032.若きふたりの探求者(9)隻腕の少年
翌朝、俺は部屋を出るメルさんを見送ってから魔力物質を『変化』させて昨日街中で見かけた衣類と帽子を生成する。早速その衣装に着替えて軽く髪型を変えてから帽子を目深に被った。
部屋を出る前に父から貰った指輪を左手人差し指から外す。どこに黄昏聖母の関係者がいるかわからないので今後は必要なとき以外は指輪を隠すことにして予め用意していた紐に通し、ノーマンがそうしていたように首から下げた。
宿の窓からメルさんが向かった方向を確かめると俺は部屋を後にする。早朝ということもあってか、まだ街中にはひとは疎らにしかいないので遠目でもメルさんの姿を見失うようなことはなさそうだった。彼女は脇目も振らず真っ直ぐに目的地を目指していて、黄昏聖母の監視者の存在など微塵も気にしている様子はなかった。
やがてメルさんは一軒の古びた屋敷の前で立ち止まる。屋敷は壁面に青々とした蔦がまとわり付き、庭も草が繁茂していて長年に渡って人の手が入っていないように見えた。彼女が住んでいたのは13年以上前だということを考えるとかなり昔に引越しでもしたのかもしれない。
メルさんは長いこと屋敷の前で立ち尽くしていたが、意を決したように錆び付いた鉄門に手をかけて力任せにひとひとりが通れる程度に開くと敷地内に侵入していった。さすがに屋敷の中にまでは追っていくことは出来ないので、俺は付近で時間を潰しながら情報収集することにした。
あてもなく屋敷周辺の路地を歩き回っているとボロをまとった少年が壁に背を預けて座り込んでいるのが目に入った。いつごろから少年がこの辺りに住み着いてるのかはわからないが、雨風を凌ぐのに使えそうな空き家が間近にあるのに手を出さないのはなにか理由があるのかと思い尋ねることにした。
「ちょっといいかな」
少年に声をかけると緩慢な動作で顔を上げる。彼の顔は異様にやつれて眼は落ち窪んでいて生気が感じられず。ただ声に対して反射的に胡乱げな視線を向けて来ているようだった。
「あっちの通りにさ、大きな空き家あるけど誰も使ってないの? 全くひとが出入りしてる感じもないし、なんなら君が住んじゃってもいい気もするんだけど。曰く付きだったりするのかな」
「……あんた外のひとか」
長いこと声を出していなかったからか、ひどくしゃがれた声でそれだけ言うと少年はごほごほと咳き込む。
「昨日、ここに来たばかりなんだ。それで朝から散歩してたらあの屋敷が目に付いてね。かなり良さげな建物なのに長いこと放置されてるみたいだから気になってさ。前の住人が他所に引っ越して屋敷の所有権を持ったままだったりするのかな」
適当な推測を告げて少年に聞いてみると彼は力なく首を横にふった。
「あの屋敷はもう誰のものでもないよ。2年前くらいかな。家の住人は得体の知れない連中に殺されちまったのさ」
「殺された?」
「あぁ、魔法使いばかりを狙う連続殺人鬼集団にやられたらしいぜ。魔創痕の刻まれた左腕を吹っ飛ばして魔法が使えなくなった魔法使いを散々痛ぶって殺すのさ。ここだけじゃなく他所でもやってるらしいぜ」
直感だが、それをやったのは黄昏聖母のような気がする。
「なぁ、もしかしてだが君って屋敷の関係者だったりしないか?」
そう尋ねたのは少年がボロ布で覆い隠している左半身の肩幅が、右半身に比べて肩口辺りまでしかないように見えたからだった。
「その通りさ」
肯定すると同時に彼は立ち上がり、ボロ布をめくって失われた左腕部分をさらす。
「俺は左腕だけ持ってかれて生かされたのさ。理由はよくわかんねぇけどな」
手元にある情報からすると彼はメルさんの弟なのだろうか。
「なぜ屋敷を放置してこんな場所に?」
「頼まれたからさ」
「頼まれた?」
「あぁ、魔法使いの知り合いを殺されたってやつにな。俺たちは仲間を探してんのさ、復讐するためのな。あの屋敷を尋ねて来たやつの中から魔法が使えそうなやつを見繕ってな。両親の知人には殺害された事実を伏せて助けを求める手紙を片っ端から送り付けたしな」
目の前の無気力な彼がどうやって生活するのに必要なお金や食料を手に入れているのかと思ったら協力者がいるらしい。しかし、話の流れからすると俺は彼の仲間としてお眼鏡に叶ったということなのだろうか。
「年齢的に両親の知り合いじゃなさそうだけど。あんたさ、使えるだろ。魔法。その左手の手袋。隠してるんだろ、魔創痕をさ」
どちらを選択すべきだろうか。彼の前ではまだ魔法を使っていない。左手の甲に魔創痕が刻まれてないので誤魔化そうと思えば誤魔化せる。
メルさんならどう判断するだろうか?
そう考えていたからかどうかはわからないが、この場に当の本人の声が響いた。
「オレもこいつも魔法なんて使えないぜ。現に魔創痕なんてないしな」
普段とは違う口調で告げながら背後から現れたメルさんは俺の左手袋を取り、少年に自身の左手の甲も合わせて見せ付ける。
「悪いが、オレらも旅路の途中で寄り道なんざしてる暇はねぇ。それに他人の仇討ちに手を貸してられるほどお人好しじゃないんでな」
少年は、しばしメルさんの顔をじっと見つめていたが諦めたように肩を落とす。
「そりゃそうですよね……さっきの話は忘れてください。乞食するための作り話なんで」
そう言った少年は再び地面に座り込む。メルさんは、そんな彼を一瞥すると俺の手を引いて大通りに出た。
「私のこと、つけてたんだね」
「ここ最近のメルさん人殺しでもしそうな勢いだったんで」
「そんなことするわけないじゃない。なんで相手に楽させてやんなきゃいけないの。地位も名誉も失って、いつか救われるかも知れないって希望にすがりながら惨めったらしく、生き永らえさせないと意味がないでしょう。だから生き残った彼には誰だかわかんない相手への復讐心を糧に今後も浮浪者を続けて貰うだけよ」
「弟さんはメルさんにはなにもしてないでしょうに」
「わかってるよ。わかってるけど、私は彼を許容することは出来ない。それに彼にはお仲間がいるみたいだしね。生活自体には不自由してないでしょう。そもそも私が姉だって気付かないくらいなんだし、赤の他人として扱っても別に問題ないでしょう」
自嘲気味に言って、メルさんは嘆息する。
「それでメルさんはこれからどうするんです」
「聞くまでもないでしょう。当初の目的に戻るだけよ。目の前の餌に目が眩んで寄り道しちゃったけどさ。それに屋敷の中でちょっと気になるものも見つけちゃっていろいろと冷めたしね」
「気になるもの?」
たっぷりと間を置いてからメルさんは周囲の生活音に紛れ込ませるようにして静かに俺に伝える。
「拭われた血痕と指輪の紋章。これでロランにはわかるでしょう」
半ば想像していた犯人の証拠にため息をついた。




