011.辺境の少年ロラン(6)精霊様と魔創痕
まだまだ検証したいことはあったが、既に夜も深くなっている。あまり遅くまで起きていると両親に不審に思われかねない。仕方なく俺はMPが尽きる前に土属性魔術で生成した物質を『変化』で箱状に加工した容器の中に、同じ物質でつくったちいさな立方体を収納する。全て片付け終えた俺は箱を母の目に付かない場所に隠してからベッドに潜り込んで眠りに就いた。
翌朝、朝食を摂り仕事に出て行く父を母と一緒に玄関先で見送っているとメルクルーリアが姿を見せた。
「おはようございます」
「おはよう、メルクルーリアさん。ロランを迎えに来てくれたの?」
「はい、今日は一緒にセーレ様の祠に行く約束をしてましたから早い方がいいかと思って」
「そう、セーレ様のところに行くのね。そろそろロランもご挨拶に連れて行こうかと思っていたところだったから助かるかな。それもリーエルさんのお嬢さんと一緒なら私と行くより、いいかもしれないね」
「私に任せておいてください」
俺はまだひとことも発していないのに勝手に予定がとんとん拍子に決まってしまう。そもそもふたりが口にしているセーレとやらを俺は知らない。ここで質問してもいいが、メルクルーリアにとっては不都合だろうと思った俺は口を挟まずに目の前で交わされる会話を聞くに留めた。
「くれぐれもメルクルーリアさんに迷惑をかけないようにね」
「絶対に大丈夫だよ。それじゃ、いってきます」
「はーい、いってらっしゃい」
大きく手を振る母さんに見送られ、俺はメルクルーリアと連れ立って家を離れる。しばらく無言で彼女が進む先に付いて行き、周囲に誰もいない村外れにまで来たところで口を開いた。
「セーレってなに?」
そう口にするとメルクルーリアは目を細めて俺を睨み付けてきた。
「軽々しく、精霊様の名を呼び捨てないでくれる」
「精霊様?」
人間に協力的な幻獣のことだろうかと首を傾げているとメルクルーリアは、わざとらしいくらいに大きくため息を吐いた。
「本当になにも知らないのね」
「だって4歳だよ。知ってることの方が少ないよ」
「う、確かにそうね。悪かったわ。仕方ないから私が教えてあげる」
「お願いします」
「素直ね。もっと子どもっぽく拗ねた言い方するかと思ったのに」
「それはメルクルーリアさんでしょ」
「私が子どもっぽいって言いたいの? 昨日会ったばっかりのロランには言われたくない」
「俺もそう思うよ」
「はー、やだやだ。なんて嫌な子どもなんだろ。でも、大人な私は許してあげる。あ、あと私のことはお姉ちゃんでもメルさんでも好きに呼んでいいわ。長いでしょ、私の名前」
「じゃあ、メルさんで」
姉扱いはどことなく抵抗感があったので俺は彼女を愛称で呼ぶことにした。メルさんは止めていた足を動かして歩みを再開したので俺もそれに続き、簡単な柵で仕切られた細い山道を進む。道の手入れは充分とは言えず苔生した石がごろごろとあちこちにあり、柵の周辺は雑草が青々と茂っていた。
「それでセーレ様ってなに?」
「この世界に魔法という奇蹟の能力を与えてくださった72柱の精霊様の中の御一方ね。私のご先祖様がセーレ様に魔創痕を授かって以降、今でもうちではそれを受け継いでるの」
予想していた通り、幻獣であったらしい。しかし、魔創痕とはなんだろうか?
「ねぇ、メルさん。魔創痕ってなに?」
そんなことも知らないの? と言いたげな視線を向けて来たメルさんだったが、俺と目が合うとすぐに思い直したのか咳払いをして誤魔化していた。
「魔創痕は精霊様の能力をお借りして魔法を使うために必要なものよ。精霊様から認められた紋章官ってひとに『栄光の手』っていう儀式をして貰って左手の甲に、お力添えをいただく精霊様の紋章を七日間かけて魔法で刻んで貰うの」
話を聞きながら俺は隣を歩くメルさんの左手に目をやる。だが彼女は白い手袋をしていてどんな魔創痕が刻まれているのかわからなかった。
前々からこの世界のひとたちはどうやって魔術比率を調整してるのだろうかと思っていたが、どうやら魔創痕によってそれを可能にしているらしい。おそらく魔術行使の際に勝手に魔力比率を調整してくれる代物なのだろう。
「魔創痕がないと魔法が使えないの?」
「普通はそうね」
と言ってメルさんは自身の左手を胸元に持って来て、その手の甲を右手でそっと撫でてから俺の方に視線を向けた。
「そのはずなのにロランはどうやって魔法を使ってたの? しかも怪我を癒すなんて聞いたこともない奇蹟まで起こして」
どう答えるべきかと悩む。下手に言い訳しても食い下がられそうである。しかし、言い逃れは出来そうもない。メルさんはいつの間にやら足を止めて真剣な目付きで俺を見据えていた。
「教えて、どうやったら魔創痕もなしに魔法を使えるの」
「メルさんはセーレ様の魔創痕があるんだから魔法使えるんでしょ。だったら俺に聞かなくても──」
と言ったところで俺の言葉を遮るようにしてメルさんは左手の手袋を外す。彼女が俺に見せ付けて来た左手の甲には、なにも紋章が刻まれていなかった。