後編
「どういうことだこれは……」
「ほ、ほんとに来ちゃった……」
え、人の声ってか、
「君もいるのか!」
「ええ、なんか私もついでに飛ばされたみたいな……」
隣に彼女が立っていた。明るい場所で見る彼女はまた違った印象を受けるが、今はそれを語っている場合ではない!
「き、君実はマジシャンだったのか。なんて大がかりな」
「こんな大がかりなマジック出来る人いたら世界がひれ伏します」
的確な指摘、意外に冷静だなおい。
「これがあれか、最近聞くメタバースという奴か。なんて大がかりな」
「そんなマシンどこにもないです。そうだったら良かったんですけど……」
これも違うのか。ではなんだと言うのだ!
「こうなるかもって、だから嫌だったのに……」
その口振りは、彼女の占いが現実と化したと言わんばかりのものだ。そんな馬鹿な、こんなことあっていいはずがない。
というか、さりげに俺へと責任転嫁してるようにも聞こえる。大人である以上今は責任を取るが、いやどう取れというのだ。俺の中の大人が音を立てて崩れていくぞ。
「本当の本当に異世界とやらなのか」
「本当みたい」
「なぜそう言い切れる! 夢かもしれないだろう!」
「二人して?」
ないか、ないな。あるなら一人だ。
「どうしてこうなった!?」
「ああもうっ、これが見えてたからやりたくなかったのに!」
「見えていたのか?」
「見たままだよ、これが水晶に映ってた!」
「君もいた?」
「正直いた」
じゃあ、ついでじゃないじゃん。当事者じゃん。
「これはさすがにまずい……」
「まずいって次元じゃないよう……どうするの? 大人なんでしょう? どうすればいいの?」
うぐ、こんな時どうすればいいのかなんて、学校で教わってないぞ。
ネットで「異世界 飛ばされた時の対処法」と検索したって、まともなものが引っ掛かるはずない。出てくるのはきっと乱造されたweb小説だけだ。
というか、大人とか関係なくないか。
「まず、携帯が繋がるか確認しよう」
これほど意味のない行為はなさそうだ。繋がったとして、どう伝えてどうしてもらえばいいのだ。
「繋がらないし、意味なくない?」
分かってるならそんな冷たく言わなくても。
営業トークの閉店だけは早いな! 帰れとずっと言っていたのに!
「待て、解決策はあるはずだ……」
「ここで新たな人生歩むとか? 私、ここで生きていく自信ない」
今度は凄い落ち込みだ。どんな世界か分からないが、とりあえず転生ボーナス的なものは見当たらない。
というかこれは転生ではない。
聖女でもなければチートでもない。
追放もtsも、勇者も魔王も今のところは見当たらない。
「ああっ! イケメンだからって口車に乗るんじゃなかった! 私の馬鹿! あんたの馬鹿!」
ぐぬぅ、好き放題素になりやがって……大人だからと遠慮なしに!
頭を、頭を使うのだ。現実を受け入れ解決策を導き出す。
大人である以上避けては通れない!
その時、
「ん?」
と、何が閃いた。いや、引っ掛かった。
「これは、そもそも占いなのか?」
「占いの結果。私に文句言わないで……」
「占いというか、呪いではないのか?」
「呪いは精度が下がるもの。異世界とか関係ないもん……」
また今度は幼くなりおってからに。
「違う、呪いの占いの結果飛ばされたのではないか、と訊いているのだ」
「いやそうだけど、それがなんですか」
察しの悪い。
「つまりだ、日本に戻る占いの結果を得れば、四分の一の確率で戻れるだけの話ではないのか?」
「あ……」
ポンッと手を叩き、彼女は言う。
「お客さん、それだ!」
「な」
「やだイケメン! 中身もイケメン!」
どうやら加害者からお客に戻れたらしい。あと彼女の主観によるイケメン枠にも戻れたようだ。そっちは正直どうでもいいが。いや違う、気になる異性でなければこの呪いは成立しない、発動しないのだ。
となると、大人というかイケメンを演じねばならないのか。どうやって? やったことないぞ?
「じゃ、じゃあ、水晶もテーブルあるし占いますね!」
「うむ、そうしてくれたまえ」
なんか違うが、とにかく占ってもらおう。
四分の一の呪われた占い、正直時間はかかるだろう。
--彼女の顔つきは大自然の中、真剣そのものだ。
この場所でなければ、熟練の占い師に見えたかもしれない。
だが草原の中、稜線をバックにしているとなんとも間が抜けている。
しかし、それを指摘する余裕はないし失礼というものだろう。
「ふぅ、よし出た」
最初の占い結果が出たらしい。ここは大人しく聞いてみよう。
「うんっ……あれ……」
彼女の顔が険しくなる。
「悪役令嬢にざまぁ? ううん、ちょっと待ってこれ実現したら、誰が何をすればいいの?」
君が俺に超ド級のざまぁを食らわせてくる感じになりそうだから、それはやめてくれ。
「聖女だけど中身は少年? 転生マイナスから始まる異世界奴隷戦線?」
タイトル付け始めるのもやめよう。
聖女なのか奴隷なのかも分からない。
そんなの大人でも対処出来ようはずがない。
「これはアフリカっぽい……」
国境というか海越えるのもやめて欲しいが、え、それでよくない?
ーー飛ばない、ダメか。大使館に逃げ込めば野生の王国生き抜いて脱出、みたいな苦労はないんだが。ただどうやって、と経緯を説明するのが難点なだけだ。
「これは……これ見たことあるけど……」
困惑を漂わせているが、今度はなんだ。
「戦争してるかも……」
誰かウラジミョールを止めろ。正直近いんだ、そこで妥協したかった。
「あの、凄く疲れてるんですけど……」
「君がそれでいいなら休みなさい。ただ、もう十時過ぎてるからな」
「はい……学生は家にいる時間だよね」
君は風呂入って寝る時間だ。中学生め、早寝早起きも学生の務めだぞ。
ーーなかなかうまくいかない、腹も減ってきた。
とはいえ中学生をこれ以上酷使していいものだろうか。いや、これは本人のためだ。というかさっきから、なんか野生の臭いがする。獣的なのに対抗する術はないし、どこに逃げればいいのかも分からん。
「これって、これ日本かも!」
きたか!
「うん、うん日本だ、これ日本だと思う」
思うでは困る。凄く似た別の異世界だった時、ちょっと場馴れしてるだけに過ぎない。
「すまんが、これは私も見ていいものなのか?」
「ダメっ! 仕事中です、ご遠慮願います」
キッと睨まれては、そういうものなのかと納得するほかない。
「ああ! ほんと良かったー、これ大丈夫だと思う!」
「思うではなあ」
「ごほん、日本です。四分の一引けたら、帰れます。だって、通天閣があるもん」
「またガラの悪いところに……足代どうするつもりだ。というか、一泊だろそれは」
「しようがないんです、帰れたらいいの! イケメンなんだから、文句言わない!」
イケメンは文句を言う権利がないのか。知らなかった、世のイケメンに不満はないのだろうか。いつか爆発して、暴動とか起こしそうだが。世界のイケメン達の忍耐には感服するほかない。
ーー結局大阪には飛べなかったが、散々苦労した結果元の場所に戻れそうになった。
「よ、四分一ですから、次は大丈夫だと思う」
「大丈夫だ問題ない。野生な奴も危険ではないようだし」
「良かった……私足遅いから」
速くても獣には勝てない。それはともかく、
「もう零時になってしまってる。君には本当に申し訳ないことをした」
「いいですよ、大丈夫。次こそ飛べます。私達は飛べる! きっといつか飛べるから!」
やばい宗教にハマった奴みたい。いや、クスリかもしれない。やばい呪いなのは間違いないんだが。
「しかし、ご両親にどう顔合わせすればいいのやら。私が心から謝罪しよう。分かってもらえるまで謝るよ」
「いいですって。というか、私子供じゃないし……」
いつまでその設定でいくつもりなのだ。働いている時点で、誤魔化したくなるのも分からんではないが。
「無理するな。年などいずれ取る」
「あのですねぇ……」
と、彼女は膨れっ面をつくってみせた。
それから胸を張り口を開く。
「私、二十歳です」
「精神年齢?」
「肉体です」
生々しい言葉をチョイスするな。身体と言え身体と。いやこっちも大概だ。社会的構成員として、とか? うーむ、迂遠で伝わりにくいな。日本語は難しい。
今は置いておくとしよう。問題は別にある。
「馬鹿言ってはいけない。こんな二十歳どこを探してもいない」
「いますよ目の前に」
全く、どうして年上に見られたいのだ。
年齢が上だとマウントでも取れるというのか。
うん、取れるな、散々やっていたような気がする。
これはダメな教訓を与えたかもしれないが、事実を塗り替えるのはよろしくない。
「君、そういう嘘をついていると地獄で閻魔様に半殺しにされるよ」
「なんで閻魔様そんな厳しめなんですか……」
「日本ではそういう教えなんだ。だからみんな嘘をつかない」
「つきまくってます」
「文句は政治家に言ってくれ。少なくとも私はつかないよう努力している」
「はいはい、分かりました。お客さんは中身もイケメンです」
「大人と言ってくれたまえ」
「はぁー」と彼女は今日だけで何度も見たため息をつく。
「どうしたら信じてもらえるのか」
「占い師などという怪しげな職業から足を洗えば考えよう」
「職業否定しないで……」
「すまない、大人はずばりだ。心理カウンセラーと占い師のどっちを信じる」
「出来ればどちらも」
「資格が必要ないと言ったのは君ではないか」
「結構持ってる人いますよ、占い師で心理カウンセラー。似たような仕事だし」
「しかし君は持っていない。そもそも取れる年齢でもない」
「もーっ、お客さんほんとしつこいっ!」
なんでキャバ嬢に迫る迷惑客みたいな扱いされてるんだ。全く、近頃の中学生は。
「身分証を見せるんだ、信じて欲しいというのなら」
「出た倒置法」
そういうつもりじゃない。
「ていうかですよ、身分証なんて軽々しくーー」
--また突然のことだった。
景色が一変し、見慣れたシャッター通りがはっきり見て取れる。なんと薄暗くみすぼらしい、格段の差だ。
「帰れた……」
「うん、帰れたな」
元の場所からほんの少しずれているだけ、素晴らしい精度だ。彼女の占いもかくあって欲しい。
疲労も不安もあったろう、ホッとするのは当然だが、彼女は泣き出してしまった。
感情が爆発したように、涙を流し大声で泣いている。
静寂に包まれていたシャッター街に、彼女の泣き声が延々と響く。
俺の制服を掴み、声を詰まらせる女の子を見ているのは辛い。
それでもひとしきり泣いて落ち着くまで、俺は待った。
早く送らねばならないと考えはするが、心の整理も必要だろう。
「あの、すみません、ほんと、私のせいなのに……」
どうだろう、俺のせいでもある。何にせよこういう時、責任を取るのは大人の役目だ。
意図せぬこととはいえ、娘さんを異世界に連れ去るなどという危険を犯した。大人としてご両親に詫びねばなるまい。
洗い流すよう涙を流し、彼女も落ち着いてきたようだ。急かさぬよう先に伝えたことを再度告げると、
「いいですいらないです! 混乱するだけというか信じてもらえないです!」
だろうな、とは思っていた。
参った、とすれば送り届けるぐらいしか出来ない。
涙を拭う彼女を前にしてなんだが、こちらが泣きたい気分だ。いや大人は泣かぬ。
泣くのは脛をぶつけた時と「栄転だおめでとう」と言われ、治安が中世レベルの国外に飛ばされた時だけだ。いくら大人の私でも、豊田市の元社長のように成り上がれる自信はない。
「家はどこだ。場所によってはタクシーを捕まえねばならない」
「あ、それは近くなんで大丈夫です……それより」
「ん?」
それよりなんだ。大人の責務より勝るものなどないはずだが。
「えーっと、支払いお願いします」
いたずらな目をした彼女に、俺は何を言えばいいのか分からない。異世界への移動代とか請求してこないだろうな。
「いくらだ、お試し料金以上は払わんぞ」
「頑張ったのに……」
「む、ぼるつもりか。ならんぞ、評判を落とす」
「また武士みたいな話し方して」
大人なだけだ。
「で、いくらだ」
「だったらなんですけど」
「だったらなんだ」
「ちょっとした提案があって...」
「ちょっとした提案とな」
どんな提案だ。そもそも財布にいくら入っていただろう。大人として手持ちを把握していないとは迂闊に過ぎる。であるなら問題は提案だ。体面を保つには一端聞くほかない。些か警戒していると、
「お客さんの連絡先、教えて下さい」
目を腫らした女の子が、そんなこと言うとは。
うむ、完全に常連客にしようとするキャバ嬢のやり口。
なんというマセ方。
これが令和、Z世代という奴か。
世代格差、こればかりはどうすればいいのか皆目見当も付かない。
何せ私もZ世代。格差も何もなかった。
「支払いはそれでいいのか」
「そうですね、なんか色々ありすぎてお代いただくのも気が引けますし」
「しかし、常連客になったところでだ」
「ああ、そうか……」
意識してしまう異性相手では、また呪いが発動してしまう。
「変装でもするかな?」
「あ、来てくれるんだ!」
「なんというか、心配で仕方ない」
俺程度で心乱され呪いが発動するようでは、先が思いやられる。ここを通る男子学生はそれなりにいるのだ。全て門前払いしていては、女性しか相手出来ないではないか。
その方向でいくのも良いが、まだ客を選べるようには思えない。というか、この仕事自体どうにも応援出来ない。俺がいなければ日付が変わるまでやるつもりだったとか、危なっかしいにもほどがある。
警察に補導されるのも目に見えている。地方公務員の仕事を増やすのは心苦しい。
大人として、他の大人に配慮するのは当然のこと。子供を守るのは更に優先される。
「連絡先で良いのだな」
「うん、ちょっと待って。スマホ同じかな」
そんな気にすることだろうか、やはり子供らしい。スマホの違いなど、二者択一な現状だ。フルーツとロボの違いがなんなのか。
とにかくと出して見せれば、
「あ一緒! じゃ、送って」
笑顔になっている。ことのほか好評、同類を見つけた気分かもしれないが、やはり二択だ。
「うむ、繋げば良いのだな。いやちょっと待った」
「はい?」
「端末の名前、きちんと設定しているかね」
「ええっと、きちんとバレないようにしてあります」
「ならばよかろう」
「心配性ですね」
「当然、大人は慎重を期すから大人なのだ」
はいはい、と彼女は苦笑するが、用心を説くのもまたこれ大人の役目なり。
交換し終わると、なぜか彼女は目を見開いている。
「あの、これ、実名っぽい偽名ですよね」
「何、名を隠すほどの者でもない」
「それ普通逆じゃないですか」
「隠した大人な客を信用出来るのかね。まあ、私が客になれるかは君次第なのだが」
「そ、そうですね。うん分かった。ありがとう!」
常連客候補を捕まえて嬉しそうだ。本当に大丈夫なのだろうか。俺は心配しかないぞ。仕事も呪いも、とても真っ当とは言えない。
「仕事の日は毎日連絡するといい」
「ま、毎日? ほんとに、いいの?」
ちょっとタメ口になってきているが、気の緩みと見逃してやろう。もう仕事は終わった。占い師と客の関係になれるとも限らない。
「毎日来れるとは限らない。しかし、見守っているという事実があれば少しは安心出来るのではないか」
「なんだ、毎日会え……来てくれると思ったのに」
露骨な拗ね方、隠そうともしない。全く、最初から子供らしくしておればいいものを今更。
「努力はする。どうせ通り道だ」
「うん、そうだね、毎日待ってる。ここにいるから」
目を輝かせているな。微妙にプレッシャーがかかるぞ。
スマホを眺めるだけの日々が続いたら「久しぶりに占ってみない?」とか極悪な無邪気さを押し出して来るかもしれない。
それだけはなんとしても阻止せねば。また異世界に連れていかれるのは困る。次は逝ってしまうかもしれんのだから。
「では送ろう」
「いいってば! すぐそこだって言ってるじゃん!」
「じゃんもジョーもない、子供一人帰宅させる大人がどこにいる。そんなに信用ならんなら、通報せねばならなくなる」
「またそれ!? もう……ちょっと心配性過ぎるよ」
なんか姪っ子と話してる気分になってきた。完全に他人だが、実は親戚かもしれない。
「分かった、近くまでね」
「素直でよろしい。玄関まで見送る」
「それはダメ。いいけど、それは早い」
どっちなの。
女心と秋の空。移り変わりの早さをそう言う。
乙女心と初夏の夜。矛盾していることを堂々と言う。
うむ、辞書で調べてみる価値もなさそうだ。子供の特性であろう。
「ついこないだまで私も中学生だった」
「はいはい。どーせ童顔ですよ。マスクしてても」
「中二病に罹患し生死をさまよったこともある」
「マジで!?」
「高熱にうなされ、敵は本能寺にあらず! とか口走っていたいたらしい」
「本能寺の変が、光秀心変わりの変に変わっちゃうね」
「うむ、あの時実は転生しかけていたのかもしれない。今思い出しても恐ろしい作り話だ」
「そう思ってた」
よろしい、これぐらい真に受けていては占い師など務まらない。
「ブルータス、お前もじゃん? とかはなかったの?」
む、なんかよく分からないがシュールでいいかもしれん。万人受けする小粋なジョークを磨くべきで、そっちに行ってはいけないのだが。
しかし俺はこちらが好みだ、それ用に取っておいてもらうか。
「ではいくぞ」
「うん」
二人、深夜の寂れたシャッター通りを歩む。
静けさがやかましく、先ほどまでの会話の忙しなさを際立たせる。俺は今日、いい出会いをしたのかもしれない。ふとそんな思いが頭をよぎる。
角を曲がり、平凡な道をまっすぐ進む。
彼女の家は近いらしい。本人が嫌だというのでご両親には会わないが、大人としての課題が残ったと思えばいい。一足飛びでなれるものでもない。
「なんか、今日は無茶しちゃったなあ」
零れるよう、彼女は呟いた。
「初めてお客さんが来て、なんかイケメンで、あり得ない占い結果が出て、四分の一引いちゃって……」
さぞ疲れたろう、明日学校を遅刻したとて誰が責められようか。責められるは俺と呪いだ。というか呪いってなんだ。どういう経緯かいずれ確かめねば。
「うん、やっぱりフェアじゃない」
うむ、中学生に呪いなど不要である。もし犯人がいるとればいかがせん。成敗つかまつりたいが、ご法に触れる。むぅ、大人としてどうすればよい。
「私は仕事だけど顔も見たし、連絡先も本名だって知ってる」
「知ってるというか教えたし見せただけだな」
「年下君かあ……」
それ、絶対押し通す予定なのね。
「これからもその大人設定に付き合うと思うと、こちらも少々気が滅入る」
「いやそれこっちの台詞かも」
「どっちなのだ、かもなのかそうなのか」
「知らない」
むぅ、さすが乙女心と初夏の夜。早速使う時が来るとは。
「好きにすればいい。私は大人だ、終始余裕しかない」
「そっか、じゃあやっぱりフェアじゃないから今日すませる」
フェアネス精神を持つのは良いことだ。ノーサイドの精神も持てば更に良い。君はいずれ、大人の階段をトントン拍子で昇るだろう。
「よしっ」
と言って、彼女は立ち止まった。
「む、近くに着いたかね。玄関まで見送るべきと、やはり思うのだが」
街灯の下、彼女は一人佇んでいる。
「どうした、軽妙なトークなら明日でも出来る。時間を考えれば会話より帰宅と充分な睡眠だ」
「話すのはね、明日でもきっと出来る。信じてるし、感じてる」
なんか占い師っぽいこと言い出した。
街灯の灯りに包まれた彼女はどこか、魔法使いを思わせる。異世界になど行ったからだろうか。俺も疲れているらしい。
「はい。今日は送ってくれてありがとう」
彼女そう言うとぺこり頭を下げ、それから耳に手をやりマスクを外してみせた。
手を伸ばせば届く距離、真っ直ぐな目でこちらを見ている。
しばらく、見つめ合う時間が続いた。
時間が止まっているのだろうか。その光景は静止画のようで、暗闇の中鮮やかに彩られている。
さすがに間が持たなかったらしい、彼女はわざとらしく咳をして、
「そっか、感想はなしと」
ついとそっぽを向いてみせる。思わず、
「いや、美しい」
「へ?」
「見とれていた。見惚れたのかもしれない」
「え、あ、いや、それは期待以上……というか想定越えてる……」
「む、気に障ったか。確かに、年下に美しいは適切と思えない。待ってくれ、今適切な表現を用意する。しばし待て」
「いい、いい! ありがとうございますお世辞でも嬉しいよ!」
ぶんぶんとかぶりを振っている。
せっかく美しかったのに、おてんばな奴だ。
しかしやけに素直な言葉が出てしまった。
「世辞ではないのだ。可愛いと言うべきだった。中学生ならばその方が相応しい」
「いいってばもう!」
深夜というのに大声を出し、慌ててマスクを着けている。
それでも顔を赤くしているのが、街灯の灯り程度でも分かった。
むぅ、やはり率直に伝えればいいというものでもない。多感な年頃の女の子を傷つけず、事実を伝えることの難易度がこれほど高いとは。
こないだまで中学生だったクラスメートの女子に、どうすればよいか教えを乞う必要がありそうだ。
「で、本当に送らなくていいのだな」
話をするっと変えるのが大人の技術。今重要なのは安全と睡眠である。
「もう充分送ってもらったよ」
「何、近所か。ならやはり送り届けたい」
「今日は絶対ダメ! 絶対無理だし、普通そうじゃない! もう!」
今度は怒り始めた。送るのは今日だけにして欲しいのだが。先が思いやられる。
「致し方ない、気を付けるのだ」
「うん、そっちも気を付けて」
優しい響きに寂しさが込められている。そんな印象を受けた。やはりこの時間一人で帰るのは心細いのではないか。
そうだ、俺はとんだ勘違いをしていた。
「そうか……なんと気の利かぬ。私は大人失格だ。すぐに気付くべだった……」
情けなくも自覚する。これでは大人になどなれない。
「いいってば、ほんといいから。今気付かれても、私もなんか申し訳ないし。だって、一応初対面じゃない」
やはりそうか。
「うむ、その物言い実に良く分かる」
「はは、もうほんとそのノリ可笑しい」
「可笑しくともいい。そう、なぜご家族に迎えに来てもらうという発想に至らなかったのか」
「……へ?」
「ご家族と初対面になるが、それを避けるのは実に不自然。君の意見を尊重するようで、実は自分勝手な己の都合。会ってしまえば詫びねばならぬ。結局私は、謝罪を避けていたのだ。そう思わないか?」
確認のため言葉にしたが、彼女は閉口している。
やはり、ずばりであったか。
「むぅ、実に大人失格。大宰もあの世で嘆いておろう」
「太宰は心中未遂し過ぎだよ。あなたそんな酷い人じゃないから。あの世じゃなくて自宅まで送ろうとしていたんだから」
なんと、彼女に気を遣わせてしまうとは。
閉口していたのに、なんと滑らかなダメ男ディスり。いかん、すぐにでも取り戻さねば。大人の免停どころか国外追放される。治安が古代レベルのこの世の果てまで飛ばされてしまう。
「すぐに連絡するといい。遠慮はいらない。覚悟は今出来た」
「しても寝てるって」
「そんなわけなかろう。我が子が帰って来ぬのだぞ」
「まあ、一人立ちしてるからたまにしか帰って来ないよね」
一人立ち設定まで追加されてしまった!
なんでそんなに気を遣うのだ!
「やめるのだ、私の立つ瀬がない」
「私も立つ瀬がないよ」
「なんと」
「なんと」
むぅ、大人をおちょくりおってからに。同じ言葉を重ねるな、情けなさが際立つ。
「どうしてもというのか」
「うん、なんかもうどうしてもだよ」
ダメだ、凄く嬉しそうな顔をしている。大人を手玉に取れたことが楽しいのだ。しまった、この年頃とはそういうものだ。
「世が世なら腹かっさばいてしかるべきところだが……」
「うん、じゃあ次失敗したら、考えてみよう」
「うむ、失敗の一つや二つで挫けていては、前に進めぬな。配慮いただき感謝する」
「私も感謝しかなくなってきた。ほんとに、私今嬉しい」
そりゃそっちは満足だろうよ。こっちはどうなるのだ。
しかし満面の笑み。
守りたいこの笑顔。
「帰ったらメッセージを送るのだ。道中電話をかけるといい」
「かけても一瞬だよ?」
「そんなに近いのなら早く帰るのだ。見送ると言うておるのに」
「だから、それが……ほんと仕方ない人だなあ」
呆れるのも仕方ない。しかしなんだ、これでは俺が指導されているようではないか。
そうか、やはり俺はまだまだ大人になれていない。
ただ、大人びたことをする、それだけの存在なのだ。
なんてちっぽけであろうか。それに比べれば彼女は立派そのもの。素行はともかく、占いで食べていこうと行動に移している。
お陰で異世界送りという現実離れした目にあった。
……うん、これ行動に移してはいけない奴だ。
立派と思ったが全く話にならない。俺も彼女も、まだまだこれからだ。
「帰るのだ。話せば話すほど長くなる。反省会などいつでも出来る。時間は有限なれど、それぐらいの余暇は私にもある」
「そうだね、私もあるなあ」
「返事などよい。さあ行くのだ、背中を見守るぐらい悪くなかろう」
「私が見送りたいな」
「なんという死体蹴り、容赦の欠片もないな」
「そう? そうなんだ、ごめんね」
やはり嬉しそうだ。くそう、いずれこの借りは返す。
「今日はほんとありがと。返事はいらぬ、私は帰るのだ。いや、帰るぞよ」
おどけているが、言葉はもう必要ない。沈黙を返答とし、促す。
ようやくのこと、彼女は背を向けて歩き出した。さて、その背中本当に見送るべきか。
俯き迷っていると、スマホが鳴った。
[見てるぞー早く帰りたまえ]
顔を上げると、マスクを外した彼女が手を振っていた。全く、どこまでもマイペースな。最初のキョドりはなんだったのだ。演じおって、これだから女というものは始末に終えぬ。
見ていれば、いつまでも手を振っていそうな印象を受ける。仕方なし、踵を返し俺も帰路に着く。
さて、安全は確保されているのだろうか。不安で仕方ない。
だが世の中には送り狼という言葉もある。
マセた彼女が、それを言っていたことぐらい俺だって気付いていた。
その警戒心は正しい。しかしこちらは大人びている。
来年十八歳になる者と、およそ中学校を卒業せぬ者となら慮外してしかるべし。
二十歳と三十路の関係とは天と地ほどの差があろう。年の差なんて話ではない、安全な環境を保つことこそ社会の大命題なのだ。
もはや懐かしきシャッター街に入ると、再び彼女からメッセージが届いた。
[もう寝る準備してるー。今日はありがとう、また色々話そう。私はもう寝るね]
続けて、
[正直ね、童顔って言われると思ってた。さあ寝るぞよ]
寝るアピールし過ぎだろう。寝る寝る詐欺だ。
童顔と、それで押し通すつもりだったのか。甘く見られたものだ。やはり分からせねば、呪いの件も含め彼女は放っておけない。
今日は本当に反省だらけの一日だった。
大人の階段きつすぎ、俺はまだ高校生さ。
新鮮なのに懐かしのあれは、シティポップに入るのだろうか。節付きで呟きたいこの気持ち、どうすれば。
頼りない自分を叱咤しつつ、歩を進める。
もっと厳しい道を歩く人達が、世の中にはいるのだから。
シャッター街を通り抜け我が家へ、もっと早く帰るはずだったのに、一体どうしてこうなった。
きっと彼女はもう眠っているだろう。「力を使いすぎた」とか言ってばたりと眠り込んでるはずだ。ご家族がそれで納得するか、全く、心もとない。
こちらは明日からの課題が山積みだ。
せめて一日の心残りだけはなくし、整理を付けたい。
歩みを止めてから携帯を取り出す。決して歩きスマホはしない。大人が見本とならねば誰がなる。
そしてメッセージを打つ。
文面はこうだ。
[童顔などと戯言を。美しいものを美しいと評しただけのこと。次からは気を付けて可愛いと言おう。約束は違えぬ]
ふむ、これですっきりだ。
再び歩を進めようとしたが、今俺何をした。
おい、美しいとか可愛いとか素直に言えばいいってもんじゃないだろう!
ただでさえ年頃の女の子、容姿ばっかり容姿ばっかり! と気にしたらどうする!
最後の最後にまた間違いを!
大丈夫、今すぐ削除すればきっと読まれたりしないーー既読付いてる。寝たんじゃなかったのか! 寝る寝る言うてたくせに!
怒られてたのか、親御さんにこってり絞られていたのか!
それでは俺が悪いということになる!
いやそもそも悪いが、呪いってなんだ!
「ああ、もうなんてことだ……」
嘆きの道が我が家まで続いている。
俺は今日、己を知った。
大人びたことをすると決めたのに、失敗を重ねただけだった。なんの解決もなく、いたずらに彼女の呪いを発動させてしまった。
そして最後にこれだ。
そうか、これがルッキズムの正体。
全て外見で判断してしまう、なんということだ。
奴らの言っていたことは、実はこういうことではないのか。ただの面倒な奴らではなく、人生訓を若人に示す立派な大人達……。
むむ、面倒なくせに更に面倒な存在になりおって。
失望に溢れていた。
暗い道路は、確かに暗い。
深夜も深夜、俺の心も真っ暗だ。
そう、そうかもしれない。
それでも俺は帰らねば、また一歩踏み出すことしか出来ない。
失敗を糧に、更なる成長を遂げるのだ。
うん、少しだけ前向きになれた。
こんなことで落ち込んでいては真っ当な大人になれぬ。
そうだ、さっさと帰り課題は明日とするしかない。
我、帰路に着くなり。
その時、突然音がした。
何か冷たい感触もする。
どうしたことだ、ただの地方都市の道端で、何が起きているというのだ。
暗がりを見上げるまでもなく、それは落ちてくる。
よくある自然現象。
雨が降っていた。
「雨、雨だと……」
おかしい、彼女が最初に言った雨に降られるは、明日……違う、もう日付が変わっている。
「なんて精度だ! 君は神か! 占い界に突然現れたアイドル系占い女子か!」
冗談ではない、なんだこの凄すぎる占いは。
とんでもない逸材と出会ったのかもしれない……。
やはりこの出会いには意味があった。
そういうことなのか。
まるで啓示のようだ。
おお神よ! 占いの女神よ!
ーーと、勘違いする輩が沼にはまっていく。
たまたまだ。偶然はそう続かない。
異世界だって、異世界と確定したわけじゃない。
いやあれは確定してそうだったけど、ガチっぽいけどたったの一回。
ふふ、稀によくあること。
「我々は真相を究明するため、再び出会うことになるだろう。アマゾンの奥地へと向かうかもしれない」
我ながら苦しい解釈だが、今はそれでいい。
なぜなら、
「俺はまだ大人じゃない」
たったそれだけのことが、自分を救い肯定する。
立ち尽くしたままスマホを取り出す。
文面はこうだ。
[雨降るの知ってたなら、傘貸してくれてもよかったんじゃないだろうか。それともそれは、貸してくれと言わなかった私の責任だろうか。つまり今、雨に降られた。詳細は明日、いや今日話すことになるだろう。さっさと寝ていることを期待している]
また会おう、占い師よ。
俺は再び足を踏み出す。
濡れて滑る道を慎重に。
一歩一歩、それでも確実に歩み続ける。
今日がもう、待っている。