六十一話
「お、おはよ慎!」
「お、おう」
なんでか緊張している奈々の挨拶に戸惑いつつも返す。
最近は本当に変なときが多い。
「今日の忘れてないよね??」
「当たり前だろ?正直言って昨日の夜からそれしか考えてない。包丁で手のひら切るくらいだ」
そう言って大きめの絆創膏のついた手をひらひらとふる。
「そ、そうなんだ…………手のひら切ることある?」
「豆腐のっけて切ったらこうなった。……てかもしかしておれが行きたくないとか思ってる?」
「付き合ってるフリだから……色々考えるよ!」
おれには彼女なんていないわけだし、心配しなくてもいいのに。
付き合ってるフリと言えば昨日の天鳳との絡みはどこまで広まってしまったのか。
腕の次は耳を狙ってきたから本当に噂が気になるところだ。
「…………ま、全然行く気だよ。放課後が楽しみだな」
「うん!!!」
奈々と2人で遊ぶ……というわけでもないが出かけるのは久しぶりだ。
鷹宮に知られていなくてよかったと心から思った。
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三光駅から約30分かけて電車で移動し、おれたちは目的地に着いていた。
「ここが会場か……結構でかいな」
事前にネットで見ていたものより大きく感じる。
天井の高さや照明の明るさが原因なんだろうか。
それと、まだ作業しているスタッフもいるため準備完了ではないらしい。
「思ったより早く着いちゃったね。まだ結構あるけど……どうする?」
「トイレは行ってきたし、近くで見たくないか?いい席取ろうぜ」
時計を確認してこれなら今行った方がいいと判断する。
学校でトイレ行っといたのは大きかったな。
「あはは!慎も乗り気じゃん!」
「当然」
ここは小さめのステージを半円状に並べられた座席から見るようになっている。流石に最前列付近は全て埋まっているため少しは後ろになりそうだ。
「うーん。前でも端はイマイチだよね」
「そうだな。どうするか……」
おれたちが悩んでいるとちょうど前の中央あたりで作業していたスタッフが抜けていった。
「あ、あそこふつうに座れるんじゃない?」
「よし、いくぞ」
タイミングよく空いた2席に滑り込む。
座席に座って色々触った感じ問題もないようだ。
「よかったー! いすが直ったタイミングで座れるってすごくない!?」
「ツイてるな。これならペアルックもいける気しかしない」
「だよね!! ………慎とペアルックかぁ」
「正確には天音だぞ」
「ちょっ、独り言聞かないでよ!!」
強めに肩を叩かれる。この距離で聞かないは無理だろ。
ただこれから独り言に返事はしないと決めた。
「あとちょうど30分、映画の始まる前とかテーマパークが開く前みたいな気持ちだな」
「うん! 天音麗花さんこんなに近くで見れるなんて!」
「お前が先行予約しといてくれた結果だろ?ありがとな」
「えへへ………うん。ほんとに慎が来てくれてよかった」
そこまで言ってくれるなら彼氏役になれて良かったと思う。
周りのカップルもまあまあ多いがやはり女性1人で来てる方が圧倒的多数だ。
そのまま奈々と話しながら30分––––––
急にあたりが暗くなったかと思うとステージにパッとライトが当てられた。
そこに立つのはもちろん、今日の主役天音麗花だ。
「みなさん、こんにちわ!!」
「「キャーーーーーーー!!!!!可愛いーーーー!!!」」
たった一言で会場は大歓声をあげる。
中にはカップルの男側が発狂しているものまで。……おいそこの彼氏となりの彼女見てみろ。
「慎! めちゃくちゃ可愛いね!」
「ああ、実物で見るとレベルが違う」
愛咲を収録現場で見たときより、さらに迫力がある。
まあ雑誌の表紙に載るくらいだし当然といえば当然か。
「今日は抽選で私も着てる服が当たるから最後まで楽しんでいってねー!!」
またあたりが歓声で埋め尽くされる。正直うるさいくらいだ。
今回は撮影会という名目であるが、実際は天音麗花がインタビューに答えたりなど個人のイベントみたいな感じだ。
実際に最初数枚ポージングをして撮った後は本人が話しているのがほとんどでそのまま1時間ほど経ったところでメインイベントに移る。
「それじゃあこのくじを引いていってねーー!」
「やっと来たね! どっちが引く?」
普段だったら奈々に任せるところだが、ここは決めてある。
「おれが引いていいか? 天音に持って帰ってやんないとだからな」
「………うん! シスコンの力見せてこい!!」
若干微妙な顔をされたが許可は貰えた。
列に並んで前を確認するがまだ当たりは出ていないらしい。まあ確率は低いだろうからな。
そして、ついにおれの番が来る。
「次の方どうぞ」
「はい」
スタッフに案内されてくじの入った箱に手を突っ込む。
こういうくじを引くとき誰もがガサガサと動かして適当に取るだろうが、おれは違う。
自分の能力を信じて、くじをまったく漁らずに一枚を握り込んだ。
「これでお願いします」
「はい。………えっと……あたりです!!おめでとうございます!!」
「よっしゃぁあ!!」
そして見事あたりを引き当てた。
周りからも拍手や「いいなー!!」などという声が聞こえてくる。
席で立ち上がっているであろう奈々に体を向けてサムズアップすると、2倍になって返ってきたからめちゃくちゃ喜んでくれてるんだろう。よかった。
スタッフに促されるままステージ上に向かう。
「おめでとう! あそこで立ち上がってた女の子の彼氏さんかな?」
声をかけてきたのはスタッフじゃない。
その声の主は天音麗花。そう、つまりこのくじ引きは当たりを引くと天音麗花本人と少し話せるわけだ。
服なんてのは付属と捉える人も多い気がする。
「はい。本当に当たってよかったです!」
「見たところ高校生だよね。三光高校だっけ?」
「目立つ制服ですよね。そこの2年です」
「あたしの一個下か〜! ふふ、まだまだ高校生活長いね!」
「はい。彼女にすぐ渡したいんで服ください!」
両手をまっすぐに出してアピールする。
「あはは! そんなに好きなんだね! はいっ…………」
「……どうしました?この後8時くらいからカフェにも行ったりしたいので……すみません」
「あ、ううん。……カフェってこの辺だとどこが好きなの? 」
「"箱カフェ"がいいですね。人も少なくてプライベートなことも話しやすいですし」
「そっか。こんど私も行ってみるよ! はいどうぞ!」
おれは渡される服をゆっくりと受け取る。女用が白で男用が黒だ。
前家帰った時に天音は黒のパーカー着てたからきっとこれも気に入ってくれるだろう。
「ありがとうございます」
「うん! またね」
「はい」
少しの会話を終えて席に戻ると周りから物凄く見られた。
これはまったく居心地良くない。
「慎! すごいよ!! ほんとに当てちゃうなんて!!」
そう思っているとすぐに奈々が距離を詰めてきた。
興奮し過ぎだろ……
「ああ、おれも鳥肌立ったよ。こっちが奈々の分かな」
「うわぁ……!可愛い……!!」
「めちゃくちゃいい生地っぽいし、ちょっと涼しい時に着れるな!」
「うん!! 慎も着ればいいのに」
「確実に天音行きだ」
服はそのために取ったようなもんだ。
たまには顔出さないとだし。
「とりあえず、めちゃくちゃ楽しかったな」
「本当に良かったよ。改めて今日は付き合ってくれてありがとね!」
「カップルらしさを見せつけろとかベタな展開になんなかったのは助かった。……とりあえず出るか」
目的も達成し、一旦会場から出て時刻を確認すると7時にもなっていなかった。
「まだ結構早いな……夕飯どうする?」
「カフェだから大丈夫だよ。食べいこ!」
「わかった」とだけ言っていい感じのカフェを探し始める。
甘いものも多そうなところに向かうことにした。