17.弔い
目が覚めると、懐かしい雰囲気を感じた。
土の天井。ござが敷かれた背中。全身のあちこちに巻かれた布。
長年暮らしていた横穴も、こんな様子だった。
そうして少しだけぼうっとしていると、唐突にがちりと何かが嵌まったかのような感覚に陥り、反射的に飛び起きた。
全身が軋みながら痛む。傷口が熱い。思わず歯を食いしばり、うめき声が漏れる。
あの後、千歳はどうなった? ナズナは? 朽花は?
そうした考えが頭に次から次へと浮かび、脂汗が流れてくる。一人取り乱していると、横穴の入り口に影が映った。
「真奈? やっと、起きたんか」
普段と変わらない千歳が、作り笑いで私に微笑みかけた。
「ほら、水やで。飯は食えそうか?」
「ありがとう。ご飯の前に、聞いておきたいことがあるんだ」
千歳は私に水の入った瓢箪を渡してくる。汲んできたばかりのようで、瓢箪の表面がしっとり濡れている。中の水を口に含むと、冷たさと染み渡るような感覚に包まれた。飲み干すと、思わずため息が出てくる。
私が水を飲んでいる間、千歳はずっとこちらを見ていた。傷だらけでボロボロの状態だったのだから、心配をかけてしまったのだろう。
私が飲み干した瓢箪を地面に置いたのを確認してから、千歳は話を始めた。
私はあの場所で気絶していたこと。ナズナは見つからなかったこと。襲ってきた連中なのか、倒れている人物が三人いたこと。あれから三日が経過したこと。
「ウチは結界の境界を設定しようとしていたら、後ろから頭をガツーンや。完全に、伸びとったわ。触って分かるぐらいのたんこぶになっとるで。……大事なときに動けなくて、ごめん」
千歳の目線が下がっている。特に悪くもないのに、負い目を感じてしまっているようだ。実際、千歳がいたら事態は変わっていたかもしれない。でも、朽花の性質を考えると、私一人で対峙してよかったと思える部分もあった。
「千歳は悪くない。私からも、奴と話したことを教えるよ」
私は朽花との会話内容を語る。朽花の正体と、奴のあまりにも非人間的な行い。話から得られたナズナの状態。言葉にするだけでも、感情が激しく動いてくる。こんなにも、一個人に対する憎悪を覚えるのは初めてだった。
「そっか……その状態でナズナの姿がないんやったら、連れ去られた可能性が高そうやな」
「奴らの匂いに気付けなかったのも悪かった。多分、しばらく前から観察されていたんだと思う」
「ナズナの体質の事もあったしな。見てくるだけで、真奈を警戒してか近寄らん奴もおったし、その類いと勘違いしたんかもな。起こったことはもうしゃあない。そもそもあんな奴がおるのが悪いねん」
千歳はこちらの背中をぽんぽんと叩きながら励ましてくる。
それが落ち着くと、空気が変わり、自然と朽花の話題に変わっていった。
「身体を乗っ取る呪物、なあ。どおりで術が古臭く思えた訳や。楔を使った術とかも、久々に聞いたな。というか今思い出したわ。嵩張るし、術の仕込みの加工も面倒やから、呪符の作成方法が流通したら即廃れたらしいんよ。と言っても、ウチは実物は見たことないけどな。……あー、そうか。呪物やから自分の血がなくて呪符が作れんのか」
千歳は考え込むように呟く。言われてみれば、朽花が呪符を使った様子を見ていない。カンナや、戦った裏宰の呪術士は呪符を多用していたのに、朽花はそんな素振りを見せなかった。
「そういえばな、倒れていた連中で特に気持ち悪かった話があんねん。白髪混じりの男がおったんやけど、顔が半壊していて、胸元に穴が空いとったんよ。胸の中身は空っぽ。何やったんか知っとる? もしかして、アレが朽花か?」
その言葉を聞いて、それは朽花だと気付いた。そうか、奴の本体を破壊できたとは思っていなかったが、逃げられてしまったのか。
あの場で追撃しておくべきだったか? いや、あのままだと先に私の体力が尽きる。出血も酷かった。千歳の処置が遅れていたら死んでいたのかもしれない。
私の死はカンナの死だ。私の死に際は、カンナの死に際は誉れあるものでないといけない。無駄死にになるのが、一番の最悪だ。ひとまず千歳の元へ向かったのは、正しかったはずだ。
「朽花は、まだいるよ。アレは、必ず破壊する。そうしないといけない。アレを壊さないと、私は死にきれない……」
「真奈、目が怖いで。……それにしても珍しいな、そんな感情を出すなんて」
それを聞いて、眉間に皺が寄っていることに気付く。確かに、こんなことが今まであっただろうか。奴婢だった時、横穴に潜んでいたとき、千歳との日々。どれも、こんな感情を抱いたことが無い。
朽花に対して、私は初めて憎悪というものを抱いたのだと、今知った。
このままだと暗い気分になりそうだから、別の話題を考えた。
「……私の左腕は、どうしたの?」
「ああ、流石にくっつかんかったわ。皮一枚で辛うじて繋がっているような状態やったしな」
私の左腕は、上腕の半分から先がなくなっていた。断面は布でグルグルに巻かれて保護されている。今まであったものがなくなった事による喪失感。それと、恩人であるカンナに対する申し訳なさでいっぱいになる。
「完全に切断して、止血処理した後は術で腐らんように保管しとるよ。見る?」
「いや……動けるようになったら、やっておきたい事があるんだ。それまでは、見ないでおくよ」
ふうんと言いながら、千歳は腕を組んだ。
「ここまで運んだときには誰にも見られとらんとは思うけどな。移動しながら結界張り直しを何度もやって、やっとここまで運んだんよ。この横穴も偽装結界は張っとるしな。せやから、多分回復するまで時間はあると思うで」
そうか、と安心したところで、一つ、千歳に聞いておかないといけないことを思い出した。千歳であれば、何かの見解を考えてくれるかもしれない。
「朽花は、いくら攻撃しても身体が治っていった。アレがどういう理由なのか、推測はできる?」
「治ったぁ!? ……生きている人間で身体が再生するような術は知らん。ウチが知っているのはできても止血程度や。でも、朽花は本体が呪物で、死体を動かしてるって話やったな? それなら一個心当たりはある」
千歳はそう言いながら、生活に使っている短刀を取り出した。千歳が元々持っていたものだ。猟師として肉を加工したり、木材を削り出すのに使っているのを見たことがある。いつのものかは知らない。
それに加えて、千歳は石を拾い上げた。千歳は短刀を、石に向かって打ち付けた。突然の行動に私は戸惑うが、千歳は気にする素振りがない。その刃は目に見えるほど刃こぼれを起こし、まともに使えないような状態に見受けられる。
「それは、何してるの?」
「これ、呪術士の遺体から借りた奴やねん。確か30年ほど前やったかな。こんな風に刃こぼれをしてもな、見てみ」
そうして千歳が刃を見せる。観察していると、ゆっくりではあるが、形状が元に戻っていくのが分かった。千歳の方を見ると、説明をはじめてくる。
「ウチも解析しているんやけど、まだ上手く再現はできてないねん。ただ、分かってんのは結界術の一種であること。結界の構成が徐々に緩んどるから、その内効力もなくなるんやないかな」
「人体には使えるの?」
「多分生きとるなら無理やな。読み取れる構成は、その術をかけた時点の状態を維持するってやつや。生きてる人にかけたらどうなるか分からん。人間に使えたとしても生きたまま呼吸も何もできなくなるんやないか? 朽花の身体にかかっていた術は、ウチが知る限りこれに近いものやと思う」
確かに、死体にこの術がかかっているのであれば、あの再生もありえるだろう。千歳が言う、『構成が徐々に緩んどる』ということから、永遠に続くようなものでもないのか。だから、最初に会った時から肉体が変わっているのだろうか。
「もう一個付け加えるなら、試しとらんけど、思い切り壊したら多分直らんでこれ。結界が成り立たなくなって再生せん。再生しても相当遅いやろな」
「なるほどね。……千歳が解析に時間をかけるなんて珍しいね」
「解析は終わっとるよ。一個再現にきっつい要素があるねん。術をかける対象の状態を全部理解した上で術をかける必要がありそうなんやけど、これが難しすぎてな。なかなか結界を成り立たせられん。物体の強度を上げるだけなら難易度は下がるんやけど」
千歳が軽く舌打ちをする。こんな姿を見るのは久しぶりだ。趣味で木材を削り出している際に失敗してやり直しになった時の機嫌に近い。
「死体に、これをかける……? アホらしいことすんなぁ……。腹立つなぁ……。ウチが普通に使うだけでもまだ上手くいかんもんを……。理論上いけるが……腐っていくもんの状態を全て把握なんて……完全に負けたようで気分悪いわ」
「千歳、私が治って用事を済ませたら、蜂蜜でも探そうか。好きでしょ? 甘味」
機嫌の悪くなった千歳を見かねて、好物で釣ってみる。そうしたらピクリと反応し、ゆっくりとこちらを向いてきた。目の光りはキラキラしており、まるで子供だ。
「約束やぞ、約束やからな!」
千歳は、私の手を強く握ってきた。傷が少しだけ痛んだが、それも千歳の顔を見ると、まあ良いかと思えた。
目を覚ましてから十日後、傷が癒えた私たちは山道を登っていた。しばらく動けなかったせいか、身体がなまっている。片腕もないので、重心を崩しやすい。
「真奈、こんな、山を、登って、何すんねん!?」
「……もうちょっと待って」
後ろの方で千歳が文句を言う。それもそうだ。やりたいことをやるとだけ言って、細かいところは何も言っていないのだから。
私は山を登る間、考える条件に当てはまる物と場所を探していた。それは、あるものを作るのに必要なもの。いつ再訪できるか分からないから、なるべく安定した土地で頑丈そうな物がよかった。
そうして歩き続けていると、開けた場所を見つけた。地面は見た感じしっかりしており、落石なのか岩がいくつか転がっている。
ここなら、目的のものが作れそうだ
「……千歳、ここにするよ」
「うん、そうしてくれると、助かるわ。しんど……」
千歳はストンと座り込み、肩で息をする。無茶をさせてしまったんだ。私も普段より疲れたこともあり、隣に座った。
何も言わないまま時間が過ぎていく。風が吹くと、落ち葉がカラカラと転がる。空は晴れやかで、陽だまりのこの場所は暖かかった。思わず出たため息。今まで色々ありすぎた疲労感が、少しだけ抜けた気がした。
「そろそろ、何すんのか教えてくれん?」
沈黙に耐えかねたのか、千歳が口を開いた。確かに、何も言わなさすぎたと思う。目的の場所に着いたのもあり、もう言ってもいいだろう。
「……カンナの、墓を作ろうと思ったんだ」
正直、今更ではあると思っている。カンナの肉体を奪ってしまってから、何年も経ってしまっている。それまで墓を作らなかったのは、墓石の下に入れるものがなかったからだ。
髪を埋めるのも、形見の短刀を埋めるのも、墓に埋めるものとしては不適当だと思っていた。
「……へえ……何で行く前に言ってくれんかったん?」
「空気が重くなりそうでしょ? ……そんなので山を登ったらもっと疲れそうだし」
「最後のは今考えた取って付けた理由やろ。何いらん心配しとんねん」
千歳の口調は、少し苛立ちを孕んでいた。私はそれに気付くと、反射的に言いつくろおうとしてしまう。
「心配しているつもりじゃ……」
「あんな、お前と何年の付き合いやと思ってんねん」
千歳は私の胸ぐらを掴み、顔を近づけて睨んできた。これは、苛立ちだけじゃない。悲しみも混ざっているかのような目元に見えた。わなわなと手と口元が震え、歯を噛み締めている。
「会ってからもう十年以上やぞ。舐めんな……。そんなのを、空気が重くなるからで黙るなよ! ウチらはそんな程度の関係か!?」
「そう、だね。ごめん」
千歳に気圧され、思わず謝罪が出る。そうだ、千歳とは、そんな軽い関係じゃない。
私の声を聞き、顔を見て、千歳は掴んでいた力を緩める。そして、深いため息をついた。
「分かったんなら、ええねん。で、どうすんの?」
「……どうするって?」
「アホ、墓のことや。埋めんのはどうせ左腕やろ? 埋めただけで終わらせるつもりなんか?」
「それなら、大丈夫。そのために、ここを探していたから」
千歳の口調は優しい感じに戻った。私は、背負っていた籠を下ろす。籠の中をごそごそと探すと、布に包まれた棒状のものを取り出した。
切り落とした、自分の腕。私、真奈の腕でもあり、恩人のカンナの腕でもある。千歳の術の影響か、まだ腐っていないようだ。腐敗臭はしないが、まだほんのり血の匂いが残っている。布で包まれたそれを開く勇気は、とてもではないが私にはなかった。
自分で切り落としたときのことを、ついさっきの出来事のように思い出す。あの痛みと苦悩を振り切って、朽花に突貫した時のこと。
あの時は、カンナの肉体と皆の未来を天秤にかけた。本来であれば迷うべきではなかった。その時間があれば、朽花の本体を破壊できたかもしれない。
だが、今となっては仕方が無い。
腕を持って、転がっている岩を見繕う。大きさと、表面を見ながら、私は一つ選んだ。
千歳より少し大きいぐらいの岩。表面はなめらかで、加工もしやすそうだ。
「千歳、穴を掘るのを手伝ってくれない?」
「言われんでも、そのつもりやで。片腕でどうするつもりやってん」
私たち二人は、岩のそばの地面を素手で掘り進めていった。落ち葉が腐ってできた土だからか、思ったよりも柔らかい。土の匂いが周囲に漂い、爪の間に土が入り込む。
ある程度の大きさの穴を掘り終えたとき、二人とも手が泥だらけになっていた。その姿をお互いに見て、思わず私たちは少し笑ってしまった。
「これだけ掘れば十分やろ。真奈、埋葬しよか」
笑いが落ち着いてから、私たちは、布に包まれたままの腕を、地面にそっと置いた。そして、そのまま静かに土を被せていく。
土に覆われていくそれを見ながら、一瞬だけ手が止まった。カンナとの思い出が、脳裏に溢れていく。それを振り切り、腕は土の中に埋葬された。
私は、その上に岩を押して移動させる。片腕である影響か、力を上手く入れられなかった。時間こそ少しかかってしまったが、ちょうど腕を埋めた位置の真上に岩を置くことができた。
「千歳、この岩に、カンナの文字は彫れる?」
「は? 岩に? 無理とは言わんけど、手伝ってもらうで?」
千歳は困惑しながらも、作業をやってくれた。道具がないこともあり、短刀で岩に傷を付けて目安をつけると、私に木槌を渡した。
そして、少しずつ岩を削っていく。千歳が押さえ、私は千歳の指示通りに力加減をしながら木槌を短刀の頭に打ち付ける。カンカンという音がしばらく周囲に響いた。
気がつくと日が落ちていたので私たちは眠り、また日が昇ると削って二日ほど。
岩に、くっきりと『神流』の文字が刻まれた。
「時間はかかったけど、初めてにしては上出来やろ。この短刀ももうアカンな。本来想定していない使い方をしたせいで、術が完全に切れとるわ。刃こぼれが直らん」
千歳はそう言って、その場に短刀を捨てた。それとは別に、私は懐に入れているカンナの短刀を取り出す。少しだけ刀身を抜くと、あまり使い込んでない、綺麗な刃が見えた。
それを仕舞うと、墓の前で正座をする。そして、土にまみれ、木槌を振って擦り切れた右手だけで合わせる仕草をした。
千歳も、私の隣で手を合わせる。目を瞑りながら、少しだけ頭を下げていた。
「カンナ、墓を作るのが遅くなって、ごめん。でも、やるべきことが、見つかったんだ。それが終わるまで、また待っていて欲しい」
私はそう言うと、立ち上がって空を見つめた。少しだけ曇っているのが、今後の道の険しさを物語っているかのようだった。
「私、朽花を追うよ。どれだけ時間がかかっても。どれだけボロボロになっても。それが、奴を破壊できたはずの、私の責任だから」
その発言に反応して、千歳もまた立ち上がる。彼女の顔は見ていないが、おそらく一緒に空を見ているのだろう。
「……独りで行くなんて言わんやろな?」
少しだけ寂しげな声。でも、彼女を拒絶するような気は私にはなかった。普段通りの調子で、私は言う。
「強制するほどの関係でもないでしょ? 千歳は、どうする?」
その言葉に、千歳はフッと笑う。彼女も普段通りの調子に戻り、話し出した。
「当然、一緒に行ったるわ。このままやられっぱなしなのも癪やし、放っておけるような奴でもないのは分かる。何より……」
少しの沈黙。その時間はほんの短い時間だったかもしれない。でも、私にとってはとても長く感じ取れた。
「真奈といるのが、楽しいからな」
その言葉を聞き、私は思わず千歳の方を見る。だが、彼女は既に墓の側に立ち、何かを考えているようだった。
「さて、この墓には強度を上げる結界を張っておくわ。定期的に手入れできるほど、来れるとも思わんしな」
「ありがとう。手伝えることはある?」
「ないで、専門知識もいるからな。ああ、そうや。蜂蜜、忘れとらんで」
彼女は私に釘を刺してくる。ああ、忘れてなんかいない。その言葉に、自然と笑みが出てくる。
分かってる、とだけ返すと、私は蜂の巣を探しに、周囲を散策することにした。
これから何年も、何十年も、何百年も、奴を追うことになるかもしれない。
きっと私たちは、これから何度も凄惨な場面を見るだろう。傷や血だらけの道を進むことになる。自分の手を汚すことが必要な場面も、きっとまた出てくるはずだ。
ナズナも、助けなければいけない。朽花の言葉が本当であれば、きっとまだ生きている。また、何かの実験に使われているのだろう。
ナズナを探し、朽花を破壊する。そのためには、今は欠けているものが多い。また朽花と対峙しても、今の私だけだと、きっと負けてしまう。
それでも、歩かないといけない。生きて、カンナの身体に恥じない生き様を過ごさなければいけない。あの、悪しき存在を、破壊しなければならない。
その道が、どれだけ過酷な、地獄に続く道程だとしても。




