009.辺境の少年ロラン(4)お隣さん家の女の子
4歳になり、近場であれば母の目を離れてひとりで屋外に出ることを許されるようになった。俺は許可が出たその日に以前から目星を付けていた空き地に早速赴き、しっかりと柔軟体操をしてから体力づくりを始めた。
現状、俺には付与魔術が使えない。使えたとしても俺の望んだ効果を発揮する付与魔術が存在しない可能性もある。だが転移者は確実に身体強化などが常時肉体に付与された状態だろう。転生前の俺も転移特典として人間を超越した身体能力を与えられていた。だからこそ俺は少なくとも長期戦闘に耐え得る自前の持久力や瞬発力がなければ話にならないのである。
MPの有り余っている俺なら遠方から狙撃するなんて方法も取れなくもないかもしれないが、確実に相手を狙い撃つことが出来るか怪しい上に外した場合に着弾点の被害がとんでもないことになってしまう。しかも回避されてしまうと次弾を発射するまでにかかる時間で接近され、成すすべもなく葬られるのが目に見えるようだった。
俺に千里眼的な異能でもあれば【特殊効果】の『誘導』で対象に命中させることも容易いかもしれないが、無い物ねだりしても仕方がない。それに俺の目的はあくまでも神の使徒なので転移者と敵対して直接戦闘するのを避けるように立ち回る方が無難だった。
なんにしても直接戦闘を避けて狙撃に頼りたくなるくらいに逃避や回避の手段が自前の肉体だけだというのは心許ない。なにかよい案はないかと空き地を周回するように走りながら考え、ふと名案が浮かぶ。俺は走りながら室内では試すことの出来なかった新たな魔術を発動した。
【ホバーボード】
消費MP:100+追加3/s
魔力比率:土40%・停滞20%・操作20%・変化20%
魔術威力:100
物理干渉:51.0%
発動時間:50s
持続時間:20.8s
射程距離:325m
発動領域:81.25m
魔術規模:2.6m
消費MPのせいで無駄に魔術規模が大きくなってしまうのはどうにかならないものかと思いながら『操作』と『変化』を駆使して不必要な部分を射程外に移動させて即座に消失させる。残った魔術で造り出した固形物をボード状の足場に加工した。
物理干渉が50%を超えているのも考えものだが【特殊効果】の『操作』『変化』『誘導』が魔術要素として組み込まれたものに関しては自身の魔術で被害を受けることがないのは、これまでの研究でわかっているので安心してボードに足を乗せる。すると難なく上に乗ることが出来た。持続時間もあまりなかったので俺は早速ボードを『操作』で慎重に移動させてみたが想像以上に速度が出てしまう。俺はすぐにボードを停止させたが、指示通り空中に静止したボードと違い俺自身は慣性によって前方に吹き飛んでしまった。
俺は勢いのままに地面の上をごろごろと転がる。どうにか止まった時には全身に鈍い痛みを覚えた。骨折はしていないようだが、投げ出された直後に身体を捻って少しでも被害をちいさくしようと本能的に動いたことで最初に接地した右腕に結構な擦過傷が出来ていた。
魔術で負った怪我ではないので、そのまま修復魔術を使ったところで治癒出来ない。俺は簡単な水属性魔術を使って傷口の土汚れを落とし、立ち上がった。
周辺を見回して大きな葉を広げる植物を探す。折良く空き地の片隅に手の平大の木の葉を見つけ、1枚採取する。その木の葉を適当な魔術で損傷させてから傷口に押し当てた俺は、木の葉に【リカバー】を施して右腕の擦過傷を治癒した。
傷口に目を落として完治したことを確かめていると、ふっと患部が翳ってすぐ側にひとの気配を感じた。
怪我に気を取られていて他人の接近に気付いていなかったらしい。相手の出方を窺うように顔を上げるとそこには俺と同い年くらいの女の子が不思議そうな顔をして立っていた。そんな彼女が俺の視線に気付き、目線を合わせて尋ねてくる。
「もしかして君って魔法使い?」
「違うよ、俺はロランだよ」
苦しいとぼけ方だったが、今の年相応ならこんなものだろう。すると女の子は案の定眉根を寄せた。
「名前を聞いたんじゃない。今、魔法使ってたでしょ」
「なんのこと? それに君だれ? どこから来たの?」
下手に詮索させるくらいならこっちから質問責めにすることで誤魔化してやろうと立て続けに相手のことを尋ねた。
「私はメルクルーリア。村の端っこのあっちの方に住んでる」
そう言って彼女が指差したのは俺の家がある方向と同じだった。近所に同い年の子が住んでいる家なんてあっただろうかと首をひねる。
「俺の家もあっちだけど、君見たことないよ」
「ずっと家から出してもらえなかったからでしょ」
「ふーん」
「なによ。私がウソ言ってるって言うの」
「俺はなにも言ってないよ」
慌ててそう言い繕う。この調子なら誤魔化せそうだと思いながら俺は逃げるように告げる。
「俺もう帰るね」
「私も帰る方向一緒だから途中まで一緒ね」
俺は心底嫌だという顔をしてみせたが、彼女は微塵も気にした様子を見せることはなかった。仕方なく俺は彼女と連れ立って家路に着く。俺が家の前にまでたどり着くと彼女は俺をじっと睨みつける。
「また明日来るから」
「たぶん明日はいないよ」
目を逸らしてそう言ってみたが効果は期待出来なそうだった。すると彼女は念を押すように告げる。
「また明後日来るから」
「たぶん明後日もいないよ」
「いつなら居る?」
「……ずっと居ないと思うよ」
家の前でそんな会話を繰り広げていると庭で洗濯物を取り込んでいた母が俺の姿を見つけて声をかけてくる。
「おかえり、ロラン。その子は新しいお友だち?」
俺は即座に否定しようとしたが、その前に彼女はずいっと母の前に出ると礼儀正しく一礼する。
「こんにちは、ロランのおねえさん。私は隣の屋敷に一昨年引っ越してきたメルクルーリアと言います。これまでご挨拶出来ませんでしたが、これからよろしくお願いします」
「あらあらご丁寧に。リーエルさんのところのお嬢さんだったのね。よかったらこれからうちのロランと仲良くしてあげてね」
「はい、もちろんです。明日も約束をしましたから。そうだよね、ロラン」
有無を言わせぬ圧をかけられる。俺は否定してもよかったが、これ以上の抵抗は事態を悪化させるだけだと諦めて折れることにした。
「うん、そうなんだ」
「もうそんなに仲良しなのね」
「うん。だから今から家まで送って来るね。もう暗いし」
「ロランは騎士さんね。しっかり彼女を守ってあげてね」
「任せてよ」
そう応えると母は彼女に「またね」と手をふってから洗濯物を抱えて家の中に入っていった。扉が閉まると隣に立つ彼女が口を開く。
「思ってた通り、いい子ちゃんね」
「どっちがさ」
「私はいつだっていい子ちゃんだから」
「何歳?」
なんとも子どもらしくないので思わず年齢を尋ねていた。
「6歳よ」
「え、俺よりふたつもお姉さんなの」
そう言って俺は身長を示すように自分の頭上で手をふった。すると彼女は頬を膨らませて顔を真っ赤にしたかと思うと無言でずんずんと歩いて行ってしまう。俺はその後を慌てて追う。
「待ってよ。ちゃんと見送らないと母さんに怒られちゃうよ」
「ふん、どうせ私はちびですよ」
「まだ6歳だし」
「ロランは4歳なんでしょ」
「そうだけどさ」
「絶対ロランより大っきくなって、いつか踏み潰してやるんだからね」
「ドラゴンにでもなるの?」
「うるさい」
そうやってぷんすかとした彼女の後を付いて行くとすぐに樹々に隠れるようにして建てられていた大きな屋敷が見えて来た。教養も高そうだし、彼女は身分の高い家柄なのかもしれない。ただ屋敷からほぼ人の気配が感じられないのは気になった。
「じゃあ、俺はこの辺で帰るね」
「うん、また明日ね」
別れ際の彼女は柔らかい笑みを浮かべ、年相応と言った様子でちいさく手をふって大きな門扉の前で長いこと俺を見送っていた。