吉田さん
この村には殺人鬼が居る。家庭用のどこにでもある包丁を凶器とし、寝込みを襲う殺害方法。被害者に共通点はなく性別や年齢もバラバラ。
犯行は決まって雨の降る夜に行われる。ここまで素性が分かっているのに未だに捕まっておらず、噂は住民まで届いている。
10人以上を殺害しながらもこの村に溶け込む事から、皆は殺人鬼のことを村で一番ありふれる名字『吉田さん』と呼んでいる。
「だからぁ!これだけの証拠があるのに何で立件できないの?!」
「えぇ・・そうは言われましても僕一人にそこまでの権限はなくてですね・・」
「だったら県の人間を呼びなさいよ!」
「被害者が出ているのは確かかも知れないが、一件一件不透明すぎるとお指摘を受けまして・・・」
「なら早く調査を進めてくれる?!それか犯人を直接捕まえて!!」
「はい・・」
今日も村唯一の交番からは不安からくる怒号と、頼りない返答をする松田さんのか細い声が聞こえる。
放課後ここに足を運ぶのが僕の日課だ。
「今日も大変そうですね」
「涼太君。毎日情けない所をごめんね」
「見慣れてるんで平気です」
「ははは・・・面目ない」
「それで?今日も何か有益な情報があるのかい?」
「今日は情報というより考察です。僕なりに考えを整理してみました」
授業中に作った各事件の時系列や特徴をリストアップした見開きページを元に、僕と松田さんは語り出した。
松田将吾。この村で唯一の交番に勤めるただ一人の警察官だ。本人曰く村に来る前はそれなりに優秀だったようだが、今は見る影もない。吉田さんの件もあり当然村人からの支持は低く、目にする度にクレーム対応に追われている。おかげでこの村に来たのも左遷なのでは?と言われている。だが中学生が考えた意見を真剣に聞いたり、人を選ばず親身に寄り添う点良い人なのは確かだ。また僕のことを名前で呼ぶ数少ない人物でもある。
「犯人は女性説ね・・」
「はい。被害者の中には家族で生活している方もいましたが、翌朝発見するまで気づかれずに殺されています。いくら寝込みと言えど音を立てるのはまずNG。となると身のこなしが軽くないと難しい。あと被害者陣の男性に華奢な体型の方が多いのもポイントですね」
「家族にも気づかれない程の隠密行動、力の弱い男性の被害者か」
ノートを見つめたまま松田さんが黙り込む。空気が冷え静まり返っていくのを感じる。真剣な時の彼は刑事とゆう肩書の説得力が増す。
沈黙の時間が長引くにつれて、僕の鼓動が激しくなっていく。
「あ!またここに居た!」
声の主はようやく見つけたと言わんばかりに、僕に向けて指を指す。
「おぉ小春ちゃん。お迎えかな?」
「おばさんが心配するんで。松田さんもたまには涼君抜きで仕事してください」
「ははは・・すまないね」
「ほら、帰ろ」
「うん」
松田さんに礼を言い、僕は彼女の自転車に乗った。
芹田小春。僕の幼馴染だ。活発な性格で頼んでもないのによく僕の世話焼をしてくる。こうして交番から家まで僕を送り届けるのも彼女の日課だ。
「涼君さ・・怖くないの?」
「何が?」
「その、事件のこと」
「怖くなる時もあるけど、それよりも解決することの方が大事ってゆうか」
「あんな事があっても?」
「・・・」
「あぁ!ごめんね!また私踏み込み過ぎちゃったかな?」
「ううん大丈夫。気にしないで」
気まずい空気が二人を包み込みきる前に、僕の家に着いた。
「それじゃまた明日」
「うん。おやすみ」
彼女に別れを告げ振り返ると、広い庭が母が帰宅していない事を告げる。
ルーティーンのように決まった順番で扉を開閉し、家に灯りを灯していく。
最後につける居間の電気。ここを照らす瞬間がまだ慣れない。指先でスイッチの場所を確認した後一呼吸を置く。
息を吸うと同時に灯りをつける。そこには部屋の中で圧倒的な存在感を放つ仏壇がある。
「ただいま」
僕の祖父だ。
吉田さんの最初の被害者。世間が明るく賑わうGWの初日僕が第一発見者になった。
あまりにも現実離れした目の前の光景に、言葉も感情も驚くほど出なかったのを覚えている。
むしろその後現場に駆けつけた松田さんの方がよっぽど動揺していた。
祖父が殺されてから眠りにつくのが難しくなった。
毎晩布団に入るのはいいものの、長時間天井と睨み合うことになる。
今晩も長期戦になる事を覚悟してトイレに向かう途中廊下の窓を見て僕は足を止めた。
準備を整えながら頭を回転させる。
直前の被害は約半月前。未亡人の寺田さんが殺された。凶器はいつもと同じ家庭用の包丁。犯行時刻はおそらく深夜2時過ぎ、現在は1時前。
松田さんが動いているかは分からないが、連絡したら間違いなく自宅待機を言い渡される。こんな重要な時にじっと我慢してろなんて僕には無理だ。
なにより、自分と同じような被害を生みたくない。それに1人より2人で探す方が効率的かつパトロールにもなる。
まだ仮説に過ぎないがもし吉田さんが女性なら、僕でも対抗できるかもしれない。
とにかく行動しない理由の方が見つからなかった。
深夜・雨の中とはいえ見渡しのいいこの村だと巡回をするのはそう難しくない。
一軒一軒異常がないことを確認する毎に安心感が増していく。このまま何もないことを祈りながら虱潰しに確認していく。
残り数件とゆう時に不自然に二階の窓が開いた見慣れた家が目に止まった。
鼓動が早まり呼吸が荒くなるのを自覚する。緊張と興奮が入り混じる。
玄関の鍵が開いたままだ。僕はなるべく音を立てずに戸を開ける。
家の中は心臓の音が聞こえるほど静まりかえっている。昔来た時からあまり変わっていない家具の配置に安心感を感じる。
僕は息を殺したまま玄関正面の階段を登っていく。一歩一歩踏み込むたびに精神的にも物理的にも何かに近づいていく実感が鮮明になっていく。
木が軋む音。他人の家の匂い。自分の家にはない手すり。五感全てで何かを感じとっている。
部屋の前。階段を登り切った達成感といよいよとゆう高揚感に酔いそうになる。
ドアノブに手を置くと今までとは対照的に思いっきり力強く扉を開けた。
目に見えるのは静かな何の変哲もない誰もいない部屋。窓からは雨が入り込んでいる。
無意識的に歩を進め部屋の真ん中に立つ。
これまで昂っていた気持ちが一気に冷めていく。
どうしようもなく・やるせない。
想定外のことに気持ちのの切り替えが上手くいかないままでいると部屋の物陰から松田さんが現れた。寂しそうな表情のままこう告げる。
「ここまでにしようか。吉田涼太君」