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傘(5)

 離れた所で電車の音がする。駅が近くになっているようだった。

 二人の会話は、たまに行き交う車の音で聞き取り難く、聞き返す回数が多い為か、一向に進まない。保は静かな場所が落ち着くタイプであったし、瞳はそんな事を気にしないタイプだった。その違いに、初対面を付け加えると、気まずさとなるらしい。お互い、少し通じて無い事が気になり始めていた。


「今から、何されるんですか?」


 瞳が、保の予定を聞いた。当たり障り無い会話をしていたが、距離が縮まらないのが嫌だった様だ。こういう事で、人の良さや育ちの良さが(うかが)える。勿論(もちろん)、瞳の様に踏み込んで来てくれる人の方が良い。何か嫌だと、投げやりな形にしてしまう人は、人に対しても、どこか乱暴である。そんな人は好かれない。保は言うべきか迷ったが、初めて会った人だからという理由で、現状をそのまま伝える事にした。


「今、仕事を辞めたばっかりで、少し旅行に行こうと思ってるんだよね」


 保は聞こえるように、少し声を張った。雨のせいか、人通りは少ない。横で話しながら歩ける状態だ。並んでいる傘が、時々重なる。保にとっては、久しぶりの感覚だった。昔の感覚が現われるようでむず(がゆ)い。

 瞳は、旅行という言葉に反応したようだった。急に、今迄よりも明るい声になった。


「そうなんですね。旅行良いな。私も、仕事が無ければ、遠くまで行くんですけどね。温泉入りたいし、できれば部屋に付いているのとか」


 頭の中だけが旅行し始めた。旅行に関するサイトを検索して、その写真だけで行った気になれる人も居る。瞳は、それに当てはまるのだろうか。


「もしかして、本当に温泉とか行くんですか?」


 瞳は、羨ましそうな顔で保を見る。近くで軽く、車のクラクションが鳴った。鰻屋の香りが鼻に届いては、居場所を知らせている。自転車のベルが鳴って、保の横を通り過ぎた後、保は、一回頭の中を廻してから答えた。


「いや、まだ何も、決めていないんだけどね。行き当たりばったりで、思いつきだったし。何か、楽しい事があればとは思っていたけれどね」


 保の目には、数十メートル先のコンビニの看板が映った。保にとって、取り敢えずの楽しい事はあったのだ。幸先の良いスタートではある。

 お礼をしなくてはいけないと、保は考え始めていた。受け取り易い物が良いだろう。何か、コンビニ内で軽く買うという方向へ思考がいく。瞳は、今度は、思いつきの旅行の方に食いついている様だった。


「思いつきで行き当たりばったりの旅行。ワクワクしますね。そういうの」


 赤い傘が、もっと赤く見える。笑顔が向日葵になると、男性は皆、写真を撮りたくなるだろう。ただ、魅力的だった。

 保は、そんな事が頭の中に出てきた事を、不思議に思ったのだが、すぐに消えた。もうコンビニの前だ。瞳は自分のバックから手紙を取り出すと、保の顔を見た。保も、それに相槌をする。瞳はコンビニの外にあるポストに、手紙を入れに行った。


「これで良し」


 瞳は声が出ている。女性は、嫌う行動なのだが、男性はわかり易いので、嫌う理由が無い行動である。

 男性は、結果までの過程が論理的であり、結果の感想まで伝わってくる事を良しとしている。これを操るからこそ、「いい女」なのである。瞳は、これに付随(ふずい)するのだ。男性側の状態を考えて、意図的でもあるから、別の呼称では「小悪魔」である。ここまで出来るからこそ「小悪魔」なのであり、それ以外は天然なのだ。

 楽しかった保の時間も、これで終わりになるだろう。保はお礼を忘れない様に、瞳に声を掛けた。


「あの、傘のお礼をさせてくれないかな。プラスして、何かリクエストがあれば言ってください」


 保は、取り敢えず聞く事にした。あげる物は軽い物が良いとは、自分の主観だと思ったからだった。結構、圧のある聞き方だったのだが、保の真面目な性格が出ていた。

 瞳は少し笑った後、赤い傘を回して考えている。遠慮しない方が、今回の出来事では丁度良いのだと、瞳は思った。


「では、コンビニで甘い物を。何かはセンスで」


 イタズラな顔に変わった瞳は、紫陽花の雰囲気を(まと)っていた。男性が一番困る難問を、瞳は出してきた。センスとは何だ。保はいきなりの問いに、入社試験よりも真剣な顔になった。


「頑張ります」


 保の意味のわからない返答に、瞳は更に笑った。今度は向日葵の雰囲気を纏う。

 軽く話しながら、二人はコンビニの軒先へ移動した。まずは、折り畳み傘を返す事にしたのだ。保はコンビニの軒先で折り畳み傘を閉じると、少し振ってから、ボストンバッグから取り出したタオルで丁寧に拭き始めた。瞳は敢えて何も言わない。拭き終わると、保は丁寧に畳む。


「カバーを下さい」


 瞳は、保に促されると、バックからカバーを取り出して渡した。折り畳み傘がカバーに包まれる。保は、「よし」という顔付きになった。


「ありがとう。じゃあ、ちょっと待っててね。ボストンバッグは置いてくから、ごめん。ちょっとだけ、見ててね」


 保は折り畳み傘を瞳に返しながら言うと、ボストンバッグを瞳の足下付近に置いた。流石に、コンビニ内では邪魔になる。


「はい、大丈夫ですよ」


 瞳は、軽く返事をした。既に振り返っていた保の背中を見る。白い上着が雨で濡れているのに気づいて、瞳は雨雲を見上げた。


 街中で、たまに聞こえてくる会話はあるのだが、聞き耳を立てたいやり取りには、中々出会えない。今日は雨である。瞳は少しの待ち時間の為に、スマートフォンを取り出して触り始めた。鼻歌付きである。瞳は、なんだか、気分が良かった。


 コンビニの中に入った保に、特有のあの音が聞こえてきた。このコンビニは、左回りである。普通ならば、昼時でも無い限り左回りに進んだりするのだが、保はデザートのある棚へ一直線に進んだ。

 レジ前を通ると、おにぎり、お弁当、おつまみの順番で通り過ぎる。デザートは紙パックのソフトドリンクの近くと、もう一つの棚の二ヶ所に分けられていた。日持ちする方か、生菓子か、はたまた、奇を(てら)ってアイスか。保のセンスが、確かにとわれていた。あんまり、瞳を待たせるのも良くない。


「どれに・・・」


 久しぶりの選ぶ行為だった。内在する心の声が、漏れそうになる。

 考え抜いたあげく、保は、日持ちする物から二種類、ゼリーとプリンを選び、生菓子の方から二種類、新商品を選んだ。他人の金で、新商品が試せるだけでもプラスになるだろう、と考えたからだ。

 追加で、500ミリリットルのペットボトルの飲み物も四本選び、レジに持って行った。入り口のビニール傘が目に入る。本来、一番買わなければならない物である。慌てて取りに行き、レジに持って行った。


「これも、お願いします」


「テープを貼らせて頂きますね」


「あ、はい」


 先に、傘を渡された。店員との、ちょっとしたやり取りが終わると、保は携帯会社が発行しているプリペイド式カードで支払いをする。ポイントが貯まるのだ。保はポイントを貯めるのが好きというより、常にアンテナを張り、得する情報を集めるのが好きだった。いろんな会社からしてみれば、良く踊ってくれる良客である。

 保は飲み物の袋とデザートの袋を店員から受け取り、傘を持ってコンビニから出ると、瞳の前に戻っていく。音楽を聴いていた様だった。瞳はイヤフォンを外した。


「もう、四曲も聴けちゃいましたよ」


 少し子供っぽい声で、瞳は言った。保は、意外と待たせていた事を認識すると、少し申し訳ない顔になった。


「ごめん。センスを問われるって、結構、プレッシャーだね」


 言い訳しながら、保は二袋を瞳に渡す。瞳は、その量に少しだけ驚いた。


「こんなに、何買ったんですか?」


 デザートの袋の中を、広げて見ている。瞳の目が、袋の中をスラスラ流れた。


「あっ、これ。新しいの。気になってとヤツだ」


 小さい子供の様な反応に、保は胸を撫で下ろした。一定値の可は貰えたようだ。


「飲み物も沢山(たくさん)。数で勝負する事にしましたね」


 瞳は保が座っているので、少し前屈みになって笑っている。それを聞きながら保は、買ったビニール傘の包装を取ると、ゴミになった包装をボストンバッグの外側ポケットに入れて閉めた。立ち上がると、ボストンバッグを肩に掛ける。


「残念ながら、下手な鉄砲しか持ってないからね」


 保は苦笑いした。保にとっては、これで準備完了である。軽く挨拶した後、電車にでも乗ろうと考えていた。


「お礼の品、確かに受け取りました。ありがとうございます・・・あの、変なことかもしれませんが、(うち)で一緒に食べませんか?」


 瞳が保の目を見る。突飛な提案に、保は、言葉を理解するのに映像が必要だった。すぐに、声が出ないのも当たり前である。


「行き当たりばったりって言ってたから、家に寄っても良いのでしょう?今日は土曜日だし、私、これから暇なんです。保さんも同じみたいだし、何なら、泊まって行きます?お金も浮くと思うんですけど」


 甘い罠のような言葉に、保は絡め取られていった。思い切り怪しいのだが、保は、目の前の瞳にすんなり捕らわれる。保にとっては、急ぐ旅では無い事が大きかった。予定を立てないという予定は、予想外の出来事で、想定外になっていた。


「良いよ。お言葉に甘えるね」


 保の返事を聞くと、瞳は嬉しそうに、これからの予定を立てた。お礼の品を食べた後は買い物に行って、夜はお酒飲んでDVDでも見てと、ブラブラ並べている。行き当たりばったりは何処へ行ったのだろう。買い物の資金は、勿論(もちろん)保持(たもつも)ちであるようだ。出さない訳にはいかない。はたして、一泊にしては高いのか、安いのか。


「料理は得意なんで、任せて下さいね」


 瞳は、次に献立を考えているようだ。サービスは悪くないのだろう。一泊にしては安いのか、高いのか。

 遠くでまた、電車の音がした。二人は、コンビニから移動し始める。瞳の家に向かうのだ。道中、保は、瞳の横で話を聞きながら、相槌(あいづち)をするだけで頭が何処かを飛んでいた。現状の異常性を、全く考えていなかったのである。









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