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あたしたちが「おでん」です。  作者: 千葉あんず
17/30

第17話、夜明けのまりんぱ


「秋ちゃん? ほら、秋ちゃんったら!」


「うーん……」


 寝ているボクの体を掛け布団ごと誰かが揺さぶっている。


「秋ちゃん、起きなさい。ほら、起きなさいってば!」


「んあぁー? 母さんだ……」


 そう、ボクの体を揺さぶっているのはボクの母さんなのだった。


 ――まだまだ未明なのに……もう朝方なのか、ボクの眠りは浅くなっているようなんだけど……


「でも、まだ眠いよぉ……」


 ボクは自分の掛け布団を右手で握りしめ、ついでに左手で愛用の枕を抱きかかえてしまう。


「あら、そう。じゃあ、母さんだけまりんぱ忘年会のライブ会場に行くわね。秋ちゃんはお留守番ね」


 ――そう言うや否や、母さんはボクの腰から手を離してしまい……


 そして、素っ気なく我が家の玄関に向けて歩きだしたのだった。


「うぅーわっ!! 起きる、起きます、起きるし!! 母さん、置いてかないで!! ボクを独りぼっちにしないで!!」


「はい、はい、冗談よ。あたしの可愛い秋ちゃんを置いてけ掘りなんかにしたりしないわよ」


 ――おるこちゃんが勝手に名付けた『まりんぱ前夜祭』から一夜明け、いよいよ今日は忘年会当日のライブ当日なんだけど……


「っていうか、どわっ! まだ夜が明けてないし!」


 ――何気なくアルミサッシの窓から外を見てビックリみたいな! だってさ、まだ外は凍てついた真っ暗闇だし……


「それは、そうよ。だって、まだ朝の5時だもの。秋ちゃん、あのね、クリスマスの今頃の季節、夜明けは6時半過ぎの7時前なのよ」


「へぇ……そういうもんだったんだ……」


 ここ最近は朝の7時頃に起床するボクで、クリスマス間近な真冬でも夜が明けてから起きていたりする。


「ふぅーん、そっか……真冬だとさ、朝の5時って日の出前だったんだ」


「寝坊助の秋ちゃんったら、ぼけっとしてないで……ほら、早く身仕度なさいな」


 母さんは呆けるボクの顔を見て笑いながら言っていた。


「分かったよ、母さん。ボク、顔を洗って歯を磨いてくるよ」


「じゃあ、母さんは車のエンジンをかけて暖気しておくわね」


「うん、暖房MAXにしといてね」


「あらあら、秋ちゃんは相変わらず寒がりなんだから……分かったわよ」


 そう言いつつ、ボクの母さんは玄関のドアを開けてマイカーへと行ってしまった。


 ――ボクは大急ぎで洗顔と歯磨きをすると、シコタマ、スコブル適当な服に着替え……


 そして、やはり大急ぎで家中の窓の戸締まりを確認し、外に出ると玄関の戸締まりも施したのだった。


「くわぁー! さみぃー!」


 ――朝の5時過ぎってさ、こんなに寒いもんだったんだ……


 ボクは慌てて我が家の駐車スペースに停まっているマイカーの助手席へ飛び込んだ。


 ――あ……シートベルトしなくちゃ。しないと母さんから怒られるし……


「母さん、外は、スコブルをも、シコタマのこと寒いよ」


「あのね、夜明け前が一番冷え込む時なのよ。一日のうちで一番冷え込むのが今からの時間帯……」


 母さんは駐車スペース出入口からマイカーを一般道路に出そうと、まだ辺りが暗闇に包まれているため、慎重も慎重に左右の確認を何度もしている。


 そして、左右から車やバイクなどが往来してこないことを確認すると、母さんの職場に向けてマイカーを右折させて軽快に走らせた始めたのだった。



「ああ、もう、秋ちゃんったら……母さんは朝からがっかりよ」


「え? 母さん?」


「だって、秋ちゃんの美貌が台無しじゃないの」


「あれ? 母さんが呆れた顔でボクをチラチラ見始めちゃったみたいな?」


 ――本当はボクを凝視したい様子の母さん、早朝で道を行き交う車両や歩行者などは皆無だったけど……


 しかしながら、よそ見運転をする訳にはいかないがため、時折チラチラとボクを見るしかない様相の母さんだった。


「もう、秋ちゃんったら……何て格好をしているの?」


「え? ボクは何か変な姿とかブチかましてるの?」


 ――交差点に差し掛かったら目の前の信号が赤になってさ、母さんはブレーキ踏んでマイカーを停車させたんだけど……


 母さんはマイカーを停車させるや否や、呆れ顔のままボクの髪を手ぐしで解かすように撫で始めたのだった。


「もう、秋ちゃんの頭は雀の巣になっているじゃないのよ……」


 ――ボクの頭がスズメの巣? 何だ、そりゃ? ボクの頭でスズメが卵産んで子育てするみたいな? どんな頭なんだ、ボクの頭は? っていうか、あ、そっか……


「えっと、母さん? もしかして、それってさ、髪の毛がボサボサっていう意味の比喩表現みたいな?」


「そうよ、ボサボサ頭の雀の巣って言っているのよ」


 ――ボクは知らなかったよ。ボサボサな髪型をスズメの巣なんて表現するなんてさ……


「それに、秋ちゃんったら……そんなに味も素っ気もない服装をしちゃって……」


 信号が青になり、母さんは再びマイカーを走らせ始めた。


「母さん、大丈夫だよ。車は暖房が効いてるし、忘年会会場の社員食堂だって暖房が効いてるし。この格好でも寒くないよ」


「母さんはね、薄着とか厚着とか言ってるんじゃないのよ」


「ほえ? 母さん?」


 ――ボクの母さんの運転はスムーズで安心して乗ってられるんだよ……


「だからね、もっとお洒落な服装しないのかしらって、そう母さんは言ってるのよ」


 ――母さん曰く、『免許歴より運転歴の方が長いから』だとか……


「いやいやいや、オシャレなんて勿体無いよ」


「あら? どうして?」


「だってさ、こんなに朝早く会場に行くのは……」


 ――18歳で自動車運転免許証を取得したって言ってるボクの母さん……


「分かっているわよ。会場の音響に不具合があったから、改めて組み直し作業をするためなんでしょ?」


 ――それ以前から、いわゆる、無免許運転やらかしてたって豪語してる母さんだし! 若気の至り大自慢だし!


「うん、そうだよ。レフトチャンネルのPAスピーカーでさ、ウーハーの箱が4つあるんだけどさ、どうしても一発だけ音が出なくてさ……」


 ――免許歴より運転歴のが長いとか、良い子は真似しちゃダメだし!


「組み直し作業をすると汚れるんでしょ?」


「うん、汚れまくりだよ」


「だから、見るも無惨なヨレヨレジャージなんでしょ?」


「うん、下手したら破けちゃうこともあるし。だから、着古しのオンボロでイイんだよ」


 ――何だかんだと話し込んでいるうち、母さんが運転するマイカーは……


 母さんの勤める会社の正門に辿り着いてしまっていた。


 ――徐行して正門手前の並木をくぐったら真正面には野球場がスッポリ入るくらいの大きな従業員駐車場が見えてきて……


「あれ? 正門にある守衛所で入場手続きとかいうアレしなくてイイの?」


 ――その守衛所にはガードマンが何人か中に居るんだけど、見た感じ高速道路の料金所にあるお金を手渡すアレみたいな建物がコジンマリとあって……


「母さんのダッシュボードには入門証があるでしょ。それに、母さんは左胸に社員証が入ったバッチをつけているでしょ」


「じゃなくってさ、社員じゃないボクの手続きの話なんだけど……」


「あら、やだ。秋ちゃんは顔パスに決まってるじゃない……あ、守衛の中森さん、おはようございます。ウチの息子も入場させますから」


 ――っていうか、母さんに向かってガードマン達が深々とお辞儀しながら敬礼してるみたいな!?


「どわっ!! 意外といい加減だし!!」


「まあ、世の中ってね、そんなもんなのよ。まあ、あえて言えば、会社側から見て母さんの社会的信用があるっていう証かしら」


 母さんは笑いながらマイカーを駐車スペースに停めている。


 ――世の中ってさ、そんなモンなの?


 まだまだ中学生というお子様なボクには解らないことだらけな世の中だったりする。


「大人の世界って、何だか小難しいみたいな? っていうか、母さんって会社で偉い人だったりするみたいな?」


「あはは! さぁーねぇ……」


 ――なんて、与太ばなしはオイトイテ……



 従業員駐車場でマイカーを降りた母さんとボク、視界の片隅に遠く見えている社員食堂へと歩いている。


 ――ボクの母さんが勤める職場は食品工場なんだけど……


 我が南習志野市では一番の敷地面積を有するという、とてつもなく広大かつ巨大な食品工場だったりする。


「しっかし、大きいよねぇー」


「まあーねえ……母さんは177センチあるから」


「って、母さんの身長じゃなくってさ」


 ボクの母さん、実は身長が177cmもあったりする。


 ――ああ、もう! そんな楽屋ばなしなんて必要ないのに!


「あら、秋子ちゃんだって、女の子にしちゃ長身じゃないの」


「母さん、母さん……ボクさ、男子なんだけど」


「心配しないのよ。母さんの遺伝子を受け継いでいるんですもの、秋子ちゃんは高校生になったら母さんよりも身長は高くなるわよ」


「だぁーかぁーら! 身長の話じゃないってばさ! それにさ、ボクは男子なんだってばさ!」


 ――なんて与太ばなしをしまくっていても、まだまだ社員食堂は遠い彼方だし……


「ああ、判ったわ。母さんのおっぱいの話をしてるのね。心配しなくて大丈夫よ。母さんの遺伝子を受け継いでいるんですもの、秋子ちゃんも大きな胸に成長……」


「したくないし!! ボクは男だし!! 母さんみたいに大きなバストになったら支離滅裂だし!!」


 ――ああ……早いとこ社員食堂に辿り着かないと、ドンドコ訳ワカンナイ話に流れ行きドンブラコだし!


「秋ちゃんは巨乳が好きだもんね。母さんの大きなおっぱいが大好きなんだもん……ね?」


「ぶっ!? かかか……母さん、何ですと?」


「あら、だって、秋ちゃんが赤ちゃんだった頃、夜泣きが激しい赤ちゃんでね……」


「って、イキナリ、どんだけ遡った話なんだか!」


「母さんの大きなおっぱいに秋ちゃんを抱っこしたら泣き止んでいたのよ」


「それ、母さんの左胸にボクの頭を抱っこして泣き止ませてたんじゃないの?」


「あら、よく解ったわね」


「それさ、母さんの心臓の鼓動を聞いて安心するっていう赤ちゃんの本能だし。んでさ、別にボク、巨乳好きな訳じゃないし」


「薫子ちゃんの胸、大きいわよねぇー。流石は巨乳好きな秋ちゃんよね」


 ――って、ボクの話なんか聞いちゃいないし!!


「高校生になったら母さんよりも大きなバストになって、美少女薫子ちゃんはグラビアアイドル引っ張りダコ間違いなしね」


 ――ボクの母さん、筋が通らないことが大嫌いな人でさ、行儀とか躾とかメチャクチャ厳しい人だったりするんだけど……


 そんな堅苦しい人なくせに、それに有り余るほどの天然ボケ炸裂な人だったりするから、ニッチもサッチも、どうにも墓穴掘りまくりだ。


 ――なんてことは与太ばなしだからオイトイテ……



「ってかさ、従業員駐車場から距離にして、もう、たっぷり500メートルは歩かされてるみたいな」


 そんなにも歩かされ、やっとこさっとこ、母さんとボクは社員食堂の建物へ辿り着いていた。


「うひぃー!! もう歩きたくないし!!」


「あらヤだわ。せっかくの秋ちゃんのセクシーなオシリ、毎日ちゃんと歩いてエクササイズしないと垂れちゃうわよ」


「うひゃっ! 母さん! オシリを撫で回さないでよ! クスグッタイし!」


「あら、母さんは秋ちゃんのセクシーなヒップが好きなんですもの。仕方ないじゃない」


「こうなったらさ、もう負けないぞぉー! ボクも母さんのオシリ触っちゃうぞぉー!」


「まあ、秋ちゃんったら、気持ちイイわよ」



「おやおや……センゲンさん、朝から刺激的なお話を親子でやらかしていますね」


「あら、おはようございます」


 実は、まりんぱ食品工場の社員食堂は建物の2階にあり、建物の1階は調理室になっていたりする。


 ――んでさ、2階にある社員食堂へ繋がる階段を上っていたんだけど……


 階段を少しだけ上ったところで、唐突に予期せず、母さんとボクの背後から声をかけてきた人がいたのだった。


「っていうか、黒光りツナギの中井川さんだし」


「あちゃあ……秋子ちゃん、何だよ、そのオンボロな姿は……」


 ――あれ? ボクを上から下まで見渡しつつ、中井川さんはデッカイ溜め息ついちゃってるみたいな?


 中井川さんの盛大なる溜め息の真っ最中に、

「タケルさん、ホントよねえ」

と、ボクの母さんは聞き慣れない名前を発したのだった。


「ほえ? タケルさん?」


「え? 秋ちゃん?」


「いや、あの……母さん、あのさ……」


 ――母さんが恋する乙女みたいに親近感を込めて呼んでいたんで……


 ボクは思わず、遠慮も躊躇もなく、

「タケルさん? 誰がタケルさんなの?」

と、母さんと中井川さんの顔を見比べつつ訊いてしまっていた。


「秋子ちゃん、何を今更……」


 ――あれ? 中井川さんの顔が真っ赤っかになったし……


「ほ、ほ、ホントよね。秋ちゃんったら、何を今更……」


 ――うぅーわ!! 恥ずかしがり屋さんのおるこちゃんがモジモジする時みたいに、ボクの母さん、ハチャメチャにモジモジしちゃってるし!!


「タケルさん、朝早くから有り難う御座います。いつもお世話になりっ放しで……」


「とんでもない! センゲンさんこそ、いつも仕事を回してくださいまして有り難う御座います」


 ボクは初めて知った。ボクは初めて気づいた。


 ――体裁を繕うみたいに慌てて社交辞令なんかを交わして誤魔化してるけどさ……そっか、母さんと中井川さんは……そうだったのか……


 ボクは本音を母さんと中井川さんへ捧げた。


「母さんと中井川さんの恋愛……ボクは歓迎するし。っていうか、ボクなんかを気にしてたら幸せになれなくて勿体無いよ」


 ――うわぁ……ボクの言葉を聞くや否や……


 大の大人である中井川さんは、あたかも少年のように、溢れる感情を赤裸々に垣間見せていたりする。


 そんな中井川さんに、ボクの母さんは寄り添いつつ、未だかつて見たことがないほど真っ赤に染めた顔をボクに垣間見せていたりする。


「ボクは嬉しいよ。嬉しくて堪んない気持ちでイッパイだよ」


「え? 秋ちゃん?」


「ボクの大好きな母さんが女を捨てていなかったから……だからさ、ボクは嬉しくて堪んなくってさ」


「秋ちゃんったら……」


 とてつもなく、際限なく、ボクは嬉しかった。心底のこと嬉しかった。


 ――母さんはボクが赤ちゃんの頃に離婚していて、離婚後は誰の助けもなく、母さんだけの力で……


 そう、ボクの母さんは誰にも頼らず、たった独りでボクを育んでくれていた。


「毎日毎日、もう釈迦力んなって働きまくってさ……日勤やったり夜勤やったり、昼夜問わず働きまくってさ……女手ひとつでボクを立派に育んでくれた母さん……そんな母さんの恋する乙女みたいな姿、ボクはメチャクチャ感動しちゃったし!!」


 気がつけばボクの母さんは涙を流していて、両手を口に当ててボクの言葉を聞いてくれていた。


 そんな母さんを中井川さんは、優しく背後から支えるように抱き留めている。


「ボクは嬉しいよ。十代や二十代だけのモンじゃなくて、幾つであろうとも、生きている限り恋愛すれば輝けるんだって母さんが教えてくれたから……」


「秋ちゃんったら……」


「母さん、綺麗だよ。今の母さん、とってもキラキラ輝いているし」


「秋ちゃんったら、嫌だわ、もう……」



「いやん! お母様ったら、とても、とっても素敵です」


「え? おるこちゃん?」


 階段の脇にある手すりを施した壁の向こうから河鹿薫子の声がしたため、ボクはキョロキョロとボクの彼女を探してしまう。


「薫子ちゃん? 聞いていたの?」


「はい、お母様。あたし、階段を上ろうと思ったら、お母様と秋ちゃんと、中井川さん……素敵な話をしていたから……思わず聞き入っちゃって……」


 河鹿薫子は階段の左脇にある壁の向こうから姿を現すと、一歩、また一歩と、ゆっくり階段を上ってきた。


「おるこちゃん? どの辺りから話を聞いてたの?」


「中井川さん、あのですね……お母様と秋ちゃんの素敵な母子関係、あたしの憧れなんです」


 ――って、ボクの話なんざ聞いちゃいないし……


「うん、センゲンさんから聞かされて、その憧れ、良く知っているよ」


 河鹿薫子は、ボクを通り過ぎても、一歩、また一歩と階段を上っている。


 それに釣られるかのように、母さんと中井川さんも、一歩、また一歩と階段を上り始めた。


「いやん! もっと抱き合ってたらイイのに。まだ日の出前だし、薄暗くて近づかなきゃ見えないし」


「いやいや、河鹿さんが見ているから、恥ずかしいから……」


 河鹿薫子の言葉に、中井川さんも母さんも、見るからに恥ずかしそうな面持ちになってしまったのだった。



 母さんと中井川さん、それに、河鹿薫子とボク、社員食堂入口脇にある自動販売機で飲み物を買うと、四人掛けの応接セットの椅子へ腰掛けた。


 そして、突飛な話し方が得意な河鹿薫子は、ご多分にもれず、

「でも、あたしにとっては、秋ちゃんは浅間君なんです」

と、やはり突飛な話題を切り出したのだった。


「へ? おるこちゃん?」


 ――なんて、ボクは間髪入れずにリアクションしちゃったんだけど……


 ボクの頭上には疑問符が舞い踊っていたりする。


 ――あ……母さんと中井川さんの頭上でも疑問符が盛大に舞い踊ってるみたいな……


「えっと? おるこちゃん? どういう意味?」


 ――母さんも中井川さんも、見るからにハテナ顔になってるし……


 突飛な話を切り出したはいいが、なかなかその先を話さない河鹿薫子を促すように、

「ねえ? おるこちゃん?」

と、ボクは彼女の顔を覗き込みながら言葉を投げ掛けた。


「だって、再婚したら、中井川秋ちゃんになっちゃうもん。あたしの秋ちゃんは浅間秋ちゃんだもん」


「ああ、なるほどぉ……そんなに憧れてるんだ、おるこちゃんは……」


「うん、秋ちゃん。あたし、それほどにお母様と秋ちゃんの母子関係に憧れてるのよ」


 ――ボクはおるこちゃんの横顔を夢中になって見てしまっていて気づかなかったんだけど……


 河鹿薫子は、テーブルの上にあるレモンティーのペットボトルを両手で持ち、そのペットボトルを見つめながら会話をしていた。


 ――でね、おるこちゃんが視線をペットボトルから母さんの顔に移したから……


 ボクは河鹿薫子に釣られて母さんの顔に視線を移して気づかされたのだった。


「ありゃ? 母さんが無表情になっちゃってるみたいな……んでさ、中井川さんも無表情になっちゃってるし」


 ――もしかして、ボクも無表情になっちゃってるのかな?


「秋ちゃんは?」


「え? おるこちゃん?」


 河鹿薫子は笑顔でボクに問い掛けてきたが、彼女は彼女自身の本当の感情は隠しているように見えた。


「あたしの秋ちゃんは浅間君だもん」


「あ……えっと……」


 ボクは河鹿薫子への返答に困っていた。


 ――そっか、ボクは浅間秋なんだ……今更さ、浅間秋じゃないボクになるかもなんだ……


「どうしよう……考えたこともなかったし」


 それは、河鹿薫子だけにではなく、母さんや中井川さんにも向けて発したボクの言葉だった。


 ――ボクは腰掛けていたソファーから立ち上がると……


「秋ちゃん? ドコ行くの?」


 ――社員食堂の従業員出入口から見て真正面の突き当たりにあるステージへと歩きだしたんだけど……


 河鹿薫子はボクの二歩三歩後をついてきている様だった。


「ボクは、アサマ、アキ」


「うん。秋ちゃんは、イツでもドコでも、『アサマ、アキ』だわよ」


 ボクが呟く言葉に対し、河鹿薫子はボクの背中に向かって言葉を返してくれている。


「浅間って苗字はボクの母さんの苗字」


「うん。秋ちゃんのお母様はアサマさん。だから、秋ちゃんもアサマ君」


「ボクは自分の父親が誰だか知らないから……」


「ウソ? 秋ちゃん、そうだったの?」


「ボクは自分の父親の苗字を知らないし……」


「あ……秋ちゃん……」


「そんな苗字なんて、ボク、知りたくもないし!!」


「秋ちゃん……」


「全然知らないから、知りたくもないから……ボクは浅間秋っていう名前のボクしかピンと来ない」


「うん。秋ちゃんが浅間秋じゃないなんて、違う秋ちゃんだなんて、あたしもピンと来ない」


 ――おるこちゃんとボク、そんな会話をしているうちに……


 社員食堂の突き当たりに設営されたステージへ辿り着いてしまっていた。


 ボクは河鹿薫子の方へ振り返りながら、

「浅間秋じゃないボクって……何なんだろう?」

と、彼女へ質問を浴びせてしまう。


 ――あ! おるこちゃん、黙ってボクを抱きしめてくれたし……ああ、何だかホっとしちゃう温もりだし……



「うわぁー! メッタクソあったけぇー!」


「こら、エザちゃん、そんな乱暴な言葉使いしないの」


「デンちゃんはお母さんか!」


「あたしゃ婆さんだよ」


「デンちゃんは婆さんだったのかぁー!」


「トベちゃんはアンタの妹だないや」


「でっけぇー妹だし!」


「エザちゃんがチビなだけじゃないかしら?」


「チビって言うな!」


「じゃあ、デカイなんて言わないで!」


「まあまあ、ケンカをするでないよ」


「デンちゃん、いつまで婆さんやってんだ?」


 ――なんて、相変わらずブっ飛んだ会話を花盛りにしつつ、おるこちゃんとボクを包む空気を木っ端ミジンコにしちゃう勢いを炸裂させまくりながら……


 我がバンドおでんのメンバー、田頭久美子ちゃん、江澤さん、卜部さんの三人が賑々しくもやって来てしまったのだった。


 何かに我慢できなくなった様子の河鹿薫子は、

「ちょっと、アンタたち!! ウルサイわよ!! 学校の教室ん中じゃないんだし、秋ちゃんのお母様の職場なんだから!! もっと、ちゃんとしてくんなきゃだわ!!」

なんて怒鳴ると、賑々しく騒ぎ立てている三人の方へ走って行ってしまったのだった。


 ――ボクもおでんのみんなが集まって居る方へ、ゆっくりと、のんびりと歩いて行ってるんだけど……


「っていうか、しまった! もう、そんな時間になってたんだ……しくったぁー!」


 社員食堂の壁にある大きなアナログ式の壁掛け時計は朝の7時少し前を針指している。


 ――バンドのメンバーが来る前にさ、レフトチャンネルで音が出ないPAスピーカーをメンテナンスしようって……


 そう、だから、母さんとボク、それに中井川さんは夜明け前から会場入りしていたのだった。


 ――んでさ、おるこちゃんにも集合時間は7時だって言っといたんだけど……


 なぜだか、河鹿薫子は夜明け前から会場へ来てしまっていたりするから不思議でたらない。


 ――ホント、何でなんだろう?



「中井川さん、おはようございます」


「浅間君のお母さん、おはようございます」


「中井川さん? 音は出た?」


「浅間君のお母さん、今日は頑張りますんで、宜しくお願いします」


「浅間君? スピーカー直った?」


「浅間君? 社員食堂って、朝はやってないの?」


「浅間君、腹へったぁー」


「あれ? 浅間君、もしかして、まだ何もやってないとか? まだスピーカー壊れたまんまとか?」


「浅間君? 自動販売機で売ってるカップラーメンってさ、お湯はどうしたらイイの?」


 ――ああ、もう! ウチのバンドのメンバーは!! 朝からハイテンション炸裂しまくりだし!!


「っていうか、すいません。話を一本化してください。誰が何を言ってんだか、全然、全くワカンナイし」


 ――でもさ、朝から異常にテンション高くなってるのは無理もないんだよね……


 なぜかと言うと、ライブ当日には無意識のうちにテンションを高くしてしまう癖が身に着いている我がバンドのメンバー達だからだったりする。


 ――あのさ、カラオケってさ、ハイテンションの時のがウマク唄えたりしない?


 落ち込んでいたり乗り気ではない時など、いわゆるテンションが低い時、自分なりに最高の歌唱ができなかったりする。


 ――それってさ、演奏も同じなんだよ。解り易く言えばさ、テンション低けりゃトチるみたいな……



 ――さてさて、何だかんだで、今は朝の8時を回ってしまっているんだけどさ……


 バンドのメンバーは、各々、受け持ちの楽器の調子出しをしていたりする。


「浅間君? このケーブル、もしかしてダメになってる? シーケンスデータが何回か暴走してるのよ」


「浅間君! このベーアンさあ、ちょっと箱鳴りってか、ビビリ音が箱ん中から聴こえるんだけど……どっかネジとか緩んでるのかなぁー?」


「浅間君、あのね……わたしの立ち位置だけれど、もう少しデンちゃんの近くじゃダメ?」


「だぁーかぁーら、どうしてさ、いつも同時多発的に話し掛けてくるかな?」


 ――っていうか、あれ?


「バンドのメンバー達の10倍は話し掛けてくるはずの……」


 ――スコブル、シコタマ、ニッチもサッチも、どうにもカシマシイおるこちゃんが居ないし……


「ねえ、浅間君?」


「浅間君、あのさぁー」


「お願い、浅間君」


 ――みんな、ごめんなさい。ボク、それどころじゃなくなりました……


「あれ? 浅間君?」


「浅間君、ドコ行くんだぁー?」


「いや、あの、えっと……ボク、ちょっと川へ洗濯しに行かなくちゃいけなくなっちゃったみたいな……」


「ああ、何だ、そっか。朝間君は薫子を探しに行くんだなや?」


「俺様もさ、デンちゃんとおんなじこと思ったぜ」


「うん、エザちゃんと同じ。わたしも河鹿さんを探しに行くって意味に聞こえた」


「って、どうして川に洗濯しに行くって訳ワカンナイこと言ったのにさ、それでおるこちゃんを探しに行くって三人とも解るんだか?」


 ――気になって仕方がないボクだったけど、そんなことは後回しでも大丈夫だから……


 何となく、それとなく、夜明け前から少し様子が変だった河鹿薫子を探し始めたボクなのだった。


 ――中井川さんとボク、会場で、件の音が出ないPAスピーカーをさ、夢中になって分解してメンテナンスしてたんだけど……


「気がついたらさ、おるこちゃんだけじゃなくってさ、ボクの母さんも会場に居ないみたいな……」


 ――おるこちゃんとボクの母さん、二人揃って居ないということは、もしかしたら楽屋に居るのではないかと……


 そう、ボクはイの一番に我がバンドおでんの控え室である楽屋へ足を運んでいたりする。



 ボクは辿り着いた楽屋出入口の扉を開けるや否や、ボクの視界に飛び込んできた河鹿薫子の姿に、

「うわぁー! おるこちゃんがお姫様みたいになってるし!」

なんて、思わず感嘆の声を上げるしかなかった。


「秋ちゃん? あたし、お姫様みたい?」


「うん、お姫様みたい! プリティーで、キューティーで、ラブリーで……」


 河鹿薫子は真っ白なドレスをボクの母さんから着付けられていた。


「おるこちゃん、純白のウェディングドレスを着た、ビックリしまくりな位に、スコブル、シコタマ、とってもきらびやかなお姫様みたいだ!」


 河鹿薫子が着付けられているドレスはシンプルな見た目であり、ガサガサと色々な飾りが付いているウェディングドレスとは違っていた。


「薫子ちゃんは中学生とは思えないスタイルなのね。母さん、ビックリしたわ」


 華奢なボクよりも肩幅がない河鹿薫子。


 ――まるで小学生の高学年みたいにおるこちゃんは細いんだけど……


 彼女のバストはボクの掌に収まり切らないサイズがあったりする。


「いやん、秋ちゃん! そんなに見つめたら恥ずかしいし」


 ――おるこちゃんのおっぱいってさ、ボクの両方の手で片方のおっぱいを包まないとハミ出ちゃうんだよ……


「おるこちゃんのウエスト、信じらんない位に細いし」


「うん。だって、あたし、夕べから何も食べてないから」


「オシリも小さいし」


「いやん! いきなり触ったらクスグッタイわ」


 ――ボクはおるこちゃんの上から下まで、有難い偶像を撫でるかのように、アッチもコッチも撫で回しちゃったりしたりして……


「あっ! 秋ちゃん、あたし……もう、ダメ!」


 河鹿薫子、そう一言だけ声を上げると、グッタリ脱力しながら床に座り込んでしまったのだった。


「あらあら……薫子ちゃんは、もう、立派な女なのね」


「え? 母さん? 何が何だかワカンナイし……ちゃんと説明してくんなきゃだし」


 ボクは何が起こっているのか皆目のこと解らないまま、母さんが発した言葉からヒントを得ようと、母さんに向かって先の言葉を促していた。


「あたし、イっちゃった……」


「は? おるこちゃん、ドコにも行ってないし、ボクの目の前に居るじゃんか?」


「秋ちゃんもイかせてあげる」


「って! おるこちゃん!? そんなトコ触っちゃダメだし!!」


 ――っていうか、おるこちゃんに何が起こったのか解ったボクだし! おるこちゃんがドコにイっちゃったんだか解ったボクだし!


「母さんはビックリだわ。だって、薫子ちゃんは早熟なんだもの。もう、すっかり、薫子ちゃんは身体的に成熟しているのだもの」


 ――確かに、母さんの言うとおり、おるこちゃんは幼い可愛らしさの中に色気が早熟してる、ボクなんかより一足早く大人の階段を上るツンデレラかも……


「virgin薫子ちゃんったら、いつでも秋ちゃんを受け入れOKで、秋ちゃんから女にしてもらいたくて堪らないのよね」


「いやん、お母様ったら」


 ――床に座り込んでたおるこちゃん、顔を真っ赤に染めちゃって……


 彼女はゆっくり立ち上がりつつ、彼女特有のモジモジした仕草をしながら、彼女の間近にあったパイプ椅子に腰掛けたのだった。


「でもね、薫子ちゃんは、心と精神は……まだまだ未成熟なのね」


「あ、お母様……」


 ――あれ? ニコニコ笑っていたおるこちゃん、急にショボンとうつむいちゃったし……


「逆に、秋ちゃんは身体的にはまだまだなんだけれど、秋ちゃんの心と精神は中学生離れしていて卓越しているのよ」


「え? 母さん?」


「え? お母様?」


 河鹿薫子、母さんからの言葉を耳にするや否や、キョトンとした顔でボクを見つめ始めた。


「秋ちゃんが甘えん坊で、時々幼児退行してしまうのは……母さんの責任なのよね」


「え? え? え? お母様?」


 河鹿薫子、今度はボクの母さんを見つめ始めた。


「そう、秋ちゃんから父親を奪った母さんの責任なのよ。秋ちゃんから父親を奪った罪は計り知れないのよ。秋ちゃんに償えない罪を犯してしまったのよ」


「って、母さん! そんなことないよ! 母さんだって生きてりゃ色々あるんだし……母さん、そんなこと気にしちゃイヤだよ!」


「あのね、昔からね、息子は父親の背中から男らしさを学ぶものなのよ。いくら男勝りな母さんでもね、所詮は秋ちゃんに男らしさを授けられやしないのよ。ああ……秋ちゃんから男らしさを奪ってしまった責任は重大だわ」


「母さん、もうヤメて! ナヨナヨした甘えん坊なのはボクの責任だし! ボクは頑張って男らしくなるから! 母さんは自分を責めないで!」


 そう、母さんは悪くない。悪いのは四六時中をも甘ったれなボクでしかない。


「せっかく秋ちゃんは不思議な才能を持ち合わせているのに……」


「あ、お母様。あたし、解ります。秋ちゃんの不思議な才能……人々を魅了するカリスマ的な才能……」


 河鹿薫子の言葉にボクの母さんは満面の笑みになり、

「薫子ちゃん、あなたよ」

と、河鹿薫子の右頬に優しく手をあてながら言ったのだった。


「あ? あたし? え? あの……お母様?」


 河鹿薫子は大きな瞳を更に大きくしながら母さんを見つめている。


「そうなのよ。薫子ちゃんが秋ちゃんから次々に才能を導き出してくれているのよ」


「ああ、そっか! ボクは母さんから言われて気づいたし! 母さんの言うとおりだし!」


「あたし? あたしなの? あたしが秋ちゃんの才能を?」


 ――ボクはおるこちゃんが座る椅子の前に膝まづくと……


「おるこちゃんって訳ワカンナイからさ、ボクはその訳ワカンナさから、ボク一人じゃ考えつかないような、数え切れない色々なアイデアが湧いてくるみたいな日常なんだよ」


 ――なんて宣いつつ、純白なストッキングで覆われてる……おるこちゃんの綺麗な脚に抱きついちゃった……


「あたし、秋ちゃんにワガママばっかりで、秋ちゃんに迷惑ばっかりだと思ってた」


「うん、迷惑ばっかりだけど、でもさ……気持ちイイ迷惑ばっかりだから大丈夫だよ」


「秋ちゃん? あたしって気持ちイイの?」


「うん、今のおるこちゃんは気持ちイイよ」


「えっと……え? それって、以前のあたしは気持ち悪かったみたいな?」


「うーん……付き合いだしたばっかりの頃、その頃のおるこちゃんは気持ちイイとは言い切れないかも」


「いやん! 秋ちゃん、ごめんなさい!」


「ボクだってゴメンなさいだから、お互い様だし、気にしちゃイヤだよ」


 ボクの母さんは黙ってボクたちの会話を聞いてくれている。


 ――チラっと母さんの顔を見たら、ボクだけじゃなくておるこちゃんも我が子みたいに想って見てくれているような眼差しをしているし……


「だからさ、ボクは母さんを尊敬して止まないんだよ。やっぱり人間的に大きくてさ、母さんはボクの尊敬する師匠だよ」


「え? 秋ちゃん? 何を言い出しちゃったりしたりしてるの?」


 ――しまった! ボク、言葉に出しちゃったし……おるこちゃんがハテナ顔になっちゃったし……


「秋ちゃん、どうする?」


「え? 母さん? どうするって、何を?」


 相変わらず大好きな河鹿薫子の脚にしがみついたままのボク。


 ――ボクはおるこちゃんの脚に抱きついたまんま顔だけ母さんに向けたんだけど……


「秋ちゃん、衣装合わせしてみる?」


 母さんの手には河鹿薫子が着ている純白のドレスとお揃いのドレスがあった。


「わぁー! おるこちゃんのドレスとオソロだし! 着たい、着たい、今直ぐ着たい!」


 ――ボクは感激しちゃってさ、思わず立ち上がって、その場でピョンピョン跳ねて喜びを露にしちゃったよ!


「いやん! 秋ちゃんとペアルック! ラブラブ彼氏の秋ちゃんとウェディングドレスのペアルックなんて素敵だわ! 美少年だけど美少女みたいにキレイな秋ちゃんにウェディングドレス……いやぁーん!! 秋ちゃん萌ぇー!!」


「いや、あのさ……『萌ぇー』って、おるこちゃん、はしゃぎ過ぎだし」


 河鹿薫子は椅子に座ったまま、盛大に手足をバタバタさせて、感極まる表情も顕わに大喜びしている。


「っていうか、彼氏が彼女と同じウェディングドレス着ちゃっても、それってペアルックって言ってイイもんなの?」


 ――なんていうボクの言葉に、母さんとおるこちゃん……


 二人して大爆笑をし始めてしまったのだった。



「あーきぃーちゃん」


「おるこちゃん、なぁーに?」


「えへ……何でもなぁーい」


 今、母さんがボクのメイクアップとドレスアップをしてくれている。


 ――実は、ボクの母さん、音響屋さんの中井川さんと繋がりがあるイベント屋さんから衣装を借りてたりするんだよ……


「あーきぃーちゃん」


「おるこちゃん、なぁーに?」


「何でもなぁーい……うふ、えへへ」


 ――イベント屋さんって言ってもね、中井川さんみたいな音響屋さんとか、イベントに必要な部材をレンタルする部材屋さんとか……


 いつの間にか、すっかり我がバンドおでん専属のスタイリストになっていたりするボクの母さん。


「しかもさ、ヘアスタイリストと、メイクアップアーティストと、衣装さん掛け持ちでさ」


 ――はたまた、イベントスタッフや司会者なんかを派遣するキャスティング屋さんとか……さらには、イベントの企画制作をするイベントプロデュース屋さんとか……


「あーきぃーちゃん」


「おるこちゃん、なぁーに?」


「秋ちゃん大好き! 好き好き大好き! えへへ、言っちゃった、言っちゃった。うふ、あは、えへ」


「ああ、もう……おるこちゃん可愛ぃー!」


 母さんがボクにメイクを施してくれている中、河鹿薫子は、何度も何度も、ボクに愛情込めてボクの名を呼んでくれていた。


「おるこちゃんに負けないくらいにさ、ボクはおるこちゃんが大好きだよ。もう、絶対に離さないんだから」


「いやん……秋ちゃんったら。あたし、幸せよ」


 ――はたまた、その他にも、イベントのパンフレットとかチラシとかポスターなどなどの印刷物を製作する印刷屋さんとか……どこの街の中にもね、そんな中小企業とか零細企業とか色々あるんだけど……


「薫子ちゃん? 秋ちゃんのヘアスタイルとメイク、こんな感じでどうかしら?」


「いやぁーん! 秋ちゃんラブリーでプリティー! あぁーん、今すぐに秋ちゃんを食べちゃいたい!」


 ――全国的に有名な大企業の広告代理店と違って、中小企業や零細企業の各種イベント屋さんたちは、みんな、みぃーんな、仕事を紹介しあって共存共栄していたりするんだよ……


「あら、良かったわ。薫子ちゃんからOKもらえたわ」


「あはは! なんてさ、今みたいな母さんとおるこちゃんのやり取りも、もう、いつの間にか恒例になっていたりするみたいな」


「え? 秋ちゃん? 急に何を言いだしちゃってるの?」


 ――しまった! また言葉に出して言っちゃったよ……


「っていうか、母さん? ボクのOKは? 肝心要な本人であるボクのOKは訊かないの?」


「決まってるじゃない。もちろん、訊かないわよ」


「だぁー! 母さん! どんな『もちろん』なんだか意味ワカンナイし!」


「あら、だって、秋ちゃんは自分自身に対してのセンスはマイナスでしょ。センス氷点下だから、母さんは秋ちゃんにOKかどうか……もちろん、訊かないわよ」


 ――って! センスゼロじゃなくてセンスマイナスかい!


「しかも、自分自身に対してのセンスは凍りついてんのかいな……」


 センスゼロという言い回しは巷でよく言われているが、センスマイナスという表現は初めて聞いたボク。


 ――ってかさ、センス氷点下って訳ワカンナイ表現だけどさ、メチャクチャ解り易すぎみたいな……


「秋ちゃんは、絵画でもセンスあるし、音楽でもセンスあるし、お料理だってセンス抜群なのに、なのに……あぁーあ……」


「な……おるこちゃん、『あぁーあ』って、何だよぉー」


「だって、今朝の秋ちゃん、ボロ雑巾みたいな姿だったもん。センスマイナスなボロ雑巾だったもん」


「どわっ! ボクはボロ雑巾じゃないし!」


 河鹿薫子の物言いにボクの母さんはオナカを抱えて笑いだしてしまった。


「だってぇ、今朝の秋ちゃん……こぼしちゃった給食の牛乳をフキフキしてカラカラに乾いちゃったボロ雑巾みたいだったもん」


「おるこちゃん、何てこと宣うかな! っていうか、それ、超最悪な雑巾だし!」


 ――なんて与太ばなしをやらかしているうちに……


 ボクの母さんはボクのドレスアップも施してくれたのだった。


「はい、薫子ちゃんとお揃いのシンプル純白ウェディングドレス姿出来上がりよ」


 河鹿薫子に背を向けて母さんからドレスアップされていたボク。


 ――おるこちゃんの方へ、ボクはスローモーションみたいにゆっくりと振り返ってみたんだけど……


「あ、あ……秋ちゃん……」


「あれ? おるこちゃんがフリーズしちゃったみたいな?」


 そう、河鹿薫子はボクの名前を呟いた後、彼女は瞬きも忘れてボクを見つめたまま固まってしまったのだった。


「あれ? おるこちゃん? ねぇ? おるこちゃん?」


 ボクは椅子に座っている河鹿薫子の肩を軽く揺さぶっている。


「秋ちゃん、すっごぉーい……」


 ――あれ? 一言呟いたと思ったら、またまたフリーズしちゃったし……


「おるこちゃん?」


「あたし、見せびらかしに行かなくちゃだわ」


「へ? おるこちゃん?」


 河鹿薫子は腰掛けている椅子から静かに立ち上がった。


「秋ちゃん? 何をモタクサしちゃってるの? ほら、サッサと行くわよ」


「は? おるこちゃん?」


 河鹿薫子は左手でボクの右手を掴むと、彼女は右手で楽屋出入口扉を開けた。


 そして、ボクの右手を強引に引きつつ、彼女は会場に向かって小走りを始めたのだった。


「うわっ! 慣れない女物のヒールとかいうカカトがメチャクチャ高い靴だから走れないよ! 走ったりしたら足クジいて転んじゃうよ!」


「んもう、仕方ない秋ちゃんなんだから……うふふ、あたしに任せてちょうだい」


「え? あれ? おるこちゃん?」


 河鹿薫子、何を思ったか、おもむろにボクをお姫様抱っこし始めたのだった。


「えぇー! ボクをお姫様抱っこなんてさ……おるこちゃん、無理だよ!」


 ――華奢な女の子のおるこちゃんなのにさ、ボクみたいな男をお姫様抱っこなんて無茶だし!


「あら? 秋ちゃんって意外と軽かったのね。うふふ……楽勝だわ」


 そう言うや否や、河鹿薫子は突進するイノシシよろしく、ステージに向けて一目散に走り始めたのだった。


「あわわわわ! おるこちゃん、ボクさ、ちょっと怖い!」


 ――っていうか、すっげぇー!! 目的にマッシグラになった時のおるこちゃん、男のボクが舌を巻くほどエネルギッシュになっちゃうし!!


「秋ちゃん? そんなに力んじゃわなくって大丈夫よ。力任せに、あたしにしがみついたりしなくて、秋ちゃんは大丈夫なのよ」


「え? おるこちゃん?」


「だって、あたし、絶対に大切な秋ちゃんを抱きしめて離さないし。あたしの大切な秋ちゃんを床に落としたりしないし」


「うん、分かったよ。おるこちゃんパワー炸裂だし、ボクを軽々と抱えてるし……うん、おるこちゃんの言葉、ボクは信用できるし」


 ――ってかさ、火事場の馬鹿力みたいな男子顔負けなパワーを炸裂できちゃうおるこちゃん……マジすっげぇー!!


 腕力皆無で非力な女子のくせに肉食系女子を気取ったり、口だけは残念な意味で達者だったり、そんなハリボテさらしまくりな肉食系女子ばかりの昨今、河鹿薫子は腕力も行動力も正真正銘の肉食系女子だったと、ボクは密かに恐れ入っていた。


 ――なんてことは内緒ばなしだよ……


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