18.取引
武将、篠坂信成は幼き日の出来事を思い返す。
ある日、海の向こうから、万を超える軍勢がやってきた。青い水平線は船の影で黒く染まり、津波を彷彿とさせるものであった。
それは、蒙古の軍勢。二度もこの日の本へやってきた侵略者。信成は、15歳の時、二度目の侵攻をこの目で見た。
潮の音は、船から響く怒号にかき消される。船が近づくにつれ、銅鑼の音が周囲に響き渡る。あまりの多さから、信成は僅かに後退してしまったことを覚えている。
元々、篠坂家は九州にいた血筋だ。蒙古襲来で武勲も立てた。だが、父の要望もあり、現在は鎌倉よりも北方、東北側の守護代として活動するに至った。
信成の父は、海を見ることを避けた。「あんなものとこれ以上関わるべきではない」という父の言葉を、信成は覚えている。
信成はその心境を理解しながらも、父の選択を逃げだと断じていた。彼が蒙古の襲来を見たのは、二度目の時だけ。それでも、あの軍勢を見て萎縮するのは分かる。だが、それだけではいずれ潰れてしまうだろう。彼は、あの軍勢を押し返せるだけの、圧倒的な力がいずれ必要になると予感していた。
信成は、父の死後に後を継ぎ、管理する立場となってからは、その考えを強めている。
しかし、その力をどうやって手に入れればいいのか。方法が分からず、彼はほとんど諦めていた。
そんな中、信成の屋敷へ訪問者が現れた。
それは二人組の呪術士だった。
一人は老婆。皺が深く刻まれているが、肌は汚れがなく、よく手入れされている。清潔感があるが、それが逆に不気味さを感じさせた。灰色が混じった白髪は丁寧にまとめて下げられている。体格は細身で小柄。一目見ると知識を持つ老婦人としての印象を持つが、醸し出す雰囲気は背筋に冷たいものを感じさせてくる。
もう一人は、外観がほとんど分からない。頭部全体を布で巻いて隠している。顔面には木彫りの仮面を被り、表情を伺うことはできない。肌の露出はほとんどない。衣服の裂けた隙間や、指先から見える肌は、黒ずみ、爛れ、健康的とはとても言い難い状態であった。性別は、服の上から分かる胸の膨らみから、女だと辛うじて分かる。雰囲気は、祟り神を彷彿とさせる。直視することすら躊躇う気配を漂わせていた。
対して、信成は30代と若い。幾度も戦場をくぐってきたため身体は厚く、肌はやや日に焼けている。目は鋭く切れ長。周囲の人々を威圧するような緊張感をまとっていた。
彼女たちは、明らかに普通ではない存在。信成は、門前払いする訳でもなく、呪術士という常識の外にいる存在が、今の自分にない変化をもたらすと期待して屋敷に上げていた。
「まあ、座れ」
信成の言葉で、二人は腰を下ろした。二人が胡座をかいたことを確認してから、彼は言葉を続ける。
「都の呪術士、ではないな? ここまでの旅路ご苦労であった。それで、何の目的でここを訪れた?」
信成は呪術士に問う。その声には明らかに好奇心が混ざっていた。
都の呪術士集団である裏宰。守護代である篠坂家は、裏宰とは手紙でやり取りをしてきた。だが、彼は実際にその姿を見たことはなかった。手紙以外だと、抜き打ち的に様子を見に来ることがある、という噂を聞いたことがあるぐらいだ。
そんな中、目の前に現れた呪術士たち。信成は、彼女たちが何を持っているのか、何を欲しているのか、探りを入れる。ものによっては、何かしらの形で利用するつもりであった。
「私めは、人間を妖怪に変える研究をしております」
老婆の言葉は、信成の求める変化そのものであった。だが、次の言葉から、彼の眉は次第にしかめていく。
「未だ研究途中ゆえ、完成には至っておりませぬ。ですが、金銭面の援助と、人材の提供があれば、必ず完成させましょう。完成した暁には、作り上げた妖怪を、全て差し上げます」
老婆の声は、年相応のしゃがれた声。だが、声色に艶はなく、禅僧の読経のような一定の抑揚だった。
信成は老婆の言葉を聞き、眉間に皺を寄せる。それを見てか、老婆は発言を続ける。
「人材は罪人や、間引く者、他の領地の人間でも問題ありません。妖怪は人を超える能力を持つ傾向にある。呪術士に狩られる印象がありますでしょうが、それは彼らに知識がなかったからに過ぎませぬ」
老婆の提案は、信成にとってそれなりに魅力的に聞こえた。だが、それ以上に、老婆に対する忌避感を抱いた。
いくら妖怪が人間を超える能力を持っているとはいえ、老婆は元の人間のことを何も考えていない。いくら罪人でも、いくら間引く存在でも、いくら他の領地の者でも、やっていいことと悪いことがある。人間を物として扱う態度が、老婆の存在を嫌悪するべきものとして認識させた。
人の心を持たない実験狂い。信成の目に老婆はそう映る。
確かに、信成は力を求めていた。あの軍勢に対抗できる力を蓄えておきたい。今手元にあるのは、僅かな兵だけ。とてもではないが、対抗できるとは思えない。
それでも、老婆の提案を受け入れてはいけない。彼は理性でそれを見定めていた。老婆はおそらく、最悪の場合ためらいなく領内の民にまで手を出すだろう。それは領主としてあってはならない選択だ。
そして、老婆の言葉は、現在確証のないものに過ぎない。未完成の実験を完成させるための代償も計り知れない。代償の割りに合うかも分からないものに、彼は首を縦に振ることはできない。
何故そんな者がここに来たのか。彼は一瞬考えたが、その手を取ることがない以上、意味のない考察だと一蹴した。
「者ども、狂人の戯れ言だ。すぐに追い払え」
信成は低い声で、護衛の武士たちに命令した。彼らは老婆たちを立たせようと近づくが、老婆は隣の仮面の女に声をかけた。
「熾、力を見せなさい」
その言葉を聞き、熾と呼ばれた女は立ち上がった。それを武士の一人が抑え付けようとする。それを意に介さず、熾は武士の一人の首を掴み、片腕で軽々しく持ち上げた。大の大人を、それも一部のみとはいえ鎧を装備している者であるにもかかわらず。
その黒ずんだ腕は細く、信成は彼女の現実味のない怪力に、どういう絡繰りかと考えを巡らす。
臨戦態勢となった武士たちは周囲を囲む。剣先や槍先を二人に向けて、敵意をむき出しにした。
それを感じ取ったのか、見せるものは見せたと判断したかのように、熾は首を掴んでいた手を離す。落とされた武士は咳き込みながらも、熾を睨み付け刀を引き抜こうとした。だが、次の瞬間に状況が一変する。
最初の変化は、掴まれた箇所が黒ずんでいくところから始まった。咳き込みが激しくなり、やがて黒ずみは水疱に変わる。水疱は、瞬く間にその全身を覆い尽くした。苦痛があるのか、首の元に手を当てながらのたうち回る。異常なことが起きているのは明らかだ。
その水疱を見た武士たちは、口を揃えて言った。
「ひぃっ!? 疱瘡!? 疱瘡か!? 皆離れろ!!」
『疱瘡』。伝染力が高く、治療法が見つかっていない致死性の病。
武士たちが散っていったのを見て、老婆は座った姿勢を崩さず落ち着いて口を開く。
「これは疱瘡に似ていますが違います。伝染力の無い、呪いによるものです。罪人の入った牢の中にでも遺体を入れてみれば分かるでしょう」
老婆は表情を一切変えない。老婆は静かに死んだ武士に目を移し、「殺すなと、ここに来る前に言っただろう」と静かに呟く。水疱で覆われた武士は、確かに息を引き取っていた。
武士たちのほとんどは部屋から散っておりほとんどいない。辛うじて残った者も、部屋の隅に寄ってすぐに逃げる準備をしている。篠坂家の者でその場から動いていないのは、信成のみであった。
信成は、その状況を見て生唾を飲み込んだ。確かに見た、人知を超える力。ただの言葉の説明ではない実演。それは、彼が欲していた、あの軍勢を撥ね除ける、圧倒的な力そのものだ。
理性では、老婆の手を取るべきではないと分かっていた。だが、その理性には今や亀裂が入ってしまっている。
「熾は、妖怪化の実験の成功例です。触れた存在を病に冒す、土蜘蛛とでも言いましょうか」
信成は、熾を見る。仮面の穴から見える目は、赤茶けており焦点が定まっていない。それがピタリと彼を捉えた時、彼は萎縮して思わず背後に手を突いた。
「これでもお気に召さないようであれば、我々は役に立ちそうな呪物をいくつか置いて去ろうと思います。一人無駄にした謝罪代わりです」
老婆の言葉に、信成は喉に渇きを覚える。
この者たちを、ここから逃してはならない。そうすれば、きっと求めていた力は一生手に入らないだろう。だが、多くの犠牲を生んでしまうことも分かってはいる。信成は葛藤に苛まれ、口元に手を当てる。今、この場で結論を出さないといけない。
「……待て」
一息つけて信成は、二人を呼び止めた。その目にはギラついた光が灯っている。覚悟を決めた者の瞳。老婆は、それを目の当たりにしても、相変わらず表情を変えることはない。
その老婆の片目が信成の目に付く。その片目は、花の模様を彩った、特徴的で異様な義眼であった。




