飲んだそれは苦かった
(今日も先手を打たれた)
祐治は何年も毎日、同じ事を心の中で呟いていた。
(お茶の用意は、研究室に入ったときにはもうしてあったけど、お茶に誘うくらいは俺が言うはずだったんだけどな……)
修介によって十年で磨かれた雪の献身は完璧なものだった。祐治が雪を気遣うようなことを何一つ言う隙がないくらいに。
(せめて一回くらいは俺から雪のために何かが出来ないんじゃ告白する資格すらないだろ……)
何年もずっと、祐治が密かに抱えている悩み。それは――
婚約者ではあるが、恋人ではない。
――ということだった。
雪の父親である修介が言い出し、祐治が受けた婚約。それに対して雪はこれまで何一つ、不満も希望も口にしたことはない。
だが修介や祐治の希望とあれば彼女はいつも従う。そう育てられてきたのだ。
祐治はこの婚約について彼女の本音を聞けたことがない。
半ば義務で四六時中と言っていいほど世話をしなければならない男は果たして魅力的なのか。父親に嫌だと言えないだけなのではないか。
そう考えると聞く勇気は出なかったのだ。
そして修介ははりきっているが、四人の中で最も発言力がある、祐治の父親である大悟はこの結婚の話に全く乗り気ではない。結果、二人の婚約は十年以上も口約束のままになっている。
もし雪がこの婚約を望んでいないとなれば、大悟は喜んでなかった話にしてしまうだろう。
いつかは雪の気持ちを聞かねばならないと思いつつも、ずるずると先延ばしになっていく。
一方的に手間がかかる男だと言われてしまうことだけは避けたくて、自分も雪を気遣える男になりたいという気持ちを実行に移そうとしたのだが――また今日も先に動かれてしまった。
(いや、本当に俺は気遣いのできないダメな男なんじゃ……雪は、いくらなんでも出来すぎているとは思うが)
そう考えて落ち込みそうになるのを無理やりやめて、一口飲むと口を開く。
「まだまだかかりそうだな」
「そうだね」
温かいお茶を飲み、雪の顔色が少し明るくなる。
(雪は寒いのが苦手だからな)
だからお茶で温まろう、と声をかけたかったのだが。
時すでに遅し。後悔は先に立たず。
「のんびり話でもして待つか」
「それなら聞きたいことがあるんだけど」
「珍しいな。なんだ?」
「どうして今回だけは、私も行くことになったんだろう」
雪の疑問は、祐治も大悟に問いかけたものの、答えを得られなかったことだった。
国からの依頼に祐治が代表者として出向くのは、これが初めてではない。ただ、こうして国民守護部隊に守られ、迷彩機能のあるヘリコプターで秘密裏にこんな遠方へやってくることも、他の誰かを同行させることも、少々危険があるというのも今回が初めてだ。祐治も少し緊張していた。
「聞いたけど、親父は何も言わなかった」
――お前の役に立たないようであれば婚約者として置いている意味はない――
強いていうなら、あれがその「答え」なのだろうと祐治は思う。だが祐治はそれを胸のうちにしまい、何食わぬ顔をして話す。
「緊張してるのか?」
「少し」
そう言って笑う彼女の手には、祐治の手元のコップへ二杯目を注ぐための水筒があった。空っぽのコップにまた温かさが戻る。
二人はしばらくお茶を飲んで待った。名誉を挽回できなかった男、祐治は複雑な気持ちだった。