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あたしたちが「おでん」です。  作者: 千葉あんず
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第27話、クリスマスプレゼント

★第27話、クリスマスプレゼント


「ああ……やっと座った!」


 ――っていうか、ボクはやっと座れたし!


 ボクたちおでんのメンバー全員、やっとのことで楽屋に帰ってきていたりする。


「俺様さあ、生まれて初めてサインしてほしいとか言われちゃったぞ」


「エザちゃん、わたしも生まれて初めて求められた……」


「トベちゃん、あたしも生まれて初めてだがや」


 ――おでんのメンバー全員、授賞式が終わり、続けて行われた閉会式も終わると……


 今回のバンドコンテストに参加していた全てのバンドから取り囲まれてしまい、それらのバンドのメンバーたちからサインをせがまれてしまったのだった。


「そういえばさ、ボクたちが最年少だったんだね」


「あら、秋ちゃんは知らなかったの? 他のバンドたちは大学生やら高校生ばかりよ」


「うん、母さん、そうなんだってね」


 ――そんな会話を母さんとしながら、ボクは何気なく楽屋内を見渡してみたんだけど……


「あれ? 撤収して置いといたはずのさ、デンちゃんのシンセサイザーとか無くない?」


「あっ! 言われてみれば……俺様のベースも無いぞ!!」


「エザちゃん……わたしのキーボードやフルートも無いの」


「トベちゃん、トベちゃん……あたしなんか、シンセサイザーも、イミュレーターも、シーケンサーも、リズムボックスも、小型ミキサーも……根こそぎ何も無いんだぎゃ」


「いやん! まさか……泥棒が入ったとか?」


「あれ? でもさ、無くなってるの楽器とか機材とかだけみたいな? その他の荷物、ちゃんとあるよ」


「ほんとだ、浅間君の言うとおりだ。俺様はベースが無くなっただけだぜ。貴重品とか財布とかあるぞ」


「いやん、もう……楽器とか機材とかだけ盗むなんて、変な泥棒ね……」


 我がバンドおでんのメンバー全員で大騒ぎしている中、

「トントントン」

と、楽屋出入口扉をノックする音が聞こえてきたのだった。


 ――ボクの母さんが扉を開けたんだけど、顔を出したのは……


「あれ? 南習志野プラザホテルのスタッフの皆さんみたいな?」


 ――ホテルに併設されて別棟にある結婚式場とか披露宴会場……そのウェディングホールのスタッフの皆さんみたいな……


 そう、ボクたちバンドのメンバー全員をメイクアップしてドレスアップしてくれたスタッフの皆さんなのだった。


「いやん! お姉様たち綺麗だわ!」


「すっげぇー! 俺様たちとお揃いのウェディングドレス着ちゃってるし、大人のお色気炸裂しまくり綺麗だし!」


 ――どういうことなのかサッパリ解んないんだけど……


 スタッフの皆さんは揃いも揃ってウェディングドレス姿になっていたりする。


「優勝おめでとうございます。わたくしたち、おでんの皆様を御迎えに参りました。さあ、わたくしたちと一緒にパーティー会場へ……おでんの皆様、どうぞ御越しくださいませ」


 ――え? パーティーに招待とか言われた? 何が、どうなってんの?


 呆気に取られつつ、思わずボクは、ボクの隣で微笑んでいる母さんの顔を見上げてしまっていた。


「秋ちゃん、説明は後回しよ。おでんのみんな、説明は後回しよ。ほら、早く! ウェディングドレスお姉様のエスコートで、みんな揃って移動するわよ!」


 ――母さんの言葉を聞くや、ウェディングドレス姿のスタッフの皆さんたち……


 各々お気に入りのおでんのメンバーを捕まえると、まるで愛する人を導くように優しくエスコートし始めたのだった。


 そして、エスコートされるがままにボクたちおでんのメンバーは南習志野コミュニティセンターの車寄せまで辿り着いていたりする。


「うわっ! 見るからに高級車な純白リムジンが所狭しの有り様で停まってるし!」


 ――車寄せに姿を現したおでんのメンバーを見るや、タキシードを身にまとった紳士の皆さんは大きなリムジンにある後部座席のドアを開けて……


「まるでさ、VIPをもてなすかのように、ボクたちバンドのメンバーをリムジンに乗せてくれちゃったし!」


 先頭に停まっている先導車の純白リムジンにはウェディングドレス姿のスタッフが乗車していた。


 ――んで、2台目に停まっているリムジンには、おるこちゃん、ボクの母さん、それにボクが乗車して……


「3台目に停まっているリムジンには、デンちゃん、エザちゃん、トベちゃんが乗車して……4台目と5台目のリムジンにはウェディングドレス姿のスタッフが……」


 そして、5台連なる純白のリムジンの後ろには南習志野プラザホテルの大型リムジンバスが停まっていたりする。


 ――いやはや、しかし、車寄せにところ狭しと並ぶ純白のリムジンを偶然に見ちゃった人々は……


 何事が起きているのかと驚く様を在り在りと見せつつ、その場に立ち止まって、興味津々あらかさまに、揃いも揃って野次馬になっているのだった。



 突如として、先頭に停まっているリムジンがクラックションを鳴らした。


 すると、2台目、3台目、4台目、5台目に停まっているリムジンたちもクラックションを鳴らしたのだった。


 ――と思うや否や、リムジンたちは滑るように優しく走り出したんだけど……


「母さん? 今のクラックションは何?」


「先頭に停まっていたリムジンは、その後ろに停まっていたリムジンたちにね、『出発の準備OKですか?』って、クラックションで質問したのよ。その質問に全てのリムジンたちがOKですって、クラックションで返事をしたのよ」


「へぇー、そんな合図とかあるんだ」


「なぁーんちゃって」


「うわ! 母さん、なんちゃってとか、デタラメ教えてヒドイよ」


「母さんだって、こんなの初体験だもの、何の合図だか解らないわよ。秋ちゃんは家に帰ってから辞書で調べてみたらイイんじゃない?」


「母さん、そんなの辞書に載ってるわきゃないし!」


「あらあら……秋ちゃんはケチケチして古本屋で辞書を買うから載ってないんじゃない?」


「古本とか新刊本とか関係ないし。どっちにしたってさ、そんなの辞書に載ってないし」


「あらあら、理不尽なリムジンね」


「そのボケ、何ヶ月も前にさ、おるこちゃんが使ったボケだし!」


「あらあら、薫子ちゃんに先を越されちゃたわ」


「んでさ? 6台目を走る大型リムジンバスは何? 運転士以外さ、どうやら誰も乗ってない様子なんだけど」


「それくらいなら母さんには解るわ。あらかさまな走る広告塔よ。だって、まさか、純白のリムジンに『PLAZA HOTEL Wedding Hall 』なんて大きく書けないじゃない」


「そりゃ、まあ……車体に広告が入ったリムジンなんてステイタスが理不尽になるし」


「せっかくだから、このリムジンのドアに母さんが油性ペンで『秋ちゃん号参上 夜露死苦』って書いておいてあげるわ」


「どんな『せっかく』なんだかワカンナイし! 何千万円もしそうな高級車にラクガキしちゃダメだし!」


「んもう! お母様と秋ちゃんの会話、いつ聞いても最高なんだから……あはははは!!」


 母さんとボクの会話を黙って聞いていた河鹿薫子、彼女の笑いのツボにヒットしたのか、彼女は大きな声で爆笑を始めてしまったのだった。



 ――えっと、さてさて……我がバンドおでんのメンバー、ウェディングドレス姿のスタッフの皆さんからエスコートされて……


 南習志野プラザホテルにある結婚披露宴会場に招かれていたりする。


「うわっ!! パーティー会場の中、ウェディングドレス姿の女性だらけだし!!」


 ――んで、宴会場の中に入ったらさ、ウェディングドレス姿のモデルさんとか、ウェディングドレス姿の従業員さんとか、女性なら猫も杓子もウェディングドレスを着ちゃってるからビックリみたいな……


「っていうか、披露宴会場って広いんですねぇ」


 ボクは間近に居るウェディングドレス姿の女性スタッフに声を掛けている。


「浅間秋様、私は高津八千代です。今回のプロジェクトのリーダーを務めさせて頂いております」


「ボクは秋ちゃんでイイですよ。んで、ボクは八千代さんって呼んじゃおうかな……みたいな」


「八千代ちゃまでお願いします、秋ちゃま」


「わあー! 秋ちゃまって呼ばれるのは初めてですよ、八千代ちゃま」


 ――なんて、屈託ない自己紹介を八千代ちゃまとやらかしてたんだけど……


 我がバンドおでんのメンバーたち、披露宴会場に居るウェディングドレス姿のスタッフたちから囲まれて揉みくちゃにされているのだった。


「よくよく見てみたら、おでんのメンバーたちが着ているウェディングドレスの傷み具合を見ているみたいな?」


「秋ちゃま、ご名答です」


「っていうか! 八千代ちゃま、くすぐったいですよ!」


 高津八千代さん、仕事モードのスイッチが入ってしまったのか、ボクの体の上から下までを撫で回すかのように触っているのだった。


 ――かと思ったら、八千代ちゃま、いきなりボクの手を握ると一目散にドコカに向けて歩き出しちゃったみたいな……


 そして、ボクは高津八千代さんから手を引かれるままに、披露宴会場のそばにある小部屋に連れ込まれてしまったのだった。


「八千代ちゃま? この部屋は?」


「お色直しの部屋なんですよ」


 ――っていうか、うわ!! 一瞬にしてウェディングドレスを脱がされちゃったし!!


 ボクは母さんが着付けた下着姿になってしまっている。


「ウエストにはコルセット。バストにはブラジャーまで……男の子なのに女の子の体型を無理矢理……秋ちゃま? 苦しくて辛かったでしょう」


 ――うわぁ……女装のために着付けられた女性の下着姿、そんなにマジマジと見られたら恥ずかしいんだけど……


 高津八千代さんは洗面器にお湯を汲んで、その中にタオルを入れると、ソソクサと急いでボクの小脇にあるテーブルの上に置いた。


「秋ちゃま、今日はお疲れ様でした」


「八千代ちゃま! くすぐったいですってば!」


 高津八千代さんは洗面器のタオルを軽く絞るとボクの体を拭き始めたのだった。


 ――あっ! ブラ外されちゃった……


 彼女は一生懸命にボクの首筋から胸までを拭いている。


「いっぱい汗をかいたでしょう。ほら、こんなに汗の臭いが……」


 ――八千代ちゃま、気持ちイイ……後ろから抱きしめるみたいに寄り添いながら胸とかフキフキされちゃてるけど……


 彼女は右手でボクの体を拭き、彼女の左手はボクの胸にあった。


 ――その左手が無意識にボクの胸を刺激していて……どうしよう、気持ち良くなってきちゃったし……


「八千代ちゃま、ボクの背後から、首筋、両肩、両腕、胸や背中、腰やお腹を手際良く拭き上げてくれたんだけど……」


 ――ボクの上半身を拭き終わった八千代ちゃま、ボクの正面に回ると……


 彼女はボクの下半身も拭こうと、ボクが着付けられているガードルの前にしゃがんだのだった。


「あ……秋ちゃま……」


「八千代ちゃま! ゴメンなさい! ボク、あんまり気持ち良くって……」


 ――八千代ちゃま、ホントにゴメンなさい。ボク、気持ち良過ぎてビンビンになっちゃってます!


「秋ちゃまは不思議です」


「え? 八千代ちゃま?」


「秋ちゃまのお顔は美少女……とてもスレンダーな体つきは女の子なのに……」


 高津八千代さん、何かを確かめたかったのか、よりによってボクの男の象徴を握りしめたのだった。


「八千代ちゃま! ボクのアレとか握っちゃダメですって!」


 ――なんて、ボクの話を聞いちゃいないし!!


「秋ちゃまは不思議です。ウェディングドレスを着ていたら女性にしか見えないのに……ああ、こんなに立派なものを持っている男性なのですから不思議です」


「あぁーあ、八千代ちゃま脱がしちゃったし……」


 ボクを丸裸にしてしまった高津八千代さん、部屋の片隅にある引き出しから真新しい下着を出すと、

「サイズが合っていなかったので、秋ちゃまのサイズに合わせたパンティやガードルを……」

なんて言いつつ、驚くほど手際良く着付けてけれたのだった。


「あ! 母さんが着付けてくれたのより楽ですよ」


「ブラジャーも秋ちゃまのアンダーバストに合わせて……カップはパッドに合わせてBで……」


「おお? これも八千代ちゃまが着付けてくれたやつのが楽ですよ」


「うふふ……それは良かったです」


 すっかりボクは高津八千代さんの着せ替え人形になってしまっていて、彼女お好みのアンダーウエアを色々と着付けられている。


「うわぁ……女の人って、こんなに何種類も下着とか身に付けるモンだったんですね」


「秋ちゃまは若いから、まだまだ体の線が崩れていないですし、これでも少ない方ですよ」


「女の人って大変なんですねぇ……」


 ――なんて、感慨に更けるボクをよそに……


 高津八千代さんはアレヨアレヨという間にボクをドレスアップして、メイクアップまでヒョイヒョイと成してしまったのだった。


「お待たせしました。浅間秋様のお色直しが終わりました。どうぞ、姿見にて御確認くださいませ」


 ボクは彼女から言われるままに、前から後ろから、右から左から、自分自身の姿を鏡で見渡したのだった。


「さあ、合わせ鏡です。後ろ姿も御確認くださいませ」


 ボクは自分自身の姿を確認すればするほどに驚いていた。


「八千代ちゃま凄い! ボクの母さんがしたメイクアップを再現しちゃったし、ヘアスタイルも再現しちゃったし、ウェディングドレスの着付けも再現しちゃったから凄い!」


「うふふ……ありがとうございます」


 ボクは高津八千代さんのプロとしての仕事に畏れ入るばかりだった。


 ――ちなみに、今までボクが半日くらい着てたウェディングドレスは……


 ボクは今さっきまで着ていたウェディングドレスを手に持って見てみて驚いてしまった。


「ありゃ? オシリの部分が黒ずんでる?」


「秋ちゃまは河鹿薫子様を抱きながら床に座りましたから……」


「そっかぁ、おるこちゃんをお姫様だっこしながらステージに座り込んだんだっけ」


 高津八千代さんはボクが手に持つウェディングドレスをハンガーに掛けて見易く吊るしてくれた。


「どわ! オナカの辺りが変な色に染まってる?」


「秋ちゃまはメイクアップされた河鹿薫子様の顔を胸や腹部で抱き留めましたから」


「えぇー? 背中も薄汚れまくってるし!」


「表彰式の時、秋ちゃまはバンドの皆様から床に押し倒されていましたから」


「そっかぁ……バンドのメンバー四人から抱きつかれて表彰台に引っくり返ったんだっけ」


 よくよく見たなら、もう、アチコチが汚れてしまっていたりするウェディングドレスだった。


「でも、あれだけ派手に動き回ったのに、伸びちゃったり、切れちゃったり、破れちゃったりしてないのは凄いですね」


「はい、秋ちゃまのおかげで、まだまだ試作品のウェディングドレス……強度は問題ないと判りましたから良かったです」


 ――純白のウェディングドレス、気をつけてないとさ、気がつかないうちに汚れてるから要注意みたいな……


「これは貴重なサンプルです。明日は秋ちゃまが着ていたウェディングドレスと、今秋ちゃまが着ているウェディングドレスを細部まで分析したいと、今からワクワクしています」


 高津八千代さんは嬉しそうな満面の笑みでボクに向かって言っていた。


 ――まだまだ中学生のお子様で、働く女性の苦労など分かるはずもないボクだけどさ……


 しかしながら、嬉しそうに満面の笑みで明日する仕事に胸躍らせている姿を見て、ボクは少しだけ彼女が羨ましく感じていたのだった。


 ――っていうか、さっきまで着ていて、すっかり薄汚れさせてしまったウェディングドレス、ボクはそれを夢中になって見ていたんだけど……


 高津八千代さんは部屋の奥にある小部屋に入ってしまって、何かゴソゴソとやっている様子だった。


 ――そういえばさ、おでんのメンバーたちが着てるウェディングドレス、やっぱり汚れちゃってんのかな? 着替えさせてもらったのボクだけなのかなぁ? 気になるなぁ……


「さあ、秋ちゃま、時間になりました。一緒に薫子様クリスマスパーティーに参りましょう」


「え? 八千代ちゃま? おるこちゃんクリスマスパーティーって何ですか? って、どうしてタキシード?」


 高津八千代さんは男装よろしく、漆黒のタキシードを身にまとっているのだった。


「花嫁と花婿です」


「ボクが花嫁で、八千代ちゃまが花婿?」


「そうです。さあ、薫子様クリスマスパーティーに参りましょう」


 ――えぇ? 全然意味ワカンナイ……



 ボクは高津八千代さんから手を引かれ、お色直しをしていた部屋を出ると、彼女から導かれるままに歩いていたりする。


「あれ? 何だかさ、披露宴会場の裏方を歩いているみたいな?」


「秋ちゃま、そのとおりです。一般のお客様は入れない、いわゆる従業員ばかりが歩く通路を歩いています」


「それってば、一般の観客は入れない、スタッフや出演者オンリーの楽屋通路みたいな?」


「秋ちゃま、それ、解り易いですね……さあ、秋ちゃま、着きましたよ……」


 高津八千代さん、スタッフオンリーの大きな観音開き扉の前に辿り着くや、

「はい! 浅間秋様御到着です!」

と、彼女の周りに居るスタッフたちの全員に向けて大きな声を投げ掛けたのだった。


 ――ありゃ? 観音開き扉の向こうでウェディングマーチが鳴り響き出したみたいな?


 それに続いて、観音開き扉の向こうから、

「お待たせ致しました。浅間秋様の御入場です」

という、マイクを通したアナウンスが聞こえたのだった。


「うわっ! 目の前の観音開き扉が開いたし! え? え? 八千代ちゃま、ボクをエスコートしながら扉の中へ歩き出したし! 花嫁と花婿の入場みたいになってるし……」


 開いた扉の向こうには大きな部屋がある様子だったが、部屋の中にある照明は消されていて真っ暗だった。


 ――とりあえず、八千代ちゃまとボクに向けて眩しいスポットライトが照りつけてるし、足元は明るく照らされてるから歩けるみたいな……


 高津八千代さんは部屋に歩み入ったと思ったら、直ぐに左方向へ向きを変えて歩み出した。


 ボクは彼女の歩みに合わせて歩くしかなかった。


 ――だってさ、何が何だかワカンナイし、一緒に歩いてなきゃ迷子になっちゃいそうだし……


 高津八千代さん、少し歩いたところでステージのような高台へ繋がる階段を上がり始めた。


 ボクは彼女の歩みに合わせて階段を上がって行ったのだった。


 ――あ、八千代ちゃまがボクの手を放しちゃった!


「あれ? 八千代ちゃまは椅子の後ろに立って笑顔でボクを見つめてるみたいな?」


 ――そっか、ボクは八千代ちゃまが背もたれに手を掛けている椅子に座るのを笑顔で待っているんだ……


 ボクは高津八千代さんへ笑顔を返すと、彼女の顔を見つめたまま、静かにゆっくりと椅子に座ったのだった。


「さあ、それでは御紹介させて頂きます」


 ――あれ? この声……聞いたことあるみたいな?


 会場内でマイクを使ってアナウンスしている声、そんなに馴染みがある声ではなかった。


 ――でもさ、この喋り口と一種独特な声色……あ、判った! 佐月ヤヨイさんだ……


「おでんの皆様です!」


 薄暗い会場内の中、ボクが座るステージに向けて、右から左から、幾つも幾つもの眩いスポットライトが一斉に灯された。


 ――うわ! 眩しい! 真っ暗ん中で瞳孔開いてるところにスポットライト攻撃は眩し過ぎだし!


「いやん! 秋ちゃん、何してるの? ほら、早く席から立たなきゃだわ!」


「あれ? おるこちゃんだ……っていうか、おでんのみんな、いつの間に入場してたの?」


 ――なんて言いつつ呆けるボクを置き去りにして、我がバンドおでんのメンバーたち、椅子から立ち上がったと思ったら……


 会場の上手や下手に向けて丁寧な会釈をしているのだった。


 ――慌ててボクも立ち上がってさ、急いで上手に下手にお辞儀かましまくりみたいな、アタフタしまくりみたいな!


「さあ、それでは、おでんの皆様によるミニライブを披露して頂きましょう」


 ――あれ? 右に左にペコペコお辞儀してるボクを置き去りにして、おでんのメンバーたち、ちゃっかりスタンバってるみたいな?


 ボクが立っているステージは、奥行きはあまりないが、しかしながら、かなり横長に大きなステージだった。


 ――ボクはステージの下手側の端っこに居るみたいな……


「ボクが置き去りにされてる下手の端っこから上手に向かって長く連なるステージ……」


 ステージ中央には河鹿薫子がマイクを持って立ち、その左斜め後ろには江澤さんと田頭久美子ちゃんが、右斜め後ろには江澤さんが楽器を携えてスタンバイしている。


「あ! おるこちゃんの真後ろにはドラムがあるし!」


 ボクは反射的にドラムに向けて小走りしていた。


「久しぶりに叩ける!」


 ――そう、ボクは大喜びしながら小走りしちゃってる!


 ボクはドラムセットの椅子に座ると、喜び勇んでスティックを持ち、その久しぶりの感触に胸を躍らせていた。


「やったぁー! ボクのお気に入りで履き慣れた安全靴も置いてあるし!」


 ボクは衣装のウェディングドレスに合わせて履かされているハイヒールを脱ぎ捨て、ドラムを叩く時には必ず履くお気に入りのマイシューズを身に着けたのだった。


「スタンバイOK! いつでも叩けるよ! おでんの曲なら何でも叩けるよ!」


 ――あんまり嬉しくてさ、思わずボクはハシャギまくりみたいな……


 そんなボクの姿を見つつ、我がバンドおでんのメンバーたちはクスクスと笑っている。



「こんばんは! あたしたちがおでんです!」


 河鹿薫子、お決まりの開口一番を会場に向けて投げ掛けた。


 ――もう、それはお決まりのセリフで、オヤクソクなセリフみたいな……


 会場内には減光された薄明かるい照明が天井から灯され、さっきまで暗過ぎて見渡せなかったのが嘘のように会場内を隅々まで見渡せるようになっていたりする。


「陽のあたる場所! 秋ちゃんリズムればロングバージョン! 聴いてください!」


「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン、えいと……」


「って、秋ちゃん! カウントがロングバージョンって、いやん!」


 会場から爆笑の声が聞こえてくる。


 ――やったぁー! みんな笑ってくれたよ……


 実は、ボクと河鹿薫子がやらかしたボケとツッコミ、陽のあたる場所ロングバージョンと彼女が言ったなら必ずやらかすオヤクソクのボケとツッコミだったりする。


「では、改めまして……ワン、ツー、スリー、フォー!」


 ボクのカウントとともに前奏が始まった陽のあたる場所。


 ――ココ最近はね、デンちゃんのシンセサイザーの小脇にあるリズムボックスがドラムの音を出してたんだけど……


「かれこれ、もはや、何ヶ月ぶりか分からないくらい久しぶりにさ……」


 アコースティックなドラムの音を響かせて陽のあたる場所を奏でていたりする我がバンドおでんなのだった。


 ――あ、そうそう、おるこちゃんが言った『秋ちゃんリズムればロングバージョン』というのは……


 曲の途中にドラムソロが入るという意味の暗譜だったりする。


 ――陽のあたる場所という曲の場合、曲の一番が終わり間奏に入ってから9小節目……


 そこからボクのドラムソロが始まることになっていたりする。


「うわっ! チャイナシンバル叩いたらスティックのチップが割れちゃった! 予備のスティックはドコ?」


 ボクは壊れたスティックを投げ捨てると反射的にベースドラムの上へ右手が伸びていた。


 ――予備のスティックはベードラの上に置いてるボクだから……


「あった! 右手のスティックで刻んでたエイトビート……」


 ――ハイハットのエイトビート、2小節近く途切れさせちゃった……


「うわぁー! みんなゴメン!」


 ボクは右側に居る田頭久美子ちゃんと卜部さんの顔を謝罪の気持ちを込めて一瞬だけ見た。


 ――デンちゃんもトベちゃんも、『気にしないで』っていう笑顔を返してくれたし……


 タイミングを見計らって左側に居る江澤さんの顔を、やはり、謝罪の気持ちを込めて一瞬だけ見た。


 ――あはは! エザちゃん、アッカンベーしたと思ったらウインクかましてくれたし……


 河鹿薫子、陽のあたる場所、その一番のサビを唄っている。


 ――16小節あるサビ、後2小節でブリッジ……後2小節で間奏に入るし……


 ボクはドラムソロの絵コンテを脳裏に描きつつ、軽やかにポニーテールを揺らして柔らかなダンスを舞いながら唄う河鹿薫子の後ろ姿を見つめ始めた。


 ――サビを唄い終わったおるこちゃん、ブリッジに入って4小節が過ぎた時……


 リズミカルなステップを刻みつつ、彼女の真後ろに居るボクの方へ振り返り、

「秋ちゃんリズムればドラムソロ!!」

と、ボクを指差して言うや、彼女はステージ下手袖にハケてしまった。


 ――よし! 脳裏に描いたドラムソロを再現しなくちゃ!



 ドラムに限らずソロが上手い人にありがちなのは、テクニック以前に、繰り広げようとしているソロの組み立ての仕方だったりする。


 ――いわゆるさ、風呂敷を広げるに当たっての展開っていうヤツみたいな……


「現代日本人ってさ、起承転結の展開が好きでさ……」


 古の人々が好んだ序破急の展開だと、なぜだか若い世代には寸足らずに聴こえるとか。


 ――マンガで言えばさ、序破急の展開だと3コマ、起承転結だと4コマ……


 今時、3コマ漫画ばかりを集めた雑誌など見掛けられず、4コマ漫画ばかりを集めた雑誌は巷に溢れていたりする。


 ――売れ線は3コマの序破急よりも4コマの起承転結……


「その売れ線、音楽的な展開でも同じみたいな」


 ――なんてね、これはボクの持論なんだけどさ……



 ドラムソロに入ってから40小節になろうかというころで、ボクはベース担当の江澤さんの顔を笑顔で見た。


 ――あ、エザちゃん、右手でVサインを見せた。ボクがエザちゃんを笑顔で見た意味が伝わった……


 そして、ボクは立て続けに田頭久美子ちゃんの顔を笑顔で見た。


 ――おお! デンちゃんは両手でVサインを見せたし! デンちゃんにも意味が伝わったし!


 江澤さんがベースでボクのドラムのリズムに絡む中、ボクは激しくフィルインを連打しながら田頭久美子ちゃんの顔を笑顔で見た。


 そして、そのフィルインの終わりに合わせて田頭久美子ちゃんは生ピアノの音色でソロを始めたのだった。


 ――わお!! ドラムソロが始まってから65小節目にデンちゃんのピアノソロが飛び込んで来たし! デンちゃんもキチンと小節を数えているし!


 田頭久美子ちゃんのピアノソロが映えるように、ボクは単純なエイトビートを刻んでいる。


 江澤さんは田頭久美子ちゃん独特のコード進行を知り尽くしているがため、音を外すことなくベースの弦を軽やかに弾いている。


 ――気がつけば、卜部さんはキーボードにあるパーカッションの音色をチョイスして、まるでボクのリズムを盛り立てるように色々なパーカッションを聴かせてくれてるし……


 卜部さんを見ていたボクの視界の片隅に田頭久美子ちゃんからの視線を感じたボク。


「あ、デンちゃんがボクの顔を見つめてる」


 その視線の意味を覚ったボクは、おでんのメンバーにしか解らないソロ終了のフィルインを叩き込んだ。


 ――うん。エザちゃん、トベちゃん、デンちゃんの音が止まった……


 真夏の夜空に打ち上げられる花火、クライマックスは無数の花火が怒濤のように打ち上げられる。


 ――そんなイメージでさ、ドラムソロのクライマックス、リズムキープしたまま怒濤のように連打するみたいな……


「そして、連打のテンポを少しずつ遅くしてゆき……」


 ――ボクはドラムソロを終わらせると椅子から立ち上がり……


 会場でライブを聴いてくれている人々に向かって、何度もお辞儀をして、沸き立つ感謝の気持ちを伝えたのだった。


 ――さあ! 陽のあたる場所、曲の二番から再開しなくちゃ!


 ボクがスティックでカウントを取ると、田頭久美子ちゃん、卜部さん、江澤さん、一斉に曲の一番終わりのブリッジ頭から演奏を再開したのだった。


 ――陽のあたる場所の一番と二番を繋げるブリッジは8小節しかないので……


 ステージ下手袖にハケていた河鹿薫子は小走り染みたスキップを踏みつつ、急いでステージ中央のボーカルの立ち位置へと戻ってきた。


 ――あれ? 見たことある人が花束を抱えて会場の後ろの方から歩いてきてるみたいな?


 陽のあたる場所の二番を唄い始めた河鹿薫子、花束を抱えて歩いてくる人を見つけるや否や、突如としてステージ上に座り込んでしまった。


 ボクは慌てて田頭久美子ちゃんの顔を見ながら、

「ドラム、ドラム……リズムボックス、リズムボックス」

と、口パクをしてメッセージを伝えようと頑張っていた。


 ボクの唇の動きを読み取った田頭久美子ちゃん、

「OK、OK……」

と、彼女は口パクをしてボクに返事を返してきた。


 ――ボクはモニタースピーカーからリズムボックスのドラムの音が出ているのを確認するとドラムを叩くのを止め……


 大急ぎで河鹿薫子が座り込んでいるボーカルの立ち位置まで走ったのだった。


 そして、マイクスタンドからワイヤレスマイクを抜き取ると左手で持ち、ボーカルが不在になった陽のあたる場所の二番をボクが唄い出していたりする。


 ――おるこちゃん、ステージに座り込んだまま泣いちゃってる……


 会場で我がバンドおでんのミニライブを観ている人々は呆然としながらステージを凝視している。


 その一種異様な空気に気づいた花束を抱えた人は、まだまだステージから離れている場所で立ち止まってしまった。


 ――あ、花束を抱えた人にボクの母さんが笑顔で話し掛けてる……


「飛び出ぁーすぅーのよ……陽のあたる場所へ! はぁーーー!」


 ――うわ……ボク、陽のあたる場所、唄い終わっちゃったし! 早くステージに花束を持って辿り着いてくんなきゃだし!


 ボクはワイヤレスマイクをマイクスタンドに差し込むと、泣き崩れてステージ上に座り込んでいる河鹿薫子を抱きしめ立ち上がらせた。


「秋ちゃん、あたし……信じらんない」


「うん、ボクも信じらんないよ」


「だって、初めてだもん」


「うん、ボクもライブに来てくれたの初めて見たよ」


 ――っていうか、早くステージに辿り着いて!! このままじゃ、次の曲できないし、MCも入れらんないし……ステージが空白の時間だらけになるし……



「おでんの皆様による『陽のあたる場所』を御聴き頂きました……さあ! ここでサプライズなクリスマスプレゼントです!」


 その声は佐月ヤヨイさんが司会者マイクを使って会場に語り掛けているものだった。


「とても艶やかに彩られた大きな花束ですね。どうぞ、御遠慮なさらずに……さあ、ステージの河鹿薫子様へお渡しくださいませ」


 ――サツキさん! ナイスフォローだし! グダグダんなりそうなとこを救ってくれたナイスフォローなサツキさんMC乱入だし!


 会場全体にアナウンスされてしまったがため、もはや引っ込みがつかないと言わんばかりに、その花束を抱えている人は足早にステージ前までやって来たのだった。


「せっかくですから、どうぞ、ステージに御上がりくださいませ」


 ――って! サツキさん、いつの間にかボクの右脇に立ってるし! プロのMC顔負けな手際の良さだし!


 そう、佐月ヤヨイさんは河鹿薫子を支えてステージ中央のツラに立つボクの右隣に居たりするから驚くばかりのボクだった。


 ――サツキさんから手を引かれ、半ば無理矢理にステージへ上げられてしまった花束を抱えている人……それは……


「お母さん……」


 そう、実は、花束を抱えている人は河鹿薫子の母親だったりする。


 ――おるこちゃんのお母さん、ボクに花束を持たせると……


 河鹿薫子の正面から優しく抱きしめ始めてしまったのだった。


「お母さん、あたし……あたしね……」


「みんなが見てるんだから、見っともないから泣かないの。お母さん、いつもの元気な薫子を見たくて来たんだから」


「あたしね、盆と正月とクリスマスがイッペンに来たみたいに嬉しいのよ。とっても嬉しいのよ」


 ――えっとぉ……花束、花束……早く花束、おるこちゃんに渡して花束……


「お姉ぇーちゃぁーん!!」


 会場の奥の方からドタバタと駆けてくる男の子と女の子が居た。


「お姉ちゃん! きれぇー!」


「いやん! あんたたちもお姉ちゃんを観に来てくれたの?」


 ――どわっ!! ドタバタ、ドッスンバッタンって、小学校低学年くらいの女の子と、どう見ても幼稚園児くらいの男の子がステージに駆け上がって来ちゃったし!!


「キレイ! お姉ちゃん、かぁーいい!」


「いやん! うふふ……お姉ちゃんは嬉しいわ」


「こら! お前たち! 勝手に舞台へ上がったりしてはダメじゃないか!」


 ――どっひゃぁー!! チビっ子たちを追いかけて、お父さん……おるこちゃんのお父さんまでステージに駆け上がって来ちゃったし!!


「ウソでしょ? お父さんまで……ウソみたいに嬉しい……」


 ――うわぁ……おるこちゃんの家族、ステージ上に勢揃いしちゃったみたいな!


「はじめまして。司会進行をさせて頂いております、佐月ヤヨイと申します」


 ――って、サツキさん、何で自己紹介してんだか! おるこちゃんのお父さんと名刺交換してるし……っていうか、花束! 花束! 早く花束贈呈して!


「お父様もお母様も御忙しいとのことで、何と何と何と! 今回、親子揃い踏みで、おでんライブ、初めて観戦にいらっしゃったとか」


 ――サツキさん! 観戦って、おでんのライブは試合じゃないし! 言葉の選択、間違ってるし!


「あの、すみません……その、あの、この花束……」


 ――ボクは、おるこちゃんをボクから遠ざけるようにして抱きしめたまま手放さない……


 そんな、あらかさまな河鹿薫子のお母さんへ、恐る恐ると花束を差し出した。


 ――ボクさ、おるこちゃんのお母さんが苦手なんだよ。ボクさ、唯我独尊で全否定ばっかりする人が大嫌いだからさ……


 河鹿薫子のお母さん、ボクに笑顔を向けると、

「いつもウチの娘がお世話になってます」

なんて、花束を優しく奪い取ったのだった。


 ――うわっ! おるこちゃんのお母さん、いかにも世間体を繕う笑顔だし! 感情をねじ伏せた無理矢理な理性から体裁紡いだ、スコブルあらかさまな微笑みだし!


「女って怖い……いろんな仮面を舞踏会に合わせて付け替える大人の女って怖い……」


 ――そんな空気の中、イベントを成功させることしか考えてないみたいなヤヨイさんはマイペースだし!


 その佐月ヤヨイさん、司会者マイクで会場へ向けて、

「さあ、いよいよ花束の贈呈です!」

と、興奮高らかな声を張り上げるや否や、会場内には気分を高揚させるファンファーレが鳴り響いたのだった。


 ――ああ、ボクさ、やっと解ったし、判ったし、分かったよ……


 このクリスマスパーティーは河鹿薫子と彼女の家族のために用意されたイベントなのだということが。


 ――んで、その仕掛人というか、首謀者というか、このイベントを企画した人というか……


 それはボクの母さんなのだということも。


 ――ついでに言えばさ、このイベントのスポンサーは高津八千代ちゃま率いるウェディングドレス開発プロジェクトチームだということにも……


「ボクの母さんからおるこちゃんへのBigサプライズなクリスマスプレゼントだね、こりゃ。その片棒を担いだのは高津八千代ちゃま率いるプロジェクトチームみたいな」


 なんていう理屈を宣っているボクだが、花束から解放されたボクはステージ中央の後方にあるドラムセットの椅子に座っていたりする。


 ――すっかりイベント司会者らしくなっちゃったサツキさんに進行を任せてさ……


「ボクは予想外に面前で繰り広げられているおるこちゃんと彼女の家族との一家団らんを観客の一人として見ているみたいな」


 このイベントの主役は河鹿薫子と彼女の家族たち。


「南習志野コミュニティセンターでのクリスマスバンドコンテストでさ、おるこちゃんが嘆き悲しんだ苦しみから……」


 ――今、たった今、その苦しみから解放されて幸せを噛みしめてるんだし……


 その幸せの邪魔をしないように、ボクはドラムセットを壁にして身を隠しつつ、ドラムセットの隙間から、今のボクには手の届かない世界に居る河鹿薫子を見守るばかりだった。



 その後、河鹿薫子の家族はステージから下りてしまい、河鹿薫子が唄う面前にある丸テーブルの椅子に座ってミニライブを観賞していた。


「いわゆるさ、熱唱するボーカルの真ん前に陣取られた、スコブル、シコタマ、超S席だね」


 ――そして、そのミニライブも終わり……


 今は宴もたけなわな歓談の時間になっていたりする。


「食べたり飲んだり、会話を楽しんだりの自由時間みたいなアレみたいな。自由にパーティーを楽しんでください時間みたいな」


 ――そんな中、ボクはステージ下手袖にある……


 パーティションで目隠しされて会場から見えない死角にある場所で椅子に腰掛けていた。


 ――何かさ、今日は朝から晩まで色々あり過ぎてさ、もう疲れちゃったから……ボクは一人になりたくてさ、身を隠したんだけど……


 そんな有り様のボクの方へ近寄り、

「秋子ちゃん、お疲れぇー」

と、ボクに声を掛けてきた人がいた。


「ああ、やっぱり中井川さんだったんだ」


「秋子ちゃん? やっぱり俺って、何が俺?」


 ――いつもの黒光りするツナギを着て、アチコチにあるポケットにはさ、いかにもイベント音響屋さんらしい道具類が頭を出しつつ入ってるみたいな……


 ボクの右脇に立っていた中井川さん、その辺にあった椅子を手繰り寄せると、優しい笑顔をボクに向けたまま、彼はボクの右斜め後ろに陣取って座ったのだった。


「おでんが使う楽器たちのセッティングや、おでんの楽曲を引き立たせる音づくり……おでんが不在でも完璧に出来ちゃう中井川さん。ボクたちの頼れるお兄ちゃん」


「え? 秋子ちゃん? 独り言? 照れくさい独り言だなぁ」


 バンドの本人たちが居なくてもカンパケできるのは中井川さんしかいないと考えていたボク。


「中井川さんがさ、南習志野コミュニティセンターの楽屋から楽器たちを拉致ってさ……」


「あはは、秋子ちゃん、拉致は酷いなぁ」


「中井川さんがココの結婚披露宴会場に設営してくれてさ、音作りまでしてくれてたんだね」


「しかし、アレだね。秋子ちゃんの後ろ姿、ホント女の子だよね。背が高いからウェディングドレスが似合ってるし、前から見たら美少女にしか見えないんだよねぇ」


「ああ、もう! ボクの話をちゃんと聞けぇー!」


「あはは、秋子ちゃん、ゴメン、ゴメン」


 見るからに元気がないボクの後ろ姿を気遣って、中井川さんは彼独特の労りをボクの背中に向けて与えてくれている。


 ――わざわざボクの顔が見えない所に座ってるし、わざわざボクの視界に入らないように気遣ってくれてるし……


「お兄ちゃん……ありがとう」


「え? 秋子ちゃん?」


 ――ボクは座っている椅子ごと中井川さんの方へ振り返り……


 ボクの目の前にある、逞しくも優しく見えている彼の脚に顔を隠すように寄り添ってしまった。


「秋子ちゃん、どうした? まさか、気分が悪かったり、体調が悪かったり、具合が悪いから元気がなかったの?」


「違うよ……ボクは頼りになるタケルお兄ちゃんに甘えてるだけだよ」


「何だよ、もう……秋子ちゃんさあ、唐突に驚かす行動するから……思わず心配したじゃないか」


 ――ああ、ダメだ。ボク、このお兄ちゃんが大好きだ。もうダメ……タケルお兄ちゃんに……タケルお兄ちゃんの……ボクは……なりたい……


「ボクからお兄ちゃんへクリスマスプレゼント……ボクの母さんを宜しくお願いします」


「え? 秋子ちゃん?」


「ボクからお兄ちゃんへクリスマスプレゼント……ボクさ、タケルお兄ちゃんみたいな父さん欲しいかも」


「え!? あ!? 秋子ちゃん!?」


「タケルお兄ちゃん? ボクには?」


「え? 秋子ちゃん?」


「タケルお兄ちゃんはボクに……どんなクリスマスプレゼントくれる?」


 そういうとボクは顔を上げて中井川さんの顔を見つめた。


「秋子ちゃん……」


 そんなボクの言葉を聞いた彼は困惑に満ちながらも、彼の中から湧き上がる嬉しさが隠せない笑顔を垣間見せつつ、彼はボクを見つめ返してくれているのだった。


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