023.幼きふたりの研究者(9)本当の理由
その日、俺たちはメルさんが住んでいた屋敷の清掃をしていた。彼女の予想では近々家族が村を訪れるらしい。その準備とのことで俺はそれを手伝っていたが、彼女は魔術を使って屋内のホコリを手っ取り早く排除してしまっていて特に手伝うことなどなかった。
俺は生まれてから今に至るまで一度も村の外に出たことがないのでわからないが、メルさんはもう世界屈指の魔術師になってしまっているような気がする。今まで比較基準となる人物が俺以外いなかったが、それも彼女の家族が村に来れば明確になることだろう。
「そういえばさ」
屋敷の清掃を終えたメルさんが考え事をしていた俺に話しかけてくる。
「なに?」
「なんで村には子ども全然いないの? 外に出れるようになってもうすぐ1年だけど、ロラン以外と顔合わせたことないよね」
以前、俺も同じ疑問を抱いて父さんに尋ねたことがあった。本当かどうかわからないが、俺はそのとき父さんに聞かされた内容をそのままメルさんに伝える。
「父さんが言うにはなんにもない田舎の村だから若い人がみんな出て行っちゃったんだってさ。父さんだけは霊媒師だからここを離れられなかったんだって」
「まぁ、なんにもない村だけど。セーレ様の祠があるからもう少しひとが集まってても」
「精霊様と関係があるのって魔創痕のあるひとか霊媒師だけだし、どっちでもない村の人からしたらいてもいなくても変わらないもん」
「確かにそうなんだけどさ」
と答えながらメルさんは、かつて魔創痕が刻まれていた自身の左手の甲に目を落としていた。
「それに今なんてセーレ様は村から出て行ってて留守だしさ」
「いつか帰ってくるのかな」
「どうなんだろう。世界のあちこち見て回りたいってくらいだからずっと先かも。それよりも今は他に気にすることがあるんじゃないの」
「それなんだけど、なんだかもういいかなって気もしてるんだよね」
どこか憑き物が落ちたような表情でメルさんはつぶやく。
「どういうこと?」
「1年くらいロランの家で暮らさせてもらってさ、私の家族ってなんだったのかなって思って。それまではずっと魔創痕を取り戻して魔法を使えるようになったら、また家族として認めてもらえればそれでよかったんだけど。なんていうか今まで特別だと思ってた魔法をいろいろ使えるようになって、どうでもよくなっちゃったっていうか」
「……」
どう反応すべきだろう。メルさんは自身の中で折り合いを付けてしまっているらしい。
「だからさ、私もセーレ様と同じように旅に出ようと思ってるんだよね。私の魔創痕が消えちゃったのはきっとそういうことだったのかなって今では思ってるんだ。いろんな魔法が使えるようにってね」
俺にとってそれは前世の記憶を呼び起こさせる最悪の答えだった。だからといってメルさんの決意を否定する気にはなれない。彼女が家族の元に居場所を取り戻したところで幸福などないのは目に見えていた。
それなら俺はどうすべきかなど考えるまでもなく、選択の余地がなかった。
「それなら俺も一緒に連れてってよ」
「どうして?」
「だって村の外に行かないと魔法のこと調べられないでしょ」
「村で魔法使えるの私とロランだけだもんね」
「でも、メルさんは本当にそれでいいの?」
まだ家族と顔を合わせる前だというのに心を決めてしまっているようなので念のために尋ねる。するとメルさんは眉根を寄せて笑った。
「いいよ。だって、他にやりたいことなんてないし」
どこか寂しげにメルさんは言って、懐から一通の手紙を取り出した。
「実はさ、ロランにはウソついちゃってたんだよね」
「ウソ?」
なんのことだろうかと腕を組んで首を傾げる。
「近いうちに家族が来るって言ったでしょ。あれウソなんだよね。セーレ様がここに居ないって、お母様もお父様も知ってたみたいでさ。もう2度とこの村に来ることはないんだって。だから私には屋敷をあげるからあとは勝手にしろってさ」
「知ってたっていつから?」
「ロランと初めて逢った日より前には、もう知ってたみたい。私が屋敷から出てもいいって書かれた手紙に書いてあったから」
「うちの父さんと母さんはそのこと知ってるの?」
「うん、私がロランの家で暮らすといいって言ってくれたのもそのことを話したからだしね」
メルさんに関してやたらとんとん拍子に話が進んでいたので不思議ではあった。だが俺の両親が、その辺りの事情を聞いていたのなら納得の結果だった。
そこでふとひとつの疑問が浮かび、俺はメルさんに尋ねる。
「じゃあ、魔法の練習をしてたのはなんで?」
メルさんはなぜか困ったような顔を見せた。
「ロランと一緒だよ。魔法のことをもっと知りたかったんだ。もしかしたら私が魔創痕を取り戻したかった本当の理由は、そっちだったのかもね」
表情がどこか強張っている様子からして実際には違うのだろうけれど、メルさんは家族と決別するために自身の中でそういうことにしたのだろう。その折り合いを付ける意味も込めて屋敷の掃除を行なったのかもしれない。
「メルさん、本当に魔法好きだよね」
「うん、それが私の全部だから」
そう言い切ったメルさんは、目尻にかすかな涙を浮かべながら微笑んでいた。




