可愛い娘さん
その日の深夜、私は村の皆に書き置きを残し、カート達とダイナミス平原へと向かうための準備を始める。元騎士として王国軍が死地へと向かっているのを見過ごすわけにはいかない。
カートによると”偶然”王国軍の名将たちの退役や辞任が相次いでいて、王国軍三万人を率いているマルバウ王子が大将の指令部は、何と平均年齢二十五歳程度らしい。
使えそうな若い将軍はいるかという私の問いに、カートは苦笑いしながら
「もはや第二王女軍くらいだね。だけど最後衛な上に王様からは相変わらず千人超えた兵はもらえてない」
予想通りの答えに私は頷いて
「傭兵団は王女軍にどれだけ潜り込ませている?」
今回の状況でカートならばそうするだろう。非合法な軍として自由に動ける。
「王女に裏で許可をもらって使用人に偽装しても、三百が限界だった」
頷いた私が、革鎧を着込むのを嬉しそうに眺めるカートに
「……料理人がいないが」
「デリングはあっちで偽装の指揮させてる。あいつの教養がないと馬鹿ばかりだからね」
「彼が必要だ」
カートは顔を顰めて
「お勧めはしないよ。うちで飼ってるのも他で迷惑かけないためだし」
「戦場では正否が逆転するのはよく知っているだろう?」
カートはもう答えず窓辺で月明かりを浴びながら
「そのベッド、寝心地良かった。たまに寝に来ていいかい?」
「……」
真意を測りかねて黙っていると
「あんたもあたいもいい歳だ。あたいもソウバリー辺りに傭兵団を譲って……そろそろ……」
月明かりに照らされてこちらを見て微笑んでくる。その清々しい美しさに見惚れていると、静かに扉が叩かれて
「ブロッサムです。言いつけ通り、全員村の入り口に集合してます」
そう言うと気配は消えた。昼間の荒々しさとは別人のようだ。カートは少し残念そうに
「今回の死地を乗り越えたら、話し合おう」
そう言うと扉を開けて、右腕を廊下方向へと向け、ニコリと笑うと
「どうぞ。トーバン臨時顧問様」
私は苦笑いしながら先に部屋から出る。騎士たる者、レディファーストが基本だが、残念ながら私は元騎士でカートはまだ傭兵団団長だ。今は協力要請をしてきた団長に従うべきだろう。
村の入り口でカートが連れてきた傭兵団全員と合流し、静かに村を出て、麓への道を下りていく。
私の持ってきた得物は樫のこん棒のみで、ブロッサムが興味深そうに
「トーバン様は剣は持たないんですか?」
「騎士団に置いてきてしまってね」
真顔でそう答えると、今まで緊張を保っていた傭兵団たちは一斉に爆笑し始め
「おっさん!深夜に小粋なジョーク飛ばすんじゃねえ!」
「その棒でバルボロスのバカを殴るんですかー!?」
「おっさんの夜のバットをヤツのケツに突っ込むに決まってんだろ!」
「それ全然面白くねえぞ!」
「ぎゃははは!バルボロスもたまんねえわ!」
戦士たちとはこういうものだったな、と久しぶりに思い出す。いつ戦場で死ぬか分からぬので一瞬一瞬を全力で楽しもうとするのだ。
できるだけ穏便に収めて全員帰還させたいが叶わぬ願いだろうなと、騒ぐ傭兵たちの中、黙って私が考えていた時だった。
「……?」
一瞬、近くの山林から気配を感じたがすぐ消えたので、どうやら小動物だったようだ。私も久しぶりの戦いに少しばかり気が高ぶっているらしい。
麓には百人程の兵達が灯火を焚いて待機していた。その中から革鎧革兜に身を包んだ、王国軍下級兵の格好をした小柄な女性が駆け出してきて、兜を放り投げ、黒髪でショートカットの頭と地味だが整った顔をほころばせながら
「カート団長!よくやりました!もはや兄上は助かったも同然です!」
こちらへと走ってくる。
まさか、ここまで迎えに来るとは、と面食らった私と苦笑いのカート含め、全ての傭兵達が一斉に跪くと、女性は嬉しそうに私の前まで走り寄り
「トーバン元副騎士団長、引退後の生活の邪魔をして申し訳ありません。今の王国軍にはあなたの力が必要なのです」
私は顔を上げずに
「モーリ王女にその様なお言葉を頂けるとは……」
第二王女モーリ・ローファルト。二十二歳、才知に恵まれすぎたが故、王族主流派から遠ざけられているが、本人は気にする素振りもなく、勉学、そして武道と兵法に打ち込み、女性王族の身ながら十七歳で一軍を指揮するまでになった。私も在任中何度か戦場で会話をする機会があったが、その度に人間としての器が違うという言葉が彼女を評するのに最も的確であろうと思ったものだった。
「さあ皆で!歴史に残るほどの勝ち戦へと向かおうではありませんか!」
王女が声を上げると待機していた兵士達が一斉に呼応して拳を突き上げる。よく統率されている。王女の軍が今回の戦場の鍵なので練度が高いほど私の目論見が楽に進む可能性が出てくる。
王女は我々を立たせると、傭兵達を待たせていた馬車に分乗させ、自分は私とカートと同じ広い傘付きの二頭立ての馬車に乗り込んだ。そして馬車がゆっくりと走り出すと、我々に真顔で
「将として若輩ものの私は、お二人に戦場でのご指南を仰ぎたいのです」
頭を深く下げてきた。カートはにっこり笑って
「トーバン、可愛い娘さんの頼みを聞いてやろう」
「カート……王女様だ」
王女は顔を上げると真剣な眼差しで
「私は素晴らしいお二人が父と母ならば良いと密かに思って生きてきました。どうか、このような私めに戦場での学びをお与えください」
王女の予想外の下手に出た言葉に面食らい、どう答えるか迷っていると、突如、大きな人影に抱えられた小さな人影が馬車に音もなく飛び込んで来た。そして
「トーバン!置いて行かないでって言ったでしょう!?」
少女が……アサムリリーが私の胸にスルリと入り込み抱き着いた。軽装のアダムが両手を上げながら
「怪しい者ではありません。この子に連れて行けとせがまれて」
ニッコリと微笑む。王女は破顔すると
「元近衛兵のアダム!何とトーバンの下にいたのですね!」
「如何にも。王女様、お久しぶりです。その節は大変お世話になりました」
深く頭を下げる。予想外の事態にカートは必死に口を押さえ笑いをこらえている。
私は髪のない頭を触りながら、星空を見上げるしかない。早くも予想外のことが幾度も起こってしまった。まだ戦場へ向かっている段階だが、戦争においては良い兆候ではない。




