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傘(2)

 男はまず、長く付き合っていた彼女にフられていた。「長く」というが、一年、二年の話では無い。学生時代も含め、八年間は付き合った相手だった。


 四年目の冬頃、彼女に怪しい行動があったのだが、その時、男は、別段、(とが)める事はしなかった。共に住み、その中の生温(なまぬる)い状態が、良いのか悪いのか、分からなくなっていた頃である。


 男はそんな中、彼女の両親に会いに行く事を計画した。挨拶は大切であるし、男の本気を彼女に行動として示す事ができる。彼女も了承し、無事、挨拶を済ませた。

 少し生活にめりはりが戻り、笑い合う事も増えたのだが、彼女の裏側まで、この頃の男は深く考えてはいない。


 彼女は、たまに友人と出掛けていた。友人という言葉を信用していた男は、「楽しんでおいで」と送り出す。付き合うに(あた)り、相手を縛る事はお互いの為にならないと考えていたし、息抜きも必要であり、女性同士でお喋りする事も大切な事だと男は思っていたからだった。


 リズムも変わらず数ヶ月経った頃、彼女がトイレで吐いているのを男は見る。何か病気かと男は思い、急いで背中をさすったのだが、彼女は「ありがとう」と言っただけだった。

 病院に行った方が良いという男の助言に、彼女は、「もう行ったから大丈夫。(しばら)く続くけど、安静にしてたら大丈夫になってくるって言われたから」と、もっともらしい笑顔になる。男は少し疑いながらも、その場は折れた。男にとって、今の所はフィクションだからである。


 それから数日後、産婦人科の領収書を、男はゴミ箱からゴミを出す時に見つけた。頭上の点が、星座を描き始めている。男は避妊に関してしっかりしていた。例えば、警察官に対してさえ、避妊していると言い、そのレシートを見せられるくらいに。

 男は途方に暮れるとはこういう事かと、人生で初めて得た感覚に震えた。成程(なるほど)、なりたくは無いと、男は何処かで納得した。内容の入ってこないテレビを見ながら、お茶を飲む。すると、丁度彼女からの連絡が入った。


 -帰ったら大切な話があります。


 男の知らない所で、何かが確定していく。

 一人、取り残される感覚も、また、初めてだった。普通ならば面倒な感覚である。この男が変わっているのは、仕方なくではあるが、最後まで楽しむ事に決めた事だった。開き直りでは無い、何かを閉じるという楽しみ。くだらない前向きとは違う意味合いを、男は選択した。簡単にするならば、ただの強がりである。何かを決めないと、何かが整わなかったのだ。


 笑える様になったバラエティー番組が終わった頃、彼女が帰宅する。笑い声を聞いたからかもしれない。表情が暗かった。記憶の中では、そう見えた事に男はした。


 扉が開いて、「ただいま」と「おかえり」から始まる閉じる為の時間は、「ごめんね、未来が見えないの」と言う彼女の言葉でコーナーを回る。それが、表立っての理由である事を、男は分かっていた。いや、背景を考えれば、本音だったかもしれない。今では確認する事すら無駄な物だ。


 彼女は(しばら)く経つと、「ごめんなさい」を繰り返すだけになり、ただそれだけで、一周、二周して行く。空気も、男の心をドリフトして行く。四年前からの歪な形を、相手の男性を、部屋の中に撒き散らして静かに流れる。


「未来が見えない」という彼女の捨て台詞に対して、男は何も言わなかった。言う気力が無かった訳では無い。男と彼女との間に未来が見えないのは、この状態になったなら、その通りであるからだった。言い得て妙だと、男は本気で思っていた。それは、今でも変わらない。


 彼女は「直ぐに出て行く」と静かに言い、荷物をキャリーバックに入れ始める。衣類と雑貨を、丁寧に時間を使いながら詰め込むと、男に鍵を返した。出会った頃から、決まっていた事の様である。時計の秒針の音が、やけに遅く聞こえてきた。

 あの箱を実家に送ったのはこの為かと、男は鍵の音を受け取りながら思い出す。


 一週間前、彼女は学生時代の物を四箱程、実家に送っていた。「保管して置いて貰う」と言いながら、宅配員に取りに来て貰っていたのだ。

 大体の大切な物は、その時移動したのだろうし、残っている物等は取るに足らない物だろう。


 昨日の夜、男の服だけ洗濯し、干した理由も計画の一部だろうか。女性の考える計画は凄いなと、男は子供の様に、彼女の背中を見送った。


 干されている男の服が少し揺れている。厚手の服は下の方が少し湿っぽい。二人で買った柔軟剤の匂いがする。

 玄関の扉を閉める時、彼女は「今まで、ありがとう」という、なぞなぞの様な言葉を落として行った。


 煙草に火を付ける。二人で居た時は、部屋では吸えなかった。煙草の匂いで、誰かの臭いを消したかったからかもしれない。

 男は、優しさを好きな男性のタイプにあげる女性を、信用出来ないと少し思った。男の優しさで彼女の行為を黙認し、改める事を信じていたからだ。それで結果がこれである。


 考え方を変えれば、その様な癖の付いた彼女だ。この様な彼女になったと言った方が良いかもしれない。先を考えれば、後、数回くらい同じ様な事をするかもしれない。離れられて良かったと思う方が、良いのかもしれない。別れという出来事は誰にでも来る。


 ぐるぐる廻す。くるくる回る。


 繋がらない糸を、最後の最後まで引っ張り出すのは、いつも男性側か。男は、彼女でなければならない理由を、必死に忘れ様とした。


 日によっては、酒で。

 日によっては、キャバクラで。

 日によっては、行きずりの女の横で。

 日によっては、日によっては。

 男の日常は、パラパラ漫画になっていく事で、男を守っていた。













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