001.プロローグ
気付くと辺りは血塗れになり、燃え盛る城は半壊していた。
足元には首をなくした国王の亡骸が転がっている。その側には恐怖に目を見開いた彼の頭部があり、死してなお俺に視線を向けていた。不快感を覚えた俺はそれを乱暴に蹴飛ばして壁に開いた大穴から城外に落とした。
下から雄叫びが上がる。どうやら俺を追って来たらしい抵抗組織の人間が国王の首級を手にして盛り上がっているらしい。俺は彼らと合流することなく、この場を離れて地下の牢獄へ向かった。
たどり着いた牢獄への入口は強力な結界で塞がっている。俺が自身の異能でここを巻き込まないようにと牢獄全体に施した空間隔絶の結界だった。俺以外誰も干渉することの出来ない結界を抜けて中に踏み入り、念のために入口を完全に閉ざした。
内部は出際に俺が異能で作り直したので普通の部屋と変わらない。部屋の奥にはベッドがあり、ひとりの少女が横たわっている。俺が救出したとき彼女は左腕を失い、左脚の腱を切られていた。発見と同時に治癒魔法で治療して一命を取り留めはしたが、一向に目覚める気配はない。再生魔法でも使えればよかったが、俺の異能はそこまで万能ではなかった。
俺は側に置いて椅子に座り、彼女の右手を握る。少しでも回復の手助けになるようにと残ったわずかばかりの魔力を流し込む。国王を亡き者にするために大量の魔力を消費していたので余り残されていなかったが、それでも幾分か彼女の血色はよくなっているように感じた。
そのまましばらく見守っているとやがて重たく閉ざされていた彼女の目蓋が押し上げられたが、瞳には光がなかった。そんな彼女の瞳が俺の姿を視界に捉えると彼女は声にならない声を漏らして恐怖に顔を歪めた。
王国の兵士どもに辱められた記憶が蘇ってしまったのかもしれない。なぜ俺はずっと彼女の側にいてやらなかったのだろう。抵抗組織の人間を信頼した結果がこれなのかと思うとやりきれなかった。
そもそも変な正義感を見せてこの国の連中を助けようなどと思ったのが間違いだった。俺は彼女と一緒に旅を続けていられればよかったというのにこんなことになってしまうとは思いもしなかった。
辺境の地で吟遊詩人になることを夢見て平穏に暮らしていた彼女は、この世界に転移させられて右も左もわからなかった俺の話を疑いもせずに信じてくれた。そしてそれは俺にとって救いだった。
だからこそ俺は半ば諦めていたらしい彼女の夢を叶えさせたいと世界中を旅する手助けをしようと思い立った。
幸いにも俺をこの世界に転移させた神様から強力な異能を授けられていたので護衛くらいなら出来ると思ったのである。事実、俺は強く誰にも負けなかった。それを示してみせると女がそんな夢を見るもの程々にしなさいと日々彼女を窘めていた彼女の両親は旅立つことを認めてくれた。ただ条件として少しでも危険を退けられるようにと彼女は男装するよう言いつけられていた。
そうして旅立った俺たちは様々な街を点々と渡り歩き、俺は楽器を奏でて物語を歌い上げる彼女の声に聴き入りながら見守っていた。
旅を続け、たまたま立ち寄った村で略奪をする兵士たちを目にした俺はそいつらを蹴散らしてやった。しかし、それだけでことが終わるはずもなく、俺たちは選択を迫られた。村の人たちを見捨てて別の街に向かうか、根本的な解決を図るかどうかと。
俺は村の人たちの姿に自分の村が同じ目に遭ったらと考えてしまっているらしい彼女の曇った表情を見た瞬間、逃げるという選択を捨てた。
俺たちは兵士たちの行いを物語にして行く先々で歌い上げ、噂をあちこちの村や街に広めながら兵士たちを蹴散らしつつ彼らの所属する王都付近にまで移動した。すると俺たちの噂を聞きつけたらしい王国の横暴に対して立ち上がったという抵抗組織が接触して来た。
俺は彼らの誘いに応じた。危険な王都には彼女を連れて行く気はなかったので、俺が王都に乗りこんでいる間に彼女を守ってくれる人間を探していたので幸いだった。
だが計画実行に際して俺が王都に偵察行っている間に彼女は抵抗組織内部に出た裏切り者によって国王に売り渡されていた。
即刻そいつの首を吹き飛ばし、俺は王都に単独で乗り込んだ。そして地下牢獄で見つけた彼女は既に拷問を受け、辱められた後だった。
腫れ上がった顔や身体のあちこちにあった殴打の痕などは治癒魔法で治せたが、欠損した身体や深すぎる傷だけはどうにも出来なかった。
そこから先はよく覚えていない。
怒りに任せて異能を暴走させた俺を誰も止めることなど出来なかった。城内の人間を見境なく惨殺しながら国王の元を訪れた俺に対して彼はなにか言っていたようだが、なにも記憶に残っていなかった。
最早、こんな国のことはどうでもよかった。人里離れた辺境の静かな場所に行き、俺の異能を使いこなしてどうにか彼女の身体を元に戻そうと考えていた。神様に与えられた能力なんだからそれくらい出来ても不思議じゃないはずだと俺はその可能性に縋る。そんなことを考えていると俺の手がぎゅっと握られた。
どうしたのだろうかと彼女の方に目を向けると彼女は声が出せないのか口をぱくぱくとさせて声もなく「助けてくれてありがとう」と告げて笑顔を見せてくれた。
それを目にした俺は胸を締め付けられる。どう考えても救われているのは俺の方だった。
彼女はどうにか起き上がり、俺に握られている手を上下に軽くふった。手を握られたままだと動きづらいのかと俺は彼女の手を離す。すると彼女は、その手で「大丈夫だから」と言いたげに俺の頭を撫でてくれた。
さっきまで恐怖に身を強張らせていたのだからそんなはずもないだろうに俺ばかりが慰れられている。だから俺は少しでも彼女の押し隠したものを和らげられないかと考え、彼女の身体を優しく抱きしめた。一瞬、彼女の身体はびくりと硬直したのを感じ、軽率なことをしてしまったと後悔した。それでも言うべきことは口にしようと彼女に告げる。
「もう絶対に誰にも傷付けさせない。だから俺を信じて欲しい」
すると硬直していた彼女の身体は心なしか警戒を解いたように感じた。そしてぽんぽんと背中を撫でられた。
結局、俺はどこまで行っても彼女に救われてばかりだなと思っていると唐突になんとも言えぬ鋭い痛みを感じた。
「侵略的異界転生体被害防止法に基づきあなたを駆除します」
理解出来ない言葉を耳元で囁かれる。背中からなにかが引き抜かれ、彼女の手によって身体を押し退けられた。
彼女の手にはどこから取り出したのか、光沢のない黒々とした刺突短剣が握られいた。その先端は赤く濡れている。考えるまでもなく、それで俺の身体は刺されたらしい。すぐさま治癒しようとしたが、魔力の尽きたけた今の俺には完治出来そうもない。しかも刺突短剣には毒が塗られでもしたのか身体の感覚がなく、指一本動かすことが出来なくなっていた。
薄れゆく意識の中で視線をどうにか動かし、彼女の方に目を向ける。彼女は瞳から光と表情を失い何者かに操られているかのようだった。そしてその想像は間違っていなかったとでも言うように彼女は俺を瀕死に追いやった刺突短剣を自身の胸元に突き付け、なんの躊躇いもなく自分の心臓を穿った。
眼前で力なく崩れ落ちる彼女の姿を記憶に焼き付けながら俺は絶命した。
目を覚ますと真っ黒な空間の中で俺は彼女が手にしていた刺突短剣と似たような質感をした光沢のない黒い円卓に着かされていた。そんな俺の対面には、口の端から犬歯を覗かせた女性の姿が真っ黒な空間の中にくっきりと浮かび上がっている。彼女はこちらを真っ直ぐに見据えながら口を開く。
「やぁ、少年。ちっとばかし、あたしの話を聞いてくれないかい」
どこか軽い調子で言った女性はにかりと笑った。