016.幼きふたりの研究者(2)温かい食事
今日一日調べてみてよくわかった。この世界では、どんな魔術が使えるかは重要ではないらしい。おそらく精霊に認められ、特別な能力が使えるということに意味があるのだろう。だから魔術を研究する人間もいないし、大した能力が使えるわけでもないことを知られるようなことを広める者もいないと考えられる。現在の魔創痕は魔術を行使するために必要なものではなく、精霊と繋がりのある血筋だと示す箔付けでしかないなのかも知れない。そう考えると過去の文献をあさったところで有益な情報は得られないだろう。それがわかっただけでも今日は充分だった。
日が沈み真っ暗になった玄関先でメルさんに屋敷から送り出されていると門扉の開く音がする。こんな時間に無断で入ってくるとなると不審者だろうかと訝しむ。
「ロラン、ちょっと屋敷の中に戻って」
「あ、うん」
理由はわからないが、俺はメルさんの言葉に従って玄関ホールに戻る。するとほどなく外から訪問者と彼女の話し声が聞こえてきた。
「ほら、今日の餌だよ」
「ありがとうございます」
「確かに渡したよ」
その言葉を最後に訪問者は帰って行ったようだったが、メルさんはなかなか屋敷の中に入ってこない。少し気になった俺は内側から扉をノックする。だが反応は返って来ない。仕方なくメルさんに断りを入れずに扉を開けようとしたが開けられなかった。どうやら体重をかけて俺が扉を開けるのを阻止しているらしい。
「メルさん?」
「まだ出て来ちゃダメ」
口になにか押し込んでいるのか、メルさんの声はくぐもっていた。さっきの会話の内容から察しが付かなくもなかった俺はどうすべきか迷った。強引に扉を開けてしまってもいいが、彼女の尊厳を踏みにじってしまうことになるのは間違いない。だからといって放置するのは気分が悪かった。
「メルさん、お腹空いちゃったから早く帰りたいよ」
「もうちょっと待って、すぐ片付けるから」
「片付けなら俺も手伝うよ」
「必要ないっ!」
最後には怒鳴られてしまった。意地でも知られたくないのだろう。
「ごめん」
「別に怒ってないから。こっちこそ大きな声出してごめんね」
そう言いながらメルさんは扉を開ける。彼女は後ろ手にバスケットらしき物を背中に隠していたが、足元にパン屑や野菜屑のような物がわずかながら落ちていたのでなにが入っていたのか想像がついた。
「じゃあ、また明日」
どうにかして彼女を食事に誘いたいが、今切り出したところで拒絶されてしまうだろう。なにか同情したと思わせずに誘える方法はないだろうかと頭を悩ませ、食事ではなく別の理由を建前に誘うことにした。
「えっと帰る前にひとつ。魔法のことなんですけど」
「うん」
「今日、本を調べてもなにもわからなかったじゃないですか」
「うん」
「たぶん、ここにある本全部読めてもなにもわからないかも。それでなんですけど」
「うん」
暗くて表情はわからなかったが、話を進めるに従ってメルさんの返事はどんどん暗くなって来ていた。
「これから父さんに話を聞いてみようと思うんですよ。セーレ様の霊媒師やってるからなんか知ってそうな気がするので。だからメルさんも一緒に俺の家まで来てくれないですか」
「今から?」
「うん。だってメルさん早く知りたいかと思って」
「こんな時間に行ったら迷惑じゃない? それにロランが明日聞いた話教えてくれればいいよ」
やっぱり無理があったかと思うが、ダメ元でもうひと押ししてみる。
「メルさんも父さんの話を聞いた方が、あとで俺から聞くよりいいと思う。だって聞いたことちゃんとそのまま話せる自信ないもん」
そう告げるとメルさんは押し黙る。伝聞より直接聞いた方が情報として正確なのは間違いないのでそこに嘘はない。これでも断られてしまった場合には、俺も引き下がらざるを得ないだろうとメルさんの返事を待った。
「わかった。ちょっと荷物置いてくるから待ってて」
「うん」
メルさんは手にしたバスケットを屋敷のどこかに置きに行き、すぐに駆け足で戻って来た。そんな彼女とともに俺は自宅に帰る。一緒に帰って来たメルさんに関しては、俺が父さんにセーレ様の話を聞きに来たと話すと母さんに快く出迎えてくれた。
「父さんまだ帰って来てないからお夕飯食べながら待ちましょう。よかったらメルクルーリアさんも一緒に」
「えっと私は大丈夫です」
メルさんは即座に断っていたが、家の中に漂う香りに空腹感を刺激されたのか意図せずお腹を鳴らした。それを耳聡く聞きつけた母さんは、にこりと笑った。
「お腹も欲しがってるみたいだし、遠慮しないで」
「……はい」
母さんに押し切られるようにしてメルさんは食卓に着く。俺はそんな彼女の隣に腰を下ろす。ほどなく食卓に並んだ料理を3人で摂る。出されたのは味の薄い野菜スープと固めのパンだったが、メルさんはゆっくりと時間をかけて美味しそうに口にしていた。
そんなメルさんの様子を目にした俺は、今後もどうにか彼女に温かい食事を摂ってもらえるように出来ないだろうかと頭を悩ませた。