ランチにお誘いしても?
瞬く間にジュースを飲み干した少女が恥ずかしそうに目線を下にして、コップを私に突き出してくる。意味は分かる。しかしもう一杯は余計だ。
黙ってコルク栓を瓶に嵌めると
「……トーバン……」
モジモジしながらすり寄ってきた。見かねたビョーンが
「旦那様、お嬢様は……」
私にもう一杯あげてくれと訴えかけてくるが、今後のことを考えると、ここで無闇に高級なジュースを消費するわけにはいかない。既に予算の3倍を使った揚げ句に、これからケンリュウに無理難題をふっかけられるのだ。
店の奥からはリズムに乗った鍛冶の音が響いてくるが、ああいう、明らかにケンリュウの機嫌が良さそうな時は、私に高額な鍛冶代金の代わりに課す、無理難題を考えるのが楽しくて仕方がない時だ。彼とは長い付き合いなのでよく分かっている。
私が口を真一文字に結んで、上目遣いをしながらコップを両手で突き出してくる少女に首を横に振っていると、今度はメアリーが軽くため息を吐いて近寄ってきて
「ご令嬢、一流の騎士を志していると服屋ではお聞きしました。食事のコントロールは騎士にとってとても大切なことです」
「でも……私……今はトーバンのどっ……じゃなくて弟子で……今は騎士じゃない……もん」
メアリーは私に呆れた視線を向けてくる。
ビョーンは真剣な眼差しで私に
「旦那様、お嬢様にもう一杯あげるべきでございます」
「ビョーン君、栄養補給は済んでいる。それにこの後、昼ご飯も……」
少女は急にキラキラ輝く眼差しで
「……ランチ!レストラン!?フルコース!?海鮮!?お肉!?パンは焼きたて!?スープのお出汁は!?」
コップをビョーンに押し付けながら、私に詰め寄って質問攻めにしてきた。今まで苦い顔をしていたメアリーは急に噴き出して、背中を向け肩を震わせ口を押さえて笑い出した。
「いや……行きつけの庶民のお店だよ。フルコースでは無いが、お腹は一杯になると思う」
「楽しみ!すっごい美味しいんでしょ?」
「……味は良いはずだ」
私にまとわりついてニコニコしだした少女に天を仰いでいると、いつの間にか近くに居たケンリュウが意地の悪い笑みを浮かべ
「てめえらが面白すぎて鍛冶が進まねえ!おいトーバン!先にいつものやるぞ!」
「ああ、何でも頼んでくれ、ただ……」
私がビョーンを見ると、ケンリュウは顔をしかめながら
「……そう言うと思ってたぜ。分かってんな?才人用の道具は難しいんだ。打ち直しとはわけが違う」
ほう……初見でビョーンを才人と評したか、さすがケンリュウと思いながら
「2件分で依頼は難しくなっても構わない。なにぶん時間だけはある」
私が苦笑いしながら肩をすくめると、彼はさらに意地の悪い笑みを浮かべ
「アダムが王宮近衛兵辞めやがった。てめえのせいだ」
私はため息と舌打ちが同時に出る。近衛兵は騎士団とは別組織だが、事務仕事で王宮へ出入りの多かった私に、確かにアダムはよく懐いていた。辞職時にそこまでは頭が回らなかった。
ケンリュウは薄ら笑いを浮かべながら
「あいつには出世払いのツケが山ほどある。辞めちまったらもう返せねえよなあ?」
「……何をもらってくればいい?」
ケンリュウは急に嬉しそうに
「おっ、ようやく鋭さがちょっと見えたな。あいつんちの全部貰ってこい。年老いた老婆もだ」
「家も家財も何もかもか?」
「ああ、アダムに誓約書書かせろ。でもあいつの鎧と剣盾は要らんぞ。あとぶち殺すなよ。御婦人が煩いだろう?」
ケンリュウは楽しげにメアリーを見ると、さらにビョーンの方を向き
「てめえ、残れ。工具作るために話し合いをしたい。飯も俺とだ!あと荷車は裏に置いとけ。こっちだ」
「はっ、はい!」
ビョーンはケンリュウに従って荷車を鍛冶屋裏に引いていった。
少女は不思議そうに
「どういうこと?ランチは?」
私はメアリーを見て
「ランチにお誘いしても?」
彼女は微笑みながら裾を持ち、丁寧に頭を下げてきた。了承してくれて安堵する。アダムは私と少女だけだと少し面倒な相手だ。彼女にも協力を頼みたい。
「あああ!これが庶民の味!」
「ご令嬢、個室とは言え声が大きいです」
「ごめんなさい……美味しくて……」
私は苦笑いする。込み入った話をするため、食事屋二階の個室をとって良かった。開いた窓からは王都の大通りがよく見える。目の前には、お茶と炒めたライス、肉の薫製、そして山盛りのサラダが並べられていて、私と並んで座る少女が勢いよく食べている。テーブルを挟んだ席で上品にお茶を飲むメアリーに
「御婦人、アダムは知っていますか?」
メアリーは頷くでもなく微笑んだ。さすが諜報兵、知っているようだ。ならば話が早い。私は移動中に頭の中で組み上げていた段取りを彼女に話始めた。