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前編

――僅か二十三日。


誕生日はひと月も違わないのに、美桜はいつだって蓮を置いて先に行ってしまう。

とはいえ、今まではただ一年待てばよかった。

だが、今回は違う――……


「おはよ」


ダークグレーのブレザーに、ブルーの格子がアクセントのプリーツスカート。

真新しい制服を身に着けた美桜が、

襟元のブルーのリボンを手で整えながら蓮の横に並んだ。


「おう」


高校まで電車通学の美桜と朝練がある蓮は、家を出る時間がほぼ同じだ。

通りの先、蓮の友人が待つその角までの僅か数十メートルを、

毎朝二人は肩を並べて歩く。


「部活、どう?」

「新入部員がすげぇ入った」

「ああ、バスケ部ここのところ結構強いし?」


確かにそれもあるけれど、と蓮は鼻を鳴らした。


「ちげーよ。マンガの影響」


そう、中坊の男子なんてそんなものだ。

ダンクシュートは遥か彼方で、その前にひたすらの走り込みと、

うんざりするような基礎トレーニングが待っていることに気付いたら、

一体何人が残るだろう。


「そうなの?」


くすくすと美桜が笑う。

背中の中ほどまである髪が、さらり、と華奢な肩から零れ落ちた。

薄衣を一枚また一枚と剥いでゆくように、

美桜はどんどん綺麗になっていく。

手を伸ばせばすぐのところにいるのに、

急にその存在を遠くに感じて、蓮は目を伏せた。


「……高校、どう?」


違う。

本当に聞きたいのは――


「楽しいよ、勉強は大変だけど。

 自分と似たような考え方をする、似たような嗜好の人たちが集まっていて、

 でも、それぞれに主義主張がある」


それで? 

それで、美桜の心を捉えるような、どこかの誰かが現れてはいない?

探るようにその横顔に視線を向けると、

長い睫毛に縁どられた黒目がちの目が、笑みを湛えてこちらを見上げた。


「蓮も気に入ると思う」


思わず目を瞬かせる。

――そうだ。

自分は『必ず追いつくから、待っていろ』と言ったのだった。

そして美桜は『待っている』と言った。


「じゃあね」


通りの角はすぐそこだ。

小さく手を振り、駅に向かって軽やかに歩いて行く

その後ろ姿を暫く見送ってから、蓮は友人の元へと踵を返した。

まずは。

まずは追いつかなくては。

美桜の後を追うのではなく、隣を歩くための努力を決して惜しまない――

蓮は改めて己に誓った。


 * * *


「まあ、お前の学力ならば無理じゃないとは思うが、バスケ部だろう?

 夏も勝ち進むとしたら、練習時間が増えるだろうし学習時間がなぁ」


夏休み前の二者面談で、担任が蓮の成績表を眺めながら、ふぅむ、と腕を組む。


「今年は全国狙ってますから、一応八月いっぱいかな」

「八月いっぱいって、お前なぁ……

 ここ狙ってる他の奴らは、その頃、夏期講習だの何だのって必死だぞ」

「バスケやりながらだって、できますよ。要はいかに集中してやるかですから」

「ご両親は、何て言ってる」

「“行きたいところに入れるように努力すればいい”だっけな。

 あと、“やるならどっちも手を抜くな”」


ガシガシと頭を掻いた担任は、「念のため」と口にした。


「バスケの強豪校という選択肢は。 

 話が全くないわけじゃないだろう?」

「俺、バスケをしに高校行くわけじゃないですから。

 バスケはあくまでも手段だっただけで、目的じゃないし」

「は?」

「つまり志望校はもう決まってるし、そこ目指して頑張るだけってハナシです」

「――そうか。

 ま、じゃあ、ご両親の言う通り努力することだ。

 結構厳しいぞ。皆、必死だからな」

「わかってます」


そう、美桜も頑張っていた。

だったら、蓮も必死に頑張るだけだ。


 


夏の大会は、県の決勝まで順当に勝ち上がった。

身長は百七十を優に超えた蓮であるが、

小柄だった頃の身のこなしを身体が覚えているためか、小回りが利く。

元々備えていたスピードと反射神経と度胸。

そこに高さとパワーが加わって、蓮は絶好調だった。

あとひとつ勝てば全国大会だ。

それに。

それに、今日は美桜が試合を見に来ている。

どんな歓声の中でも、いつだって蓮はその声を聞き分けることが出来た。


――蓮、行け!


その声が、どんなに疲れていても蓮に一歩を踏み出させ、

走る気力を飛ぶ力を与えてくれる。




「――あんた蓮君のなんなの?」

「呼び捨てで応援するとか、ちょっと馴れ馴れしすぎるでしょ」


チームの集合が掛かる少し前、蓮は気持ちを集中させるため僅かの間ひとりになる。

軽いウォーミングアップも兼ねているので、ボールを抱え体育館の裏手に回ると、

自分の名前が口にされるのが聞こえて、眉を顰めた。

そちらに足を進めると、美桜が壁を背に数人の女子に囲まれているのが目に入る。


「そんなこと言われても。

 幼馴染だから、小学生の頃からずっとこうやって応援しているのよ」


冷静な口調に逆に煽られたのか、次々とヒートアップした言葉が投げつけられた。


「は? なにその“特別親しいんです”アピール。ムカつく」

「蓮君は皆のアイドルなんだから、勝手にその周りをチョロチョロしないでくれる?」

「目障りなんだけど」


蓮は掌でボールを弄ぶように投げ上げながらそれを聞いていたが、

やにわに振りかぶって、美桜が背にする壁に向かって投げつけた。


「ひゃっ」


背後から突然飛んできたボールが、ダンッという重い音をさせて跳ね返ると、

女子たちは肩を竦めて振り返る。

その向こうには、目を大きく見開いた美桜が見えた。


「――あんたたち、誰?」


足元に転がってきたボールを拾い上げながら、

蓮は彼女たちに冷えた視線を向ける。


「俺が顔も名前も知らないあんたたちが、なに勝手な事言ってんの?」

「あのっ、あたしたち、蓮君のファンでっ」

「そ、そうなの! あたしたちもバスケ部で、

 去年蓮君の試合見てからずっと応援しててっ」


顔を引き攣らせ、言い繕う彼女たちの横を無表情に通り過ぎると、

蓮は美桜の手を掴んで引き返した。


「だから? ふざけんな。

 チョロチョロして目障りなのは、あんたたちの方だ」


そう言い捨てて、足早にそこを離れる。

煩わしいことに、試合を重ね結果を出すにつれて、

校内はもちろん他校の生徒からも何かと注目を浴びるようになった。

遠巻きに騒がれるとか、試合に押し掛けるくらいならいい。

だが、こんな風に美桜に言いがかりをつけるなんて――


「……蓮。蓮っ!」


腕をくいと引かれて、ハッと我に返る。

いつの間にか体育館の裏手を突き進んで、人気のないところまで来てしまったらしい。

頭に血を昇らせたまま、美桜を引き摺るように歩いていることにも気付かなかった。

足を止め振り返ると、困ったような顔をした美桜と目が合う。


「ごめん、蓮」

「……何で美桜が謝るんだよ」

「心配させてごめんね。でも大丈夫だから」

「何が大丈夫なんだよっ」


あんな風に、わけもわからない女子たちに囲まれていたくせに。


「謝んなきゃいけないのは、俺の方だろっ!」


間接的にせよ、美桜をそんな目に遭わせた自分が許せなくて蓮は声を荒げた。

そんな心情を知ってか知らずか、美桜がくすっと笑う。


「……なに笑ってんだよ」

「謝らなきゃいけないのは自分の方だって怒ってるの、変じゃない?」

「……」


それから、美桜は穏やかな声音でこう続けた。


「ああいうのは気にしない。言わせておけばいいの。

 だってあたしは、誰よりも長く蓮のファンをしているんだもん。

 次の試合だって、遠慮なく大きな声出して応援する。

 だからほら――」


すっと伸びてきた手が、蓮の頬をぱちぱちと叩く。


「落ち着いて。そんな怖い顔しない。

 ちゃんと集中してないと、全国取りこぼすぞ」


ふっと肩から力が抜けて、

美桜のもう一方の手を強く握ったままだったことに今更気付く。


「……馬鹿言うな」


その手をそっと離し、蓮はぐっと拳に力を入れた。


「俺が、そんなヘマするはずないだろう」


美桜の前ではどんな時も格好よくいたいと思うのに、

どうかすると、こうやって感情を波立たせた自分を見せてしまう。


「絶対勝つ。俺もチームも、今、絶好調なんだ」

「よし、じゃあ勝ってこい!」


それでも美桜は、いつだってその時の蓮が一番必要な言葉をくれる。

こんな風に花が開くように微笑みながら――

掲げられた掌に、蓮は、力強く手を叩きつけた。


「おう、任せとけ!」




床を蹴るシューズが、キュッキュッと激しく鳴る。

自分と相手の荒々しい息遣い、ドリブルの重い音、鋭く飛ぶ声。

大きすぎる歓声は逆に静寂にも似ていて、

コートの上で自分たちが出す音だけが響く。

さすがに全国がかかった県の決勝戦だ。

相手のチームも、蓮たちを簡単には勝たせてくれない。

試合は同点のまま第四ピリオドを終え、短いインターバルの後、延長戦に入った。


「走れっ!」


指示を飛ばしながら、蓮はゴール目指して駆け込む。

残り十秒。

仲間のひとりが相手と縺れながらも打ったシュートは、

惜しくもバックボードに弾かれた。

――その時。


「行け、蓮っ」


こんな時にも、蓮の耳は美桜の声を正確に拾う。

ディフェンスを躱しながら、リバウンドに手を伸ばした蓮の耳は――


「打て、蓮! 打てっ!」


美桜の声を再び捉えた。

掌でボールをホールドしながら、

ちらりとゴールまでの距離とディフェンスとの間合いを測る――いけるか?


「っ無茶をっ……」


それを引き寄せ、ゴールを向いたまま後方に伸び上がるように跳ぶ。


「……言うなっ……てっ!」


いちかばちか、だ。

体勢を崩しつつ、蓮が放ったボールは、

鈍い音を立ててバックボードに当たると、リングの上をくるくると回り――


「こいっ!」


皆が見守る中、吸い込まれるように中に落ちた。

と同時に、試合終了のコールが掛かる。


「――よっしゃあーっ!」


拳を振り上げる蓮に、仲間たちが駆け寄る。

抱き付かれ、頭を叩かれ、揉みくちゃになりながら、蓮は思う。

――やっぱり、美桜は最高だ。



「お帰り!」


美桜が家の前の道で飛び跳ねながら、大きく両手を振っている。


「すごい、すごいっ、蓮! 全国進出おめでとう!」


歩み寄った蓮の両手を掴んで、美桜は目を煌めかせながらはしゃぐ。


「最後のあれ、あんな体勢からシュート打てるなんてすごいって、

 皆、言ってた!」


蓮は苦笑する。


「『打て、蓮』って叫んでたくせに」

「……聞こえてたの?」


あんなにすごい歓声の中で? というように、美桜が目を見開く。


「美桜の声は、ちゃんとわかる」

「……っ」


口をパクパクさせて真っ赤になった年上の幼馴染の顔を、

蓮はゆっくりと覗き込んだ。

何だろう。

やけに可愛い――少しイジメたくなるくらいに。


「俺、頑張ったと思わない?」

「そ、そうだね!」

「ご褒美はくれないの?」


例のスリーポイントシュートの時を匂わせるように囁く。


「――っぐ」


不意打ちで鳩尾に決まったパンチに身体を折ると、

頭上から美桜の声が降って来た。


「い、いい気になるなっ、蓮!」


薄目を開けて見上げると、顔を赤らめたまま美桜が腰に手を当てて仁王立ちしている。


「百万年早いわっ」


それからそう言い捨てると、家の中へとアプローチを駆け戻って行く。


「侮れねー」


蓮は、くくく、と笑いながら三軒先の自分の家を目指した。




全国大会は、結局二回戦敗退で終わり――

取り敢えず、やりきったという爽快感と共に、蓮の夏は終わりを迎えた。


 * * *


教室の熱気から解放されて、ほっと息を吐き夜空を見上げる。

部活を引退すると、蓮は受験勉強に集中するようになった。

週に数度の塾と、週末に繰り返される模試。

目標は手が届くところに、ある。

であれば、今はただひたすらに頑張るしかない。

身体を使ったのとは違う疲れを感じながら塾の駐輪場に向かった時、

蓮は視界の片隅に捉えた光景に、はっと息を呑んだ。


その一瞬、自分の心に浮かんだのは、

「まさか」だったか、「やっぱり」だったか――


駅前のロータリーを挟んで向かい側。

制服姿の美桜が、やはり同じ高校の制服を着た男と並んで立っている。

夜も遅い、こんな時間に。


「じゃあな、蓮」

「なんだよ、帰んないのか?」

「模試の結果にショックを受けてるとか」

「バカ、こいつお前より全然順位上だぞ」

「げ。マジかーっ!」


自転車に手を掛けたまま立ち尽くす蓮に、友人たちが声を掛けて帰っていく。


――蓮のこと、待ってるから。


あれは、約束(・・)だと思っていた。

でも実は、そもそも約束(・・)ですらなかったのかもしれない。

単なる自分の願い(・・)であって。

そう自嘲しつつも、蓮はその場を動けなかった。

決定的な何かを目にしてしまうかもしれないのに。

――決定的な何か?

しかし次の瞬間、グリップを握る手に、ぐ、と力が入る。

例えそれを目にしたとして、自分は美桜を諦めるのだろうか?

いやそんな、まさか。

であれば、まずは行動あるのみ。

蓮は家とは反対の方向――駅へと、自転車を勢いよく押し出した。

自分は事が起きるのをおめおめと待ったりしないし、諦めもしない。


何やら男と話していた美桜は、

ふとこちらに視線を向け――蓮に気付いてぱっと顔を綻ばせた。

それから、男に向かってひと言ふた言告げると、

ロータリーを回り、蓮の元へと小走りにやって来る。


「――こんな時間までなにやってんだよ」

「クラスの有志で試験の打ち上げだったの。

 よかった、蓮がちょうど塾の帰りで」


どうやら取り越し苦労だったらしいことに、内心安堵のため息を吐くと、

蓮は自転車の向きを変え、美桜と肩を並べて家へと歩き出した。


「遅くなるなら、ちゃんと小父さんか小母さんに迎えに来てもらえよ」

「わかってるよ、それくらい」


ちょうど連絡しようとしていたところだったの! と美桜は口を尖らせた。


「――あれは?」

「ん? クラスメートだよ。

 ここから二つ向こうの駅に住んでいるらしいんだけど、

 もう遅いし心配だからって、一緒にここで降りてくれたの」


先程、その男が蓮に向けてきた鋭い視線は、

単なるクラスメート(・・・・・・)としてのものではなかったようだが、

美桜が気付いていないのであれば、敢えてそれを指摘する必要もない。


「紳士だよねぇ」


蓮は、ふん、と鼻を鳴らした。


 * * *


「蓮! 美桜ちゃんよー」


数日後に迫った受験本番に向けて部屋に籠っていると、階下から母が呼ぶ声がした。


「今、行く」


むん、と背伸びをしながら階段を降りていくと、

玄関に立った美桜が、手にしたものを、ひょいひょいと振って見せる。


「バレンタイン。美桜様特製チョコブラウニーぞ。有難く食せ」

「……どうせ、小父さんや、友チョコと同じやつだろう」


茶化しながら手を伸ばすと、それはすっと遠退いた。


「蓮のはトクベツ仕立てだよ」

「え?」

「ピンクのデコペンで“合格”って書いてみた」


それは何とも微妙な……

胸を張る美桜に、少しばかり引き攣った笑みを浮かべて見せる。


「それはどうも」

「なんか不満そう」

「いやいやいや、そんなことは。有難き幸せ」


畏まって受け取ると、美桜はふふ、と笑って言った。


「頑張って。一緒に通えるの楽しみにしてる」

「……おう」


ラッピングを開けてみると、見覚えのあるチョコブラウニーの上に、

確かに「合格」という文字と、桜の花らしきものが書かれていた。

サクラサク。

サクラ――美桜の、桜。


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