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あたしたちが「おでん」です。  作者: 千葉あんず
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第28話、おるこちゃんが死んじゃう!?

★第28話、おるこちゃんが死んじゃう!?


「うわぁ、母さん、母さん……すっごく綺麗だね!」


「まあ、秋ちゃんったら、うふふ……」


「母さん、とっても綺麗だよ!」


「もう、秋ちゃんったら……うふふ」


 ――母さんとボク、夜明け前の元旦早々から……


 母と子の水いらずで、南習志野海浜公園にある海水浴場の、その砂浜の上に居たりする。


「そんなに母さんを見つめて綺麗なんて言われたら、うふふ……初日の出早々、母さんは幸せいっぱいよ」


 ――母さんが運転するマイカーに乗ってさ、母さんと二人っ切りで初日の出を拝みに来たは良かったんだけど……


 ニッチもサッチも、日の出前の人工砂浜は凍てつくくらいの寒さだったりする。


「水平線に顔を出した太陽、ビックリするくらい綺麗な赤に染まってるし! 有難いくらいに美しいご来光だよね! 寒さなんか忘れちゃうくらいに綺麗だし……」


「って、あら? 秋ちゃん? 綺麗って言ったのは初日の出なの?」


「え? 母さん?」


「母さんに秋ちゃんは綺麗って言ってくれてたんじゃないの?」


 ――あ、母さんのご機嫌を損ねたらさ、お年玉が値引き大キャンペーンになっちゃうし! ニッチもサッチも、どうにも、そりゃまた一大事だし!


「美しいご来光に照らされた母さん、幻想的な風景の中で妖艶に輝く母さん、とっても綺麗だよ」


「うふふ……秋ちゃんったら」


 ――母さんはボクの背後から手を伸ばすと、ボクの右肩にチョコンと顔を乗せ……


 そして、ボクを羽交い締めにするかのようにギュっと抱きしめてくれた。


 ――ちなみに、ボクの母さんは身長が177センチもあってさ……


「身長が171センチしかないボクの背後から抱きしめてくれて、母さんの身長の大きさを凌駕する……」


 ――母さんの人としての大きな温もりに……


 ボクは新年を母と子の水いらずで迎えられた喜びを染々と感じざるにはいられなかった。


「あら? 秋ちゃん?」


「え? 母さん、なぁーに?」


 ――母さんは抱きしめていたボクから離れると……


 唐突にグルグルとボクを品定めするかのような様相になった。


「母さん? ボクを後ろから、横から、真正面からジロジロ見渡しちゃって……えっと? 何してんの?」


「秋ちゃん、背が伸びたんじゃない?」


「うん、1センチくらい伸びたけど……」


「あら、やっぱり……どうりで秋ちゃんを抱きしめたら違和感を感じるわけだわ」


「えぇー!? たったの1センチの違いが判るの!?」


「秋ちゃんは母さんがお腹を痛めて産んだ大切な子だもの……たったの1センチの違いだって判るに決まってるじゃないのよ」


「うわぁー! やっぱりボクの母さんは凄いや!!」


「秋ちゃんったら、どんどん大きくなってくれて……うふふ、母さんは嬉しいわよ」


「どわ!! 母さん!! 初日の出を見に来てる人々、海岸にイッパイ居るんだし……真正面からボクを抱きしめたりしたら恥ずかしいよ!!」


 ――なんて言いながら、中学生になったボクを幼い子供をあやすみたいにさ、今でも愛情タップリに抱きしめてくれる母さんへ抱きついちゃってるボクだったりして……


「あら、秋ちゃん、大丈夫よ」


 ――っていうか、ボクは巷に居る日本人の母親が不思議で堪らない……


「母さん? 大丈夫って、何が?」


 ――だってさ、ボクの母さんみたいに、どんなに成長しようとも我が子を愛情込めて抱きしめる母親が居なさ過ぎるから……


「だってね、初日の出の薄暗い中なんですもの」


「えっと? だから?」


 ――ボクは大人になっても母さんの子供だよ。でも、何かっていうとハグやらかすボクの母さんとボクみたいな母子関係を見たなら……きっとボクはマザコンって言われること受け合いなんだよね……


「うん……だからね、秋ちゃん……うふふ」


 ――でも、それ、いかにも日本人的なモノサシでしかなく……ファミリーを大切にする世界の多くの国々から見たらさ、逆にバカにされるだけなんだってさ、日本人は早く気づくべきだよ!


「もう、母さん! 含み笑いなんかしてないで早く教えてよ」


「初日の出に感激して抱き合っているラブラブなカップルにしか見えないから大丈夫よ」


 ――ありゃま……どこから見ても社会人にしか見えない母さん。どこから見ても中学生にしか見えないボク。そんな二人が親子じゃないカップリングなら……


「えっと、あの……援交カップルとしか認識してもらえない気がするんだけど……」


「あら、母さんは、美少年で美少女みたいな……きらびやかな娘みたいで可憐な息子の可愛らしい我が子となら……断然、援交カップルに見られて鼻高々よ」


「あちゃあ……母さん、母さん……それ、全然褒め言葉になってないから! っていうかさ、ニッチもサッチも、どうにも支離滅裂な物言いんなっちゃってるみたいなアレだから」


 ――あぁーあ……新年早々、ハチャメチャに訳ワカンナイことばっかり宣う母さんだし……


 相変わらず、ここ何十年をも、激しくをもしどけなく平和ボケしている我が日本。


 ――そんな我が国で、その平和さに振り回されつつ、相変わらず平和ボケしているボクたち母子だ、なんてことは恥さらしばなしみたいな……



「秋ちゃん、お屠蘇よ。はい、どうぞ」


「母さん、お酒は二十歳を過ぎてからだよ。ボクは中学生なんだし……お屠蘇といえど、日本酒なんて飲んじゃマズイし」


 ――初日の出のご来光をめでたく拝み、夜明けから初日の出渋滞にハマりつつ、車で30分足らずの距離を小一時間もかけ、南習志野海浜公園から我が家に帰ってきた母さんとボク……


「あらヤだ、秋ちゃんったら。お屠蘇は薬酒よ」


 我が家に帰り着くや否や、母さんは炬燵の上に豪華絢爛なご馳走を並べてくれていたりする。


「厄を払って無病息災を祈願する、御年一番にする事の理じゃないのよ」


 ――母さん手作りのおせち料理とか、お雑煮とか、お汁粉とか……って、あれ? お雑煮とお汁粉が同時にあるみたいな?


「秋ちゃんったら、縁起物を召さずに逃すのはバチ当たりの理だわよ」


「っていうか、母さん? お雑煮とお汁粉、イッペンにお膳へ並べちゃったし」


「だって、秋ちゃんはお雑煮もお汁粉も好きでしょ?」


「うん、好きだけどさ……」


「じゃあ、問題ないんじゃないかしら?」


 ――あぁーあ、ボクの母さん……新年早々ツッコミどころだらけだし……


 そんな、いかにも我が浅間家らしい暮らしの風景を繰り広げている中、

「ピンポぉーン、ピンポぉーン」

と、我が家の呼び鈴が不意に鳴った。


「あら? 新年早々から誰? 朝から早々……まだ朝の8時過ぎなのに誰が来たのかしら?」


 ――母さんは炬燵から出て立ち上がると、ボクにハテナ顔を見せたと思ったら……


 迷惑そうな表情を顕にしつつ、仕方なさそうに、笑顔の居間から迷惑が訪れた玄関へ行ってしまったのだった。


「まぁー! その顔、どうしたの? ほら、早く中にお入りなさいな! 早く、ほら、早く!」


 ――は? 何を母さんは玄関で慌てふためいて大きな声出しちゃってんだか……


「もう、可哀想に! こんなにホッペが腫れるまで叩いたのは誰なの? こんなに可愛らしい子なのに、こんなに腫れ上がるまで暴力をふるうなんて!」


 ――ボクは母さんが取り乱すように話し掛けている相手が誰なのか気になって仕方なくて……


 ボクも炬燵から出て立ち上がると、新年の笑顔の居間から、笑顔の居間を遮った迷惑な玄関へと行ったのだった。


 ――あれ? 来訪者はボクのおるこちゃんだし……


「っていうか、アンビリバボぉー!!」


 ――おるこちゃんの顔、おたふく風邪になったみたいに腫れ上がりまくりだし!!


「秋ちゃん……あけまして……おめでとうございました」


「ぼえ? おるこちゃん? どうして過去形?」


「だって、あたし……全然めでたくないもん」


 ――うん、見た瞬間めでたくないって判るし……美少女おるこちゃんの顔、試合後のボクサーみたいに腫れ上がりまくりだし……


「ってかさ、おるこちゃん? ホッペ真っ赤に腫らしちゃってさ、一体全体、どうしたの?」


「あたし、お母さんから叩かれたの。お母さんから殴る蹴るされたの……」


「えぇー? 元旦の朝から……どうしてさ?」


「秋ちゃんったら、そんな質問は後よ!」


「あ、うん。母さん、そうだよね。おるこちゃん、とりあえずさ、ボクんちに上がってよ」


「そうよ、薫子ちゃん。ほら、早くお上がんなさいな」


「お母様、元日の朝から……あたし、押し掛けてゴメンなさい」


「薫子ちゃんったら、ごめんなさいなんて言わないのよ。困った時、真っ先に来てくれて嬉しいんだから、あたしは」


「お母様、ありがとうございます。激鬼バリ嬉しい言葉とか、ありがとうございます」


 ――ボクのおるこちゃん、真っ赤に腫れ上がる両方の頬も痛々しく……


 ボクの大切な彼女は、大きなスーツケースを左手に持ち、加えて大きなバッグを左肩から下げて、大粒の涙を流しながら弱々しく玄関先に立っている。


「秋ちゃん、あたし、頭にきて家出してきちゃった……えへ」


「えぇー!? それで、スーツケースとか、そんな大荷物みたいな!? っていうか、おるこちゃん、『えへ』なんておどけてる場合じゃないし!」


「お母様……あたし、家出してきちゃったんです」


 河鹿薫子、ボクの母さんへしがみつくように抱きつくと、彼女は大きな泣き声をたてつつ泣き出してしまったのだった。


 ――うわっ! おるこちゃん、スーツケースも大きなバッグも投げ捨てちゃったし!


 ボクは、河鹿薫子が放り出したスーツケースとバッグを拾い上げて台所の床に置くと、無造作に開け放たれている玄関の扉を閉めたのだった。


 泣き崩れる河鹿薫子を抱きかかえつつ、ボクの母さんは玄関から居間まで歩んだ所で、

「秋ちゃん!! 救急車よ!! 早く電話して救急車を呼びなさいな!!」

と、唐突に血相を変えて叫んだ。


「え? 母さん? 意味ワカンナイ……」


 ――いきなり、突然、唐突に救急車? もしかして、おるこちゃんのために救急車? っていうか、でも、何で?


「ぼやぼやしてないの!! 薫子ちゃんに万が一のことがあってもイイの!?」


「え? え? 母さん? 言ってる意味、ボク、全然ワカンナイ……」


「母さんは若い頃、殴り合いの喧嘩ばかりしていたから判るのよ」


 ――ボクの母さん、元ヤンだし……殴り合いのケンカばっかりやってたって、母さんと幼馴染みの中井川さんから聞かされてよくよく知ってるけど……


「秋ちゃん? 何もたもたしてるの? 薫子ちゃんが手遅れになるじゃないの!!」


 母さんに抱きかかえられている河鹿薫子、気づけば気絶していて意識がなかった。


「おるこちゃん!! ねぇ、おるこちゃん!? 返事してよ、おるこちゃん!!」


 ――ボクがおるこちゃんの背後からボクの大切な彼女を抱きしめるや否や……


 ボクの母さんは大急ぎで家庭用固定電話の受話器を右手で掴んだ。


 そして、119と固定電話のプッシュボタンを押して、回線が繋がると深呼吸をし、自らを落ち着かせつつ、救急回線の電話オペレーターと会話をしているのだった。


「え? あれ? おるこちゃんが呼吸をヤメちゃった?」


 ボクは河鹿薫子を抱きしめたまま、フラフラと居間の畳へ座り込んでしまう。


 電話をしていたボクの母さん、通話が終わり受話器を置くと、

「秋ちゃん!! どきなさい!! 早く!! 薫子ちゃんをあたしに寄越しなさいな!!」

と、ボクから河鹿薫子を奪って人工呼吸を始めたのだった。


 ――ウソでしょ? ボクの大切なおるこちゃんが?


「今さっきまで普通に喋ってたおるこちゃん、急に意識不明だし……まさか? ねぇ、母さん? まさか、おるこちゃんは……」


「秋ちゃん!! 馬鹿をお言いでないよ!!」


「そんな……まさか、ボクのおるこちゃん……嫌だよ、そんなの……まさか、ボクのおるこちゃん……呼吸してないし、死んじゃう?」


「秋ちゃんの薫子ちゃんをあたしゃ死なせやしないよ!! それより、何より!! あたしゃ、もう、絶対に許しゃしないんだから!!」


「え? 母さん?」


「自らお腹を痛めて産んだ我が子を……その命を粗末にする母親を!! そうさね、あたしゃ、堪忍袋の緒が切れたさ!!」


「母さん……」


 ボクを睨み付けて母さんは叫んだが、その怒りはボクに向けてのものではなかった。


 そう、その怒りは河鹿薫子を瀕死の際まで殴る蹴るした人物へ向けてのものだった。


 ――ボクには信じらんない……我が子を死の間際まで殴る蹴るする親がこの世に居ることが信じらんない……


「薫子ちゃん、痛いでしょう? 良く我慢して歩いて来たわね。普通なら、ウチに辿り着く前に力尽きて、下手したら道端で命尽きていたかもしれないのに」


 ――え? え? そんなに言うほどさ、おるこちゃんは重傷の中に居るの?


「息苦しくて仕方がないのに……薫子ちゃんは秋ちゃんに会えれば苦しさから解放されるって、気を失わないように頑張ってウチまで来たのよね?」


「えぇー? 母さんが悔し涙を流してるし……」


 ――どんなに辛い思いをしようとも、悔しい泣き顔を頑としてボクに見せようとしなかった母さんが、形振り構わずに悔し涙に暮れた顔を見せるなんて信じられない!!


「いつだって薫子ちゃんが困り果てたなら、必ず秋ちゃんが助けてくれてたもんね」


 ――ボクは母さんみたいに人工呼吸なんて難しいことできない……


「だから、薫子ちゃんは血へどを吐きながらヨロヨロと秋ちゃんに抱かれるだけのために遠い道のりを歩いて来たのよね」


 ――でも、おるこちゃんの命を救うために何かしたい!!


「ボクさ、救急車が来たら分かり易いようにさ、家の前の道路に居るよ」


「秋ちゃん、馬鹿は休み休み言いなさい」


「へ? 母さん?」


「薫子ちゃんは秋ちゃんから抱かれたくて血へどを吐きながら命懸けで来たのよ!」


「え? 母さん?」


「死を覚悟した薫子ちゃんは、死ぬ前に、秋ちゃんから抱かれたくて……処女の薫子ちゃん、死ぬ前に、せめて秋ちゃんから女にされたくて堪らなくて……」


「あ……母さん……」


「秋ちゃん、あんたは男でしょ!! あんたから抱かれたくて命からがら目の前に来たあんたの女、あんたが抱かなくて、誰が抱くっていうのさ!!」


「ボク、生まれて初めて見た……」


 ――母さんが女を振り乱して男に向かって訴えかける姿を生まれて初めて見た……


「薫子ちゃんのあばら骨、折れて肺に穴を開けてるのかもしれないのよ。右胸の真下にある骨が突き刺さって……可哀想に……尋常な痛さじゃないだろうに……」


「おるこちゃんの肺に穴が? 折れた骨が突き刺さってるの?」


「秋ちゃん、人工呼吸の仕方を教えるわ。あなたの助けを求めて来た薫子ちゃんを、秋ちゃん、あなたが救うのよ。あなたが人工呼吸をして救ってあげるのよ」


「うん、そうだよね。死ぬほど辛い重傷を負いながらボクに会いに来てくれたんだもんね」


「秋ちゃん、良く見て! 秋ちゃんなら一度見たら覚えられるわ! 薫子ちゃんのために自分を信じなさい!」


 母さんは即興の実践で人工呼吸の仕方を教えてくれたのだった。



 ボクは母さんから教わったとおり、とにもかくにも必死になって、ボクの愛しい河鹿薫子に人工呼吸をしている。


 ――あ! ボクがおるこちゃんへ息を注ぐたびに、それに応えるようにおるこちゃんの心臓が返事をくれてる!


 なかなか来ない救急車に業を煮やしたボクの母さんは、我が家の目の前にある市道に出て、今か今かと救急車の到着を待ちわびている。


 ――お願い、おるこちゃん! ボクの命の息吹きを受け取って! おるこちゃんの心臓、止まらないで! 死んじゃいたいくらいの痛さに負けないで、おるこちゃん!


 ボクは河鹿薫子へボクの息吹きを注ぐたび、

「おるこちゃん愛してる!! ボクから居なくならないで!!」

と、心の底から叫んでいた。


 ――うわ! 目の前にイッパイの星が飛び交い出しちゃったみたいな?


 ボクは過呼吸になっていて、目の前に星が飛び交う錯覚は、その過呼吸が原因だったりする。


「おるこちゃん!? まだボクとエッチしてないんだから!! このまま死んだらウラメシヤになるよ!!」


 ボクは河鹿薫子の右手を握りしめながら、ニッチもサッチも、どうにも訳が分からないことを叫んでしまっていた。


 ――もっと注がなきゃ! 過呼吸なんかクソ喰らえだ!


「おるこちゃんが必要な空気を……おるこちゃんの命が必要としてる酸素を……とにもかくにも注がなきゃ!」


 ――もっと、もっと、もっと、ボクはおるこちゃんに口移しで注がなきゃ!


「おるこちゃんとボク、心は一つになれてラブラブだけどさ……まだ体は一つになれてないの忘れちゃった!?」


 ――ああー、もう! ボクのバカ! 無駄なこと言ってる暇があるなら、もっと、もっと、もっと、たくさん、シコタマ、口移しでおるこちゃんに人工呼吸しなきゃダメじゃん!


 ボクは右手で拳を作ると自分のオデコをゴチゴチと叩き、再び河鹿薫子へ人工呼吸を始めたのだった。


 そんな最中、ボクが握りしめる河鹿薫子の右手はボクの左掌をギュっと握り返してきた。


「秋ちゃん……あたしの初めて……受け取って欲しいの。秋ちゃんがあたしを女にしてくれなきゃ……あたし、イヤなの」


「うわー! おるこちゃん、おはよう! 意識取り戻してボクにおかえりなさい!」


「秋ちゃん……あたし……秋ちゃんからされたい……秋ちゃんの欲しい……秋ちゃんだけのあたしになりたい……秋ちゃん……秋……ちゃん……」


「決まってんじゃん! もちろんさ、約束するよ! おるこちゃんのケガが治ったら、ボクはおるこちゃんを食べちゃうから! ボクはおるこちゃんのものだから、心配ないから!」


「いやん……嬉しい……あたし、生まれて……きて……良……」


「あれ? え? ちょっと? おるこちゃん?」


 ――ボクの大バカ!! 調子こんで人工呼吸をヤメるからイケナイんじゃんか!!


 ボクは慌てて河鹿薫子へ人工呼吸を再び始めたのだが、彼女の心臓は返事を返してくれなくなってしまったのだった。



 ――母さんとボクの浅間家が二人ぼっちで借家住まいをしている南習志野市は……


 政令指定都市にはなっていないが、それでも、東京植民地ライクな首都圏のベッドタウンであり、石を投げれば必ず人に当たるくらいの人口密集地だったりする。


「浅間君……薫子の手術、なかなか終わんないね」


「うん、デンちゃん……なかなか終わんないよね。すっかり夜になっちゃったもんね」


 ――そんな人口密集地の南習志野市、両手で数え切れないくらいに数多な病院があったりするんだけどさ……


「浅間君、ワガママ言って悪いんだけど……膝枕してもらってイイ?」


「デンちゃん、眠りたいんならさ、遠慮なくボクの脚を枕にして眠ってイイよ」


「は? 浅間君、拒否んないのかえ? ホントに膝枕してもらってイイんかえ?」


「朝から夜までおるこちゃんのために付き合ってくれてるデンちゃんなんだし、遠慮なんて要らないよ」


「浅間君……」


「ってかさ、痩せ過ぎなボクの脚、骨ぼったくて寝心地好くないかもだけど許してね」


 ――ちなみに、おるこちゃんを運んだ救急車なんだけど……


 何とも運良く、我が街で一番評判の良い総合病院に受け入れられていたりする。


「浅間君、相変わらず女神様みたいに優しいなぁ……あたし、そんな優しさに勘違いしそうだがや」


「膝枕っていうか、太もも枕になっちゃったね」


「あはは、ほんとだぎゃ。でも、浅間君の太もも枕、寝心地好くて気に入ったがや」


 ――おるこちゃんのために形振り構わず着流しのまま、大急ぎで緊急病棟にある手術室の廊下に駆けつけてくれたデンちゃん……


 ボクは感謝の気持ちをこめてボクの太ももを枕にしている田頭久美子ちゃんの髪を撫でている。


 ――ボクさ、おるこちゃんを緊急輸送する救急車ん中でさ、我がバンドおでんの全メンバーへ、おるこちゃんの緊急事態をケータイのメール使って知らせたんだけど……


 何だかんだで、来てくれたのは田頭久美子ちゃんだけだったりする。


 ――ちなみにさ、エザちゃんもトベちゃんも、元旦前の年越し前から家族と田舎に帰省しちゃててさ……


 何だかんだで、千葉県南習志野市から遠く離れた彼方に居るがため、今は彼女たちはココには居なかったりする。


「あのさぁ……こんな状況の中で不謹慎かもしんないけど……あたしゃ浅間君のことが好きでさぁ……」


 田頭久美子ちゃん、ボクの脚にしがみつきつつ、

「だけどさぁ、薫子とラブラブな浅間君の姿を見てたくて堪んなくて……薫子と一緒に居る時の幸せそうな浅間君の顔って最高だしさぁ……好きだからこそ、あたしゃ、薫子と浅間君が愛し合ってるのを見るとホっとしちゃうんだがや」

と、たどたどしくも弱々しく語りだしたのだった。


 ――そんなデンちゃんの言葉をボクは髪を撫でながら黙って聞いてる……


「あたしさぁ、薫子と幼馴染みでさぁ、あんまり気が強い女の薫子だからさぁ……薫子ってさぁ、幼稚園の頃から孤立しがちだったんだがや」


 田頭久美子ちゃん、いきなりボクの胸に抱きつき、

「ホントはさぁ、寂しがり屋でさぁ、あたしの前では泣いてばかりいて……あたしゃ、そんな薫子を抱っこして慰める毎日だったんだがや! 今は浅間君が薫子をフォローしてっけど、浅間君とラブラブんなる前はあたししかフォローできなかった不器用な薫子でさぁ……」

と、彼女はボクが知らない河鹿薫子の幼少時代を語ってくれている。


「はっきり言う! あたしは浅間君が大好きだ! 好きで好きで堪んない! でも、あたしゃ、薫子とラブラブな浅間君の姿を見ていたい! あたしゃ薫子が大好きだ! もし、あたしが男に生まれてたなら、あたしゃ、浅間君のライバルになって薫子を彼女にしようって頑張ってるはず……それくらいに薫子は大事な心からの友なんだぎゃ!」


 ――そこまで田頭久美子ちゃんは一気に言葉をボクへ投げ掛けたと思ったら……


 田頭久美子ちゃんは急にボクの顔を真正面から見据えながら、

「あたしにキスして……あたしの唇に浅間君の唇……あたしに、ねぇ? 黙ってればワカンナイから大丈夫だし……ねぇ? 一度だけでイイから……黙ってれば浮気にならないから、二人だけの秘密にするから……」

と、流れる涙をぬぐうことすら忘れ、振り乱した髪もそのままに、形振り構わずに哀願し始めたのだった。


「デンちゃん、ボクさ、今から犯罪者になるから……」


「は? 浅間君?」


「デンちゃん、残念だけど……ボクは、もう、今日中に誰からも愛される資格はなくなるから……」


「え? 浅間君?」


「どうしても犯罪者になっちゃうから……」


「え? え? 浅間君?」


「だから、デンちゃん……ボクなんかのこと、早いとこ見知らぬ他人だと思うようにした方がイイよ」


「えっと、あの……浅間君?」


「だからさ、デンちゃんは……ボクみたいな犯罪者の友達だなんて後ろ指をさされないようにさ、早いとこボクのことなんか見知らぬ他人だと思うようにした方がイイよ」


「えっと、あの、えっと……浅間君? 全然ワカンナイよ。何が言いたいんだか……」


 ――今のボクには何も見えない。初日の出の今朝まで光輝いていた風景が幻の蜃気楼にしか思えない……


「だって、おるこちゃんが死んじゃう!!」


「あ……浅間君……」


「いや、おるこちゃんは殺されちゃうんだ!! あの唯我独尊な女が殴る蹴るしたから!!」


「あ!! 浅間君……まさか、浅間は!?」


「デンちゃん、まさかじゃないよ。ボクは今から……」


「そんなのダメよ、浅間君!!」


「デンちゃんゴメン。ボクさ、行かなきゃなんないから……」


「行かせない!! 浅間君がドコに行って、浅間君が何をしようとしてんだか……あたしゃ分かったから、行かせらんない!!」


「デンちゃんはさ、おるこちゃんの手術が終わるまでココに居て欲しいんだ。ボクもさ、用事を済ませたら帰ってく……」


「あたしが今さっきした話を聞いてなかったの!? あたしだって浅間君を愛してんだって言ったばっかりじゃんか!! 薫子の手前、あたしゃ遠慮してっけど……愛する男に人殺しなんかさせられるか、バカぁー!!」


 田頭久美子ちゃん、立ち上がって歩きだそうとしているボクの背中に抱きついてきた。


「ボクは許さない……ボクは許せない……命を粗末にするヤツに命の有難さを思い知らせずにはいられない! おるこちゃんが味わった痛さを味わせずには居られない!! 思い知らせてやらずには居られない!!」


 ――背中から抱きつくデンちゃんを振り払って突き進もうとするボク……


 田頭久美子ちゃんは廊下の床に転びつつ、理性を失いながらいきり立つボクの両脚を力任せに羽交い締めにして、

「薫子は死なないよ! 手術は成功して助かるに決まってるんだし! 薫子が麻酔から覚めて目覚めた時、いつもの優しい笑顔で浅間君は薫子の視界に居なきゃいけないんだよ! だから、行かないで!! 薫子のそばから離れないで!! あの子は浅間君しか信じられない女なの!! 浅間君を失ったら生きらんない女を見捨てないで!!」

と、火事場の馬鹿力よろしく、ボクの身動きを完全に制止しながら叫んでいるのだった。


「だけどさ、おるこちゃんのプライドはどうすんのさ!?」


「え? 浅間君?」


「手術されて助かって、意識を取り戻したら……我が子を虐待する女親のところにさ、また虐待されるって火を見るより明らかなのに!! 指をくわえてさ、その虐待母親んとこに帰さなきゃいけない羽目になるわけじゃんか!!」


「仕方ないじゃん、あたしたちは未成年者なんだし……保護者居なきゃ存在できない中学生なんだし……」


「そうなんだよね……ボク、何もできないんだよね」


「だから、仕方ないんだって。どんなに大人の真似しようたって、社会のシステムは成人した社会人どもが握りしめてんだし」


「だからこそ、尚更のことさ、ボクはやりたい放題なあの親が許せないんだよ!」


「浅間君……とりあえず座ろうよ」


「のんきに座ってなんかいられるわきゃないよ」


「浅間君、よく考えて」


「考える? 何をさ?」


「仕返しするにしたって、何も今じゃなくたってイイわけじゃん?」


「は? どうしてさ?」


「だって、薫子は今、手術室ん中で……薫子は今、命懸けで戦ってるんだよ」


「え? デンちゃん?」


「今も、これから先も、薫子は浅間君から抱きしめられて愛されたくて……」


「おるこちゃん……」


「浅間君から女にしてもらえるのを夢見て、薫子は今、命懸けで戦ってるんだよ!!」


「ボクのおるこちゃん……」


「そうよ、浅間君の薫子よ!! だから、浅間君は命懸けで戦ってる薫子を置き去りにしちゃダメじゃんか!!」


 田頭久美子ちゃんは厳しさ有り余る真顔でボクの顔を見上げている。


「ああ、もう……分かったよ。デンちゃんには根負けしちゃったよ」


 ボクはさっきまで座っていたベンチシートに再び腰を下ろしたのだった。



「こら、あんたたち! そこは病院の廊下なのよ。しかも、手術室の真ん前なのよ。秋ちゃんに久美子ちゃん? そんなに声を荒げて喋っていたらダメじゃないの」


「あ、母さん、ごめんなさい……」


 ボクの母さんは、大きな声を張り上げて会話していたボクと田頭久美子ちゃんを叱ると、ボクが座る左隣に腰掛けたのだった。


「っていうか、母さん? 今までドコ行っちゃってたの? 何時間も居なくなってた母さんだし」


「母さんは朝から方々に行って色々と用足しをしてきたのよ。あんまり色々と方々を回ったから、もう、すっかり夜になったけれど……」


「母さん、あのさ……」


「ん? 秋ちゃん、なぁーに?」


「いや、あの、だからさ……方々とか色々とかじゃワカンナイし」


「あらヤだ。ほんとよね。あのね、母さんが行ったのは、まずは南習志野東警察署よ」


「はい? ケーサツ?」


「そうよ、まずは警察署よ。そして、次は警察官と一緒に薫子ちゃんの自宅へ……」


「って、もしかして……母さん?」


「ん? 秋ちゃん、何かしら?」


「まさか、母さんは警察沙汰にしちゃったとか?」


「あら、いけなかった?」


「イケナイなんて言ってないけど……っていうか、えぇー!?」


「こら、秋ちゃんったら、また声が大きくなっているわよ。もっと静かになさいな」


 ――デンちゃんは、ボクの母さんの口から警察署という言葉が出るや否や……


 まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのような驚きを顕にしつつ、ボクの母さんの顔を瞬きも忘れて見つめはじめていた。


「えっと、えっと、えっと……母さん? もしかしてさ、おるこちゃんの母親は逮捕されちゃうの?」


「あらヤだわ、秋ちゃんったら。そんなことは母さんに訊いたって知りゃしないわよ」


「へ? 知らないって、そんな……だってさ、母さんが警察沙汰にしたんじゃん?」


「あのね、秋ちゃん? 母さんは警察の関係者じゃないし、裁判所の関係者でもないのよ。だから、今後の成り行きなんて知ったこっちゃないのよ」


 ――うわ……『知ったこっちゃない』とか、投げ遣りあらかさまに言ってるし……


「っていうか、母さん? あのさ、母さんが言ってる意味ワカンナイみたいな……」


「母さんはね、あくまでもね、薫子ちゃんが救急車で運ばれ、命に別状はないものの、大変な重症を負わされた出来事がありましたよって、洗いざらい警察署に届け出してきただけなのよ」


「えっと……え? 母さん? だから?」


「秋ちゃんったら……だから、薫子ちゃんは、命に別状はないとはいえ、とんでもない羽目にあわされた被害者なわけでしょう?」


「うん、メチャクチャ被害者だよ。っていうか、それで?」


「それでね、母さんは……命に別状はないとはいえ、薫子ちゃんが重症にされた経緯を証言できる人なわけでしょう」


「うん、できるよね。ボクもシッカリと証言とかできるし……って、だから?」


「秋ちゃんは、愚かで浅はかな、見っともなくて短絡的な仕返しを企んだみたいだけど……」


「え゛? 母さん? どうして?」


「うふふ……秋ちゃん、お生憎様ね」


「どうしてさ、ボクがおるこちゃんの仇を取ろうとしちゃってたことを知ってるの?」


「我が子のことだもの。秋ちゃんのやりそうなこと、母さんはお見通しなのよ」


 ――まさか……えっと、あれ? 母さんは密かに物陰かドコかで聞いてたみたいな?


「母さんはね、どんなにブチ切れようとね、人様の命は蔑ろにしたことはないのよ。今思い起こせばね、若気のいたりなんて数え切れないくらいにやったけれど……でも、相手の命にかかわるまではしたことないのよ。人の道を生きるなら、けっして人様の命は触っちゃいけないの」


「あ、うん……母さん、ごめんなさい……」


「そう、人様の命は秋ちゃんの自分勝手にしてはいけないのよ」


「うん……ごめんなさい。ごめんなさい……」


「ほんとに、もう、秋ちゃんはいけない子ね」


「母さん……ごめんなさい。ごめんなさい……」


「久美子ちゃん、秋ちゃんの短絡的な愚行を未然に止めてくれて助かったわ」


 ボクの母さんは田頭久美子ちゃんの頭を撫でながら言っていた。


「浅間君のお母さん……あたし、あたし……必死になって止めました」


 ――うん。デンちゃんは体当たりかまして必死になってボクの暴力的で破滅しか招かない企てを止めてくれたよ……


「でも、まさか、浅間君がこんなに頑固者で、キレたら何やらかすか分かんない頑固一徹な人だって、あたし、初めて知りました」


 ――うわっ! デンちゃんから厳しいコメントもらっちゃったボクみたいな……


「久美子ちゃん、ごめんねぇ……秋ちゃんはあたしの遺伝子受け継いでるから……あんまり怒らせると凶暴化するヤンキーな遺伝子受け継いでるから」


 ――どっひゃぁー! 母さんはデンちゃんにも増して厳しさ有り余るコメントくれてるみたいな!


「え? 浅間君のお母さんって……いつも、いつでも温厚そうにしか見えないのに? キレたり凶暴化したりするんですか?」


「あはは、あたしが温厚そうにしか見えないのは錯覚よ」


「そうなんですか? 浅間君のお母さんがキレてるとこなんて想像つかないですよ、あたし……」


「久美子ちゃんが通う中学校の不良たちなんかイチコロにできちゃう、あ・た・し、おほほ。あたしがキレたらイチコロよ、おほほ」


 ――おほほって、母さんは、余計なこと言いだしちゃってるし……


「今はキクリちゃんが仕切ってるんでしょ? キクリちゃん、あたしの顔見たら平伏すわよ」


「え? あのヤバ過ぎなガッツリ不良三年生のキクリ先輩が平伏すって、マジですか?」


「マジも何も、キクリは何代目なんだっけ? あたしは初代よ。初代総長から見たら後釜総長の小娘なんか、掌で小躍りするコマだわよ、おほほ」


 ――あぁーあ、ほんと、余計なこと言いまくりだし……


「浅間君のお母さん、何だか頼もしく見えてきちゃいましたよ、うはは」


 ――うわぁ……母さんとデンちゃん、顔を見合せながらクスクス笑いはじめちゃったし! 笑い事じゃないのに、もおー!


「っていうか、母さん、ちょっと待って! おるこちゃんは命に別状ないの?」


「あらヤだ、秋ちゃんに言ってなかったかしら?」


「言ってくれてたらさ、今、こんな質問とか母さんにしてるわきゃないじゃんか!」


「それもそうだわよね。あはは」


 ――もおー! あははじゃないよ、ウチの母さんは、全く、もう……


 なんて与太ばなしをしているボクたちだったが、もう、かれこれ、8時間以上経った今でも終わらない河鹿薫子の大手術なのだった。


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