ? 僕の大切な人って誰だっけ?
あと一歩。崖下を見下ろす。そこには海面からゴツゴツした岩がいくつも伸びている。確かにここから飛び降りたら死なない方がおかしいな。
「ん?」
そこでその中に岩以外の物を見つける。
それは自分の死体だった
「だから言ったのに。これであの人も混沌の闇へと堕ちていくのね」
男が消えた空間を見つめたまま少女は呟いた。彼女の言葉を合図にしたように、後ろから黒いスーツを着た初老の男性が姿を現した。
「お嬢様、お迎えの準備ができております」
男の言葉が聞こえていないのか、彼女はピクリとも動かない。
「夢を持ったままの魂は天へ行く。そして夢を失った魂はこの世に留まり、自分の死を自覚することで闇の中へと堕ちていくのよ」
あれだけ晴れていた空は厚い雲で真っ暗になっていた
思いついたものをつらつらと書いていっただけなので、オチなど全体的にベタな感じに仕上がってしまいました。誰かの暇つぶしにでもなっていましたら幸いです。