月明かりは虹色
城の大会議室へ行き、ゲオルグから見せられた第一王女領東部の戦況地図に私は苦笑する。
東部全域に侵入されていて拠点も複数作られている。並の将ならば、とっくにフェアリーフライまで攻め込まれている戦況だ。
「こちらの戦力は千五百、相手は五千、守るには十分じゃが、攻めるには漬け込む隙が無くてのう」
事もなげに言ってきたゲオルグにデリングが
「敵は前のめりですね。……平原でのマルバウ王子程ではないですが。相手の将軍の名は分かりますか?」
ゲオルグが頷くと顔を顰め
「アカネ・ヒラギナという十五の青年らしいわ」
デリングは舌打ちして
「ヒラギナというと共和国の名家ですか。剣の達人が多い家です。貴族の子に戦績を付ける場になってますね」
私がゲオルグに
「十五の子に五千の軍の指揮は無理だ。有能な副官が付いているのではないですか?」
「ああ、ボルソフという老齢の副官が居る」
「……タオ将軍の元副官ですか……」
スキャッタ・ボルソフ
十三年前にクラーク河で共和国軍副将軍だった男だ。彼の重装歩兵上がりの実直で手堅い指揮にはカート共々苦しめられた。共和国軍敗退後は彼が見事な采配で残兵を纏めて退却していった。もう六十五は超えているはずだ。
複雑な心境になる。まるであの時、和解しなかったが故にタオ将軍の亡霊から東部地域ごと祟られているような気持ちだ。
デリングは何かを理解した面持ちで、頷きながら地図を眺めると
「ボルソフは奇策は好みません。手堅い侵攻をするはずですが、全体が前のめりになっているということは、西側に突出している敵陣の、ここと、ここに敵将ヒラギナが居る確率が高いです」
領内西寄りのフェアリーフライと領内東部の中間地点を2カ所指さしてきた。
「副官と仲が悪いと?」
ゲオルグが銀縁眼鏡の奥の眼を光らせ尋ねるとデリングは薄っすら笑い
「その可能性が高いです。そしてヒラギナはこの地、フェアリーフライを直接狙っていますね。南側の突出した敵陣近くのこの大きな山道を通ればすぐです。伏兵をここに集中させるべきです」
ゲオルグは腕を組み
「どうしてもこの町の防備は薄くなる。だが、山道と城周りは固めておこう」
アダムが黙って私を見る。
正直、ボルソフとも戦いたくはないが、悩んでいる状況ではない。
地図上でボルソフの居る位置は分かりやすい。領内東南の大きな平地にあるゼオイド村だ。まともな将軍なら四方に道が伸びているこの要地に必ず本陣を作る。
「ゲオルグさん、私はアダムと、ボルソフを潰しに行きます。間道のご案内を頼んでも?」
ヒラギナはボルソフを潰せば軍を維持できないはずなので、共和国軍の実質的な主将はボルソフだ。情報が遮断されやすい山岳地帯で、統率が乱れている侵略軍なので、土地勘があり強靭なゲオルグと我々2人で敵軍本陣まで行けばどうにかできるだろう。
デリングが薄気味悪い笑みを浮かべ
「良いのですか?ヒラギナの担当は私のみになりますが」
確かに良い判断ではないが、使えるものは何でも使おう。相手は非情な侵略者なので、こちらも非情な選択が必要だろう。
「捕獲して欲しい。ヴァシルとの交渉材料にしたい」
「多少、手荒な真似をしますよ?」
「……任せる。共和国兵士もできるだけ殺さず頼む」
「心得ました。ゲオルグさん、案内役の兵士を2名貸して下さい。経験豊富で口が硬く、腕が立つ老兵が良いです。若者は必要ありません。必ず無事に返します」
ゲオルグは頷き、私に
「こちらもあちらも3名で良いのかね?守備と伏兵に回せる数が増えるのは助かるが」
少し楽しげに尋ねてくる。
「ゲオルグさんがよく防いでくれたお陰で、伸びきった配置図のみで敵軍の底が知れました。恐らく明け方には終わるかと」
彼は頷くと申し訳なさそうに
「アサムリリーさんには黙ったままで良いかな?姫とできるだけ一緒に居て欲しい」
「そうしましょう。我々も若いあの子には、本当は危ない目に遭ってほしくないのです」
ゲオルグと王女の懐柔で、十分、仕事はしてくれた。
城内で軽食を食べつつ、4人で侵入ルートや作戦の手順の確認を入念にした後、出撃準備を始める。ゲオルグは食事中に連絡兵を数人呼びつけ、城の守備と山道への伏兵の配置について細かい指示を出していた。
全員、ゲオルグの用意した黒い装束に身を包み、我々3名と、老兵2名を連れたデリングは同時に城から出発し、別々の方角へ歩き出した。
樫の棍棒を背負った私と、油瓶が多数入った布袋を背負ったアダム、そして革袋を背負ったゲオルグはフェアリーフライ南東から盆地を上がっていき、途中道から外れると月明かりのみを頼りにゲオルグの案内で獣道を進んでいく。
半時間程歩き、黒装束の男が立っている狭い洞穴の前に来るとゲオルグが右手を軽く上げ
「月明かりは虹色」
「川面に映る星空の果て」
合言葉を交わし、男が音もなく横に退く。
ゲオルグは革袋からカンテラを出し、火打ち石で灯すと黙って洞窟へと進み出した。
私とアダムも続く。
洞窟の中を進みながらゲオルグは
「ここから目的地まで3時間と言ったところじゃな」
「夜間の仕事が堪える歳になりました」
私が冗談交じりでそう言うと彼は笑い
「まだまだ若い。そうそう、悪いが姫の命令でアダムさんをずっと監視しておった。近衛兵を辞めた後は見失っていたがのう」
さらっと重要な告白をしてきた。
黙っているアダムの代わりに
「仕方ないですね。それも家宰としての仕事のうちでしょうから」
「ここだから言うが、儂は頑固で有名じゃが、姫には負けるわい」
アダムが思わず噴き出し、ゲオルグも笑い、私はその通りだと先程までのローズ姫の様子を思い出す。
ゲオルグが頑固だと言われる理由も分かる。嘘が無く方針がはっきりとしていなければ、現実感の無いあのお方は守れない。
その様な事情が分からぬと、他者には頑固にしか見えないだろう。
洞窟を抜けると、月に照らされた川辺の近くだった。出口にも黒装束の男が居り
「ゲオルグ様、五十の歩兵隊が北部へ向かいました」
「ご苦労。これからゼオイド村へ夜襲を仕掛ける。夜明けまで戻らぬ場合は城へ報告を」
男は黙って頭を下げる。ゲオルグはカンテラを消し革袋へ戻すと川下を向き、黙って進み出した。当然付いていく。
静かな夜だ。
川に丸い月が映り空を見上げる。満月ではない。
遠くから川辺を進む足音が聞こえ、ゲオルグは茂みを指差し我々と隠れる。
直ぐに川沿いを百人ほどの隊が川上に向け走り去って行った。
ゲオルグは舌打ちをし
「今夜、フェアリーフライを落とす気か」
「……五十、そして百と主将の再三の戦力増強要請に嫌々送っている様な数でした。そこまで心配する必要は無いかもしれませんよ」
私が所見を述べると、ゲオルグは大きく息を吐き
「たしかに。町の存亡はデリングさんの悪辣さにかけるとしようか」
私とアダムは苦笑いするしかない。
彼はデリングのこともよく知っている。
川沿いは避け、ゲオルグは近くの獣道へルート変更した。しばらく歩くと峡谷の間にかかる橋に差し掛かる。蔦で編まれた吊り橋はそれほど寿命は無さそうだ。
我々3人が用心をして1人ずつ通る度に激しく軋み、最後に渡ったアダムが
「もう落ちますね」
「逃走時には有利だね」
「別の帰還ルートもあるがのう」
ゲオルグはそう言うと黙って進み始めた。
月明かりに照らされた谷に沿って北へと進むと、遠くに炊煙や煌々と広範囲に灯火の明かりが見えてくる。明かりは戦争中なのでともかく、この深夜に炊煙は明らかに不自然だ。
「ゼオイド村じゃ。やはり夜間に動きがあるか」
目的地の敵軍本陣に着いた様だ。
歩きながら私が
「では予定通り、アダムが囮で暴れ回り、私とゲオルグさんで貯蔵庫に火を点けた後、敵将ボルソフを倒しに行きますか」
一応、手順を確認するとアダムが
「ゲオルグさん、家屋の被害は気にせず暴れても良いですか?」
先頭のゲオルグは興味深げにアダムを振り返り
「……良いが、それほどかね?」
私が彼の代わりに
「元々は闇闘技で鍛えた男です。私も現役時代何度か手合わせしましたが、中々のものですよ」
「それは楽しみじゃ」
そう言ってゲオルグは笑った。




