相応しい扱い
少しずつ会社の仕事を覚えていくために事務エリアへ向かう祐治と、研究員である父親の仕事を手伝っているという雪は行き先が違うため、二人は研究所では別行動だ。
「じゃあ祐治さん、また」
「ああ、……また」
祐治の返事を律儀に聞いてから彼女は去っていく。幼馴染みでもあるのだし、「さん」をつけずに呼び捨てにして欲しいのだがこれだけは直らないようだ。
何しろ最初は敬語を使い、「様」をつけられていたのだ。お互いの父親の顔色を考えて、これ以上くだけた言い方は出来ないのかもしれない。
(俺、頼りないんだろうな……)
などと思うと、ため息が出る裕治であった。気を取り直し、自分を呼びに来た職員とともに社長室で待っている父親の元へと向かった。
(今日は一体何をする話なんだろうな)
呼びつけられた理由は大体察しているが、大悟からの説明は一言もなかった。
『仕事だ。至急戻れ』
……いつもこの文言での呼び出しなのだ。人としての暖かみなどない。
人使いの荒い研究所の主の横暴さは、息子である裕治相手でも、誰よりも長い付き合いのある幼なじみである宮元修介相手でも変わらない。
城山研究所のトップである、城山大悟。そして研究者、宮元修介。この二人の間にあるのは、「幼馴染み」ということ以外に対等なものはない、と言われている。
年齢こそ修介の方が五つ上だが、「宮元修介は城山大悟を崇拝している」と誰もが口を揃えるほどに、修介は大悟に尽くしていた。
どんなに些細な雑用でも大変な労力のかかることでも、家族の都合も後回しにして、修介は大悟の望みなら文句一つ言わずにこなし、常に大悟を支えている。そして大悟も当然のように献身を受け入れている。
例えるならカリスマ溢れる教祖と信者のように。
或いは傲慢な王とただの取り巻きのように。
修介もまたこの研究所において所長と呼ばれる存在であり、彼自身も城山研究所のほぼ全ての研究の要である人物なのだが。そのことに、二人のやり取りから気が付ける者はいない。
それぞれの子供が父親たちと同じように、尽くす側と尽くされる側になったことを驚く人間もいなかった。それも父親たちの関係の延長線上にあることを皆が理解していたためだ。
大悟の子息に尽くせと、修介が娘に言い聞かせていることは周知の事実であったのだから。
――しかし、祐治自身は、雪にこんなことまでさせようとは思えなかった。
「資料はそれだ。あと一時間で国民守護部隊もやってくる。読んで支度しろ」
祐治の父親であり、研究所の社長でもある大悟のその言葉は決定事項を告げるだけのものだった。反論を聞くつもりなどない。
「隣国の技術らしき毒ガス兵器の除去……!? なぜそこに雪も連れていく必要がある!」
「何を言っている。お前の役に立たないようであれば婚約者として置いている意味はない。早く行け」
あっさりと切り捨て、大悟は珍しく山になっている書類を手に取り目を通し始めた。国民守護部隊からの資料だろう。この国を守る国民守護部隊のシステムはかなり古く、まだ紙での伝達が現役だ。祐治が渡されたのも今時珍しい、紙が束にされた文書だった。
読み終えては違う山を積み上げていく大悟。その山を回収する秘書たち。そして一瞬、空に浮かぶ半透明な映像には何らかの実験の報告書が届いたと表示され、大悟がちらと目をやると消えた。それが祐治の前で繰り返されている。
会社の社長としての仕事や、複数の研究や多くの実験の要として頭を巡らせる男は、研究に関しても経営についても天才だ。
その才能の代わり、息子にかける言葉どころか関心すらもうなくなってしまったようだった。切り替えが上手いとも言えるが、一種の人嫌いにも見える振る舞いは親族のみならず、多くの人との衝突も招いていた。
だがそれでも確かに大悟は「天才」と呼ばれるに相応しい男だと、彼を知る者はわかっている。祐治もまたそんな一人ゆえに、見慣れた態度の悪さに文句は出てこなかった。