042.紅き世界の創造者(1)標的
相手はメルさんを殺すことなど容易だったはずだがそれをしなかった。理由は俺に対する牽制として人質を確保するためなのかも知れない。今も魔術で産み出された海蛇はなにか言いたげに俺を見据えている。俺は手にしていた短剣を手放す。
「メルさん、そこから一歩も動かないでください」
返事などしていられるような状態ではないのはわかっている。メルさんが左腕を狙われたのは魔術を使う際に、左手をかざしていたことから紋章術使いだと判断されたからだろう。おそらく彼女から戦う力を奪って抵抗の意思を削ぐ意味もあったと考えられる。
左腕を失った彼女の姿は、俺の前世の失敗を嫌でも思い起こさせた。また俺は失敗してしまったのだと嘆きたくなりながら今は不要な感傷を無理やり抑え込む。
なんにしても俺は想定を見誤った。少女が長期間常時維持している魔術はひとつだけだと安易に考えてしまっていた。だが実際には常時ふたつの魔術を維持していたらしい。それも無意味に生物を模した形状と動作をさせるという無駄に集中力を要するものをである。魔術を4桁近い数まで分割して制御するだけでも多大な管理能力を必要とするだけに、その非効率さに理解が追い付かなかった。
『操作』の精密さは俺を遥かに凌いでいるのは間違いないが、『変化』に関しては形状を変化するのみに留まっており、物質的な変質をさせることの出来る域には至っていないようだった。それでも少女は毎秒消費MP6を上回る回復量を有しているのは間違いない。最低でもMP43万を軽く超えていると見るべきである。それを確かめるためにも海蛇に直接触れたがったが、こちらが不審な動きを見せれば即座にメルさんは殺されてしまうだろう。
だから俺は身動きせずに海蛇を警戒しつつ少女を睨みつけながら透明度の高い固体にして上空に待機させていた球体を静かに降下させて海蛇と接触させる。少女との距離は50m以上あることから彼女が肉眼で視認出来ないと踏んでの対処だったが、上手くいった。
海蛇は50万に満たないMPで構築されていたらしく、簡単に消失した。魔力の物質化は二段階魔術であるため最大MPの半分程度しか本命の魔術に注ぎ込めない。正確な数値はわからないが、海蛇が消失した際に少女から大きな動揺が伝わって来たことからして最大値は俺の方が上であると考えて問題ないだろう。
俺は海蛇を消失させた球体をメルさんにも視認出来るように有色透明な物体に『変化』させ、メルさんを覆い隠すようドーム状にして少女からの攻撃を遮断する防壁とした。と同時に発動待ちの状態にあった【リカバー】が行使され、メルさんの左腕を修復した。
メルさんの腕は完治はしたが痛みは残っているらしく、彼女の表情は優れない。
「その障壁には触れないでくださいね。身体が焼け落ちるくらいでは済まないですから」
返答はない。ただメルさんは失われた腕が復元されたことに理解が追い付かないのか困惑したように立ち尽くしていた。そんな彼女をその場に残し、俺は湖の少女の元に湖面を滑るようにして移動した。
少女の目の前にまで移動すると彼女は手にしていた刺突短剣を力なく手から落とす。だが戦意を失った様子はなく、苛烈な感情を秘めた瞳で俺を睨み付ける。
「貴女は精霊様ということでよろしいのでしょうか」
そんな俺の質問がバカバカしいとでも言いたげに少女は鼻で笑う。
「私は人間だ。そういうお前は人間か?」
ここはなんと応えるべきだろうかと悩んだが、異常な能力を持つ彼女を覚醒した神の使徒だと想定した返答を選ぶ。
「この世界の魔術に関する調査任務を与えられた魔力法則調査官です」
少女の表情が険しくなる。バカにしているとでも取られてしまったのだろう。そう思ったのだが、彼女の返答はそうではなかった。
「異様な能力を振るう割に魔法力を感じないとは思ったが、魔界に所属する人間だったか」
魔界という単語に違和感を覚える。
「私は天界所属の顕界文明管理官アヴラメリー。秩序を乱す異世界からの来訪者の駆除を生業としている」
いろいろと聞きたいことはあったが、魔界や天界に関して尋ねるのは所属を疑われかねないため悪手だろう。だが俺は俺が殺すべき相手を見つけることが出来た。彼女は既に神の使徒として覚醒しているらしいが、転移者らしい存在が付近に存在しているような気配はない。もう転移者は処理されてしまった後なのだろうかとも考えたが、もしそうなら役目を終えて彼女は自害させられているはずである。
「転移者の話は聞いています。ここにはそういった方はいらっしゃらないようですが、貴女はここでなにを」
「迎え撃つ準備さ。近々転移者がこの街に来ることは事象予報士から転生前に聞かされている。それまで私はこの街で生き永らえながら待ってたのさ。まぁ、それらの仕込みは全てお前に潰されてしまったがな」
あの海蛇や魚群は転移者用の仕込みだったらしいが、近々転移者が来ると言うのなら俺はそれを邪魔してしまったことになる。だが俺の目的は目の前の彼女を殺すことにある。ただ転移者が付近にいない状況で殺すのは好ましくない。神様が相手の組織に疑いをかけていることを悟らせてしまうような行動は避けるべきだろう。だとしたら彼女を亡き者にするのは転移者と相対したどさくさで両者を屠るしかなかった。
だから俺はひとつの申し出をした。
「お詫びと言うわけではありませんが、貴女の仕事をお手伝いさせていただけませんか」




