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プロローグ


「君との婚約は解消する」


 卒業式の日、人気の無い噴水の前で、美しい男女が佇んでいる──それだけならばどれ程絵になった事だろう。でも実際は今正に十年近く結ばれていた糸が断ち切られるという、一種の修羅場とも言うべき場面。

 平然な顔をして告げた男に、女──私は諦めた様な溜息をつくだけ。冷めた視線……呆れの現れた表情は、男にとって予想外であったらしい。確かに平手打ちくらいしても許される行いではあると思うが、それを自覚しておきながらこうも堂々としている事実の方が馬鹿馬鹿しくて、殴る気力さえ起きなかった。


「理由を、窺っても?」

「……分からないか」

「ベアトリーチェとの事、でしょうか」

 

 ベアトリーチェとは、私の妹の名だ。清らかな水を思わせる長い髪と、サファイアの様な碧い瞳をした、天使か妖精かと称される美しい少女。

 誰もが称賛する妹と、自分の婚約者が、二人でよく話している事を知っていた。窓から見掛けた事もあったし、鉢合わせた事だって一度や二度ではない。学園を卒業している男は屋敷まで会いに来てくれていたけれど、婚約者ではなくその妹に会いに来ていたのだと、気が付かないと思っていたのだろうか。

 何度も何度も、言葉を重ねて来たというのに、どれも彼らの心には届かなかったらしい。


 当然と言えば、当然なのかも知れない。所詮私は『悪役令嬢』なのだから。


「今日の卒業パーティの場で、ベアトリーチェとの婚約を発表する」


 私と男──イヴとの婚約は、まだ正式に発表された物ではない。そもそも婚約者は発表せずともおのずと知れ渡るものであって、いちいち周知させる労力の方が無駄だから。それでもわざわざイヴとベアトリーチェの婚約を発表する意味は、ただ一つ。

 既に広まっている私との婚約話を塗り替える為だろう。

 ベアトリーチェはまだ卒業しないし、イヴは既に学生でなくなって五年の時が経っている。私の卒業に、私との婚約破棄を周知させるとは、この世界にとって『アイレッタ』はどこまでも悪役令嬢であるらしい。


 かつて憧れた、美しい小説の世界。自分が死んだと理解した時は悲しかったけれど、ワクワクだってしたのだ。何度も読んで、何度も涙した世界を踏み締めている事が、確かに嬉しかったのに。

 

「君の卒業後についてはレトランテから言い渡されるだろう」

「お兄様も知っているのですね」


 レトランテ・マクシスは、私とベアトリーチェの兄であり、マクシス家の次期当主である。イヴが皇帝となった暁には兄様も後を継いで、イヴの右腕となり国を支えていくであろう人。

 兄がこの件を知っている事に、驚きはしない。レトランテ兄様とイヴは親友でもあるのだ、婚約の件だって当然相談しているだろう。私が読者だった頃も、レトランテは私とイヴの婚約について渋い顔をしていた。『アイレッタ』の行動に苦言を呈しては無視され、最後には愛想が尽きてイヴとベアトリーチェの婚約を後押しする、キーマンの一人。

 ただ、今の私は、アイレッタは、彼が呆れてしまう程の人間ではないはずだ。傍若無人、我儘放題の悪役令嬢ではない、私がアイレッタになってから、そんな振る舞いをした覚えはない。何度かイヴやベアトリーチェに対して注意をした事はあるけれど、それは彼らの距離感故、婚約者という立場として言うべきだと思ったから。


「……時間だ」


 今から行われる式典の開始を告げる鐘の音と共に、イヴが何の未練も感じさせずに背を向けた。何年も婚約者として共にいたはずの女に対して、こうも冷たく出来るとは。確かに小説の中でも、冷酷や残虐と称されてはいたが、心根の優しさも描かれていたのに……あぁ、相手がベアトリーチェだったからか。

 悪役令嬢であるアイレッタには、懸ける情もないという事か。


「アイレッタ様……」

「アヴィ、来ていたのね」

「式典が始まる時間ですので、お呼びせねばと……」

「ありがとう。嫌な場面を見せてしまったわね」


 転生して、目の前にいるアヴィの存在だけが、唯一変わった事だろう。本来ならアイレッタは、ベアトリーチェに心酔しているアヴィに暗殺される。奴隷として売られていた所をベアトリーチェよりも先に救い、本来ベアトリーチェに向くはずだった心酔は今、私に向いている。

 ベアトリーチェともそれなりに親しいが、アヴィが選ぶのは必ず私。イヴやレトランテ兄様の様にベアトリーチェ側ではない、唯一の味方。

 

「アヴィ、貴方は」

「俺は、アイレッタ様のお傍に居ます」


 真摯な瞳が私を貫く。美しいけれど恐ろしいイヴとは対極の、愛らしさの残る顔立ちは成長すればする程、端整に磨かれていく事だろう。

 金糸の髪が太陽の下で輝き、ルビーの輝きを放つ赤い目が燃える様な意思を伺わせた。まるで、おとぎ話の王子様の様に。

 婚約破棄、ヒロインの姉、悪役令嬢、王子様の様な従者。そして、転生。

 かつて大好きだった、もう一つの小説を思い出す。転生した悪役令嬢の結末を、『私』の未来を想像して、笑みが零れた。

 

「──ありがとう、アヴィ」


 私は転生した。恋愛小説の悪役令嬢『アイレッタ』に。

 そう、転生、したのだから。

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