お給料……何とも嬉しい響き
家の表に洗濯物を干して、私たちはようやく二階に戻る。さっさと横になり寝てしまおうとするとフード付きマントを前で結んで着た少女が
「な、何か寒いの。履いてないから下もスースーするし」
身体を冷やしたらしい。そのまま横になった私の懐に入ってきて身体を丸めると
「トーバン、抱きしめて」
と言ってくる。仕方なく両腕を伸ばして軽く抱きしめてやると、すぐに静かな寝息を立てて始めた。私も両目を閉じる。
……
朝日が顔を照らして起きると、未だ少女は腕の中だった。寝息を聞きながらベッドが必要だと思う。他の廃屋を探せばあるかもしれない。
少女を起こさぬように気配を消して起きる。一階でテーブルに広げた乾パンと干し肉をかじりながら、薪と水がいるな。幸い鉄鍋や皿にコップやスプーンは揃っている。しかしやはり手入が行き届いていて怪しい。などと思っているとコツコツと入り口の扉が叩かれた音が聞こえる。
多少警戒しながら扉を開けると、背の低い、灰色のローブを着たみすぼらしい男が立っていた。怪しいが殺気は一切感じない。男は黒いボサボサの前髪で両目を隠した顔で、ニヘラと笑うと
「この家の旦那様でございますね?」
「どちら様かな?」
「わたくし、ビョーンと申しますです。この家に呼ばれまして、ずっと管理をしておりました」
「家に呼ばれた?」
ビョーンと名乗った男は頷いた。
「わたくし、家の声が聞こえますです。この家は朽ちたくない、まだ私には役目がある。とわたくしに泣いてきたのです」
私はもう大体理解した。この男は廃屋を偏愛している変人で、ピッキングで家に侵入して勝手に掃除をしていたのだろう。長年戦場や他国を駆けてきた私は、この手の変人と知り合ったことは何度もある。もちろん利用する術も心得ている。
「ビョーン君、話は分かったが」
「はい、旦那様」
「君はどうやって生活しているのかね?」
ビョーンは恥ずかしそうに
「王都で物乞いをして資金を貯めては、各地で家を助けて周っております」
どうやら正直な男のようだ。見どころはありそうだなと私は
「うちで雇っても良いが、どうかな?」
ビョーンは大きく口を開けて
「や、雇うとは?何をすれば?」
そこで背後の階段からドタドタと
「トーバン!トーバンどこなの!?私を置いていかないで!」
叫びながらマントを身体に巻きつけただけの少女が降りてきて、私の背中に飛びついて抱きしめてきた。
「トーバン!よかった……この人誰?」
私の背中越しに尋ねられたビョーンは顔を真っ赤にして
「おっ……お嬢様……ビョーンにございますです」
「ふーん……ビョーンさんていうのね!私、アサムリリー!トーバンの……えっとトーバンの……どっ……」
奴隷と言いかけた少女を遮り
「私の剣の練習生だ。貴族出身で気位が高いが良い子だよ」
とっさにそういうことにした。
「そっ、そうよ!トーバンは剣技のお師匠なの!」
「ははーっ」
かしこまって頭を下げたビョーンに私は
「ビョーン君、見ての通り、私は練習生を一人しか持たぬ私塾の先生だ。かしこまらんでくれ。稼ぎも元騎士の年金頼みでね。それほど多くは渡せぬが、まずは管理の謝礼として1枚」
ポケットから金貨を取り出しビョーンに渡すと、彼は震えながら
「はっ、初めてです……管理のお金をもらったのは……」
さらに私は金貨を1枚渡して
「これが当面の給料だ。引き続きわが家の管理と掃除を頼む。王都への買い物なども頼むかもしれない」
「おっ、お給料……何とも嬉しい響き……」
さらに1枚金貨を彼に握らせて
「私はこの村を立て直したいが、人手が足らない。君の協力が必要だ」
「ははーっ!旦那様!さっそく提案がありますです!」
「何かね?」
「私!この村に家を一軒もらってよろしいでしょうか!?」
「もちろん良いが、人が帰ってこない家にしたまえ」
「ご安心を!このビョーン!主の途絶えた悲しい家の声も聞こえますです!」
ビョーンはそう言うと深々と一礼して去っていった。まだ背中に抱きついたままの少女が
「トーバン、剣を教えてくれるの?」
「ははは……咄嗟に言ってしまったが、それも良いかも知れないね。何か仕事の真似事もしてみようか」
「ありがとう!家事も頑張るね!」
少女から背中から強く抱きしめられながら私は、何とも言えない気持ちになっていた。まだ騎士団を辞めて数日、まるで何か、導かれるように物事が転がり始めているような気がする。