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エルフ3




 青空に点々と浮かぶ、ちぎれ雲を目で追ううちに町へ着いた。


 目の前には、茶色いレンガを積み上げた三メートルほどの高さの塀。その上から王城が、他の全てを見下すように威容を示している。塀は町をぐるりと囲んでいるので、中に入るには所々に設けられた門を通らなくてはならない。


 ネティに言われたとおり、塀沿いの道を右のほうへ進むと、すぐに門らしきものが見えてきた。その両側に門番らしき男が二人立っている以外、近くに人影はない。


 門扉は190センチの俺より頭一つ分くらい高い。両開きの、古めかしい木の扉だ。


 俺が近づくと、手前の一人が面倒くさそうに首だけ回し、気怠げな声でぼやくようにこう聞いてきた。


「こんにちは。今日もいい天気だ……ですねえ。ええっと、できればお名前と、年齢、出身地をお聞かせ願えますでしょうか? あと、できればでいいので、ここへきた目的などもお聞かせいただければ……」


 男は、俺の顔を見た途端にしゃべり方を変えた。よくあることだ。


「名前はタケタダ。四十五。出身はディーマ・カッツェという村だ。目的は観光」


 間を置かず、ネティに言われた通りにそう答えると、


「四十五? 僕と同い年だね……ですよ。奇遇ですねえ、ハハッ、ハ……」


 もう一人の門番が、なにか帳面に書き込みながら口を挟んできた。二人とも中肉中背。どことなく、ぼんやりとした雰囲気も似通っている。お揃いのくすんだ銀の甲冑を身に着け、手に長槍を持ってはいるが、威圧感なんぞは欠片もない。


「おい、これだけでかい町なのに、人が全くいねえのはなんでだ?」


「ああ、それはこちら側に主要な街道が一本も通っていないからですよ。言わば裏口ってやつですね。ずうっとあっちのほうに行けば南門があるんですけど、そっちには嫌ってくらいたくさん人がいますよ?」


 手前の門番が、俺がきた方角を指さしてそう答えた。それからすぐに、


「タケタダさん、手続きが終わったので通っていいですよ。では、良いご旅行を!」


 もう一人の門番がそう言うと、門は軋んだ音を立てて、ゆっくりと開いていった。俺は軽く手をあげ「おう」とだけ応えて、町の中へと足を踏み入れた。


 そして、見回すと――このあたりは、どうやら住宅街のようだ。橙色の平たい屋根の建物が、整然と軒を連ねている。見た限りでは、ほとんどが木造平屋建てのようだ。


 それから、渡された地図を頼りに不動産屋を目指した。途中で十人ほどとすれ違ったが、その全員が老人か子供だった。今頃の時間だと、若い男はどこかで働いているだろうし、女は夕飯の支度などで忙しいはず。だから不思議だとは思わないが、肉体的に弱者である彼らがのんびり出歩けるということは、それなりに治安が良いのだろうとは感じられた。


 そうして十分ほど石畳の上を歩き、件の不動産屋の前に着いた。周りの住居と似通った、木造平屋建てだ。ただ、開きっぱなしになった引き戸の上に、大きな木の看板を掲げているのが店舗らしくはある。


『ヴォッタクル不動産』


 それには、そう書かれていた。引っかかりを覚える店名ではあるが、ここの他に当てはない。仕方なく俺は、持ち前の警戒心を極限まで強めつつ、敷居をまたいだ。


 ――が、六畳ほどの店内には誰もいなかった。


 中央に部屋を二分するカウンターテーブル。その両側に木の椅子が二脚ずつ。壁には物件らしき間取りの書かれた紙が、まばらに張り付けてある。それらを一瞥したあと、俺はカウンターテーブルの手前まで歩き、奥にある引き戸に向かって声を張り上げた。


「おう、客だ! 誰かいねえか!」


 ………………返事はない。もう一度、呼び掛ける。


「おい、誰かいねえのか! さっさと出てきやがれ!」


 …………やはり返事はない。仕方ねえ、女神の家に引き返して、一晩だけ泊め――うん? 奥から声が聞こえる。若い女の声だ。


「……ふあっ、これ……すっごぉい! ……んっ、はぁん……ってよ、お客なんか放って……ああん、もう。わかりました……絶対だからね……」


 声の感じからすると、睦事の真っ最中だったらしいな。邪魔しちまったか。


 ややあって、奥の引き戸が静かに開いた。そこから姿を現したのは、背中が曲がった小柄な老人だ。耳周りと後頭部にわずかに残った白髪をボリボリと掻いている。


 爺さんは、精気のみなぎった目で俺を睨みつけると、億劫そうな仕草で口を開いた。


「なんだ、客か? 客なら間に合ってるぜ」


 だいぶしゃがれてはいるが、よく通る力強い声だ。


 ふん、こういう手合いは向こうの世界で嫌と言うほど見てきた。悪びれることなく、人を食い物にするような生き物だ。俺も他人のことをとやかく言えた義理ではないが、顔を合わせただけで虫唾が走る。たぶん、同族嫌悪というやつだろう。


「真っ当な商売人の吐く言葉とは思えんな。わざわざ鴨がぜにもって訪ねてきてんだぜ? ちっとくらい愛想良くしたらどうだ。まあ、若い女と乳繰り合うのに忙し――」


 俺がそこまで口にしたとき、引き戸の奥から顔をのぞかせた女――いや、少女と目が合った。年の頃は十四、五くらいか。まっすぐな髪は、肩にかかるくらいの薄茶色。少し目尻の下がった、大人しそうな顔立ちだ。襟元に白い文様があるだけの、ゆったりした黒いワンピースを着ている。一見、修道服のようにも見えるが……聖職者だろうか?


 少女は赤く上気した頬を恥ずかしげに両手で覆い、俺に会釈した。そして髪を小刻みに揺らしつつ、カウンターテーブルの脇を通って表に姿を消した。


「……犯罪じゃねえのか?」


 この爺さんが犯罪に対し、どれほどの忌避感を持っているかは疑問だ。だが、そう声に出さずにはいられなかった。


「失礼なことを言うな、合意の上だ。儂とアレとは深く愛し合ってんだぜ」


「ああ? 冗談だろ。教会のボランティアかなんかじゃねえの? 身寄りのない淋しいお年寄りを、神様の代わりに無料で慰めてくれる――」


「おい小僧! おめえ、なにしにきやがった! 用がねえなら、とっととけえりやがれ!」


「くはは、すまん、つい調子に乗っちまった。悪気はないんだ、赦してくれ」


 同類とまではいかないが、自分に近しい存在と話すのは、ずいぶん久し振りのことだ。少々、言葉が過ぎてしまうのは無理からぬことだろう。


「……チッ、まあいい。さっさと用件を言え、こちとら暇じゃあねえんだ」


 爺さんはそう言って椅子に座った。せっかちなやつだな。だが、話が早いのは嫌いじゃない。俺はそばにあった椅子に腰掛け、ネティに渡された手紙をテーブルに置いた。


「部屋を借りたいんだが……」


「ああ? おめえ、双子んとこの客かあ。チッ、んじゃあしょうがねえなあ」


 ネティの手紙に目をくれると、すぐに爺さんの態度が変わった。明らかに物腰が柔らかくなっている。このジジイ……あの二人と、どういう関係だ? まさかとは思うが、さっき出ていった小娘と同じで、肉体的に深い間柄じゃあねえだろうな?


「なあ爺さん。あんた、あの双子とどういった関係だ?」


「……関係、だと?」


 ジジイがつぶやいて、目を細める。


「赤の他人だ。だが、儂はあの二人に恩義がある。それだけだ。 ……おめえ、変な気を起こすなよ? あの双子におかしなまねしやがったら、ただじゃおかねえからな」


 爺さんの様子から察するに、どうやら危惧したような関係ではなさそうだ。恩があるとか言ったが、それとは別に年寄りが孫に抱くような感情もあるように感じる。


 それから爺さんはカウンターテーブルの下を弄って、一冊の帳面を引っ張り出した。俺の前に、投げるように置かれたそれの表紙には『優良物件、※※※※※町』とある。


「ほらよ、好きなのを選べ。初期費用は双子に請求するから気にすんな」


 爺さんに促されペラペラとページをめくるが、書かれているのは知らない住所と、どれも似通った3DKの間取り。どうせ寝るだけになるだろうから一部屋でいいんだがなあ。一戸建てばかりで集合住宅のようなものはなさそうだ。便所は各家についているが、風呂は銭湯。家賃はどの家も、月に金貨一枚程度となっている。


「爺さん、この近くの物件はないか?」


「ああ、ならこれと……これだな。このあたりは特に治安がいいから借り手が多い。そのせいで家賃は若干高めになってるがな」


「へえ。なあ、どっちがおすすめだ?」


「どっちも、だ」


 どっちも、か。下見して慎重に選ぶって手もあるが、面倒だな。適当に決めてしまおう。


「んじゃあこっちだ。すぐ入れんのか?」


「ああ。少し待ってろ、鍵を取ってくる」


 そう言い置いて、爺さんは奥に引っ込んだ。


 築十年、閑静な住宅街、木造一戸建て、3DK、風呂なし、トイレあり、で、1ヶ月の家賃が金貨一枚と銀貨三枚、つまり一万三千円。かなり安い……よなあ、たぶん。このへんの相場がどの程度なのかは知らんが、まあ、そんなことはどうだっていい。重要なのは、女神の家の近くに住めるということ。それに尽きる。


 早速だが、住居が決まったことを報告しに訪ねてみるか? ……いや、あまり頻繁だと煙たがられるかもしれん。ストーカーと間違えられても嫌だしな。急ぐことはない、時間をかけて、ゆっくりと、確実に、だ。


「――おい、なにぼうっとしていやがる。おかしな妄想でもしてたのかよ」


 おおっと。いけねえ、考え込んじまった。いつの間にか、一本の古びた鍵を指にひっかけた爺さんが目の前に座っている。


「おめえ、名前は?」


「タケタダだ。爺さんは?」


「表の看板に書いてあったろう」


 ヴォッタクルって名前なのかよ。どうやらこの爺さんは、生粋の悪徳商人らしい。


 それからジジイは、俺の前で鍵を揺らしながら、


「まさかとは思うが、おめえ、このあたりがいいなんて言ったのは、双子の店に近いからってのが理由じゃねえだろうな。だとしたら、この鍵は――」


「いやいや、違う違う! そんなんじゃねえ! ただ、あれだ。なんとなくだ。なんとなくこのあたりの町並みが、俺の生まれた町に似てるような似てないような、そんな気がしたんだ。だから、やましい気持ちなんてこれっぽっちもねえよ」


「……チッ、まあいい。ほら、鍵と物件までの地図だ。大家にはあとで伝えておく。今からそこはてめえの家だ、周りに迷惑かけねえ程度に好きに使え。家賃の支払いは毎月一日、ここに持って来い。二ヶ月滞納したら放り出す。それと……あの双子に少しでも迷惑かけるようなことがあれば殺す。わかったか?」


「ああ、わかった。肝に銘じておくよ」


 そう応えて鍵をつかみ取ろうとした。が、ジジイが手を離しやがらねえ。値踏みするような目で、ジッと俺の目を見ている。……やがて、


「チッ!」


 ジジイは大きく舌打ちをすると、渋々といったふうに鍵を手放した。


 俺は鋼色の鍵をしっかり握り締めると、思わず顔がにやけるのをかみ殺し、


「世話になった。これからしばらく世話になる。宜しく頼む」


 と、一応の礼を言って、ヴォッタクル不動産をあとにした。犬を追い払うようにする爺さんに背を向けた途端、自然と口元がつり上がっていくのを感じた。


 それから、地図を頼りに物件――俺の家に向かった。不動産屋の前の比較的広い通りを、さっき通った門のほうへ十分ほど歩く。それから若干細い道に入り少し行くと、三つ目の四つ角に目的の建物が見えてきた。


 外観だけではわかりにくいが、地図によると間違いなくこの家だ。オレンジの屋根に白い壁。周りの家よりもわずかに壁の色があかるく見えるのは、リフォームしたからなのか、それとも丁寧に掃除をしただけなのか。


 近くにコンビニ……なんてあるわけないよな。せめて商店街でもあればよかったのだが、あいにくと店の一軒すら見当たらない。いろいろと買い揃えたい物があるんだがな。まあいい、あとでそこらを歩いてるやつでもつかまえて聞いてみよう。


 そう思いつつ、家の玄関に近づき鍵を開けた。金属製の丸いドアノブの中央に鍵穴の空いた、向こうの世界でもよく見かける形のものだ。


 そうしてドアを開き、足を踏み入れると――案外、普通だな。普通に土間があり、短い廊下がある。すぐ左手には洋式のトイレ。その向かいにダイニングキッチン。廊下の先に六畳くらいの部屋が二つと、トイレの向こうにそれより狭い部屋があった。


 嬉しいことに、キッチンには水道が完備されていた。ガスコンロはなく、代わりに暖炉のような物があるが、料理をするつもりは毛頭ないので使い方は知らなくていいだろう。


 ふと窓を見ると、透明な板ガラスのような物がはめ込まれていた。確か板ガラスを作るには、それなりに高度な技術が必要なんじゃなかったか? そう思い軽く叩いてみると、ガラスより弾力のある樹脂のような感触だった。


 前にケンジのやつが「一般的なファンタジー世界の文明レベルは中世のヨーロッパ程度なんっすよ!」とか言っていたが、ここはちょっと違うらしい。もう少し進んで産業革命のあたりだろうか? 世界史は苦手だったので詳しくはわからんが。


 そうして家の中を一通り見て回ったあと、俺は右奥の部屋にあったベッドに腰掛け、小さくため息をついた。堅いマットが沈んで、木が軋んだ音を立てる。


 異世界、か……フッ、午前中は向こうの世界で銀行強盗してたのにな。今は異世界で借りた自分の部屋で、のんびりとくつろいでいる。こんな状況だが、不思議と焦燥感や不安感は湧いてこない。代わりにあるのは、過去の自分と決別できる開放感と、警察に追われる心配のない安心感だ。


 トラックに跳ねられた瞬間、人生が終わるのを覚悟したんだがな。まさか、すぐに次の人生を始められるとは思わなかった。今度は――今回の人生は、道を踏み外さないようにしねえとな。他人から恨まれるのも、後ろ指をさされんのも、いい加減うんざりだ。


 俺だって、好き好んでヤクザなんかになったわけじゃあない。ただ、見た目がこんなだからな。なにもしなくても寄ってきやがるんだ、その手の連中が。高校在学中から、俺は関係者の間ではかなり有名だったらしい。卒業式当日には校門の周りに、スカウトしにきたヤツらの高級外車がズラッと並んでいやがった。


 もちろん、初めは断るつもりだった。だが、煽てられていい気になってた俺は、つい、そのうちの一人に付いて行っちまったんだ。結構いい大学に進学することが決まってたんだがなあ……思えば、もったいないことをした。


 ――が、過ぎたことをクヨクヨ考えてもしょうがねえ。いま考えるべきなのは、これから、どう生きるかだ。俺はここで、絶対に真っ当な人生を歩んでやる。そして、できれば女神を嫁に……いや、そういうことは生活がしっかり安定してから考えよう。


 そのためにも、まずは職を見つける必要がある。とはいえ、この世界にどんな職業があるのかすら、わからない状態だ。とりあえずはネティに言われたように、冒険者として生きていくしかなさそうだな。先のことはもっとこの世界に馴染んでから考えればいいか。


 ふと、窓の外に目をやった。外は、日暮れの気配を全く感じさせないくらいに明るいが……この世界には、時計のようなものはないのだろうか?


 そう考えていると、どこからともなく荘厳な鐘の音が、しっかりした作りの壁を通して響いてきた。一回……二回……三回……四回……。いま四時ってことか? ……まあ、多分そうなんだろう。


 冒険者ギルドってのは何時まで営業してんだ? チッ、ついでに聞いておくべきだったな。だが地図によると、ここからそれほど離れてはいないようだ。散歩がてら、そっちのほうに行ってみるか。もしやっていなければ、明日にでもまた出直せばいい。


 それからすぐに、きちんと戸締まりしたのを確かめて、冒険者ギルドのほうへ向かった。


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