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 まだ午前中だというのに、厚手のカーテンをぴったり閉め切った真っ暗な部屋。その部屋の中程にある、手頃な大きさの丸テーブル。その上にのせられた、大人が一抱えできるくらいの丸い水盤。


 その静かな水面に映っているのは、どこか異国の――いえ、正しくは異世界の風景です。巨大な角張った構造物が無数に建ち並ぶ景観は、まさに異世界と呼ぶに相応しい様相を呈しています。


 ここに、その風景を一心にのぞき込んでいる、麗しい双子のエルフがいます。私、メイヴィーフィターリヒアと、その姉のネイヴィーティターリヒアです。私たちは今、ある儀式を行っています。わかりやすく言うと――勇者様の召還、かしら?


 本来ならこのお役目は女神様が行われるもののはず。と、過去にこの異世界から召還した人たちは、口裏を合わせたように言うのですが……女神様って誰ですか? よくわかりません。おねえも知らないと言っていました。でも、召還したうちの一人に、


「異世界に誰かを召還するんなら、あんたらは絶対に女神様であるべきだぜ? そんで召還された俺様は、世界を救う勇者様だ!」


 そのように言われてから、この儀式を行うときには彼らの言う女神様の扮装――専門用語でコスプレというらしい――をするようにしています。確かにこの格好をしたほうが、交渉が楽に早く進むような気がしますしね。


 薄手の白い布を華奢な体に巻き付け、銀の錫杖を手に持ち、頭にそれらしい髪飾りをのせておく。あとはこの長い耳を隠せば、どこからどう見ても女神様なんだそうです。


 ただ一つダメ出しされたのが、髪の毛。長いほうがいいんだそうです。でも、仕事――魔法関連の雑貨屋さんを営んでいます――をするとき邪魔になるので伸ばす気はありませんし、かといって私たちの金糸のような髪に馴染むカツラなんて滅多にありません。聞けばショートカットの女神様もいないではないようなので、これは妥協することにしました。


「――ちょっと、メフィ! ちゃんと集中してよ、映像ぶれてるから!」


 あ、いけない、おねえがにらんでる。水宝玉をはめ込んだような瞳を細くして、両手の指でテーブルをトントン鳴らしています。おねえは、ちょっとイラッちです。


「ごめん、おねえ。ボーッとしてた。でも映像がぶれてるのは、おねえがテーブルを揺らしてるからじゃないの?」


「はあ? ……なにあんた、あたしに意見しようっていうの?」


「いや、べつにそういうわけじゃ……」


「いい? この儀式を考えついたのはあたし。そして、儀式を行うのに必要不可欠なスッフィー君を作ったのもあたし。この、あたしなわけよ。言ってみれば、あんたがこの儀式を楽しむことができるのは、あたしのおかげってこと。それにね、あたしはあんたの姉――」


 うわ、また始まった。おねえのお説教タイムです。


 確かにスッフィー君を作ったのはおねえです。でも、その遠見の水鏡は私がダンジョンの奥深くまでもぐって見つけてきたものですよ? どちらが欠けても、この儀式を行うことは不可能だと思うんですけど?


 ちなみにスッフィー君というのは、十年くらい前におねえが作り出した、異世界へ転移することができる謎の合成精霊です。外観は、真っ黒な煙を球状にギュッと寄せ集めた感じで、普段の大きさは平均的成人男性がすっぽり入るくらい。対象を霧状の体で包み込み、その対象ごと異世界へ転移することができます。


 まあ、確かにすごい発明だとは思いますよ? でもこのスッフィー君、暇つぶしにそこらにいる精霊を手当たり次第に掛け合わせたら、たまたまできちゃったものなんだそうです。そんな偶然の産物を引き合いに出されて、さも全てが自分の才能の上に成り立っているように、自慢げに言われても……ねえ?


 でも、下手に逆らっておねえが怒り出すと厄介ですからね。刺激しないよう、うまく違う方向に話を誘導することにしましょう。


「――あっ! おねえ、おねえ! あの人いいんじゃない? ほら、黒いリュック背負ってる人! なんか、ものすごいオーラが出てるよ?」


 私は仰々しく声を上げ、水面に映る異世界の片隅を指さしました。そこにいるのはボサボサ頭で黒縁メガネをかけた、二十歳くらいの男性です。赤いチェックのシャツを着て、ウジャウジャうごめく人波の中をトボトボ歩いています。手にさげた四角いバッグから、何本か棒状のものが突き出していますが、どうやら刀剣の類ではないようです。


 オーラと言いましたが、べつに体が発光しているのが見えるというわけではありません。彼が勇者様の条件に適っている気がする、というだけのことです。


 勇者様を選定する条件――私の場合は『人生をやり直したい』と考えていそうな人を選んでいます。たった一度きりの人生なのに、思うようにことが運ばず落ちぶれて、立ち直ることが極めて困難になってしまった人。


 そんな人をこちらの世界に呼んで、人生をやり直してもらおう。それが、私がこの儀式を行う目的です。慈悲の心に満ち溢れた人情に厚い私は、そんな人を見かけると、どうしても助けてあげたくなってしまうんです。


 ですから、その人の第二の人生がうまくいくようにと、人間ごときにはもったいないくらいの強力な武具やアイテムを無償で提供したりもしています。


 ――でも、おねえは違います。俗物で強欲なおねえは、本当にお金が大好きなんです。ですからこうして勇者様を選ぶときも、お金を持っていそうな人にしか目がいきません。そうして、運悪くおねえに目を付けられた勇者様は、召還されたあとで有り金を全て巻き上げられてしまうのです。


 さらには、アイテムを提供するのもお金次第です。お布施――巻き上げたお金のことを、おねえはそう呼んでいます――が多ければ多いほど、それなりに性能のよいアイテムを入手することができます。レンタルで。一定期間で効果がなくなるように魔法をかけておき、延長に次ぐ延長で、際限なく――。


「ぜんっぜん、ダメよ! お金の匂いがまるでしないわ! メフィ、相変わらずあんた勇者様を見る目がないわねえ。いいわ、教えてあげる。本物の勇者様がどんな人なのかを!」


 ……それから少しして、


「見つけたわ! この人が私の勇者様よ!」


 自信満々におねえが指し示したのは、こげ茶色の窮屈そうな衣装に身を包んだ、赤いブタのようなオッサンです。油が滲み出た薄い頭をハンカチで拭い、そのまま顔中に塗りたくっています。おえっ! ……でも、確かにお金は持ってそうですね。彼の周りには何人か執事らしき人の姿が見受けられます。そばに置かれている、彼の所有物らしきジドウシャと呼ばれる乗り物も、他の人のものより大きくて立派です。


「じゃあ決定でいいわね? 今回はこの人が勇者様だから」


「いや、無理でしょ。この人あっちの世界にけっこう満足してそうだよ? 無理やり連れてきても、すぐに帰りたいって言い出すんじゃない?」


「むむ! 確かに……でも……んー……」


 お金をたくさん持っていれば、ある程度は置かれた状況に満足してしまいますからね。すべてを投げ出して、知らない場所で第二の人生を歩もうなどとは考えないでしょう。なので、おねえの選ぶ勇者様は、大抵がそういった理由でNGになります。


「おねえ、べつにお金持ちじゃなくてもいいじゃない。じゅうぶん持ってるでしょ、異世界のお金。もう浴槽に二杯ぶんくらい溜まってるんじゃない?」


 おねえが欲しがっているのは異世界のお金です。当然のことながら、こちらの世界で使用することはできません。なんの価値もない、ただの紙切れも同然です。


 では、なぜおねえはこうも欲しがるのか。その理由は――金風呂かねぶろです。


 おねえは時々、浴槽をお湯ではなく、異世界のお金でいっぱいにして入浴します。そうすることで魔力が鍛えられ強くなるのだとか。異世界のお金に込められた念の力が潜在魔力に強く働きかけるからだ、などとほざいていますが、私はそうは思いません。オカルトです。単なる思い込みです。きっと、自己暗示にかかっているだけですよ。


 おねえに勧められて私も一度だけ試してみましたが、やはり、そんな効果があるようには感じませんでした。紙幣の角があたってチクチクするだけです。


「でもね、消耗するのよ、お金って。使ってるうちに込められた念の力がだんだん弱くなって、三回くらい使うとその辺に転がってる紙屑とほとんど変わらなくなっちゃうの。だからね、どんどん補充しないと間に合わないわけよ。わかる?」


 いえ、全然わかりません。


「そういうことだから、人生終わってそうな金持ちを探すわよ。メフィ、お金が集まってきそうな場所に移動して」


 おねえはそんなことを言っていますが、聞いた話によると、この異世界ではお金さえ持っていれば人生が終わるような状況には滅多に陥らないのだそうです。絶対にいないとは言い切れませんが、この人混みの中からそれを見つけ出すのは至難の業だと思いますよ? なのでまあ、きっと今回も散々探し回った挙げ句、私が見繕った中で比較的お金を持っていそうな人に決まるのでしょうね。


「メフィ、ロッポンギよ! ロッポンギに移動して!」


 ハイ、ハイ、仰せのままに。この遠見の水鏡を操作するのはおもに私の役割です。スッフィー君はおねえの精神と一部をシンクロさせているので、おねえが考えたとおりに動かすことができます。今は異世界人に見つからないように、どこかに待機させているみたいですね。水鏡に映っている範囲にはどこにも見あたりません。


「――ちょっ! 大変よメフィ、この人やばいかも!」


 ハイ、ハイ、こんどはなんですか? 白ブタですか? 黒ブタですか? それともノーマルタイプ? と、ちょっとうんざりした気分でおねえの指先に目を向けると、あれ?


「ちょっ、いやっ、本当に大変! なにこの人、死にかけてるの!?」


「だからそう言ってんじゃない! 助けるわよ、この人!」


 ええっ!? 意外です! おねえがお金を貰ってないのに人助けをしようだなんて! あ、もちろん嫌ってわけじゃないですよ? 根っからの善人である私は、一目見た瞬間からこの人を助けようと思ってました。それにしても、かなりひどい状況です。このままでは医者が到着するまで持ちそうもありません。彼を助けるには、こちらの世界に転移させて、私かおねえが回復魔法をかけるしかないでしょう。


 どうやらおねえも私と同じことを考えているようです。スッフィー君を速やかに移動させ、彼のほうへと近づけていきます。そばにある貨物運搬用ジドウシャから上る煙で、その姿はうまい具合に目立っていません。


 ――もっとです! もっと急いでください、スッフィー君! くるくる回る赤いランプに照らされてなお、彼の顔が次第に青ざめていくのが見て取れます。蘇生魔法もあるので死んじゃってもかまわないんですけど、なんかもったいないですから!


 やがて、スッフィー君は彼のそばまで近づくと、わずかに体を震わせて彼に覆い被さりました。はたから見るとその様子は、彼が黒い煙に巻かれているとしか思えません。近くにいる十人ほどの異世界の憲兵たちも、必死に手を振って散らそうとしています。――これから目の前で、なにごとが起きるのかも知らずに。


 私の目の前で、おねえが目を閉じて精神を集中し始めました。異世界間を転移するのに必要な魔力をスッフィー君に送っているのです。なんとなく漠然とですが、スッフィー君に魔力がジワジワと蓄積されていくのが感じ取れます。


 しばらくそうしたあと、おねえが唐突に目を見開いて、


「――必殺! 異世界転移、開始!」


 そう叫ぶと、血まみれで横たわっていたはずの彼の姿が、瞬く間にその場から掻き消えたのです。煙のようなスッフィー君も、すでにそこには見あたりません。


 残されたのは異世界の憲兵たちだけです。呆気にとられるもの、右往左往するもの、誰かに向かってなにかを叫ぶもの。反応は人それぞれですが、みなが驚き慌てふためいているということには変わりないようです。――キシッ、キシシッ!


 そのあと少しして、この部屋の真上あたりでなにか重たいものが落ちるドサッという物音が――って、うそっ!? まさか!


「ちょっ! おねえ、なんで私の部屋なのよ! 汚れるからやめてって言ったじゃない!」


「いやあ、ごめんごめん。今回はちょっと慌ててたからね。次からは、ちゃんと例の部屋に届くようにするから。でも、位置的にあんたの部屋が一番やりやす――」


 おねえが喋り続けるのにも構わずに、私は儀式の部屋を飛び出して、取り急ぎ二階にある自分の部屋へと向かいます。廊下に出て階段を駆け上がり、激しい音を立てて扉を開け部屋に踏み込むと、――やっぱり!


 さっきまで遠見の水鏡に映っていた血まみれの男が、あろうことか私のベッドの上でぐったりしています! キャーーーッ! シーツが、枕が、マットレスが、お布団が、ベッドが! 汚らわしい人間の血液で汚染されてる! イヤーーーッ!


 ……チッ、仕方ありません。寝心地が良くて気に入っていたのですが、このベッドは丸ごと焼却して、新しいのを買うしかなさそうです。


 ともあれ、早くこの男を回復させてしまわなくては。


「お願い、水の精霊さん! 気持ち悪いけど、この人を治療してあげて!」


 私がそう告げると、窓際に飾られた花瓶から輪郭の霞んだ女性らしき白い影が現れ、ベッドに横たわる男の上に覆い被さりました。そして、水中に沈むように、徐々に男の中へと入っていきます。やがて、白い影が全て男の中へ消える頃には、男の体からは一切の傷がなくなっており、その頬にはうっすらと赤みが差し始めていたのです。


「ありがとう、水の精霊さん。汚い仕事させちゃってごめんね? またよろしく!」


 手を振って、花瓶の中へ帰っていく水の精霊さんを見送っていると、その時になってようやくおねえが部屋に入ってきました。


「どうよ、治った? そのおっさん」


 おっさん? ――ああ、怪我のほうばかりに目がいってしまい顔をよく見ていませんでしたが、確かにおっさんです。白髪交じりの短髪に伸び放題の眉毛、目の下のくまと弛んだ頬肉あたりからそのことが窺えます。こめかみから頬にかけて大きな傷が走っていますが、これは精霊さんの治療ミスではなく、だいぶ昔に付けられた古いものだからです。


「治療はちゃんと終わった。そんなことより見てよこのベッド。この汚れ、洗濯した程度じゃ絶対に落ちないよ? おねえ、どうしてくれるの」


「わかったわかった、新しいの買ったげるから、それでいいでしょう? そんなことよりそいつ、いつ目を覚ますの?」


 あれ? どケチなおねえが二つ返事で弁償することを認めるなんて……ははーん、その理由はおねえが大事そうに抱きしめている、あの箱の中にありそうです。


 全体的に金属のような色の、取っ手が付いた四角い箱。いえ、箱のような作りをしたカバンでしょうか? どちらにせよ非常に頑丈そうな外見から、中に入っているのはそれなりに価値の高いものだと考えられます。


「なに、おねえ。その……大事そうに抱えてる箱は。この人の持ち物?」


「あ、これ? そうよ、たぶんその人の。そばに落ちてたからついでに持ってきちゃった。って言うか実はこっちのほうがメインなんだけどねー。なんかさ、ビビビッて感じちゃったのよ。お金の気配って言うの? なんかそういうのを!」


 おねえは得意げに答え、心底うれしそうに顔をほころばせます。そして、私がおねえに「あんまりツバを飛ばさないでよ!」と注意しようとしたちょうどその時、ベッドに仰向けの男の口からうめき声が漏れるのが聞こえてきたのです。


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